Photo & Essay

◎  トラファルガー広場 

長い間お休みしておりましたが、
再開しますので、
よろしくお願いします。


ロンドン

上の国旗を見ればお分かりのように、
イギリスへ行ってきました。

ここはロンドンです。
この道路を通り抜けると女王のお住まい、
バッキンガム宮殿があります。
この日(6月12日)はエリザベス2世、
84歳の誕生日に当り、
式典があったので、
このように国旗が立てられたものと思います。

女王には誕生日が2回あるそうです、
ほんとに生まれたのは1926年4月21日ですが、
女王誕生日に軍隊に新しい軍旗を与える式典があるのに、
4月は雨が多いので、
気候のよい6月に公式誕生日を設定しているとのことです。

上の道路の手前がトラファルガー広場になります。

時間がなかったので式典は見に行きませんでしたが、
ブログを始めた頃に
若き日(1963年)の女王の写真を載せたことがありますので、
よろしければご覧下さい。
「エリザベス女王陛下」


ロンドン

広場から見ると、
立派な門(海軍門)があり、
これを潜ると1枚目の写真になります。


ロンドン

広場には噴水があり、
そのそばに
高い柱が立っています。


ロンドン

ネルソン記念柱です。


ロンドン

柱上のネルソン提督像。

イギリス海軍は、
1805年10月21日、
スペインのトラファルガー岬の沖合で、
フランス・スペインの連合艦隊を破り、
ナポレオンの英本土侵略を阻止しました。
ネルソンはイギリス艦隊の司令長官で、
戦いには勝ちましたが、
戦闘中に狙撃されて戦死しました。

広場の名はこの海戦を記念したものです。


ロンドン

ネルソン記念柱の回りには4頭のライオン像があります。
ライオンは王を象徴するとかで、
あちこちで見られますが、
三越デパートのライオンは
ここの像をモデルにしているそうです。


ロンドン

広場の北側には美術館、
ナショナルギャラリーがあります。
膨大な西洋絵画のコレクションを誇り、
この日はここを観覧しましたが、
とても全部見切れませんでした。

パリのルーブル美術館や
スペインのプラド美術館が、
王家のコレクションを基にしているのに対し、
政府が国民のために集めたものだそうです。

有名な大英博物館も含め、
美術館などは
すべて入場無料です。


ロンドン

休む前のブログにバラ(ブラックティ)の花を載せて、
旅先のヒントとしましたが、
「バラの国」「紅茶の国」というつもりでした。
そのことについては後日に書きたいと思っていますが、
「イングランドの花」が赤いバラだということなので、
とりあえず載せておきます。


◎  イギリス 

前回に続いて、
ロンドン、トラファルガー広場近くの写真ですが、
題名は大きく「イギリス」です。
政治の中心地だからです。


ロンドン

女王のお住まい、バッキンガム宮殿。
12日が誕生日で、
ここに近寄るのは大変だとのことで、
前日の夕方に訪れました。

エリザベス2世はイギリスの女王様ですが、
「イギリス」について再確認してみます。

例えば「アメリカ」という国があります。
正式には「アメリカ合衆国」といい、
略して"USA"と呼びます。

これに倣うと、
「イギリス」という国の正式名称は
「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」
という長いもので、
略して"UK"と呼びます。(United Kingdom)

「グレートブリテン」には「イングランド」「スコットランド」「ウエールズ」が含まれ、
これに「北アイルランド」を加えたのが「イギリス」です。

今回の旅は「イングランド」と「スコットランド」でした。
いまでは一緒の国になっていますが、
この2国は昔から戦争を繰り返してきたそうです。

南アフリカで行われているワールドカップに出場しているのは、
「イギリス」ではなくて、
「イングランド」です。


ロンドン

バッキンガム宮殿の衛兵です。
「衛兵の交代」が有名ですが、
それは見ていません。


ロンドン

前回のトラファルガー広場から南へ下ると政治の中心地です。
まず近衛騎兵隊の司令部があります。
観光客がぞろぞろと入って行くのでついて行ってみると、
奥には広い馬場があり、
途中2カ所に衛兵が立っていました。
すぐそばで撮影できました。


ロンドン

近衛騎兵隊の先には
首相官邸、外務省、政府庁舎、と続きます。
道路を挟んで官邸の向い側は国防省です。
写真は政府庁舎です。

官邸は立派な建物ですが、
歩道から数段、石段を登るとすぐ入り口になっていて、
前庭のようなものはありません。


ロンドン

政府庁舎の十字路を東に曲がると、
ビッグベン(議事堂の時計塔)が見えてきます。


ロンドン

そのまま真っすぐ進むと
テムズ川に掛かったウェストミンスター橋があります。
それを渡って振り向くと国会議事堂の全景が見えました。

国会議事堂の向うにウェストミンスター寺院があり、
この一帯が"City of Westminster"です。
ここから東北3kmほどの所に
セントポール大聖堂やイングランド銀行などがあり、
そちらが"City of London"です。
大ロンドン市は
これらを含む多くの特別区からなっています。


バラ

華やかな写真が出てきませんでしたので、
バラを1枚載せておきます。


◎  グリニッジ 

6月12日の午前中はロンドン市内観光の予定で、
バッキンガム宮殿などが主要な目的地でしたが、
最初に書いた通り、
当日は女王誕生日に当たるため、
観光場所を変更して、
グリニッジへ行きました。


