Photo & Essay

◎  アマポーラ 

ずいぶん長いことお休みしてしまいました。
ポツポツと再開しますのでよろしくお願いします。

こんなに長く休んでしまうと、
どこから話を始めたらよいのか戸惑ってしまいますが、
まず赤い花から始めることにします。


アマポーラ

ヒナゲシ
ケシ科

日本では虞美人草ともいいますが、
フランスではコクリコ(coquelicot)、
スペインではアマポーラ(amapola)と呼ぶそうです。


アマポーラ

これは地中海の島に遺されたギリシャ遺跡に咲くアマポーラです。
ここはスペインではありませんが、
土地の人はアマポーラと呼ぶそうです。

数年前にトルコを訪れたときも、
ギリシャ遺跡にこの花が咲いていました。
(トルコの人たちがこの赤い花を何と呼ぶかは聞かないでしまいましたが)
それ以来私の心の中では、
この花はギリシャ遺跡と結びついています。

トルコに行ったのと時期が同じだったことで、
またこの花に出会うことができました。

アマポーラに出会えたのは、
イタリア南端のシチリア島です。
次回からポツポツと紹介していくことにします。


◎  パレルモ(ノルマン王宮) 

ギリシャ遺跡に咲くアマポーラから始めまてみたのですが、
それはさておき旅の最初の部分から紹介します。

成田発 5月17日 13:20
ローマ着 19:00
ローマ発 21:40
パレルモ着 22:50

上は予定時間で、
実際は遅れがあり、
ホテルに着いたのは夜中の12時を過ぎていました。
しかし時差で頭も体も混乱していますから、
あまり問題はありません。


ノルマン王宮

5月18日
まず訪れたのはノルマン王宮です。
王宮があるということは王家があったわけですが、
シチリアを支配したノルマン王家、
あるいはノルマン王朝について、
何も知らないのですが・・・

この王宮は現在、
シチリア州議会堂として使われているとのことです。


ノルマン王宮

見所は2階にあるパラティーナ礼拝堂で、
上の写真の右手奥から入ります。

入り口付近にあったた木です。
幹にも枝にもトゲトゲがびっしりとついています。
この島にはアフリカの植物がたくさんあるそうですから、
そういう種類だと思います。


ノルマン王宮

階段を登って2階に上がると、
(こちらの呼び方では日本の1階が地階で2階が1階なのですが)
スペイン風の中庭があります。
正面の奥にパラティーナ礼拝堂があります。


ノルマン王宮

右手を上げているのは「全知全能の神キリスト」です。
ドーム、壁、天井、柱を埋め尽くしているのはモザイク画です。
この部分は18世紀に付け加えられた新しいものだそうです。


ノルマン王宮

「聖ペテロと聖パウロを従えた玉座のキリスト」
これは14世紀のものだそうです。


ノルマン王宮

上の方には12世紀のモザイクもあるとのことですが、
どれがどれだかよく分かりません。


ノルマン王宮

この図形はイスラム模様だと思います。


ノルマン王宮

床のモザイクも見事なものです。


シチリアのシンボル

これはシチリア島のシンボルです。
3本足の魔物。
見たものを石に変える能力を持つギリシャ神話の魔物、
メドゥーサです。

小さなマグネット付のものから、
直径30cmもある大きな飾り円盤まで、
土産物屋で売っています。



南イタリア地図

シチリア島は三角形をしている・・・つまり三つの岬があることから、
上のような3本足のシンボルになっているそうです。

地中海では最大の島で、
九州より小さく、
四国より大きいそうです。

最初にパレルモ、
次にアグリジェント、
それからタオルミーナ、
これでシチリア観光を終えて、
イタリア本島に渡り、
ナポリからカプリ島へ、
そしてポンペイの遺跡を見て、
ナポリから帰国しました。


◎  モンレアーレ 

パレルモでノルマン王宮を見たあと、
8kmばかり離れたモンレアーレという街へ行きました。
標高310mの山の上にあるこの街にも
美しいモザイク画で飾られたドゥオーモ(大聖堂)があるのです。


モンレアーレ

駐車場でバスを降りると、
果物の店がありました。
そのまま買ってもよいし、
ジュースにして貰って飲んでもよいのです。
レモンを絞って凍らせた、
つまりシャーベットを飲んで(食べて?)みました。
甘いからといわれたのですが、
いくら甘いといってもレモンですから、
やはり酸っぱいシャーベットでした。

オレンジは真っ赤な実のものがあります。
ジュースにすると鮮やかな赤になります。
これはアリタリアの機内でもサービスされました。


モンレアーレ

ドゥオーモに向かってゆるい坂道を登って行くと、
みやげ物屋が並んでいます。


モンレアーレ

陶器ができるそうで、
皿などが並べてありますが、
どこかスペイン風に見えます。


モンレアーレ

ドゥオーモの正面です。


モンレアーレ

ドゥオーモの周囲には小屋掛けのみやげ物屋が並んでいます。
この雰囲気はトルコで見たのと同じです。


モンレアーレ

こういう雰囲気はヨーロッパというよりも、
オリエンタルな感じ、
中東の感じでないでしょうか。


モンレアーレ

ドゥオーモに入る前に、
高台から下を見下ろす展望台に行きました。
何の木か、
うっそうと茂った木があって、
涼しい木陰を作ってくれています。


モンレアーレ

天気はよいのですが、
遠くはかすんでいて、
くっきり見えません。
向うは海、地中海です。
(正確にいえばテレニア海ですが)


モンレアーレ

道端に並べてあったお土産です。
ブックスタンドでしょうか?


モンレアーレ

これもお土産屋さんの展示。
豊かな実りを表すのでしょうか?

-------------

シチリアの歴史について、
帰ってきてからですから、
遅ればせですが
少しばかり勉強しました。

紀元前8世紀ギリシャ人の入植が始まりました。
つまりギリシャの植民地になったわけです。
そのころすでにギリシャでは人口が増えたので、
植民地が必要になっていました。

紀元前3世紀ころになるとローマが力を持つようになり、
シチリアを属州としてしまいます。

3世紀ころからシチリア島にキリスト教が普及します。

やがてローマ帝国が分裂し、
6世紀に東ローマ帝国がシチリアを征服。

9世紀に入るとイスラム軍がシチリアに上陸し、
10世紀始めには全島を制圧。

11世紀にはノルマン人がシチリア侵攻を開始し、
12世紀にはノルマン王国が成立。

15世紀にはスペインの属領に。
スペインのハプスブルク家から、
後にはオーストリアのハプスブルク家に。
またその後はナポリ王国の支配を受けたりして、
現在はイタリア共和国の特別自治州となっています。

なにしろ地中海の要衝にある島ですから、
めまぐるしく支配者が変わっています。
極東の片隅にある日本とは環境が全然違います。

こんな歴史を経て、
ギリシャ、ローマ、ビザンチン、イスラム、ノルマンなどの
多彩な文化が残っているのです。


◎  モンレアーレの大聖堂 

前回は聖堂の周りのみやげ物屋などでしたが、
今回は中に入ってみます。
ここもモザイク画で埋められています。


モンレアーレ

観光客は横の入口から入ります。
祭壇の方を向くと上に大きなキリストの絵があります。


モンレアーレ

「祝福を与えているキリストの右手の大きさは12mあります」
とガイドが説明してくれました。
そのときは「あ、そう」と聞いていましたが、
今になってみると、
ものすごい大きさだと思います。
その大きさを小さな石やガラスの破片を埋めて絵を作る・・・
途方もない作業です。


