Photo & Essay

◎  アイルランド紀行〜〜〜プロローグ 

5月23日に出発して、
アイルランドへ行ってきました。

出かけることを決めたとき、
娘に「アイルランドへ行ってくるよ」というと、
「アイルランドに、何があるの? 何を見てくるの?」と質問されました。
「行ってみなけりゃ分からない」と答えて出かけました。

行ってみて、
何を見てきたのか、
書いていくことにします。

娘に「アイルランドって、どこにあるの?」とは聞かれませんでしたが、
イギリスとの関係を含めて地図を作ってみました。



1英国地図

右の大きな島がグレートブリテン島で、
左の小さい方がアイルランド島です。

英国だとか、イギリスだとか、
呼んでいる国はグレートブリテン島と北アイルランドからなっていて、
正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」です。
そして、
アイルランド島の北アイルランドを除いた部分が「アイルランド共和国」です。

私が行ってきたのは北も含めたアイルランド島です。
最初に北アイルランドのベルファストに泊まりました。
2泊目からはアイルランド共和国側でした。
国境?
地図上にはありますが、
入出国の手続きも何もなく、
いつの間にかバスが国境を通り過ぎていました。

何も変わらないのか?
ひとつだけ変わりました。
通貨です。
北アイルランドはイギリスですからイギリスポンド、
アイルランドではユーロが使われています。

前置きはこのくらいにして、
この島に咲いていた花の写真です。



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ハリエニシダ。
この花はスコットランドの野原でもよく見かけました。
2月から咲いているそうで、
そろそろ終わりの時期を迎えるとのことでした。



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ライラック。
色の濃いもの薄いもの、
そして白いもの。
咲き始めで、
よい香りを漂わせていました。



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金グサリ.
これもスコットランドでよく見かけた花です。
この島はスコットランドと気候・風土が似ているのだろうと思いました。



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マロニエ。
並木道には出会いませんでしたが、
公園などで見上げるような大木が花をつけていました。
花はパリより1ヶ月遅いそうです。
この島は寒いのです。


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サンザシ。
赤と白とありましたが、
赤花が華やかでした。


◎  ベルファスト到着 

家を出たのが6時過ぎ。
成田空港まで2時間とちょっと掛かります。
集合カウンターで登録。
様子を見ていた妻が、
「女性がほとんどね」といいます。

全員が揃ってみると、
参加18人の内訳は、
夫婦が2組で、
他は女性のグループと、
女性の1人参加。
つまり男性は2人だけで、
加えて添乗員も女性です。

最近はこんなものです。
イタリアやフランスに行けば、
もっと男性も多く、
新婚さんなどもいるのでしょうが・・・

ここから長い旅です。
ロンドンのヒースロー空港まで12時間のフライト。
3時間の待ち合わせで、
ベルファスト空港へ1時間と15分のフライト。
空港からバスでホテルへ15分。
到着が20:15(日本時間では翌日の4:15)

家を出てから22時間の長旅でした。


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ベルファスト・シティ空港。

ベルファストは北アイルランド最大の都市です。
地面が濡れていましたが、
雨は上がっています。

1日の中に四季があり、
天気予報は、
「晴れたり曇ったり雨になったり」
という土地柄だそうです。



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バスの中から見上げた空です。
青空に白い雲が美しい。
左上の橙色は窓に映り込んだ車内の照明です。

時刻は夜の8時数分前です。
北の国だから日没は遅く、
9時になってもまだ明るいです。



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ホテルに入って、
添乗員がチェックインの手続きをしている間、
ロビーで待ちました。
そのロビーの片隅に暖炉があって、
薪が燃えていました。