タワーブリッジ

途中に写真ストップした「タワーブリッジ」です。
橋の手前に見える軍艦は、
HMSベルファスト号という巡洋艦で、
第二次大戦や朝鮮戦争で活躍したそうです。

タワーブリッジの左手前に「ロンドン塔」があったはずですが、
撮ってありません。
昨夜になって漱石の『倫敦塔』を読んでみました。
牢獄、拷問、処刑の場として用いられた悲惨な歴史。
対岸に行ったのですから、
せめて1枚撮っておけば・・・


グリニッチ

世界標準時で有名なグリニッジの旧天文台で、
博物館になっていて見学できます。


グリニッチ

ステンレスの輪があって、
地面にある銀色の2本線に挟まれたベージュの線が、
基準の子午線(経度0°)です。
右が東、左が西で
世界の主な都市の経度が書いてあり、
"Tokyo 139°45′ E"と書いてありました。

この地点の時間(グリニッジ標準時)を基準として、
経度15度毎に1時間の時差が生じるわけですが、
日本との時差は9時間です。
ただし現在サマータイム実施中のため8時間になっています。


グリニッチ

旧天文台は高台の上にあります。
北側を見下ろすと、
正面に見えるのが旧王立海軍学校です。
その向うはテムズ川、
その向うに高層ビルが見えました。
ロンドンの中心部に高層ビルはなかったようでしたが・・・


グリニッチ

南を向くとマロニエの並木道になっていて、
その両側は広い公園です。
マロニエは花が終わって実になりかけていました。


グリニッチ

公園には鳩とリスがいました。
ガイドさんが胡桃の実を用意していて、
それを手のひらに載せて差し出すと、
近づいてきて食べます。
カメラを向けても逃げません。
ガイドさんが
「ここのリスはカメラ慣れしています」
といいます。
観光客のためにガイドたちが餌付けしたのでしょう。
写真が撮れて嬉しいような、
ちょっと哀しいような・・・

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ロンドンの写真はまだまだありますが、
これで終わりにして次へ移ります。
実は旅の最後がロンドンでした。
成田を立って、
ロンドンのヒースロー空港に到着。
国内線に乗り換えてスコットランドの首都エジンバラに飛び、
そこから旅が始まりました。
次回はエジンバラです。


グリニッチ

またバラを1輪おまけです。


◎  エジンバラ城 

日程表では、
成田発:6/3 11:30
ロンドン着:15:45(現地時間-----時差8時間)
ロンドン発:19:00
エジンバラ着:20:25
となっていて、
ほとんど定刻で発着しました。

ロンドン(ヒースロー空港)で3時間以上の待ち合わせ、
暇を持て余すだろうと予想していたのですが、
結果的には、ちょうどよい位、
ほんのチョッと余裕があった位でした。

まず入国審査。
これはそんなに手間取らずに済みました。
それから国内線に乗り換えるのですが、
そのためのセキュリティチェック、
これが大変でした。

日本の場合は、
国際線に比べ、
国内線は多少検査がゆるく、
つまり簡単ですが、
ロンドンでは国際線と同等以上の厳しさでした。

上着を取れ、
ベルトを外せ、
靴を脱げ(靴底が厚めだと)などなど。
そして引っかかる人がいるとやり直し。
国内線だからなのか、
検査ゲートが一カ所だけですから、
時間が掛かります。

ようやく終わって、
次へ行くと、
顔写真を撮って・・・
データナンバーの記録をパスポートに貼付けてくれました。

ここで一段落ですが、
出発のゲートNo.がまだ決まっていないから動きようがありません。
その間に売店で水を買ったり、
夜食用にサンドイッチを買ったり、
ベンチに腰掛けるほどの時間はありません。

ゲートが決まって、
そこへ移動です。
それが長い道のりで・・・・・
空港の端から端迄歩いたかと思うほどで、
ようやく到着。
待合室の入り口で、
搭乗券とパスポートを見せると、
さっきのデータナンバーでパソコンに顔写真を呼び出して照合。
どんな必要性があるのか分かりません。。。

空いているベンチを見つけて腰を下ろすとすぐ、
搭乗開始。
というわけで、
退屈しないで済みましたが・・・・・

エジンバラ到着。
全員のスーツケースが出るのを待って、
外に出たのは21時頃だと思いますが、
まだ青空に白い雲が浮かんでいました。


エジンバラ城

1泊して、
翌日は快晴。
スコットランドは寒いと聞いてきたのに、
南イタリアのようなお天気でした。
まずはエジンバラ城の見学です。

城は急峻な岩山の上に建てられているのですが、
それをお見せする写真がありません。
バスがぐるっと山裾を廻ってくれたので、
見ることはできましたが、
写真が撮れません。

山上の街の方から入った眺めです。
急な岩山は向こう側になるのでしょう。

幾度もの戦闘で破壊と再建と増改築と、
繰り返されてきた城だそうです。


エジンバラ城

ここは現在、イギリス軍が使用しているそうです。
この3人はどういう御用か知りませんが、
歩調を揃えて坂道を登って行きました。
靴音は高いのですが、
北朝鮮の軍隊の行進みたいに足を上げる行進ではありません。


エジンバラ城

城内でいろいろと撮りましたが、
どれが何だか、よく分からない、というのが本音です。
この小さな建物は、
多分牢獄です。


エジンバラ城

岩山のお城ですが、
花も植えてありました。


エジンバラ城

見晴し台からの城内の一部です。


エジンバラ城

見晴し台から街の方を見た景色です。
すぐ下が城壁で、
その下の緑の木々が公園。
その向うの市街がニュータウン。
ニュータウンといっても18世紀以降に造られたそうですが・・・
その向うの海が北海。