モンレアーレ

祭壇とは反対側、
建物の正面側です。


モンレアーレ

上の写真と連続した物語のようで、
裸の人はアダムとイヴでしょう。


モンレアーレ

聖書からの物語が堂内いっぱいに描かれていますが、
これは「最後の晩餐」でしょう。


モンレアーレ

窓は小さくて、
華やかな色彩のステンドグラスはありません。


モンレアーレ

これは聖堂真上の天井です。


モンレアーレ

これはもちろん上の方ですが、
堂内のどの辺だったか記憶がありません。

この大聖堂の建設が始まったのは1174年だそうです。


◎  パレルモの大聖堂 

モンレアーレからまた8kmの道をパレルモへ戻りました。
またまたお寺ですが、
今度はパレルモのドゥオーモ(大聖堂)です。

ドゥオーモ(duomo)は「街の一番重要な教会、多くは司教座教会堂」のことで、
カテドラーレ(cattedrale)、英語のcathedral(カテドラル)は
「司教座大聖堂」のことですから、
同じ意味と考えていいようです。

『ウィキペディア』には、
司教(しきょう)は、カトリック教会の位階の一つで、
ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。
司教が長を務める教会の聖堂を、
カトリック教会では司教座聖堂と呼ぶ。

とあります。

パレルモにもモンレアーレにもそれぞれのドゥオーモがあるわけです。


パレルモ

最初に訪れた王宮まで戻り、
そこから歩きました。
公園がありました。
日差しが強いので木陰のベンチで本を読んでいる人や、
小さな子供を遊ばせている母親などがいました。

アフリカに近いだけあって、
南国の風景です。


パレルモ

空を見上げれば・・・


パレルモ

少し歩いて賑やかな通りに出ました。
観光馬車がいます。

向かって左側に大きなドゥオーモ広場があります。


パレルモ

創建は1184年で、シチリア・ノルマン様式、
パレルモ的な建築だそうです。
14、15世紀を中心に増改築が行われ、
イスラム色も濃くなっているとのこと。


パレルモ

上の写真の左側です。
道路を挟んで左にある建物は神学校で、
司教さまは道路の上の橋を渡って
行き来行きするのだそうです。


パレルモ

正面、ファサードです。
イスラム寺院のような彫刻です。


パレルモ

この丸い塔は比較的新しく、
18世紀後半の建設だそうです。


パレルモ

中に入りました。
中央部、身廊です。
モザイク画はありません。
白く、明るいのが印象的です。


パレルモ

側廊です。


パレルモ

大理石の聖母子像です。


パレルモ

観光客が出入りする戸口の上にも聖母子像がありました。


パレルモ

聖母子像の足元の柱の彫刻がすばらしいです。


パレルモ

外へ出ると強い日を受けてカンナが咲いていました。


パレルモ

この時期は子供たちの修学旅行の時期でもあります。
どこへ行っても小学生~高校生たちに出会いました。


◎  市場 

前回までで、
シチリア第1日目の観光が終了です。
写真のデータを見ると、
まだ午後の2時ころでした。
(写真の掲載にはずいぶん回数を重ねましたが)
観光はすごく順調に進みました。


パレルモ

パレルモとモンレアーレ間は僅か8kmですが、
普段はすごく渋滞していて所要時間が読めないのだそうです。
それが、この日は道路がすいていて、
渋滞なしで往復できたので、
たっぷりと時間が余りました。


パレルモ

そこでマーケットの見学をすることになりました。
途中でバスの窓から撮った小さな商店です。
看板に赤い字で "Boutique del Pollo" と書いてあります。
"Boutique" (ブティック)といえば、
日本では
「しゃれた婦人服・小物・装飾品などを扱う小売店」
ということになっていますが、
こちらでは単に「店」という意味です。
"del"は「~の」で、
"Pollo"は「鶏肉」です。
つまりこの店はしゃれた婦人服を売っているのではなくて、
鳥肉を売っています。


パレルモ

市場、マーケットに着きました。
品物は並んでいますが、
客はほとんどいません。
午後2時はもうシエスタ(昼寝)の時間です。

並べてあるナスは、
丸いのも長いのも、
デカイのにびっくりでした。


パレルモ

値段は1個いくら、
あるいはkg当りいいくら、
と値札がつけてあるようです。
日本みたいパックしてありません。


パレルモ

カタツムリです。
もっと大きなのを食べるのかと思っていましたが、
小さくて、日本の食材に例えれば、
シジミくらいでした。


パレルモ

狭い小路に出てい店の様子は、
日本と感じが似ています。


パレルモ

ずーっと食品の店が連なっていたのですが、
この辺りはもう店を仕舞ったのでしょう。


パレルモ

さらに進んで行くと、
衣類や繊維製品の店がありました。
イタリアの主婦は
テーブルクロスやカーテンを頻繁に交換するそうです。

このほかに、
照明器具、靴、雑貨などなど、
何でも売っていました。


パレルモ

キョウチクトウがあちこちで咲いていました。


パレルモ

マーケットの小路を抜けて
大通りに出ると、
マッシモ劇場がありました。
新古典様式のオペラ劇場で、
客席数3200。
イタリアではミラノのスカラ座に次ぐ大劇場だそうです。

――――――――――――

市場の話のついでにイタリアの女性(主婦)のことを書いてみます。
添乗員から聞いた話です。
多少記憶がうすれていますが・・・

子供が学校へ行くようになると送迎が大仕事になります。
朝(車で)送って行き、
午前の授業が終わるころ迎えに行きます。
南イタリアでは昼食が一番大切な食事ですから、
精を込めて作ります。
買い置きの食材は基本的に使わない。
だからその日の分を買ってくる。
パスタなんかも自分で粉をこねて作り、
ソースもトマトを煮て作る。
ご主人もお昼は帰ってきて、
家族全員がそろって食べます。
(朝はクロワッサンとコーヒー程度、夕食も軽いそうです)

スペインと同じでシエスタ(昼寝)の時間があって、
4時過ぎから午後の仕事(あるいは学校の授業)が始まります。
ご主人も再度出社するし、
お母さんは子供を学校へつれていきます。
最後にもう一度学校へ向かえに行くから、
1日に4回も学校へ往復します。
これではとても共稼ぎはできません。
しかし共稼ぎでないと暮らせない人たちも・・・
それが少子化につながっているそうです。

午前中は掃除・洗濯もします。
窓ガラスは毎日拭くそうです。
(ほんとかなあ――という気もしますが・・・)
洗濯ものは絞らないで、
しわをよく延ばしてダラ干しにする。
(アイロン掛けを楽にするためです)
窓の外へぶら下げて、
雨が降ろうと風が吹こうと、
乾くまでそのまま。
(これも、ほんとかなあ――という気が・・・)

では添乗員はどうしてそんなことを知っているのだろうか――
ホームステイでもしたことがあるのだろうか――
取材源はバスの運転手だそうです。
昼食も夕食も運転手と添乗員と2人で向き合って、
ということが多いですから、
取材時間は結構豊富です。

1回のツアーで数人の運転手と付き合いますし、
われわれと違って何回も行きますから、
かなり大勢から話を聞くわけで、
信憑性はあるように思います。

でも奥さんのことをかなり美化して
語っている面もあるんじゃないか、
そんな気もしています。


◎  セジェスタ 

またシチリア紀行に戻ります。
2泊したパルレモを出発して、
アグリジェントに向かいました。


パレルモ

前日ホテルの近くを散歩していて、
寿司屋(Sushi-Bar)の看板を見つけました。
この看板は店先にあるわけでなく、
いわば広告塔のようで、
店がどこにあるのか分かりませんでした。
(食べる所を探していたわけでありませんが・・・)

添乗員の話では、
パレルモには2軒の寿司屋があるそうですが、
包丁さばきが全然駄目で、
美味しくないとのことです。
魚は生きのよいものがあると思いますが・・・

出発したばかりのバスの窓から撮りました。


2イタリア地図2

パレルモからほとんど真南に当たるアグリジェントに向かうのですが、
途中(地図に赤丸をつけた)セジェスタという所に寄り、
古代ギリシャの遺跡を見学しました。

パレルモではもっぱら寺院めぐりと
モザイク画見学でしたが、
今日からはギリシャ遺跡が主体になります。


セジェスタ

セジェスタに着きました。
市街があるのではなくて、
遺跡があるだけです。
案内所兼みやげ物店みたいな建物があって、
草葺き屋根の下にベンチを並べた休憩所と
トイレがありました。