アイルランドは寒い所です。
ホテルの部屋は暖房でポカポカでしたが・・・



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ホテルのファサード。

翌朝はよく晴れていました。
朝食の後で、
外へ出てみました、



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ホテルを背にして右の方。



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ホテルを背にして左の方。



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オペラハウス。

ホテルの横に道路を隔てた隣にあります。
長い建物で、
写真のもっと左に入り口があるのですが、
改装工事中で足場が組まれていました。


いよいよ、
観光第1日目が始まります。
天気予報は、
「晴れたり曇ったり雨になったり」
かも知れませんが、
取りあえず好天のようです。


◎  ベルファスト、シティホール 

現地ガイドがバスに乗り込んで、
ベルファストの市内観光が始まりました。

この街は人口30万近くの、
北アイルランド最大の都市です。
それを1時間で紹介しろといわれているそうです。
忙しいことになりそうです。


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まずシティホールに行きました。
1906年の建築。

バスの中から撮った側面です。
白いテントの見える方が正面ですが、
今日は市が立つ日だとかで、
正面はゴチャゴチャしていました。

正面側の一画に、
タイタニック号遭難の記念碑がありましたが、
バスからは撮れず、
降りてからは見えませんでした。

ベルファストは造船の街だったそうで、
タイタニックはここで建造されました。
イギリスからニューヨークへの処女航海の途中、
1912年4月14日未明、
氷山と衝突して沈没しました。

昨年が100周年に当るのを機会に、
建てられた像だそうです。



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ホールのドーム。



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細長い二等辺三角形のペディメントの群像彫刻は、
ギリシャ神話のようです。
円柱の柱頭は渦巻型のイオニア式。


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内部に入って、
ドーム真下の床です。



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真上を見上げると・・・



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少しカメラを下げると・・・
左端に絵が見えています。



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絵の部分です。
これはベルファストの歴史画だったように思います。
ガイドさんが説明してくれていたのですが・・・



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内部は宮殿のような装飾です。



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入り口を背にして、
真っ直ぐ進むと、
赤い絨毯を敷いた階段があります。



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横手にはステンドグラス。

入り口ホールだけで、
外へ出ます。
シティホール見学はこれでオシマイ。


◎  ベルファスト、壁画 

シティホールを下車観光したあと、
現地ガイド(ベルファスト在住の日本人女性)が、
「カトリックとプロテスタントの壁画に案内します。
かつてのベルリンの壁のような、
行き来を遮断する壁はありませんが、
壁画が描かれています」
とのことでした。


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カトリック側の壁画。
壁画のある所でバスが徐行してくれたので、
分けて撮りました。



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ピカソの「ゲルニカ」の模写があります。
迫害を訴えているのでしょう。



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Bobby Sands という名が見えます。
検索してみると、
獄中でハンガーストライキを続けて亡くなった英雄です。

今日の写真はすべてバスの窓から撮ったものです。
プロテスタント側の壁画は撮れていません。



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郊外の住宅街みたいな所を、
下車なしで、
グルグル回って、
街に戻ってきました。
その間、
ガイドさんはカトリックとプロテスタントのことを解説していました。

私としては、
僅かな時間であっても、
ベルファストの街を歩いてみたかったのですが・・・



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シティホールの青いドームが見えてきました。
ホテルを8時半に出発して、
9時半過ぎに戻りました。
ホテルはチェックアウト済みなのですが、
ここでトイレ休憩でした。

これでベルファストの観光は終了。
バスは世界遺産:ジャイアンツ・コーズウェイに向かいました。


◎  コーズウェイ海岸へ 

今回の旅の目玉のひとつでもあるジャイアンツ・コーズウェイは、
アイルランドのほぼ最北端にあります。
出発前日に調べたら、
この日の予報はかなり寒そうでした。
北の海辺で、
雨風で気温が低かったら・・・
と心配していたのですが、
良く晴れた日になってきました。

バスは北へ向かって走ります。
始めの2枚はバスの窓からの写真です。


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海辺に出ました。
キャリック・ア・リード展望台です。



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黄色い花はハリエニシダで、
向うに見えるのはラスリン島です。



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春の陽射しの中で、
海を眺め、
芝生を歩いてひと休みです。
他のグループもいました。



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展望台からちょっと走ると昼食のレストランです。
地中海で見るような白い建物が、
並んでいました。



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昼食後、
いよいよジャイアンツ・コーズウェイの観光です。
途中の景色(バスの中から)。