エジンバラ城

建物の内部はほとんど撮影禁止でしたので、
パンフレットの写真ですが、
この王冠は3種の神器のひとつです。
王冠のほかに、
御剣と御笏と展示されています。

日本の皇室の3種の神器はどのくらい古いものでしょうか?
スコットランドに伝わるこの神器は、
キリスト教世界では最古のものだと書いてありました。


◎  エジンバラぶらぶら歩き 

聖ジャイル教会の見学後昼食を取り、
あとは自由行動でしたから、
ぶらぶらと歩いてみました。

旅行社のパンフレットには、
この半日のために
いろいろとオプショナル・ツアーが準備されていましたが、
参加者が僅か9名しかいないので、
どれも実施されませんでした。


エジンバラ

タータンチェックを着て、
バグパイプの演奏をする人を、
時々見かけました。


エジンバラ

エジンバラ城下の公園です。
お城が建つ岩山の様子が多少分かると思います。
公園の反対側はもっと急峻です。


エジンバラ

公園の芝生で遊ぶ母と子。


エジンバラ

芝生で憩う人たち。
陸橋から見下ろしました。


エジンバラ

陸橋のたもとで憩う若者たち。
金曜日の真昼、
芝生の人たちも含めて、
みんな暇そうにして、
どういう人たちなのでしょう?

写真に撮ってありませんが、
繁華街は歩きにくいほどの混雑でした。
若い人たちが多いのです。

こんなに陽が射せば暖かい---暑いくらい---です。
しかし木陰やビルの陰に入ればひんやりとし、
風がが吹けば、それは冷たい風です。
陽が陰れば、夕方になれば、涼しくなってしまいます。


エジンバラ

スコット・モニュメント。

スッコットランドを代表する文豪、
サー・ウォルター・スコットを記念して建てられた塔で、
作家の記念碑としては世界最大、
だそうです。


エジンバラ

サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1771~ 1832)って、
さー、だれでしょう?

スコットランドの詩人、作家。
1771年、エディンバラで生まれた詩人・作家。
代表作は「ロブ・ロイ」「アイヴァンホー」「湖上の美人」など。

(「アイヴァンホー」は聞いたことがあるような気もしますが・・・)

その他に、
ウォルター・スコットの肖像はスコットランド銀行発行の
すべての紙幣に使用されている。

これは現実的な事柄です。
イギリスの紙幣はイングランド銀行が発行している、
ご存知のポンドです。
女王の肖像が描かれています。

ところがスコットランドには、
スコットランド銀行が発行しているポンドもあるのです。
1度手にしたこともありましたが、
女王の肖像でない紙幣は持っていない方がよいといわれて、
すぐ使ってしまいました。
サー・スコットの肖像をよく見ておけばよかったと思います。

スコットランドの紙幣はイギリス中で使えるのですが、
イングランドでは受け取りを拒否する店もあるとか・・・
それに日本に持ち帰っても円に交換できないとか・・・
エリザベス女王の紙幣は日本で交換できますが、
サー・スコットの紙幣は交換できないのです。


◎  エジンバラの花 

今日はエジンバラで撮った花々です。(6月4日)

エジンバラの花

ライラックが真っ盛りで、
いい匂いが漂っていました。

ここから4枚はお城の下の公園で撮りました。


エジンバラの花

シャクナゲ。
スコットランドではシャクナゲが至る所に咲いていました。


エジンバラの花

セリ科の花です。


エジンバラの花

マメ科の花ですから、
最初は黄色の藤かと思いましたが、
後で分かりました。
”Golden chain tree” (日本では「金鎖」と呼ぶようです)でした。
この花はスコットランドではよく見かけました。


エジンバラの花

エニシダ。

この写真から下は、
エジンバラのニュータウン東にある、
カールトン・ヒルという小高い丘で撮りました。


エジンバラの花

カールトン・ヒルへの昇り口があって、
階段を昇っていくとそこから、
更に石段を登る道と、
緩い坂道とに分かれます。

「どっちへ行くんだろう?」と独り言のつもりで云ったら、
階段を下りて来た人が
「どっちでもいいですが、
そちらから回って行って、
上に昇って、
この石段を降りてくるのがいいですよ」
と教えてくれました。
見ると日本人みたいで、
そうでないみたいな老人で、
5~6人の家族づれでした。

家内が「どちらからですか?」と聞くと、
「台湾です」とのことでした。

云われた通りに緩い坂道を上って行くと、
セイヨウサンザシが沢山咲いていました。
真っ盛りです。
ピンクの花もありました。


エジンバラの花

カールトン・ヒルの上にある、
ナショナル・モニュメントです。
アテネのパルテノンを模して、
ナポレオン戦争の戦没者記念として
建てたそうですが、
途中で予算が尽きてしまって、
未完のままだそうです。