セジェスタ

ここからバスで山の上に登ります。
バスを待っている間に撮ったアザミです。
バスの乗車時間は5分くらいです。
歩いても20分くらいでしょう。


セジェスタ

バスは上に着くと、
待っていた客を乗せて下って行きました。
ふと見るとこんな立て札が・・・
実はパルレモの繁華街でも見かけました。
多分(というよりも、間違いなく)バス停の標識です。

"Fermata"って聞いたことがあると思いました。
そうです。
楽譜に出てくる,
写真の右上隅に入れた記号です。

バス停とどういう関係があるのでしょうか?
昨日になって辞書を引いてみました。

【イタリア語辞典】
フェルマータ(Fermata)〔名詞〕
1)停留所、駅。
2)(立ち)止まること、休止。
3)(保存のため肉や魚に)火を通すこと。

【音楽辞典】
フェルマータ(Fermata)
この記号がついた音符や休符は、
長め(約2~3倍)に伸ばす。
英語でPauseあるいはHoldと呼ぶこともある。
 

この記号は結果的には
「長めに伸ばす」ことですが、
ずーっと流れてきた音楽をこの記号がついた所でちょっとだけ
「止める」「休める」というのが本来の意味なのでしょうか~


セジェスタ

閑話休題。
山の上にはギリシャ遺跡があります。
ちらほらと見えるのは発掘作業をしている人たちです。

標高約430m、海岸から20~30km。
こんな所にどうして遺跡があるのでしょうか。


セジェスタ

眺めのよい場所に劇場が残っていて、
ここが見学スポットになっています。
紀元前3世紀頃に作られたそうです。

写真は舞台(下方左隅側)から見て左側の観覧席です。


セジェスタ

反対側、右の観覧席です。


セジェスタ

下から見上げた観覧席の中央部です。
なぜ全景を撮らなかったのだろうと思いますが、
今となっては分かりません。。。

席数はたしか4000と聞いたように思います。
この劇場は今も時々使われているとのことです。


セジェスタ

観覧席を背にして舞台から見下ろしています。
正面に、かすんでいますが、海があります。
この海側からの風に乗って、
舞台の声が観覧席に響き渡ったそうです。


セジェスタ

紀元前3世紀の古い劇場と
若々しい女性との対比です。

強い陽射しで肌を焼きに来ているのかとも見えますが、
左側に橙色のシャツを着た丸頭の中年男性がいますから、
彼が先生で、
彼女たちは学生で、
修学旅行?とも見えますが、
ほんとのことは分かりません。
(左端に男の子も1人2人いるようです)


セジェスタ

こちらは3人だけで遺跡めぐりを楽しんでいるようです。


◎   セジェスタの神殿 

セジェスタには劇場の他に神殿も残っています。


セジェスタ

山の上で劇場を見た後バスで下ります。
途中でバスが停まりました。
神殿の全景を見せてくれたのです。


セジェスタ

最初の案内所兼みやげ物店の所まで戻って、
今度は坂道を徒歩で登って行きます。
道の両側に竜舌蘭が並んでいます。
50~60年に一回だけ花を咲かせて枯れるといわれていますが、
長い茎の先に花を咲かせている株がポツポツとあり、
花の茎が倒れて、葉も枯れている株もありました。


セジェスタ

やがて神殿に到着です。
近づけば大きさが分かります。
紀元前5世紀の建築だそうですから、
劇場よりも古いものです。

周囲の柱だけで内部に神室がまったくないので、
未完なのか、
それとも神室は不要だったのか不明な、
謎の神殿なのだそうです。


セジェスタ

神殿の写真を撮っている女性。

「眼鏡を掛けてカメラを持っていれば日本人」
といわれた時代もありましたが、
今は西洋人もたいていはカメラか携帯で
写真をパチパチ撮っています。


セジェスタ

上部に彫刻などの装飾はありません。
やっぱり未完の神殿でしょうか。


セジェスタ

石材はこの辺で採れたものでしょうが、
大理石のような緻密な石材でないようです。


セジェスタ

私が遺跡に似合うと思っている
アマポーラの花が少しだけ咲いていました。


セジェスタ

セジェスタの見学を終えて、
バスでアグリジェントへ向かいました。
バスの窓から撮った風景です。


セジェスタ

赤い花で埋め尽くされている畑(?)があります。
走るバスの中からでは何の花か分かりませんでしたが、
レンゲソウのような、
土地を肥やすための植物でないかと思いました。


セジェスタ

アグリジェントに到着して昼食です。
かなり広いレストランでしたが、
修学旅行の小学生の一団が食事を終えて出発するところでした。
子供たちを発生源とする騒音!
想像できるでしょうか?
日本でもイタリアでも同じです。
頭痛がしてくるほどでしたが、
潮が引くように静かになりました。

後はわれわれだけです。
静かに昼食を頂きました。
あの大勢の子供たちにどうやって食事をサービスしたのか知りませんが、
われわれには、この姉弟がやってくれました。
ワインやジュースも注文に応じて運んでくれました。
とくに弟が可愛いので、
みんなが弟にチップを手渡しました。

ふと姉が可哀想かな、と思いましたが、
後で他の人に聞くと大丈夫でした。
「あのお姉ちゃん、しっかりしている。
ほとんどのお金を弟から取り上げていたよ」


◎  アグリジェントの遺跡 

前回はアグリジェントでの昼食で終わりました。
午後も遺跡見学です。


アグリジェント

バスの中からです。
菜の花が咲いていました。

小高い丘の上に街が見え、
神殿らしい遺跡も見えます。
実際に行ってみると近接しているわけではありません。


アグリジェント

見学の出発点にみやげ物屋がありました。
帽子がたくさん並べてあります。
すごい陽射しだから実需品なのです。
ここには見えませんが、
ご婦人向けにパラソルも売っていました。

添乗員がバスを降りる前にいいました。
「暑いですから水を必ず持って、
帽子だけでは足りませんから、
傘も持って下さい。
出発前に電話で傘を必ず持ってきてくださいといったでしょ」

われわれは帽子をかぶったり傘を持ったりして降りましたが、
その添乗員さんは何もなしです。
「わたしは長野の百姓の娘だから大丈夫です」

百姓の娘だろうと漁師の息子だろうと、
この日照りでは暑かろうと思うのですが、
旅行中、彼女は帽子も日傘もなしで過ごしました。
日に焼けて真っ黒になりましたが、
そこがなかなか魅力的でした。

出発前に旅行社の説明会に行きました。
そのときの説明では、
「最近のヨーロッパは夏でも寒い日があります。
遺跡見学は山の上で風当たりが強いですから、
ウインドブレーカーとセーターを必ず持っていって下さい」
とのことでしたが、
どちらも必要ありませんでした。

ガイドさんの話では、
われわれの前のグループの時はとても寒かったそうですから、
説明が間違えているというわけではありません。


アグリジェント

道端にサボテンがあります。
この陽射しにとても似合います。
花は咲き始めでした。


アグリジェント

こんな風にひとつ、ふたつ、
ポツポツと咲いていました。


アグリジェント

最初の神殿、ヘラ神殿です。

ヘラはギリシャの最高神ゼウスの妻です。
だからギリシャの女神の中では最高神で、
結婚と出産、
女性の性生活の守護神として崇拝されたそうです。


アグリジェント

この辺で採れる砂岩で作られているそうですが、
昔は大理石の白い粉が塗ってあって、
真っ白な建築だったとのことです。

柱に縦筋が何本も入っていますが、
日の当り具合で影ができるので、
真っ白な柱に陰影を与えて
一層美しく見せたのだそうです。


アグリジェント

サボテンばかりではなくて、
竜舌蘭もあります。
この厚い葉にいろいろと落書きがあります。
この写真では判読できないでしょうが、
日付や名前などが書いてあるようです。