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到着です。
右側のグレイの建物がビジターセンター。
入場券売り場、ギフトショップ、資料展示エリア、カフェ、トイレなどがあります。

ここのホテルも白い壁。
青空が似合います。


◎  ジャイアンツ・コーズウェイ 

ビジターセンターに入ると、
日本語のオーディオガイドとガイドマップを渡され、
添乗員について歩きはじめました。


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青い海と荒々しい岩が見えてきました。
よく晴れて、
風もなく、
ポカポカ陽気になりました。
よい方に予報が外れて、
有り難いことでした。



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歩いて行くと前方中央の岬に小さな人影が見えます。



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だんだん近づいてきました。
人影が大きくなってきました。



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大きな石柱が集まって出来た山です。



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写真の右端に通路があります。
ここを通って向うへ抜けました。



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その通路です。
向うから来る体格のよいおじさん。
その体格と比べれば石柱の大きさが分かります。



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石柱の間を抜けた前方です。
向うの岬まで散策トレイルがあるようですが、
人影がありません。
だれも行かないようです。



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抜けてきた方を振り返えると・・・

石柱に沿って、
写真の奥へ進みました。



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奥の方は階段状になっているので、
登って行けそうです。



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添乗員が、
「滑ると危ないですから無理しないで下さい」
と叫んでいますので、
ちょっとためらいましたが、
花が見えたので、
あそこまで、
と思って登って行きました。



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花につられて登ってしまいました。
花の左に回ると台地状になっていて、
危険はなさそうです。


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1番高い所に登って、
海側を見下ろしています。



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海側の頂上は人気スポットのようでしたが、
撮るだけにしました。



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石柱は海の中にまで続いています。



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登った頂上の風景です。
コースを選びながら歩けば、
階段を降りて行くようなもので、
危険はありませんでした。



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稜線を行く父と子。

帰りはシャトルバスに乗りました。
ビジターセンターで土産物を見たりして、
ジャイアンツ・コーズウェイにサヨナラしました。

好天に恵まれましたが、
この風景、
風雨と荒波の中で見たら、
どんなだろうという気もしました。


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ジャイアンツ・コーズウェイについて、
ガイドマップの解説を転載します。


【ストーリー】

ジャイアンツ・コーズウェイは伝説と伝承に満ちあふれた場所。
かつてここを住み家とした巨人フィン・マクールが、
このような海岸風景をつくり上げた・・・
そんな伝承が語り継がれています。

地元の人たちは、
岩に刻まれた六角形の神秘と激しく打ち寄せる荒波の間に、
真の魔法が隠されていると信じています。
その魔法がすぐに見えてくるかどうかわかりませんが、
この場所を訪れ、
岩の上に立ち、
伝説に思いを馳せ、
イマジネーションをめぐらせ、
ただ時に身を委ねて下さい。
じきに感じられるものがあるはずです。


【サイエンス】

この場所がユネスコの世界遺産に登録されたことは、
驚くに至りません。
ジャイアンツ・コーズウェイに立ち並ぶ4万本以上もの玄武岩の石柱は、
激しい火山活動と地殻変動から生み出された、
地質学上の驚異となっています。

コーズウェイでは地球のもっとも古い時代の姿を垣間みることができます。
何度となく流れ出した溶岩が冷却と収縮を繰り返し、
壮大な6千万年の遺産をつくり上げています。


地上に噴き出したマグマが固まるときにできる、
このような石柱を「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と呼び、
日本の各地でも見られますが、
こんなに巨大、壮大でありません。


◎  デリー/ロンドンデリー 

世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイを出発して、
北アイルランド第2の都市、デリーに向かいました。
ここは17世紀にロンドン市領となったことから、
ロンドンデリーとも呼ばれます.