計画通りにできたら、
どんな姿になっていたのか知りませんが、
この廃墟のような風情もいいのでは、
と思いました。


エジンバラの花

丘の上にキンポウゲが咲いていました。

ここから、
さっきの台湾の一家と同じ石段を降りました。


◎  スコッチウィスキーの醸造所 

6月5日朝、
エジンバラを出発して北に向かいました。
この日の泊まりはインバネスです。


スコッチウィスキー

途中、
ピットロッホリーという町で、
スコッチウィスキーの工場に立ち寄りました。
入り口に看板があって、
スコットランドで最も小さな醸造所と書いてありました。

小さいとはいえ、
観光客立ち寄り場所になっているようで、
駐車場が空にならない程度に
観光バスが出入りしていました。


スコッチウィスキー

小さな工場で、
少量で良質のウィスキーを造っているようでした。
工場見学と試飲と売店と・・・


スコッチウィスキー

売店の建物だったかと思いますが・・・


スコッチウィスキー

何故か滞在時間がたっぷりありましたので、
近くを散歩しました。
醸造所の中を流れている川の下手に、
こんな素敵な家がありました。


スコッチウィスキー

この家の裏手に回ってみると、
細い道があって、
そこに立った老夫婦が垣根越しに、
庭仕事をしている家人に話しかけていました。


スコッチウィスキー

その道をどんどん進んで行ってみたら、
右手に草原(牧場と思いますが)が広がっていました。


スコッチウィスキー

この道は多分「フットパス(下記参照)」なのでしょう。
さっきの老夫婦は私たちと反対方向から歩いてきたのです。
歩いている内に2組ほどすれ違いました。

牧草らしい草が広がっていますが、
羊も牛も見えませんでした。

イギリスは世界で名だたるウォーキング大国です。
「パブリック・フットパス(Public foot path)」は、
そのための歩行者専用の遊歩道で、
運河沿いの小径、
畑の裏の散策路、
少し長いトレイルなど、
イギリス中にあります。
誰もが自然を共有し、
そこを通行する権利があるとの考えから、
時には他人の土地を横切るコースもあるようです。


スコッチウィスキー

帰り道で撮ったミミナグサです。

バスで少し移動して昼食を取ってから、
次の目的地、
コーダ城に向かいました。


◎  コーダー城 

コーダー(Cawdor)城はシェイクスピアの
『マクベス』 (Macbeth)の舞台という触込みで見学しました。
この戯曲は1606年ごろの執筆であると推定されています。
モデルは実在のスコットランド王マクベスで、
その在位は1040年~1057年だったそうです。

この城の建設は
マクベス王在位の年代から300年あまり以後のことだそうですから、
シェイクスピアが執筆した頃には実在していましたが、
マクベス王が住んだはずはありません。
そういってしまうと有り難みが薄れてしまうのですが・・・


コーダー城

左下の芝生がお城の正面ですから、
この写真は右側から撮っています。

城内は見学しましたが、
撮影禁止でした。

このお城は今もコーダー伯爵が使っておられますが、
他にもお屋敷があるので、
そちらに滞在しているときは見学可能になります。
お城を見せるのは収入を得るためだそうです。

因に現在の伯爵はもう若くはない女性で、
ご主人は亡くなられ、
子供がないので養子を取っておられるそうです。
養子は二人いるとのことで、
相続争いが起きないのか、
人ごとながら心配になりました。
多分広大な領地もあるのでしょうし・・・


コーダー城

今度は左側から見たところです。
植え込みの間の小径が入り口に通じています。


コーダー城

ガクアジサイのような白い花が真っ盛りでした。
ムシカリ(オオカメノキ)です。


コーダー城

1枚目の写真を撮ったポジションの裏側に、
刈り込みで形作った広大な迷路があり、
それをキングサリのトンネルが囲んでいます。


コーダー城

2枚目の写真の左に行くと広大なお花畑があります。
そのお花畑に続く道です。


コーダー城

建物近くで咲いていたライラックです。
キングサリの大木もありました。


コーダー城

お花畑にはいろんな花が植えてありましたが、
ヒマラヤの青いケシがちょうど咲いていました。
この地方なら真夏でも高温にならないから、
育て易いのでしょう。


興味のある方は下記をどうぞ。
『マクベス』のあらすじ


◎  ネス湖 

コーダー城見学の後、
インヴァネスという街に宿泊しました。
インヴァネス(Inverness)とは、
「ネス(Ness)川」の「河口(Inver)」という意味で、
ネス川はネッシーで有名なネス湖から流れ出ている
長さ10kmのヨーロッパ最短の川です。

翌日は早速ネス湖見学ですが、
スコットランドに来てから続いていた晴天が終わり、
初めての雨となりました。


ネス湖

ネス湖は細長い湖です。
幅約2km、長さ約35km、最大深さ290m。

イギリスの湖はほとんどが
こんな風に細長い形をしています。
成り立ちが「氷河の削り痕」だから、とのことです。


ネス湖

笑って下さい。ネッシーです。
インヴァネスが有名なのはネス湖があるから、
ネス湖が有名なのはネッシーがいるから、なのですが、
そのネッシーは「存在しない」という結論がほとんど確定しているそうです。
ネス湖ほとりの小さな池に、
こんな怪獣を浮かべて見せていました。
風に吹かれて、
この小さな池の中を彷徨っていました。

日本では「ネッシー」として知られていますが、
本名は" Loch Ness Monster"(ロッホ・ネス・モンスター=ネス湖の怪獣)です。
この"Loch"はゲール語で英語の"Lake"(湖)に当ります。
スコットランドでは湖を Loch***と呼び、
イングランドではLake***と呼んでいます。

スコットランドの湖で
面積が最大なのはLoch Lomond(ロッホ・ローモンド=ローモンド湖)で、
水量最大が Ness(ネス湖)だそうです。


ネス湖

ネッシーの池のそばに小さな潜水艦が置いていありました。
最後に使ったのが1969年、
それ以後こうして展示されているのでしょう。
ネス湖に潜ってネッシーの細胞サンプルを採取しようとしたそうです。


ネス湖

ネッシーがいないので、
見学は湖畔に立つ古城(廃城)です。
アーカート城といい、
1230年の築城だそうです。
実物を見る前に城の歴史を上映してくれましたが、
(日本語字幕が出ました)
もう、詳しくは覚えていません。
とにかく幾多の攻防が繰り返されたこと、
堅固な城だったこと、
だけが記憶に残っています。