アグリジェント

丘の上には神殿だけでなく、
遺跡が連なっています。
向うに小さく見える神殿を目指して歩きました。


アグリジェント

歩いていくのは立派な舗装道路です。
そしてこの辺はアーモンドの並木になっています。
花が咲くのは2月ころで、
アーモンド祭りなどもあって、
一番の観光シーズンだそうです。


アグリジェント

探してみると木の上に方にだけ実がついています。
手の届く高さの実は観光客が取ってしまったようです。
まだ青い実で、食べられないのに。


◎  アグリジェントの遺跡(2) 

アグリジェント

昨日写真を載せたアーモンド並木の道を歩いて行くと、
左側には大きな岩が連なっています。
城壁だったのかも知れません。


アグリジェント

右側には木々が茂り、
その向うに現在のアグリジェントの街が見えます。
その木々の中にオリーブが少なからず見られます。
何年経っている木でしょうか。
堂々たる幹と根です。


アグリジェント

オリーブの花はこれからのようで、
つぼみがいっぱい付いていました。


アグリジェント

リュウゼツランの花茎ですが、
前回お見せしたのとは少し形が違っています。


アグリジェント

神殿が見えてきました。
見学者はみんな木陰で涼をとっています。

最初のヘラ神殿は柱だけでしたが、
こちらは神殿の形をしています。
コンコルディア神殿というそうで、
紀元前450~440年ころの奉献とされています。

ちなみに昨日のヘラ神殿も同時期の建設だそうですが、
カルタゴの侵攻に遭って炎上したため、
柱しかないような状態になっているそうです。


アグリジェント

コンコルディア神殿の横の方です。
この地が高台にあることが分かると思います。
はるかに見えるのは地中海です。


アグリジェント

コンコルディア(Concordia)は
「和解」「平和」「調和」を象徴するローマの女神だそうです。
6世紀末の初期キリスト教時代に、
聖ペテロ・パウロ教会として転用されたため
保存状態がよいのだそうです。


アグリジェント

柱の上の横材(アーキトレーブ)には飾りの彫刻が残っています。


アグリジェント

修学旅行の小学生たちが木陰で休んでいました。
昼食のレストランに騒音を残して行ったのは
この子たちだったかも知れません。


アグリジェント

カメラを向けると、
こんなパフォーマンスを見せてくれました。


――――――――――

今回のツアーの参加者は11名でした。
10名以上で催行しますということで、
かなりギリギリでの催行決定だったわけです。

出発が近づいてきた4月末から、
例の豚インフルが大ニュースになりました。
聞いてみると、
皆さんどなたも心配されたようです。
それで旅行社に電話をして、
「やめた人はいますか?」
「今のところ誰もやめていません」
このやり取りをみんなで繰り返したようです。

やめればキャンセル料がかかるし、
折角楽しみにしていたのだから行きたいし、
でもインフルも心配だし・・・
(あのころのテレビの騒ぎようは大変なものでしたから)

私ももちろん電話しました。
そして
「だれもやめないのか、
それじゃあ行こうか」
となったのです。

で、結局誰も欠けずに参加したわけですが、
催行決定からずいぶんと日数があったのに、
一人も増えなかったのは
やはり豚インフルのせいだったのではないかと思っています。

しかし参加者にはラッキーな旅でした。
11名に添乗員とバスの運転手がついて、
観光のときは現地のガイドがついて、
大型バスにゆったりと乗って・・・


◎  アグリジェントの遺跡(3) 

遺跡巡りの続きです。

アグリジェント

同じような遺跡が続きますが、
ヘラクレス神殿です。

ヘラクレスについては、
次回に改めて書く事にします。


アグリジェント

上の写真の柱の先端です。
これは崩れて埋もれていたものが
発掘され再構築されたのだそうです。

それをやったのは英国人、
サー・アレクサンダー・ハードカッスル(1872~1933)です。
彼はこの神殿のそばに家を構え
(写真はありませんが、壮大な屋敷です)
資金を出して復興に努めました。
発掘したものをイギリスに持ち帰ることはせず、
ここの屋敷で生涯を終えました。
彼には後を継ぐ子がいませんでした。
何故なら彼はゲイだったのです。
(ガイドさんの話です)


アグリジェント

次はゼウス神殿です。
ここは崩れた石材があるだけです。
しかしその石の間に赤い花、
アマポーラが咲いていました。


アグリジェント

トルコで見たギリシャ遺跡でも、
同じように、
崩れた石材の間に咲いていました。


アグリジェント

ここにもアマポーラが咲いていますが、
これは巨人の像です。
元は3体あって、
神殿を支える柱だったそうですが、
現在は博物館に収められ、
レプリカが1体だけここに、
横倒しにされているのだそうです。


アグリジェント

巨人像の全体です。
もっと高いところから撮れるとよかったのですが・・・

同じような神殿の遺跡を見てきましたが、
ここで振り返って、
まとめてみたいと思います。

最後が「ゼウス」でギリシャの最高神。
その前が「ヘラクレス」で、
彼はゼウスの息子です。
その前が「コンコルディア」=和解・協調の神で、
その前、つまり最初は「ヘラ」=ゼウスの妻でした。
ヘラはヘラクレスの義母でもあります。
この夫婦と息子の関係は次回に。


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今日になって金子国土交通大臣が
「旅行は安心して」と「安全宣言」を出しました。

5月中旬、私が出発する頃は大変な状況でした。
高校生の修学旅行は次々と中止されていました。
だから旅行社から
「空港、飛行機の中ではマスクをして下さい」
と忠告を受けていました。

地元の駅から成田行きの空港バスに乗りました。
ここからマスクをと思っていたのですが、
大型バスに乗客は僅か8人でしたからやめておきました。

成田空港に着いたところでマスクを着けました。
いつもより空いていました。
空港全体がガランとしている感じです。
パスポートチェックは誰も並んでいないといってよいほどでした。
やっぱり利用者が減っているのかなと思いました。

飛行機の中ではみんなマスク着用です。
ほとんどが日本人だからでしょうが・・・

ローマで降りて国内線に乗り換えです。
ローマ空港内では、
マスクをしている人なんか誰いません。
だからローマでマスクを外して、
それきりでした。
旅行中も、
帰国の飛行機の中も、
成田空港でも。

帰宅も空港バスを利用しました。
乗客は5人だけでした。


◎  ヘラクレス 

今日はギリシャ神話、
ヘラクレスの話です。

ヘラクレス

シチリア島ではエニシダが花盛りでした。


ギリシャ神話はカオス(虚空)から始まりました。
そのカオスから神々が生まれ、
その神が神を産み、
そして神々は争います。
親が子を、子が親を殺したりもしました。
そして最後に勝利したのがオリュンポスの神々です。

オリュンポスの神々の頂点に立つのがゼウスで、
その妻がヘラです。
そしてヘラとゼウスは同じ両親から生まれた姉と弟です。

ゼウスはギリシャの最高神で、
雷光、雲、風雨、嵐を呼ぶ天空の支配者ですが、
一方、大の好色漢で、
ヘラという妻がありながら、
次々と浮気をして子供を作ります。
なにしろ神ですから、
何でもできるのです。
牡牛に姿を変えて美少女に近づき、
安心している彼女を乗せて、
海を渡り離れ島へ連れて行って子を産ませるとか、
大事な娘を青銅の部屋に閉じ込めておいたのに、
ゼウスは黄金の雨に身を変えて、
その部屋に忍び込み、
娘の膝の間に降り注いで思いを遂げたとか・・・

ヘラはオリュンポスの女主人で、
結婚、出産、女性の性生活の守護神だそうですが、
そのほかに嫉妬、復讐の守護神でもあったのではないかと、
(私見ですが)思えるほど、
夫の浮気に腹を立て復讐します。
その復讐の矛先は、
浮気相手の女とその女が産んだ子供に向けられました。

ヘラクレスはゼウスが浮気によって、
アルクメネという人妻に生ませた子供です。
名前は正妻ヘラの名に因んで付けられましたが、
ヘラからは最も執拗に迫害されました。

ところでギリシャ神話には神と人間が共存していますが、
争いが起こったときには、
いくら有能であっても強くても
人間は神に勝てません。
人間は殺されたり、
岩や木や動物や虫や、
などなどに変えられてしまったりします。