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ダンルース城。

コーズウェイを出発して間もなく、
海に向かって建つ古城(荒城?)があって、
写真ストップしました。



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デリーの街に到着。
川縁の駐車場で下車して歩きます。



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大きなショッピングモールに入り、
エスカレーターでどんどん登ります。



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3階か4階かに登って外に出ると、
そこに街があります。
デリーの旧市街は小高い丘の上にあるのです。



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フェリーキー門。
門の内側は、
全長1.6kmの城壁で囲まれた旧市街。
是非歩き回ってみたい街ですが、
このツアーは城壁の上を歩くだけでした。

右側に階段があって、
そこから登ります。
登り口に大きめのプレートが貼ってあり、
そこに、

城壁の町。。。
城壁の石が喋れるものなら、
どんな話を語ってくれるだろう。
石の声は今も、
城壁の上に、町の通りに、
谺している。


とあって、
その下に歴史や説明が書いてありました。



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城壁の上は広々とした通路になっています。
右側が旧市街、つまり城内です。
左は、かつては何もなかったはずですが、
高い建物が建っています。



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1668〜1689年、
ジェイムズ2世とウィリアム3世がイギリスの王位を賭けて戦った際、
この町はウィリアム側に付き、
城壁の門を閉じてジェイムズ2世軍の包囲を105日間耐え凌ぎ、
ウィリアム3世の勝利に貢献しました。

城門を閉じて・・・つまり籠城ですから、
城内の市民に多数の餓死者が出たそうです。
まさに「石が喋れるものなら・・・」。



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城壁の左外側、城外です。
坂道になっていて、
今では新市街が広がっています。



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城壁の、高みからの俯瞰。
住宅街でしょう。
同じ造りの家が並んでいます。



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新緑が美しかったので・・・



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城壁の1部を歩いただけで観光は終わりです。
城門から外を撮りました。
この急坂は歩かず、
ショッピングモールのエスカレーターで下りました。


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バスで次の町、レタケニーへ向かいました。
デリーを出るとすぐ国境を越えることになりますが、
何事もありません。
アイルランド共和国に入り、
使用通貨がユーロに変わります。

これで北アイルランド観光は終わりです。



ロンドンデリーといえば、
アイルランド民謡「ロンドンデリーの歌」が有名です。
歌詞はいろいろあるようですが、
「ダニーボーイ」を載せましたので、
よろしかったら、
聞いてみて下さい。

アイルランドでは、
第2の国歌として愛好されている曲だそうです。


◎  イェイツの墓 

ロンドンデリーから西に30kmほど離れた町、レタケニーのホテルに泊まり、
観光2日目は、
そこから南西に約100kmの町、スライゴーに向かいました。
まず、スライゴー近郊のドラムクリフにある、
聖コロンボ教区教会を訪れました。

ここには詩人イェイツの墓があります。
イェイツについては、
正直いって、
そんな名の詩人がいる、
という位の知識しかありませんでした。

「地球の歩き方」から引用すると、
ウイリアム・バトラー・イェイツ(1865〜1939)は、
アイルランド、特にスライゴーとその周辺をこよなく愛した詩人。
彼はアイルランドの口承伝説などの民話を集め、
文字に残した。
著作は世界各国で翻訳され、
1923年にはノーベル賞も受賞している。
後に彼は日本の民話にも興味を示し、
輪廻転生にまつわる幽玄の世界は、
ケルトの心に通じるものを感じたようだ。
特に能に関しては強い関心を寄せていた。

とありますので、
日本人が墓を詣でるのも有意義であることを知りました。


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ドラムクリフ、聖コロンボ教区教会。

この教会はイェイツの祖父が牧師を務めており、
イェイツもよくここを訪ねたそうです。

創立は古く、
574年に僧院として建てられたそうで、
その頃の名残として、
ハイクロス(ケルトの十字架)が墓地の中にあります。
(後の方に写真を載せています)

現在の教会は1809年建設とのことです。



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教会内部(正面の祭壇)。



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振り返って見ると、
入り口の上には彩色されたパイプオルガンがありました。



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教会の外壁。



5The grave of Yeats

イェイツの墓碑。

国の内外を問わず、
妻は墓を撮ることを嫌います。
「撮らないで」と念を押されて、
撮りませんでしたので、
webからの引用写真です。
(皆が撮っていたのだから、撮ればよかった〜)



