Photo & Essay

◎  鞆の浦散歩(3) 


鞆の浦というと「常夜灯」が有名なようなので
それを見たいと思って歩きました。


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小路


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鞆の浦

行政的に言えば
この町の名は「鞆町」です。
(現在は福山市に編入されていますが)
「鞆の浦」は「鞆にある入江」のことだそうです。
これがその「入江」です。


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船溜り

画面中央上部に「常夜灯」が見えます。
あそこまでと思うのですが
海沿いの道がないので
町を通って行かなければなりません。
散歩としては好都合でもありますが・・・


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細い小路


◎  鞆の浦散歩(2) 


もう少し海辺を歩きます。


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弁天島

多宝塔みたいなのが建っていますが
弁財天が祀ってあるそうです。
もちろん船で行かなければ参拝できません。


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平成いろは丸

雁木と言うのでしょうか
岸から水面下まで階段が続いていて
そこにクラシカルな船が停泊していました。
船体に「平成いろは丸」と書いてあります。

鞆の浦は
坂本龍馬と紀州藩とのいろは丸事件の舞台だったので
それに因んで
本物より少し小さめに造られた船で
弁天島の向こうにある
ちょっと大きめの島
仙酔島まで往復しているそうです。

乗って見ませんでしたが
船内には龍馬の写真や古い操舵輪
コンパスも設置され
レトロな雰囲気が漂ているそうです。


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見ていたら
ほとんど客はいないようでしたが
時刻になったのでしょう
出航していきました。


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魚屋さん

上の船着場の反対側の道路の向こうにありました。
次の日通った時は魚が並べてあり
お客さんもいました。
でも2階のの破れはどうしたのでしょうね。



【いろは丸事件とは】

いろは丸は
伊予国大洲藩がポルトガルから購入した
160トン、45馬力、3本マストの蒸気船で
これを坂本龍馬らの海援隊が借り受け
長崎から大阪に向かっていたが
慶応3年4月23日
備中笠岡諸島付近で
紀州藩の軍艦明光丸(887トン、150馬力の蒸気船)と衝突大破した。
龍馬らは明光丸に乗り移り
いろは丸を鞆の浦へ曳航しようとしたが
途中で沈没してしまった。

龍馬は鞆の浦で
4日間にわたる賠償交渉を行なったがまとまらず
舞台を長崎に移し
いろは丸側には土佐藩の後藤象二郎が加わり
5月29日賠償金8万3千両で決着した。
その後7万両に減額和解し
11月7日長崎で支払われた。
その金は土佐藩が一旦預かった後
龍馬に渡されるはずだったが
11月15日龍馬は京都で暗殺されてしまい
その金を受け取ることはなかった。

賠償金がこんな高額になったのは
いろは丸には銃火器や金塊など5万両近い荷が積んであったと
龍馬が主張したことによるが
近年4回にわたって行われた海底調査では
銃火器や金塊は見つかっていないという。

龍馬が泊まった家や
談判が行われた場所が
今も鞆の浦に残っている。

◎  鞆の浦散歩(1) 


15:30頃
鞆の浦のホテルに到着。
夕食は18:30からとのことで
たっぷり時間があります。
ひと休みした後
散歩に出かけました。

天気予報では「夕方から雨」とのことでしたが
まだしばらくは降りそうもない空模様で
ラッキーでした。


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脇の小路

古い町並みの残る町と聞いていたので
小路があると撮りました。


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ロープ

ホテルは海に面して建っています。
全室シーサイドです。
まず歩いたのは海沿いの道です。
道路から海辺に出ると漁具が干してありました。


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看板

コンクリートの塀の向こうは瀬戸内海です。
見えているのは小さな島々です。

◎  福山城(4) 


天守閣を降りて
少し城内を歩いてみました。


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若葉と天守閣


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御湯殿

内部には
一の間、二の間、風呂の間などがあり
戦前は国宝に指定されていましたが
昭和20年戦災で焼失し
昭和41年に再建。


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月見櫓

これも元は伏見城にあったもので
本来は「着見櫓」で
藩主などの到着を見極める役割だったのが
「月見櫓」に変わったそうです。

明治6年に取り壊されたのを
天守閣とともに
昭和41年外観復元されました。


福山城の見学を終えて
バスで鞆の浦に向かいました。

◎  福山城(3) 


お城といえば天守閣
エレベータはありませんが
登ってみました。
2枚目以降は天守閣最上層からの眺めです。


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天守閣

昭和20年戦災により焼失し
昭和41年に再建され
現在は博物館になっています。


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素敵な家がありました。


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大聖堂?
と思ったのですが
調べたら結婚式場でした。


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福山駅の新幹線ホーム
(手前の城郭は月見櫓)

天守閣最上層から見ているからですが
高架である新幹線ホームがかなり下にあります。
月見櫓が立っている地面も
ホームよりやや高いようです。

◎  福山城(2) 


例年ならば
桜満開の時期だったのですが
今年は早くて・・・
でも
まあまあ綺麗に咲いている木もあって
お花見しているグループもありました。


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伏見櫓
(重要文化財)

三重の隅櫓で
伏見城にあったものを
水野勝成の福山城築城に当たって
将軍秀忠が移築させたそうです。


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伏見櫓の正面


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鐘櫓

築城当時は
城下や近隣諸村に「時の鐘」を告げ
江戸期には鐘と共に
緊急時に武士を招集する太鼓も備えていました。


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唯一綺麗だった桜
(建物は御湯殿)

◎  福山城(1) 


4月4日から6日まで
広島県の福山城〜鞆の浦〜尾道方面へ旅行してきました。
たくさん写真を撮ってきたので
例によって
のんびりと掲載していきます。

東京駅から福山駅まで新幹線「のぞみ」で3時間半
少々長い旅でした。

福山城は駅のすぐ前にあります。
この城は
備後10万石の城主
水野勝成が元和8年(1622)に築城しました。
その後領主は松平氏〜安倍氏〜と変わり明治維新を迎えます。
そして明治6年廃城となり
一部を除いてほとんど取り壊され
更に戦災によって天守閣と御湯殿が焼失。
残ったのは筋金御門と伏見櫓だけ。
昭和41年に天守閣と御湯殿と月見櫓が再建されました。


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月見櫓
(昭和41年の再建)


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城壁

写真左から坂道を登りました。


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筋金御門(すじがねごもん)
(重要文化財)

伏見城から移築されたもので
古い様式の城門。


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筋金御門の柱と扉

柱の角に筋金を施し
扉には数十本の筋鉄を打ち付けてあるので
筋金御門の名が生まれたとのこと。

◎  街灯 


街灯は大好きな被写体です。


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繁華街らしい雰囲気


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オフィス街の夜更けみたいな雰囲気


どちらも西武新宿駅前でした。
これで新宿シリーズは終わりです。

◎  裏窓 


店があって
ガラス窓越しに
中がなんとなく見えますが
こちらは裏側です。

裏窓から
そっと覗いて見ました。


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◎  ゴジラのいる町 


新宿歌舞伎町には
ゴジラが住み着いています。


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怖いですね。


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やっぱり怖いです。


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誰も気にしていません。


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