神と神から生まれる子は神ですが、
人間との間に生まれた子は人間です。
ゼウスは人間の娘や人妻とも浮気をしました。
ヘラクレスは人間として生まれました。


ヘラクレス

前置きが長くなりましたが、
ヘラクレスの登場です。
この像はナポリの国立考古学博物館に陳列されていました。
ライオンの皮(顔が付いています)と棍棒を持っています。
これらはヘラクレスを表す持物です。

ヘラクレスはギリシャ神話で
最強の英雄です。
ゼウスはヘルメスに不死の力を与えようと、
赤子のヘラクレスに眠っているヘラの乳を吸わせました。

ヘルメスの乳を吸う力があまりに強かったので、
ヘラは眠りから目覚め、
ヘラクレスを引き離しました。
そのとき天に飛んだ乳は天の川(Milky way)に、
地に飛んだ乳は百合の花になったそうです。

結果としてヘラクレスは半人半神になりました。


ヘラクレス

ヘラクレスは武術を身につけて剛勇無双となりました。
そして幾多の敵を倒しましたが、
最後は猛毒が全身に回り、
自らを火に焼いて死にました。
死後の彼は神に列せられたそうです。


ヘラクレス

東大寺二月堂に安置されている
執金剛神立像(国宝)です。
秘仏になっていて、
毎年12月16日だけ拝観できます。
秘仏とされてきたせいでしょう、
8世紀中頃の作でありながら、
色がよく残っています。

この神はギリシャ神話のヘラクレスが
仏教の守護神として取り入れられたのだといわれています。
たいていのお寺に置いてある
「阿」「吽」ペアの仁王様(金剛力士)は
この執金剛神からの展開とされています。


ヘラクレス

前回の最後にアグリジェントの神殿遺跡の配置を書きました。
ブログで紹介してきた順序では、
最初が「ヘラ」で、
次に「コンコルディア」
そして「ヘラクレス」
最後に「ゼウス」でした。

この位置関係と距離関係を推理してみました。
ヘラは夫ゼウスの浮気に悩まされていましたから、
憎しみの気持ちもあるわけです。
ヘラクレスに対しては絶対的な憎悪がありました。
一方ゼウスは神々との戦いで殊勲を上げてくれた息子、
ヘラクレスを信頼していたでしょう。

だからゼウスとヘラクレスの神殿は近く、
それに対してヘラの神殿は遠く離れています。
そしてその間にあるのがコンコルディア神殿、
これは和解、協調の神だといいますから、
うまく配置したものだと思います。


◎  ピアッツァ・アルメリーナ 

シチリア島の旅は、
パレルモから始まり、
下の地図に赤丸を付けたセジェスタの遺跡を経て、
アグリジェントの神殿遺跡を見学しました。

ピアッツァ・アルメリーナ

今回は、
アグリジェントを出発してシチリアの臍といわれる青丸部分で、
古代ローマの別荘の見学です。
町の名をピアッツァ・アルメリーナといいます。
"Piazza Armereina"小さなイタリア語の辞書にも出ていました。
「ピアッツァ・アルメリーナ(古代ローマ時代の別荘
Villa Romana del Cassaleで有名なシチリア州の町)」

ここの見学を午前中に済ませて、
午後はシチリア島最後の宿泊地となる
タオルミーナに向かいました。


ピアッツァ・アルメリーナ

Villa Romana del Cassale(カサーレの古代ローマの別荘)の見取り図です。
みやげ物屋に貼ってあったものを、
失礼して撮ってきました。
日本語のガイドブックも売っていますが、
荷物になるので買わないことにしています。
(空港の荷物重量検査が厳しくなっていて、
僅かなオーバーでも数万円取られると
おどかされていましたので)

第二次世界大戦後、
床に見事なモザイク画が描かれたローマ時代の屋敷跡が発掘されました。
今では世界遺産に指定され、
シチリア観光の目玉になっています。


ピアッツァ・アルメリーナ

屋敷の一部の概観です。
外壁は残っていますが、
屋根は発掘後につけたものです。

紀元3世紀ころのもので、
ローマ皇帝の別荘ともいわれているそうですが、
確証はないようです。
いずれにしても余程の金持ち、
それも権力者でなければ作れません。


ピアッツァ・アルメリーナ

見学風景です。
床に絵(モザイク)があります。
多くの部屋があって、
そのすべてにモザイクが施されているのです。


ピアッツァ・アルメリーナ

例えばある部屋の床の一部です。


ピアッツァ・アルメリーナ

これもそうです。
部屋の用途と絵柄に関連があるようでしたが、
とても記憶しきれません。


ピアッツァ・アルメリーナ

これはトイレです。
丸穴にお尻をのせて3人並んで、
できるようになっています。
このころから腰掛式で、
しかも水洗です(下の溝に水が流れています)。
ここだって、
シンプルですがモザイクがあります。

他に浴場もあり、
そこには暖房システムがあり、
冷浴室、微温浴室、高温浴室と、
温度の異なる浴室が設けられていたそうです。


ピアッツァ・アルメリーナ

絵としてはあっさりしていますが、
有名な部屋だそうで、「ビキニの十少女」です。

ボール遊び(競技?)をしている姿は、
現代のビーチバレーを思わせます。


ピアッツァ・アルメリーナ

上の写真の左上部分です。
隅っこのモザイクが剥れて別のモザイクが現われています。
ビキニの少女は後で模様替えした絵なのです。


ピアッツァ・アルメリーナ

モザイクの石片が分かるように
左下部を拡大しました。
この女性だけが衣を羽織っていますが、
勝者を表彰しているようです。


ピアッツァ・アルメリーナ

戸外に咲いていました。
スイカズラみたいですが・・・


◎  タオルミーナ 

シチリア島で泊まったホテルはみんな、
「グランド・ホテル***」でした。

アグリジェント

アグリジェントで宿泊したホテルは
"GRAND HOTEL DEI TEMPLI"
でした。
ここを出発して、
前回に掲載した古代ローマの別荘を見学しました。


その前に泊まったパルレモのホテルは
"GRAND HOTEL ET DES PALMES"
でした。


アグリジェント

"GRAND HOTEL DEI TEMPLI"
の部屋がどんなだったか、
レストランでどんな朝食を食べたか、
もう思い出せません。。。

部屋の窓から下を見ると、
きれいなプールがあったことだけ、
この写真で分かります。
部屋の向きは、
古代ギリシャ神殿のある丘とは反対側を向いていたようです。


タオルミーナ

ピアッツァ・アルメリーナの別荘見学を終えて、
タオルミーナに向かいました。
この別荘はシチリア島のヘソ(中心部)にありましたから、
海は見えませんでした。

昼食後、居眠りしている間にバスはひた走り、
やがて海辺へ出ました。
前回の地図を見てもらえば分かりますが、
イオニア海です。

タオルミーナは標高400mのタオル山の中腹にある保養地です。
海岸からバスは坂道を登っていきます。
途中の景色はすばらしかったのですが、
窓のガラスが光って写真が撮れませんでした。


タオルミーナ

早めのチェックインです。
ここも"GRAND HOTEL"です。
こじんまりしたホテルのように見えましたが・・・


タオルミーナ

ホテルの前面です。
2階建てみたいですが、
斜面に建っていて
入った所が8Fでした。

国旗が何種類か立ててありましたが、
日の丸がなかったのは残念です。


タオルミーナ

ホテルの玄関付近に実っていたレモンです。


タオルミーナ

ホテルに入ると小さなフロントデスクがあって、
ロビーはこじんまりしていました。
そこから海側に出るとバルコニーがあって、
真下にはプールが見えました。


タオルミーナ

目を上げると正面は真っ青な海です。


タオルミーナ

左を見ると、
海岸線が延びています。

ここタオルミーナ自慢の風景は、
青いイオニア海と
雪を頂いたエトナ山なのですが、
このホテルから山は見えませんでした。
エトナ山の紹介は後日とします。


タオルミーナ

ホテルを出発して観光jに出かけました。
ここには大きなギリシャ劇場があるのです。
劇場を見た後は自由に街歩きを楽しむことになっています。


タオルミーナ

面白い顔(人形)があります。


タオルミーナ

日本には
「見ざる・聞かざる・言わざる(三猿)」というのがありますけれども、
イタリアでは何というのでしょう?