ネス湖

日本の城でいえば天守閣でしょうか、
ここに登れば城内もネス湖も見渡せます。


ネス湖

塔の上から見下ろした城内です。
廃墟になっている古城を、
降ったり止んだりの冷たい雨の中で見るのは、
風情のあるものでした。

ネス湖

ネス湖畔の斜面に、
黄色の花をつけた灌木が広がっていました。
ハリエニシダです。


ネス湖

近づいて見ると葉っぱが針状になっています。


◎  グラスゴーへ 

インヴァネスが今回の最北端で、
ここから南下を続け、
ロンドンを目指すのですが、
さし当たって、
スコットランド最大の都市グラスゴーに向います。

インヴァネスからちょっと南のネス湖を見てから、
南下して昼食です。
ネス湖では雨でしたが、
青空が出て、暖かくなりました。
イギリスでは、
雨はよく降るけれども、
長時間は降らないとのことですから、
その典型を体験したわけです。


グラスゴーへ

レストラン近くに咲いていたキングサリです。
スコットランドではよく見かけました。


グラスゴーへ

シャクナゲとエニシダも盛りでした。

今バスが走っているのは、
大ブリテン島の西側、大西洋側です。
目指しているグラスゴーも西側にあります。
ほぼ同緯度の東(北海)側に
旅の起点となったエジンバラがあります。
そのエジンバラから東北に50kmほどの所に、
今回は寄っていませんが、
石川遼君が活躍した
セントアンドリューズがあります。
ゴルフ発祥の地として有名で、
ゴルファー憧れの街だそうです。
(「だそうです」と人ごとのようにいうのは、
ゴルファーでないからです)


グラスゴーへ

日程表には「グレンコーを経由して・・・」
とありました。
バスが停まって、
添乗員が「グレンコーです」というので降りました。
三角の石に"GLENCOE"と書いてあります。
道路から見える山々を指して「あれが3姉妹といわれる山です」
三角石に山の見取り図が書いてあります。
そうか~この「3姉妹」が「グレンコー」なのか、と思いました。


グラスゴーへ

三角石によると「3姉妹」の山の名は、
右から"Aonach Dubh" "Gearr Aonach" "Beinn Fhada"
とありますが、
どう読むのでしょう?
多分、
ゲール語(ケルトの言葉)に由来する地名なのでしょう。

この記事を書くために、
検索を使って調べました。
「グレンコー」はこの3つの山のことではありません。
"Glen" は「峡谷」、"Coe"は「コー川」だそうですから、
コー川の峡谷です・・・この地方の名・・・村の名前、のようです。
川があって、谷があって・・・景勝の地のようです。
バスの中で眠っている内に、
景色のよい所を通ったのでしょう・・・


グラスゴーへ

「3姉妹」と道路を挟んで反対側の山並みです。
スイスのようです。

イギリスに高い山はありません。
ベン・ネヴィス(Ben Nevis)という1344mの山が最高峰で、
それはスコットランドにあります。
イングランドの最高峰は978mしかありません。

だからここの山々は高く見積もっても1000mくらいです。
しかし木が全く生えていない・・・森林限界を超えているのです。
寒いのです。。。

写真の下の方の色濃い草はヒースです。
8月を過ぎると花をつけて、
一面が赤くなるそうです。
参加者の一人が
「出発前に『嵐が丘』を読んできました。
ヒースが見れてよかったわ!」
と緑のヒースに感激していました。

私もDVDで『嵐が丘』を見て行きましたが、
映画はモノクロでしたから
ヒースの花の色はなかったし、
今ここに生えているヒースに花はないし、
正直、感激するに至りませんでした。

こんなに感激できるのは、
女性だから?
(私より)若いから?

バスが走っている内にまた雨になりました。
雨の中、
荒涼としたヒースの高原をバスは走りました。


グラスゴーへ

ロッホ・ローモンド(ローモンド湖)でトイレ休憩。
雨の中湖を見に行きました。
バスに帰る途中で撮ったバラです。

グラスゴーは大きな街です。
夕食後ホテル近くを散歩してみましたが、
カメラを持って出なかったので写真がありません。
夕方から上がっていた雨が
散歩中にまた降りだしました。


◎  ピーター・ラビット 

『ピーター・ラビットのおはなし』シリーズは、
ヘレン・ビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter, 1866~1943)によって、
ここウインダミア湖のほとりで書かれました。

ポターはロンドンの裕福な家に生まれ、
幼少時代はナースとガヴァネス(家庭教師)によって育てられました。
他の子供たちとあまり関わることなく、
イモリ・蛙・蝙蝠・ウサギなどを飼い、
小動物や植物に興味を抱くようになります。
何時間も飽くことなく観察し、
外出や遠出の際にペットもよく一緒に連れて行きました。
ピーターラビットのモデルになったウサギもこの頃飼っていたといいます。
夏はパースシア地方・スコットランド・湖水地方などの貸し別荘で過ごしていました。

彼女の書いた『ピーターラビットのおはなし』は、
湖水地方で観察した小動物が発想の素材となっています。
周囲のすすめで出版されて好評を博し、
結局23冊の本を書き、
本の売上から多くの収入を得ました。

晩年はイギリスの湖水地方で牧羊場を購入、経営しました。
彼女はその景観を愛し、
安定した著作権使用料と両親の遺産で地元の土地を買い上げました。
彼女はナショナル・トラスト運動の創始者の一人の友人であり、
自身の財産で多くを小屋、15の農場、4000エーカー(16km²)の土地を買い、
その美しさが失われないように努力しました。
彼女の遺産は現在、湖水地方国立公園の一部となっており、
晩年を過ごした自宅はヒル・トップという名で一般に公開されています。