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ハイクロス(ケルトの十字架)。

高さがどの位だったか、
記憶が定かでありませんが、
2〜3mはあったと思います。
そして高い台の上に乗っていましたから、
仰ぎ見るようでした。

十字の部分が円環でつないであるのが特徴のようです。
彫ってある図柄は聖書の物語だそうです。



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ベンブルベン山(525m)。

氷河によって削られ特異な形をしたこの山は、
聖コロンバ教区教会附近の景観として解説に出てきます。

教会を背にして歩き、
その敷地を抜けると右手が開けていて、
この山が見えました。



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ベンブルベン山を撮った辺りで見た草の芽。
先端がゼンマイみたいでした。



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教会の敷地の中に土産物屋があり、
その向い側に細長い家が1軒ありました。
外れの窓に地球儀と貝殻と猫と・・・
猫好きではありませんが、
見るとつい撮ります。



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教会から少し離れた所にあるグレンカーの滝。

これも教会の附近が風光明媚だという説明の一環としてでてきます。
さほど大きな滝でもなく、
水量も多くなかったので、
下の方だけ撮りました。


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イェイツの墓碑銘。

Cast a cold eye

On Life, on Death

Horseman, pass by!

W.B.YEATS


難しいから、
やめておこうと思ったのですが、
あえて訳文を作ってみました。

醒めた目で見てご覧、

生と死を、

通りすがりの馬上の人よ!



"a cold eye" は恋人を見る燃えるような眼差しとは対極にある冷えた眼差しでしょう。
"Horseman"は馬に乗った人。
詩が作られたのが1930年代中頃ですから、
旅は車でなくて馬だったでしょう。
ふと通りかかった馬上の旅人。
旅は、村から村へ、というよりも、人生の旅なのかも知れません。

イェイツは生と死を見ろというだけで、
何も答えていません。
答えはそれぞれが見つけるしかないようです。

この言葉は彼の人生最後の作品のひとつ、
"Under Ben Bulben" という詩の最後の3行だそうです。
検索してみましたが、
その詩は見つかりませんでした。
詩の全体を読めば、
もう少し意味が明確になるのでしょうが、
3行を読んだだけの勝手な訳です。
あまり当てにしないで下さい。


◎  キャロモア古代遺跡 

ドラムクリフの聖コロンボ教区教会を出て、
グレンカーの滝を見て、
スライゴーの町に向かいました。
そこで昼食を取ってから、
キャロモア古代遺跡の見学です。


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スライゴーの街を流れるガラボーグ川。

バスの窓からです。
今回の旅では、
窓からの写真をかなり撮りました。
外を見ていて、
シャッターを押しても、
1瞬の差で予期しない物が写り込んだり、
車内の照明などが写り込んだりしますので、
いい写真は撮れないのですが・・・

この川沿いのレストランで昼食でした。
ヨーロッパの都市はどこでもそうですが、
ほとんどの道路が1方通行なので、
知らない街で、
目的地に行き着くのは大変なようです。
この川を何度も渡って、
漸く到着しました。

この日は、
朝から曇っていましたが、
だんだんと怪しげな雲に変わってきました。



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昼食後はキャロモア古代遺跡の見学です。
5800年〜6400年前に造られた墓地だそうですから、
今日は墓参ばかりです。

ビジターセンターを通って、
中に入ると、
かなり広い敷地です。
なだらかな起伏があって、
ゴルフ場みたいです。

専属のガイドが出てきて、
案内してくれました。

矢印の道を進みます。



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石を積み上げたマウンドがあります。
これが墓地の中心だそうです。

雨風になってきました。
こんなに緩やかな起伏の土地ですが、
風が通り抜けて傘を取られそうになる場所と、
ほとんど風が通らない場所とありました。



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石を積んだ墓が点在しています。
大きな石を積んでいますが、
飛鳥の石舞台ほどの大きさはありません。



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約30基の墓が残っているそうですが、
その内の数カ所を案内してくれました。



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墓石の下を覗き込んで撮ってみましたが、
下に深い穴があるわけでもないようです。