◎  ギリシャ劇場とエトナ山 

ホテルから徒歩での観光です。
前回掲載の街を通っていくと
古代ギリシャの劇場がありました。


タオルミーナ

入り口に見取り図がありました。
直径が115mあって、
シチリア島で第2の規模だそうです。

紀元前3世紀の建造で、
図の黄緑の部分が前3世紀から前2世紀のもの。
赤い部分が前2世紀前半のものだと書いてあります。


タオルミーナ

ここから入りました。
上図の赤い部分の左端を外から見ています。


タオルミーナ

赤い部分の下部中央部を内側から見ています。


タオルミーナ

レンガの部分が赤部です。
観覧席は後のものでしょう。

ローマ時代の紀元2世紀には、
円形闘技場に改築されたそうです。


タオルミーナ

上から見た全景です。
この劇場は現在でも夏の間、
演劇、バレー、コンサートなどに使われているそうです。

右上に見えるのがエトナ山です。


タオルミーナ

エトナ山は標高3323m。
活火山です。
方角はタオルミーナの西南西になります。


タオルミーナ

左側は富士山よりもゆるい傾斜に見えますが、
これが南斜面になります。


タオルミーナ

タオルミーナに向かうバスの窓から撮ったエトナ山です。
ほぼ南からだと思います。
見る方角によって形が変わります。
タオルミーナからの姿が美しいですね。


タオルミーナ

劇場の最上部から見たイオニア海です。
シチリアでは毎日好天に恵まれました。


タオルミーナ

上の写真の左側です。
ホテルのバルコニーから撮ったのと同じ海岸線になります。
ずーっと先の方、
岬辺りでしょうか、
そこの村で映画「ゴッド・ファーザ」のロケが行われたそうです。

今日はエトナ山とイオニア海と、
ふたつの名勝をお見せしました。



エトナ山にまつわる神話

ここはイタリアですから
ギリシャ神話というよりローマ神話なのでしょうが、
神々の名を急に変えるとややこしくなるので、
ギリシャ神話の名前で通します。

オリュンポスの最高神、ゼウスと
その正妻、ヘラとの間にヘパイストスという息子が生まれました。
彼は生まれながらの醜男で、
そのため両親から嫌われ、
遠ざけられましたが、
海の女神に救われて育てられ、
高い技術をもつ鍛冶の神になります。

その技術の故にオリュンポスに戻ることができて、
12神のひとりとなりました。
父神ゼウスに尽くしたので、
褒美として美神、
アフロディテ(ヴィーナス)を妻とすることになりました。

時々火を吐くエトナ山の地下には、
ヘパイストスの工房があるとされました。
ローマ神話での彼の名をウルカヌス(Vulcanus)といい、
これは英語の「火山(Volcano)」の語源です。

しかしアフロディテはエトナ山には住まず、
シチリア島西端エリチェの山頂で、
肉体美を誇る軍神アレス(マルス)と同棲していました。
この二人の子がエロス(キューピッド)です。

アフロディテの浮気を太陽神アポロン(アポロ)が見つけました。
アポロンはこのことを夫のヘパイストスに知らせ、
場所も教えました。

ヘパイストスは驚きましたが、
気を取り直し、
鍛冶の技術を発揮して、
真鍮の細い鎖を編んで罠を作りました。
目には見えないくらい細く、
そして丈夫でした。
これを巧みに寝床の周りに張り巡らしました。

妻と恋人が寝床に入ると、
二人は見事に捕えられてしまい、
抱き合ったまま身動きもできません。
ヘパイストスは寝室の扉を開いて、
神々を呼び入れました。
二人はぶざまな姿をさらけ出すこととなり、
長いこと天界の語り種になってしまいました。

ヘパイストスが怒り狂い、
エトナ山のように噴火したら大変でしたが、
驚くほど冷静に対処したものです。

恥を掻いたアフロディテは仕返しをします。
相手は密告者のアポロンです・・・と、
神話は果てしなく続きますが、
エトナ山とは無関係になってきましたので、
この辺でおしまいにします。


◎  タオルミーナ 

タオルミーナの街歩きです。
ギリシャ劇場はツアーのプログラムでしたから、
現地のガイド付きです。
その後少しだけ一緒に歩いて、
美味しいジェラートの店を教えてくれて、
サヨナラしました。


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そのガイドさんがおまけで案内してくれたところには、
人形芝居の操り人形が展示してありました。

人形芝居は近世のシチリアにおける大衆娯楽だったそうですが、
テレビの普及によって廃れてしまったそうです。

演目は子供相手の童話などではなくて、
騎士道文学からシェークスピアもの、
歴史もの、キリストの物語などだそうです。

この展示も騎士道物語のように見えます。


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中でも一番ハンサムな騎士です。


3_IGP5892.jpg

王様でしょうか、一番偉そうな人です。


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唯一の女性です。


5IMG_2423.jpg

あとは勝手にお土産を買ったり、
ぶらぶらと歩きました。
もっと店の写真を撮ってくればよかったと、
今思っていますが、もう遅い~~~

果物も鳥も人形も全部陶器です。


6_IGP5909.jpg

賑やかな通りの長さは1kmくらいのものですが、
その間にいくつもの教会がありました。
これはそのひとつで、
前に大きな夾竹桃の木がありました。


7_IGP5909a.jpg

屋根の上の十字架のすぐ下は、
ぶっちがいの骨の上に髑髏です。
人間はみんなこうなるんだと教えているのでしょうか。


8_IGP5933.jpg

上よりも大きな教会の前の広場です。
今結婚式を終えた所なのでしょう。
記念撮影です。
縁もゆかりもないのですが、
こちらもカメラを向けてしまいました。


9_IGP5934.jpg

新夫婦と親御さんなのでしょうが、
どちらの父親か母親か分かりません。

縁もゆかりもないと書きましたが、
いささかながら縁はあったのです。
つばの白い帽子をかぶったお母さんは、
ホテルのロビーで見かけました。


10_IGP5801a.jpg

数時間さかのぼります。
ホテルのロビーでガイドさんが来るのを待っていました。
そこへちょうどこの人たちが出てきて
記念撮影を始めたのです。
こっそり撮りました(スミマセン!)

カメラを持っていたのはどんな人だったか
全く記憶がありません。
もしかしたら、
白髪のお父さんだったかも知れませんし、
花婿さんだったかも知れないし、
専属のカメラマンだったかも知れないし・・・


◎  カメオ 

長いことシチリア紀行を綴ってきましたが、
前回でおしまいです。

その後は、
フェリーでイタリア本土に渡り
北上してナポリへ。
それからカプリ島観光。
その後ポンペイの遺跡を見ました。

カプリ島やポンペイのことはその内
機会を見て掲載したいと思いますが、
ポンペイからナポリに帰る途中で
カメオ工場の見学をしましたので、
その時の写真です。


1_IGP6804.jpg

「見学」とはいいますが、
旅行社にしても、
受け入れる工場にしても、
「買ってもらう」ためのコースなのでしょう。

入るとすぐお客さんの国語に合わせてビデオを見せてくれます。
それから彫っているところの実演です。


カメオ

材料は貝殻です。
ずいぶん深彫りに見える部分もありますので、
こんなに厚い貝があるのかな?
と思いましたが、
貝殻の凸部をうまく利用しているようです。


カメオ

こんな台に貼り付けて彫っていました。


カメオ

見学の後はショーウインドゥが並んだ部屋に導かれて、
「さあどうぞ買って下さい」ということになります。

それは「あっしには、かかわりねぇことでござんす」から、
廊下に展示してあった額入りのカメオを撮ってきました。
売り物でないから値札も付いていません。
以下も額縁入りの作品です。