ボウネスの街に『ビアトリクス・ポターの世界』
("The World of Beatrix Potter Attraction")
があり、
ヒル・トップは湖の対岸の山の上にあります。


ピーター・ラビット

前置きが長くなりましたが、
『ビアトリクス・ポターの世界』をご案内します。
入ると、
短い映画を見せてくれます。
日本人には日本語で説明が流れます。
映画のタイトルです。


ピーター・ラビット

展示室内は撮影自由です。
沢山撮ってきましたが、
物語をよく知りませんので、
どういう場面であるのかも知りません。
というわけで、説明抜きの、写真だけの紹介です。


ピーター・ラビット



ピーター・ラビット



ピーター・ラビット



ピーター・ラビット



ピーター・ラビット

ここからが『ピーター・ラビットのおはなし』のようです。

お母さんの言いつけを破ったピーターは
マグレガーさんの農場へ忍び込んで、
野菜を食べて、
マグレガーさんに見つかり、
追いまわされます。
辛くも逃げ出しましたが
上着と靴をなくしてしまい、
上着はマクレガーさんの案山子に利用されてしまいました。


ピーター・ラビット

お母さんが
「マクレガーさんの農場へ行ってはいけませんよ」
と言っているところでしょう。


ピーター・ラビット

お母さんの言いつけを守らず、
マクレガーさんの農場に忍び込んで、
野菜を食べている所だと思います。
もう上着を着ていませんが・・・・・


◎  ウォーターヘッド 

ウインダミア湖は南北に細長く伸びています。
『ビアトリクス・ポターの世界』を見たボウネスの街は、
湖の真ん中の東側ににあります。
泊まったホテルは湖の北端にあり、
地名もホテル名もウォーターヘッドです。


ウォーターヘッド

これがホテルです。
庭のシャクナゲが満開でした。


ウォーターヘッド

ホテルに戻ったのが早かったので散歩にでました。
ボートがたくさん並んでいますが、
乗る人はいないみたいでした。


ウォーターヘッド

白い雲がどんどん湧いていました。
(翌日は雨でした)


ウォーターヘッド

湖の北端ですから、
ここはフェリー(水上バス?)の終点です。


ウォーターヘッド

左側の建物には船の切符売り場や待合室があります。
赤いのは(いわなくても分かるでしょうが)郵便ポストです。
日本が郵便制度と作る時イギリスを手本にしたそうですから、
日本の昔のポストに似ています。


ウォーターヘッド

シャクナゲ
以下散歩中の撮影です。


ウォーターヘッド

ヤマボウシ


ウォーターヘッド

カエデ


ウォーターヘッド

ジギタリス
イギリスではキツネノテブクロ(foxglove)と呼んでいるようです。


◎  シェイクスピア 

ビアトリクス・ポターとワーズワースにゆかりの地、
湖水地方の次は、
シェークスピア生誕の地、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンです。
随分長い地名ですが、
エイヴォンはこの街を流れる川の名前です。

小さいですが、
きれいな観光の街です。


シェイクスピア

この通りを真っ直ぐに歩いて行くとシェクスピアの生家があります。


シェイクスピア

これが生家です。
シェクスピアは1564年4月23日に生まれていますから、
それ以前からあった建物です。
因みに、亡くなったのは1616年4月23日で、
誕生日と同じ日だそうです。

もうひとつ、
徳川家康は1543年に生まれ、
シェクスピアと同じ1616年に亡くなっています。

そんな昔の、
宮殿でも、お城でもない、
民間の住居が残っているというのは、
驚きです。

父親は手袋の製造・販売をやっていたそうで、
かなり裕福だったようです。


シェイクスピア

生家の庭に、
こんな2人がいました。
何の芝居か知りませんが、
台本を読み合っているようでした。


シェイクスピア

上の写真にも写っていますが、
庭のバラが満開でした。


シェイクスピア

こちらは、
シェクスピアの妻、アンの生家です。
茅葺きの大きな家で、
裕福な農家だったそうです。

2人は幼なじみでしたが、
子供ができてしまったので、
そのことを報告に来て、
2人並んで腰を下ろしたという
細長い木のベンチが残っていました。
シェイクスピアが18歳で、
アンは26歳でした。


シェイクスピア

これがエイボン川です。
実際以上に美しく写っています。
こんなに奇麗な水でなかったと思いますが・・・


シェイクスピア

街の中には、
こんな古そうな建物も残っています。

中程の家の2階がレストランになっていて、
昼食はそこでとりました。
記憶が薄れていますが、
16世紀の建物だといったようでした。


シェイクスピア

イギリスの古い小さな街の歩道に、
どうしてこんな文字が書いてあるのでしょう?

「こんなこと書いた人
誰だ?
何やってんだろ?」
といいたくなりました。


◎  コッツウォルズ 

ガイドブックからの引用です。

イングランドでも屈指の美しさを誇るカントリーサイド、
それがコッツウォルズ地方だ。
淡い緑の中に点々と白い羊たちが草をはむ、のどかな風景が続く。

コッツウォルズの町を彩るのは、
この地方で採れる石灰岩、ライムストーンだ。
北東部ではハチミツ色をしたこのライムストーンは、
中部では黄金色となり、
さらに南西に下るに従って、
真珠のような柔らかい白色へ変化してゆく。


シェークスピア生誕の地、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンを「小さな町」と紹介しましたが、
ガイドブックを見ると、
人口は111500人となっていますから、
決して小さな町でありませんでした。
ビルなどが見当たらないので、
小さいと感じたのでしょう。