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遠くから見たマウンドのそばに寄りました。
この小石は最近になって、
積み直したものらしいです。

切り通しのような道がついていて、
奥に石組みがあります。



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石組みの前面。

ゴロンとした石を並べた上に平たい石板を載せています。
この構造をドルメンと呼ぶそうです。
5600年前の建造だそうで、
この下から7人の人骨が出たとのことです。

しかし、
墓というよりも、
儀式の場所であったらしいとのことです。



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ドルメンの側面。

傘をさした人たちのいる方が入り口側です。
石の板はやや傾斜しています。

冬の始まり、10月31日と、
冬の終わり、2月10日、11日に、
朝日が、
石板の傾斜に沿って射し込み、
ドルメンの内部に日が当たるのだそうです。

そうなるように、
向きや傾斜を調整してあるのだそうですが、
こんなに大きくて重い石の板を、
土木機械のない5600年の昔に、
どうやって微調整したのでしょう?

人間は賢いと思います。
近代、現代になって、
賢くなったのではなく、
5千年前から、
いやもっと前から賢かったのです。


◎  ノック村の奇跡 

この日の観光は、
予定表では、
イェイツの墓とキャロモア古代遺跡の二つだけでしたが、
時間に余裕があったからか、
バスの運転手の好意からか、
もう1ヶ所立寄ることになりました。

今から130年ほど前、
ノックという村で奇跡が起こりました。
そこには、
小さな教区教会があったそうです。

その跡地が "Knock Shrine" になっています。
"Shrine" は「神社」でなくて、
「聖堂」とか「聖地」とか、
が適切だと思います。


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広々とした敷地の中で、
最も目につく、
大きな建物です。
入ってみませんでしたが、
チャペルでしょう。

ご覧のように黒い雲に覆われて、
雨が降ったり、
止んだりしていました。



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上掲の大きなチャペルと十分なスペースをあけた隣にある、
小さなチャペルです。
昔の教区教会はここにあったのだと思います。

建物の左端から一旦入り、
ベンチに腰をおろしましたが、
すぐに外へ出ました。



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外へ出てからガラス戸越しに内部を撮りました。
出てくる時に、
説明文が掲示してあったので撮っておきました。
それが下の写真です。



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こう書いてあります。

1879年8月21日、
年齢もまちまちな村人15人の目の前に、
2時間以上にわたって、
教会の切妻壁に、
聖母マリアとその夫ヨセフと福音書著者のヨハネが出現した。

壁の中央に質素な祭壇があって、
その上に子羊が立ち、
子羊の背後に大きな十字架が直立していた。

この情景が出現している間、
子羊の回りを、
天使たちが、
神々しい光に包まれて、
舞っていた。

教会による公式な審問委員会は2回行われた。
始めは1879年。
2回目は1936年。
その結果は、
「目撃証言は全体として信ずるに足る、
満足すべきものである」

(蛇足ですが、子羊はキリストの象徴です)

前掲写真のチャペル内の白い像は、
この目撃情報を現しています。
左端がヨハネ、
それから金の冠のマリア、
両手を開いているヨセフ、
そして祭壇上の子羊とホバリングする天使。



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金のバラ。

1979年9月30日、
教皇ヨハネ・パウロ2世がここを訪れたそうです。
その時の献花です。



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キリスト磔刑像。

"Knock Shrine" は、
ガイドブックには全く記載ありませんが、
カトリック信者の巡礼地になっていて、
多数の信者が訪れているそうです。



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敷地内のチューリップ。

広い敷地を歩いて売店兼集会所に行き、
トイレ休憩をしました。



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その後、
バスは雨の中を走り、
ゴールウェイ郊外のホテルに到着。
従業員が出迎えてくれました。
(例によって車内からの撮影)

かつての修道院をホテルにしたもので、
☆☆☆☆☆です。
ここに泊まるのが、
このツアーの目玉のひとつでもありました。
これまでは1泊しては移動でしたが、
2連泊なので、
気分的に落ち着きます。