カメオ


カメオ


カメオ


カメオ

旅の途中で、
よくこういう店に連れていかれますが、
滞在時間がうまく設定されているように思います。
ある程度品定めの時間はあるのですが、
最後は、
時間切れになりますから早く決断を、
と迫る仕掛けになっているみたいで・・・

われわれは僅か11人のグループでしたが、
それでも2人くらいが買ったようでした。
その内の一人は新婚さんの奥さんです。

バスに向かいながら、
後ろから会話が聞こえてきました。
おばさんの一人が新婚夫人に聞いています。
「どっちが支払ったの?」
「向うの目を見たんですけど、
知らん顔されましたから、
仕方なく自分で払いました」

最近は耳が悪くなって、
大事な話は聞こえないことがあるのに、
こんなことはよく聞こえるのです。


◎  カプリ島 

6月から7月にかけて、
南イタリア・シチリア島の旅を掲載しましたが、
その後に訪れたカプリ島の写真をお見せすることにします。


カプリ島

カプリ島はナポリの南約30kmにある島で、
「帰れソレントへ」の歌で有名なソレントのすぐそばにあります。
リゾートの島で、
「青の洞窟」が有名です。


カプリ島

ナポリの海岸です。
「ナポリを見て死ね」
とかいうそうですが、
添乗員は、
「海岸の夜景をいうのでしょうね」
といっていましたが、
怖い街と聞かされ、
単独で夜間に外出するなんて思いもよりません。
だから昼間の海岸風景です。

ということで、
美しいナポリの夜景を見ていませんから、
まだ死ねません。


カプリ島

海の向うにうっすらと見えているのがカプリ島です。
ふたつこぶになっていますが、
その中間の凹部が賑やかな街になっています。
『青の洞窟」は右の端っこにあります。


カプリ島

カプリに渡る船です。
大きいのでなくて、
見えにくいですが右側にある小さな船が高速船です。
これで約45分です。


カプリ島

もうカプリに到着です。
岩肌は上の遠景写真の左側の山です。


カプリ島

港です。
山の上には建物がぎっしりと並んでいます。


カプリ島

港から山の上へはケーブルカーで登ります。
上から見た港と海です。


カプリ島

高級そうなホテル、レストラン、ブランド店、土産物屋などの並ぶ
細い道路を通って
この白いホテルに到着しました。
割り当てられた部屋は一番上の右側でした。


カプリ島

ホテルの入り口横にあった花です。


カプリ島

他の人たちはキーを貰って
各自で部屋へ向かいましたが、
「分かりにくい部屋だからホテルの人が案内します」
といわれて、
背の高い、180cmくらいありそうな女性の案内でエレベータに乗りました。
一番上(といっても3階ですが)で降りてから、
もう1階歩いて登りました。

ドアを開けて入るとスィートルームでした。
入ると狭いですがエントランスがあって、
左側に広い居間があります。

建築の都合上なのでしょうが、
段差があって、
上の写真は窓側で50cmほど高くなっています。
内側の低い方には応接セットと大型テレビがあります。


カプリ島

窓の外は広いテラスになっていて、
海が見えます。


カプリ島

ベッドルームです。
ご覧の通り、
豪華なものでありません。
スィートルームといっても広いだけです。
ベッドの左側に洗面所。

エントランスから右に行くと、
もうひとつのベッドルームとバスルームがありましたが、
添乗員からは
「ベッドを使うのは一つだけにして下さい」
と釘を刺されました。

私の鼾に苦労している妻は、
ベッドルームが折角二つあるのだから、
これが使えれば安眠できるのにと
残念がりました。


◎  青の洞窟 

カプリ島に泊まった翌朝、
早速「青の洞窟」へ行きました。
ガイドブックからの引用で「青の洞窟」を紹介します。

美しい神秘的な光景を、
体験していない相手に言葉やイメージだけで伝えることは難しい。
内部は長さ60m、
幅25mの広い空洞だが、
入り口は大変狭く、
手漕ぎボートでしか入れない。
この入り口そばの海中に、
地殻変動で没した洞窟のもうひとつの大きな開口部があり、
外海からこの水中の開口部と海水を透過して射し込む太陽光が
石灰岩の海底で反射し、
洞窟内を照らし出す。
洞窟の内部は幻想的なブルーの光で満たされた
不思議な空間が広がっており、
どこまでも青く透明な水が、
宇宙に浮かぶいくつものボートにとりまかれて、
澄んだ中空を漂っているような超現実的な印象を与える。
天候や海の状態に恵まれれば、
格段に深い青の世界を堪能できる。



青の洞窟

昨日の港から小型の船で出発しました。
われわれのグループは全部で13人、
他の人たち共で20~30人乗っていました。
島の西端を目指して進みます。
船の後には手漕ぎのボート3艘がロープでつないでありました。


青の洞窟

前方に洞窟の入り口が見えてきました。


青の洞窟

ここで小舟に乗り換えて、
洞窟に向かいます。


青の洞窟

洞窟内で写真を撮ってやろうと思い、
暗闇の中でモゾモゾとやって、
何とか撮った1枚です。


青の洞窟

いい写真が撮れなかったので、
土産物屋で買ってきた絵はがきのコピーです。
上の写真とずいぶん色が違います。
実際はどうだったの?
と聞かれると、
記憶はもうボンヤリとしていますが、
こんなに青くはなかった、
緑がかっていたような気がします。

冒頭に引用した文の最後に、
天候や海の状態に恵まれれば、
格段に深い青の世界を堪能できる。

とありましたが、
その「天候や海の状態」に恵まれなかったのでしょう。
(晴天だったのですが・・・)


青の洞窟

ボートを岸に着けてもらい、
ここで船とはサヨナラです。
少し高い所から撮りました。
まだ朝早いので船の数は多くありません。
ナポリからの船が着くと、
大混雑になり、
洞窟に入る順番待ちに長時間かかるそうです。


青の洞窟

洞窟に入るとき、
乗客は寝ているように指示されます。
洞窟入り口の高さに余裕がないのです。
船頭さんは、パッとしゃがみます。

あらかじめ添乗員から忠告されていたのは、
「中へ入ったら起き上がって下さいね。
ずーっと寝たままで、
洞窟の天井だけ見てきた人もいますから(笑)」

それからもうひとつ、
「1ユーロのコインをすぐ出せるように準備しておいて、
ボートを降りるとき船頭に渡して下さいね。
チップを渡さないと一生涯ボートから降りられませんよ」
そういう習慣になっているようです。

洞窟観光が終わって、
一番嬉しそうだったのは添乗員でした。
これが見れないと文句を言う人、
これを見る為に来たという人がいるらしいのです。
波があって駄目とか、
満潮で入り口と海面との隙間がなくて駄目とか、
大混雑で駄目とか、
あるらしいです。

非常に順調に終了しました。


◎  ソラーロ山 

「青の洞窟」見学のあとは自由行動になっていました。
私たちのホテルは島の東側にありますが、
折角島の西側に来ているので、
こちらを半日掛けて観光しようという相談がまとまり、
即製のオプショナルツアーとなりました。
添乗員とガイドがマイクロバスをチャーターしてくれました。


ソラーロ山

運転手はバスの中に家族の写真を飾っています。
自分の車ではない、
会社の車だと思いますが・・・


ソラーロ山

ヴィットーリア広場という賑やかなところでバスを降りて、
リフトに乗ってソラーロ山頂へ登りました。
標高589m、カプリ島の最高峰です。


ソラーロ山

リフトの下には住宅があります。
庭を歩いている老人がいます。
自宅の上をリフトが通っているなんて、
迷惑でしょうね。
(そんなことをいいながら、写真を撮っているのですが・・・)