翌日はコッツウォルズで2つの町(村?)を訪ねましたが、
こちらはほんとに小さな町でした。
最初の町、ボートン・オン・ザ・ウォーターの人口は3151人、
次の町、バイブリーは人口僅か630人です。


コッツウォルズ

駐車場からボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部へ向かう小径です。


コッツウォルズ

上の石塀のクローズアップです。
これがガイドブックにあった「ハチミツ色のライムストーン」です。


コッツウォルズ

ボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部です。
「オン・ザ・ウォーター」の名の通り、
この川(ウインドラッシュ川)に沿った町で、
「コッツウォルズのヴェネツィア」と呼ばれるそうです。
川の中に入っている人が見えますが、
とても浅い、そして奇麗な水の流れている川です。


コッツウォルズ

町の中を少し歩いてみました。
1枚目と似た細い道がありましたので、
進んでみると広い草原に出ました。
残念ながら羊には出会えませんでした。

川沿いを歩くとやがて車道に出て、
教会があったり・・・
地図もないのに、
迷うこともなく元の場所へ戻ることができました。
そんな小さな町でした。


コッツウォルズ

ここからは、
更に小さな村、バイブリーです。
ここにもコーン川という小さな清流がありました。

川の向うにライムストーンの建物が並んでいます。


コッツウォルズ

橋を渡って建物に近づきました。


コッツウォルズ

この地方はちょうどバラのシーズンでした。


コッツウォルズ

バイブリーには、
かつてウイリアム・モリスが住みつき、
「イングランドで最も美しい村」と評していたそうです。

モリスはデザイナーとして有名ですが、
詩人でもあり、思想家でもあったそうです。


◎  バース・アビー 

ローマ時代に温泉の町として栄えたバースは、
温泉の語源になったことでも有名な観光都市。
町はこの地域で採れたハチミツ色の石材で建てられた建築で埋め尽くされ、
優雅なジョージ王朝の時代を現在に伝えている。
人口は16万9040人。


と「’09~’10 地球の歩き方」に書いてあります。
この中で「温泉の語源になったことでも有名」は本当のことか?
疑問に思っています。

また人口については、
16万というのはかなり広範なバース地域のことであり、
バース市(中心部)の人口は8万人くらいのようです。

ここの観光名所のひとつ、
バース・アビー(Bath Abbey)を紹介します。


バース・アビー

バース・アビーの西側ファサード。

「アビー」とは大修道院のことですが、
教会と考えてよいようです。

これも「地球の歩き方」からですが、
史上初の統一イングランド王となったエドガー王が、
993年に戴冠式を行った由緒ある教会。
現在の教会は、
1499年に建てられたもので、
ヘンリー8世の修道院解散直前に建てられた貴重なもの。
内部は、
柱から扇が広がるような形のアーチが天井を埋め尽くしており、
非常に美しい。
また壁の80%は窓で覆われており、
「イングランドの西部の灯火」と称えられるほどだ。
西壁のファサードには「天国への梯子」が彫られている。


「史上初の統一イングランド王」とか
「ヘンリー8世の修道院解散」を解説したいと思いましたが、
イギリスの歴史は複雑で・・・諦めました。

途中迄調べた結果、
993年は973年の誤りであることだけ分かりました。


バース・アビー

祭壇に向かう主廊。


バース・アビー

「柱から扇が広がるような形のアーチが天井を埋め尽くして」いる天井


バース・アビー

白い方が主廊、茶色の方が側廊の天井。


バース・アビー

「『イングランドの西部の灯火』と称えられる」
窓のステンドグラス。


バース・アビー

「天国への梯子」
天使たちが梯子を登っています。


バース・アビー

教会前の広場。


◎  ローマン・バス 

今回は、
ローマ時代の温泉(Roman baths)です。


ローマン・バス

ローマン・バスの入り口です。
この建物は19世紀のもので、
ローマ時代の建物は現在では地下レベルになっています。


ローマン・バス

大浴場。(温水プールかも知れません)

紀元43年にローマがブリテン島の南半分を支配しました。
この頃がローマン・バスの始まりです。
この地をローマ人は”Aqae Sulis"と呼びました。
これはラテン語で、
英語では”The waters of Sulis”という意味だそうです。
"Sulis"はギリシャ神話の神でローマ神話では「ミネルヴァ」で、
知恵と工芸の神です。
温泉は「神の水」だったのです。


ローマン・バス

大浴場を見下ろすバルコニーから、
前回紹介したバース・アビーが見えます。
この二つは昔から併存してきました。


ローマン・バス

ローマン・バスの模型。
巨大な施設だったのです。


ローマン・バス

温泉そのものは、
ずーっと使われきたようですが、
上の模型が示す施設は土に埋もれてしまっていたのが、
19世紀末に発見されて、
再び日の目を見るようになりました。
掘り出された遺跡の一部です。


ローマン・バス

見学を終えて、
出ようとする頃、
あの大プールのほとりに
古代ギリシャ風の婦人が立っていました。


ローマン・バス

湧き出ている水(お湯?)です。
コップに1杯ずつ飲ませてくれました。

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◎  ストーンヘンジ 

バースの観光を終えて、
そこから東南へ約60km、
ソールズベリの巨石遺跡群ストーンヘンジへ行きました。
広い野原の中にあります。


ストーンヘンジ

日本語で説明してくれるイヤホンガイドを聞きながら、
遠回りに一周します。


ストーンヘンジ

ストーンヘンジについては、
Wikipdiaからの引用を、
最後に載せておきます。


ストーンヘンジ

立っている2個の大きな石は
"Sarsen stone"といいます。(あとで分かったことです)
イヤホンガイドは「サルセンセキが・・・」と説明していました。
「猿仙石」とでも書くのかな?
一体どんな石だろうと思っていました。

