Photo & Essay

◎  入間航空祭 

11月3日入間航空祭に行ってきました。
航空自衛隊入間基地で毎年この日に行われる航空ショーです。
今年は基地創立50周年だそうです。

目玉はブルーインパルスのアクロバット飛行ですが、
その前に輸送機がかなりのアクロバットをやったり、
落下傘部隊が降下したりもしました。
この日は生憎の曇り空で見栄えのしない写真ばかりになりましたので、
ブルーインパルスに絞って掲載します。


入間航空祭

こんなジャンパーを着たおじさんがいました。
かなりのファンなのでしょう。
ブルーインパルスの機体もこんなに写ればよかったのですが、
グレーインパルスになってしまいました。


入間航空祭

ブルーインパルスは6機が駐機していました。
出発(離陸)から見せてくれたのですが、
この人出ですから、
滑走路はとても見えません。

最初に4機が編隊を組んで離陸したようです。
次々に飛び立って、
空で編隊を組むのではなくて、
離陸したときにはダイアモンド編隊を組んでいました。



入間航空祭

見ごたえのない写真なので小さくしました。
左の上から下へ、
それから右の上から下へと見てください。


入間航空祭

あまりに惨めな写真なので
やめようかと思いましたが準備したので掲載します。

2機がぐんぐん上昇して、
左右に分かれ、
下降して、
交差します。
これでハートができました。

その中心を目がけて3号機が横から入ってきます。
見事にハートを射抜きました。
(写真は全然見事でありませんが・・・)


入間航空祭

たっぷりとショーを見せた後は着陸です。
着陸は1機ずつです。
しかし飛行場の隅で6機が揃ってから、
同時行動で、
最初の駐機位置に戻りました。

その様子は人の影に隠れて見えません。
つまり滑走路を見ることができるのは最前列か
それに近い人だけになります。

そこで知恵を働かせる人がでてきます。
脚立を持参するのです。
そうすると、
その人は見えるのでしょうが、
その後ろの人はますます見えなくなります。

「他の人の迷惑になりますから、
脚立の使用はご遠慮下さい」
とアナウンスしていますが、
聞く人はいません。

他人の迷惑など気にせず、
自分の利益を追求する。
これって資本主義の原理かなあ、
と思いました。


入間航空祭

なんとかきれいな色で撮れた1枚です。


◎  ブルーインパルス 


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11月3日、文化の日、
航空自衛隊入間基地の航空祭に行ってきました。
最大の呼び物であるブルーインパルスの曲芸飛行は
今年で50周年を迎えるそうです。

晴天にも恵まれ、
28万人が集まったとのことです。
とかく主催者は人数を多めに発表しますが、
これは真実の数字でないかと思っています。
なぜかというと、
入り口で検査があるからです。
ボディチェック(タッチでありませんが、金属探知器で全身検査)と
荷物検査がありました。
ひとりずつやるわけですから、
人数把握も正確なのではないだろうかと、
思ったわけです。

混雑の様子を撮りたいと思いましたが、
うまく撮れません。
向うに見える青い尾翼がブルーインパルス(T-4ジェット機)です。

検索していたら混雑の分かるパノラマ写真(産経新聞社)がありました。
下記をクリックすれば見ることができます。
「会場風景」
青空に☆マークを描いた場面です。


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午前中もショウがあって、
長い休憩のあと、
午後1時半からいよいよブルーインパスの登場です。
昼頃迄雲ひとつない青空だったのが、
この頃になると少しずつ白い雲が出てきました。

全部で6機飛びましたが、
ほとんどのショウは4機と2機とで行われました。

これは6機全部での編隊です。
白い煙を吐いてくれますから、
いかにも飛んでいるように見えます。


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1番機は煙を出しません。


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これは5機によるショウです。
ぐんぐんと上昇して行きました。


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そして5方に分かれて行きました。
1番機が煙をはいていないので、
4本しか見えませんが・・・

2機で大きなハートを描いて、
もう1機がそれを貫く矢を描きましたが、
あまりにも大きくて撮れませんでした。
残念です。
青空のお絵描きは、
あっという間に消えてしまう瞬間の芸術です。


◎  松岡美術館 

先月の末に松岡美術館(港区白金台)へ行ってきました。
ここは、ノーフラッシュでシャッター音を消せば撮影可能です。
それで彫刻を少し撮ってきました。


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題名はメモしてありませんが、
エミリオ・グレコの作品です。


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これもエミリオ・グレコです。


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「クメール男性像」(カンボジア、9~11世紀)。


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「シヴァとパールヴァティ」(中インド、11~12世紀)。