ソラーロ山

リフト乗り場のある街です。
地中海の街は白い家が多いです。


ソラーロ山

リフトを降りて歩きはじめたら、
こんなのがいました。


ソラーロ山

下を見ると白い船が走っています。
小さな白い点々はカモメです。

ガイドブックには
「島の中で最も海から遠い地点」
と書いてありますが、
海はすぐ下に見えています。

もうひとつ、
「最も深く海を感じられる地点」
とも書いてありますから、
それはピッタリです。


ソラーロ山



ソラーロ山



ソラーロ山



ソラーロ山

アザミの背景も海です。


ソラーロ山



「青の洞窟観光」のことを追記します。

私たちのツアーはカプリ島に2泊します。
出る前の説明でいわれました。
「青の洞窟を見るチャンスが3回あるから、
全く見れないということはまずありません」

1泊して次の朝が正規の予定です。
島に泊まっていれば、
本土からの観光客が来ないうちに船に乗れる。
次にもう1泊するから、
朝が駄目でも、その日の午後に再挑戦できる。
それも駄目だったら、
出発の日の朝に3度目の挑戦ができる。
そのために、
島では青の洞窟以外に観光予定は組まれておらず、
再挑戦も、再々挑戦も可能にしてあるのです。

でも、このツアーを選択したのは、
それが気に入ったからではありません。
連泊でゆっくりできるから、
の方が大きな理由でした。
こういう天候などに支配される観光は、
始めから、
あんまり当てにしないことにしています。
今迄に、例えばスイスのグリンデルワルドに3泊したとき、
ホテルの部屋から見えるはずのアイガー北壁は、
一度も顔を出してくれませんでした・・・

カプリ島から帰るとき、
一緒の船に乗ったグループがありました。
それは一発勝負の計画でした。
前日にナポリに着いて宿泊し、
早朝、食事も取らないで出発。
高速艇でありませんから時間は掛かるのですが、
高速艇よりも早い時刻に島に到着して、
青の洞窟に向かい、
それを見たら、
すぐ高速艇で本土に戻り、
ポンペイに行って、
そこで昼食です。

運が悪ければ見れないでしまうところでしたが、
私たちと同じく、
すごく順調に見れたので、
予定外の観光で時間調節をして、
ナポリに戻るとのことで、
満足そううな顔でした。

「青の洞窟」をぜひ見たいと思う方は、
幸運を祈る他に、
ツアーの選択も重要だと思います。


◎  カプリ島(ホテル~散歩) 

ソラーロ山を降りて、
少し歩いたり、
土産物屋を覗いたり、
昼食を取ったりして、
ホテルに戻りました。


カプリ島

ホテルの部屋の外のテラスには、
ときどきカモメがきます。


カプリ島

カモメのいた辺り迄出て撮りました。
ナポリからの船が到着したのは島の北側でしたが、
これは南側の海になります。


カプリ島

カメラを少しだけ左に向けたところです。


カプリ島

もっと左に向けると
白い建物(ホテル)が沢山あります。


カプリ島

カメラを右に向けても、
同じような建物が並んでいます。

部屋でひと休みしてから、
まだ早いので散歩に出かけました。


カプリ島

ホテルのロビーにカサブランカが咲いていました。
背景に邪魔物が入らないよう
苦心してアングルを決めました。


カプリ島

外へ出るとヒルガオが咲いていました。
こちらは何の苦心もいりません。


カプリ島

海沿いに西の方へ歩いてみました。
道ばたにこんな花が咲いていました。


カプリ島

レストランだったと思いますが、
外壁を花で飾った店がありました。


◎  カプリ島(散歩) 

散歩の続きです。


カプリ島

花の写真などを撮りながら歩きました。


カプリ島



カプリ島

これまでは遠くに見えていた海が真下に見えるところに来ました。


カプリ島

ジグザグの道がありますが、
海面まではかなり下らなければなりません。
降りて水に触りたい気もしますが、
その後、あがってこないと、
ホテルに戻れませんので、
降りるのはやめることにしました。


カプリ島

戻りかけると、
坂道から降りてくる人たちがいました。
往きに見たときは、
鉄の門があるので、
お金持ちの別荘か何かだと思ったのですが、
住人ではなさそうな人たちが出てくるので、
大丈夫だろうと、
門を入って坂道を登りました。

入ると庭園でした。
花壇があり、
遊歩道があり、
ベンチがあり、
下の海を眺める展望台もありました。

あとで分かりましたが、
「アウグスト庭園」といって、
かつてローマ皇帝の別荘があったところだそうです。


カプリ島

展望台からの海です。
さっきよりも高い位置からになります。


カプリ島

浅瀬を撮った写真をトリミングして拡大しました。
ワニが水面に浮かんで来たところのように見えませんか?


カプリ島

そのあと、
街の方へ戻りました。
狭い道ばかりの島ですが、
これは特に狭い路地です。


カプリ島

広場(といっても狭いのですが)のカフェに、
ご覧の新婚カップルが嬉しそうにしていました。
カメラマンが撮ってあげているのを、
横から盗み撮りです。

この後、
二人は手を取り合って街中へ歩いていきました。
街の人たちは、
米粒でなくて、
丸くて白いチョコレートを二人に投げかけていました。


カプリ島

街で一番賑やかな広場のカフェです。
前日夕方はこんな風に賑わっていたのですが、
この日は二人で借り切ったのでしょうか?


◎  カプリ島(朝の散歩) 

カプリ島に2泊して、
今日はナポリに帰ります。
ゆっくりの出発なので朝の散歩をしました。


カプリ島

昨日とは反対の方角に歩きました。
海は近いのですが、
全く見えません。
ホテル、別荘らしい建物が続きます。
そんな建物の門柱脇に咲いていた白バラです。


カプリ島

石垣にブーゲンビリアが枝を広げ、
花をいっぱい付けていました。


カプリ島

海の見える見晴らしのよい場所に着きました。


カプリ島

上の写真の右側です。


カプリ島

地理がよく分からないので、
同じ道を戻りました。
もっと上の道を歩けば、
有名な岩のある場所に出れたらしいのですが・・・・・


カプリ島

朝のウォーキングをしているおネエさんです。
夫婦、男一人、いろいろ歩いていました。


カプリ島

この階段は写真を撮っただけだったのか、
登ったのか、
忘れてしまいました。

歩いているとき、
特に往きでは、
この角で曲がってとか、
帰りに道を間違わないよう気をつけました。


カプリ島

まだ開店していませんが、
こんなブティックもあります。
細い道路で、
周りに店なんかないところですが。


カプリ島

ホテルのテラスから見た白い建物群はすでにお見せしましたが、
これは道路から見下ろした眺めです。


カプリ島

最初の白バラが咲いていた家まで戻ってきました。
ホテルはもうすぐのはずです。

実は、
白い、ステキなホテルがあるなぁ~
こんなホテルに泊まったらいいなぁ~
と思って、
通り過ぎたら、
自分のホテルでした。

いつも帰ってくるのとは逆方向だったので、
記憶にない建物に見えました。


◎  カプリ島(海辺) 

カプリ島ともお別れです。
ホテルを出発して、
ケーブルカーの駅に向かいました。


カプリ島

途中の店の外壁にこんな飾りが・・・


カプリ島

ケーブルカーを降りると、
そこはもう海辺です。


カプリ島

船が出るまで時間があるので、
靴を脱いで、
足だけでも地中海に入れてみることになりました。

岩陰で着替えるのでしょう、
浜茶屋みたいな施設は見当たりませんが、
大勢が海水浴をしています。


カプリ島

足だけの海水浴をすませて、
余りの時間は土産物屋を覗いたりして過ごしました。


カプリ島

海沿いの町並みです。


カプリ島

客を乗せた船が出ていきます。
多分、青の洞窟へ向かうのでしょう。


カプリ島

1時間足らずの船旅でナポリに到着。
どっと船を降りる人たちです。


カプリ島

奥の大きな船はシチリア行きだと思います。
その手前はソレント行きで、
小さな赤い船は沿岸警備隊です。


これでカプリ島の旅はおしまいです。
まだナポリとポンペイの写真が残っているのですが、
いずれ機会がありましたら・・・・・



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