"Sarsen stone"は「イングランド中南部の大砂岩」
と辞書に書いてあります。
この地から30kmほど離れたマールボロ・ダウンの石だそうです。
これ以外の石は"Blue stone"といい、
この地から385km離れたウエールズのプレセリ山の石だそうです。
紀元前2500年ころに、
これらの大きく重い石を
こんなに沢山、
どうやって運んだのでしょう。


ストーンヘンジ

歩くにつれて、
見る角度が違ってきます。


ストーンヘンジ

周囲は広い野原で、
写真の背後も、
遺跡のもっと向うも、
見渡す限りの野原です。
すべてが、世界遺産、国家遺産ではないでしょうが・・・


ストーンヘンジ

1枚上の写真で、
右に少し離れて見える石です。
「ヒール・ストーン」と呼ばれ、
冬至の日には、
この石から遺跡の中心の延長上に日が沈むそうです。



Wikipediaからの引用です。

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、
ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する
環状列石(ストーンサークル)のこと。
現在のイギリス人、
アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。

円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、
世界で最も有名な先史時代の遺跡である。
考古学者は
この直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。
しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、
直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。
夏至の日に、
ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、
中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、
設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。
また、当時としては高度な技術が使われており、
倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。

遺跡の目的については、
太陽崇拝の祭祀場、
古代の天文台、
ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、
さまざまな説が唱えられているが、
未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、
1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。
また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。
ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。
周辺はナショナル・トラストが保有している。




◎  ロンドン 

前回のストーンヘッジから約140kmでロンドンです。
さすがに大都会。
高速を降りると大渋滞に巻き込まれました。
それまでにも、
エジンバラ、グラスゴーなどの大都会にも行きましたが、
あまり渋滞には遭遇しなかったのに・・・

ロンドン市内に入るとすぐバッキンガム宮殿へ。
そのことは、
このイギリス紀行の最初に載せました。
だからこのイギリス紀行は、
前回で終わりなのですが、
もう1回だけロンドンを載せることにしました。


ロンドン

バッキンガム宮殿の門です。


ロンドン

ロンドン中華街の門です。
横浜の中華街などに比べると随分シンプルです。


ロンドン

門ではありませんが・・・
ストランド通りにある、
大きなビルの間に挟まれたこの小さな店が、
日本でも有名なトワイニング紅茶、
発祥の店だそうです。

トワイニングのHPからの引用です。
1706年、
トワイニング社の創始者トーマス・トワイニングは、 
ロンドンのストランドにあったコーヒーハウス「トムの店」を買収しました。
当時ロンドンではコーヒーハウスが大流行中。
トーマスは、東インド会社に勤めていた経験から、
インドから輸入される紅茶の魅力をいち早く見出し、
「トムの店」で良質な紅茶を販売しました。

数あるコーヒーハウスの中でも
「トムの店」が出す紅茶のクオリティの高さは瞬く間に評判となります。
この成功を機に1717年には、
英国初の紅茶専門店「ゴールデン ライオン」(これがトワイニングの前身)をオープン。
女人禁制であったコーヒーハウスに対し、
ゴールデン ライオンはどんな階級の女性の出入も自由とし、
厳選された茶葉の量り売りを行いました。
この紅茶専門店のオープンにより、
英国の喫茶の習慣は急速に家庭へと浸透していきました。



ロンドン

バッキンガム宮殿前の
ヴィクトリア女王記念碑。

写真の向こう側からこちらを撮ると、
宮殿が記念碑の背後になって、
いい写真になるらしいのですが、
強い西日の大逆光でしたので、
宮殿側からの撮影です。


ロンドン

中華街近くのレスター・スクエアにあるチャップリンの銅像。
チャールズ・チャップリンはロンドンの生まれだそうです。


ロンドン

ファラディの銅像。
マイケル・ファラディは化学者、物理学者で、
ロンドン近郊の生まれだそうですが、
何故ここに銅像が建っているのか分かりません。

こことはテームズ川に掛かる、
ウォータールー・ブリッジ(次の写真)北側のたもとです。


ロンドン

ウォータールー・ブリッジです。
泊まったホテルはこの近くでした。
またトワイニングの店もすぐ近くです。

この橋の名は、
昔に見た映画「哀愁」の原作名として有名です。

少し調べてみました。
最初の橋は1817年に開通。
1840年代には、自殺の名所として有名になり、
1844年、トーマス・フードが「嘆きの橋」という詩を書きました。

またフランスの画家、モネや、
イギリスの画家、コンスタブルが絵を描いています。

新しい橋に架け替えられたのが1945年で、
「哀愁」は1940年の作品ですから、
映画に出てくるのは現在の橋でありません。

この映画のDVDを(安価だったので)買いました。
ヒロインは「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リー、
相手役は美男スターのロバート・テイラーです。

物語は1939年、
イギリスがドイツに宣戦布告したので大陸へ出発する
ロバート・テイラー扮する陸軍大佐が、
この橋の上で回想する・・・
・・・まだ大尉だった頃、
第一次大戦でフランスへ出征する直前、
この橋の上で、
ヴィヴィアン・リーと出会ったところから始まります。

映画を見ていると、
橋の上の大佐の背後に大げさな鉄骨構造があります。
資料で見る古い橋は、
(橋脚の数は多いのですが)
現在と同様の構造で吊り橋ではありません。
架け替え前はいろいろと補強していたらしいので、
その補強構造が写っているのではないかと思っています。


「ロンドン紀行」
-----完-----



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