シヴァはヒンドゥー教の3最高神の一柱。
創造神ブラフマー、
維持神ヴィシュヌに対して
シヴァ神は破壊を司る。
シヴァの妻はパールヴァティー。

とウイキペディアにあります。


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「鳳首瓶」(唐三彩、中国、8世紀)。


◎  ANA整備工場見学 

1月27日羽田にあるANA整備工場を見学してきました。

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お土産に貰ったプラモデルキットを組み立てました。
ANAご自慢のボーイング787です。
ご自慢の理由をパンフレットから抜粋・引用します。

ANAが50機を確定発注したことを受けて
ボーイング社が正式に開発・製造を決定しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界初がいっぱいの最新鋭機ボーイング787をANAが世界に先駆けて
大空に羽ばたかせます。


Wikipediaによれば、
中型機としては航続距離が長く、
今までは大型機でないと行けなかった距離も
ボーイング787シリーズを使うことにより直行が可能になる。

2011年7月3日、
日本の空港設備との適合性検証のために
シアトルから787-8型機が初来日し羽田空港に到着。
2011年11月1日、
羽田 - 岡山・広島線で世界初の国内線定期便運航を開始した。
2012年1月14日、
羽田-北京線で世界初の国際線定期便運航を開始した。



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修理工場内のB787です。
斜め上から、
尾翼側から見ていますので、
尾翼がとても大きく見えます。
(現実としても、垂直尾翼は巨大です)

工場の扉が開いているので、
先頭部がよく見えませんが・・・


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工場の1Fに降りて、
すぐそば迄行きました。
目下売り出し中の”787”ですから、
大きく数字が書いてあります。
(プラモデルでは”ANA”となっています)


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ロールスロイス製のエンジンの前面に惹かれました。
欲張って、前脚と一緒に撮りました。


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主翼の先端部です。
787は軽量化のため、アルミ合金に代えて、
炭素繊維の複合材を使っているそうです。
そのお陰で、主翼先端にこんな反りを与えることができたと、
いうことです。


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最後は斜め前からの全景です。
大きな工場で、
写真の奥から手前に黄色い線が見えますが、
この線の方向(つまり工場の幅)で230mあるそうです。


◎  「風立ちぬ」〜堀越二郎 

先日、
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を見てきました。

映画鑑賞の数日前、
所沢市にある航空記念公園内の「航空発祥記念館」に行って、
堀越二郎について予習しましたので、
そのことを・・・


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航空発祥記念館です。

現在、
企画展「堀越二郎の生涯」をやっています。

また8月末まで、
アメリカから一時帰国した
「唯一現存する飛行可能な『伝説の名機』零戦」
が展示されています。

更に、
大型映像館では、
オリジナル映像作品「傑作機 零戦と人間・堀越二郎」を上映していました。

大型映像館は撮影、録音禁止ですから、
お見せするものはありませんが、
記憶に残ったことの一つは、
堀越二郎の遺品の中に一高時代の寮生名簿があって、
そこには堀越自身の名はもちろんですが、
今回の映画で結びつけられた堀辰雄の名前もあったことです。

「堀越二郎の生涯」展は撮影可でした。
資料をいくつか撮ってきました。



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日本の航空史を代表する5人の署名だそうです。



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堀越が使っていた計算尺。
映画には何度も出てきました。

計算尺は昔使っていましたが、
要らなくなって、
廃棄しました。
展示を見て、
「惜しかった!」という気もしましたが、
遺品として飾られる筈もないので、
廃棄処分は適切だったと思いなおしました。



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堀越による零戦のスケッチ。

彼は「美しい戦闘機」を作ることを目指していました。
そして、
出来上がって飛び立った零戦を見て、
「美しい!」とと喉咽の底で叫んだそうです。



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時の内閣総理大臣、近衛文麿からの招待状。

ここでいう「紀元」は「皇紀」といわれる、
神武天皇が橿原宮で即位した年を元年とする紀年法で、
西暦+660年となります。
昭和15年は紀元2600年に当るので盛大な式典が行われました。

零戦の「零」は年号2600の末尾の「0」を示しています。
正式には「零式艦上戦闘機」と呼び、
「ゼロシキ・・・」でなく「レイシキ・・・」と読むのが本来ですが、
現在では「ゼロ」と読まれています。



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堀越二郎直筆の「終戦日記」。

2ページ目もありますが写真は省略しました。
内容を下記します。

終戦日記

八月十五日

正午ラジオが天皇が重大な放送をされると告げた時、
私は咄嗟に終戦の詔勅に違いない、と悟った。
録音を再生しての放送は、
お声がかすれて所々しか聞きとれなかったが、
天皇の悲しい御言葉の一つ一つを聞き分ける必要はなかった。
しかし、
徐々に開戦も已むを得ないような雰囲気が作り上げられた四年前、
さて現実に戦かいが起こってみると、
敗戦まで行かぬうちに何とか政府は手を打つのだろうと、
漠然と考えてきた国民大衆はこれを聞いて何と感じたであろうか。

戦は終わった。
日本がすっかり消耗し尽した後の、
初めて経験する現実の敗戦。
明日からわれわれは何をしたらよいのだろう。
飛行機を造ることが終わったという以外現実には何も分からない。
分からないが考えなければならぬ。
社会的訓練の未熟、
過剰な人口と狭い国土。
自力では解決できぬ致命的な経済上の問題を抱えているこの国に、
数年前のような文明国らしい生活が帰って来るだろうか。

われわれに国際間の自由な交易を世界が許してくれなければ、
疲弊から立ち直ることはできない。
そもそも先進欧米諸国のブロック経済主義がこの戦争の根本原因ではなかったか。
日本が、
否日本の軍部とそれと結ぶ政治家が、
外交で平和的に打開することをせず、
武力に訴える所まで短気を起こしたことが戦争の近因ではなかったか。
戦勝国民にも日本国民にもこの反省がなければ、
日本の前途には長期にわたる経済および道徳の混乱がつづくだろう。
それは日本人にはもとより、
世界人類にとっても得策ではないはずである。

日本に壊滅をもたらした政策を指導してきた者が全部去らなければ、
腐敗の種は残る。
「誠実にして叡智ある、愛国の政治家出でよ。」
これが願いである。


1903年、今から110年前、
ライト兄弟が初飛行しました。
同じその年、
群馬県藤岡市で堀越二郎が誕生しました。

彼は少年時代に航空の道を志し、
一高を経て、
東京帝大航空学科に学び、
三菱重工業に入社して、
七試・九六艦戦、零戦、烈風等の設計を担当しました。

堀越は入社5年目、28歳の若さで、
七試艦上戦闘機の設計主任を命じられましたが、
この年に結婚しています。

映画では、
この結婚をないものにして、
菜穂子との美しくも哀しい恋を描いてみせました。


◎  「風立ちぬ」〜堀越二郎〜零式艦上戦闘機 

航空発祥記念館に展示されている零戦です。

第2次世界大戦中、
アメリカ軍によって、
サイパン島で無傷で捕獲され、
現在は、
米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に、
当時のままに保存され、
航空ショーなどで実際に飛行しているそうで、
現存している零戦の中で、
唯一飛翔可能な機体とのことです。


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機体先端部。



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主翼に取り付けられた20mm砲。



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主脚。

主翼の下側に凹み(主脚収納部)があります。
当時は主脚を出したまま飛ぶ戦闘機が多かったそうですが、
零戦は飛翔後に主脚を引き込むようにしました。
堀越二郎は、
主脚を収納した状態で飛ぶ姿を美しいと見ました。



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沈頭鋲。

余計な風圧を受けないように鋲の頭を沈めて、
平らにしました。
螺子も同様です。
この「沈頭鋲」のエピソードは映画に出てきます。



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大型映像館で見た映像で、
尾翼側からの姿が美しかったので、
トライしてみましたが・・・
背景がゴチャゴチャしているし、
場所が狭いし、
(言い訳です)
美しくは撮れませんでした。



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3階からの撮影。



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操縦室。

上から撮ってみましたが、
内部はハッキリ映りませんでした。



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尾翼前部。

型  式:零式艦上戦闘機
製造番号:中島第5357号

と書いてあります。
零戦は堀越二郎が設計、
つまり三菱重工で設計されましたが、
製造は中島飛行機(富士重工業の前身)でも行われました。
機数では、
中島製が2/3を占めたそうです。
エンジンはすべて中島製です。


零戦はその名の通り、
戦闘機、つまり戦争のための道具でした。
そこだけに注目すれば、
零戦を賛美することには問題が出てきますが、
純粋に飛行機として、
機械として考えた場合には、
ライト兄弟が空を飛んで以来の航空史の中で、
意味をもつ機種だと思います。
そうであればこそ、
アメリカのプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館が、
大切に保存しているのでしょう。

戦後日本が開発した飛行機 YS-11 には、
堀越二郎も関わっています。
零戦開発の経験が生かされていたことと思います。



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