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村人たちの目撃情報の詳細を下記します。
(Wikipediaより)

15人の目撃者たちは、
5歳から75歳までの男女で、
その日の夜8時ころから、
激しい雨の中、
2時間以上もロザリオの祈りを唱えていた。
その時、
出現が始まった。

(見えたものは上述の通り)

あたりは暗くなりかけていたのに、
程よい明るさの光が射してきたので、
マリアたちの姿をはっきりと見ることができた。
その姿は揺れもせず、
動きもしなかった。

出現の間、
地面は乾き切っていた。
出現が終わると、
地面は濡れており、
教会の切妻壁は暗くなっていた。


◎  Happy Birthday 

Glenlo Abbey Hotel.
18世紀の修道院だった建物を改装したホテル。
客室は僅か46。

内部は、
修道院というより、
宮殿のような装飾です。
撮ってきた写真を見ると照明ばかりですが、
それを紹介しておきます。

その後は、
私の旅行記では滅多に出て来ない食事の写真です。


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エントランス脇の、
ロビーというより応接間という感じの部屋の天井です。



2DSC03899.jpg

その隣の、
控えの間みたいな、
小さな部屋の飾り棚。



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壁に取り付けられた照明。



4DSC03919.jpg

部屋の隅の小卓の上のスタンドと・・・



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スタンドの笠。


この夜はホテルのレストランで夕食でした。


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スターターはシーザーサラダを選びました。
他にパンがつきます。

旅行中の食事はほとんどの場合、
スターター、メイン、デザートのそれぞれを、
3〜4種類から選択する方式でした。

他の選択肢は、
野菜スープ、スモークサーモンでした。

スープはカップで出てきます。
決して大丼では出てきませんから、
分量は見当がつきます。

サラダはご覧の通り、
さほど大量でありません。

魚介類肉類の場合はものすごいボリュームのことがあります。
日本のレストランでならメインデッシュとして十分通用するほどの分量です。



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メインはビーフサーロインステーキ。

選択肢としては他に、
チキンまたは鱈のグリルがありました。

鱈にしようかビーフにしようか、
思案しましたが、
それまでビーフは食べていなかったので・・・

写真の撮り方が悪くて、
左上にチョッとしか見えませんが、
付け合わせに、
ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどの温野菜がどーんと出てきますので、
自分で皿に取ります。

旅行中の料理はみんな美味しかったのですが、
このビーフだけは、
堅くて美味しくありませんでした。

食後に添乗員が、
「日本じゃ、
お肉は柔らかければいい、みたいな感じがありますけど、
こういう、しっかりした堅さもいいですね」
といいました。
「そうですね」と答えたものの、
私には、もっと柔らかい方がよかったです。
(昔は堅いものが大好きだったのに、歯の老化です-----涙)



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デザートは洋梨のタルトとマンゴーシャーベット。
他の選択肢は、
フルーツサラダまたはシュークリームでした。

この後、
コーヒーか紅茶。


そのとき、
レストランのウエイターが2人、
"Happy birthday to you・・・"
と歌いながら出てきました。
そして。。。



9DSC03884.jpg

この皿が妻の前に置かれました。
誕生日だったのです。
海外旅行では、
旅行社が各人の生年月日を把握しているから、
こういうことになります。

ローソクが数十本?
いえ、2本だけでした。


夕方、
添乗員に耳打ちされました。
「今日のデナーのとき、
奥様の誕生祝いをしますから、
カメラを持って来て下さい。
奥様には内緒ですよ」

彼女の言葉通りにしました。
それで、
普段は撮らない食事写真が撮れました。

なお、献立は、
添乗員が旅の最後に、
見学箇所なども含めてメモにまとめてくれたので、
書くことができました。


◎  暇な1日 

妻の Happy Birthday を祝ってもらった後、
部屋に戻り、
早めに就寝しました。
妻は風邪気味だったのです。

写真は前回に続いてホテル内の飾りです。
(始めの2枚は電気スタンドのカバーの総)


1DSC03918.jpg

夜のうち、
ずーっと咳をしていたようです。
朝になって、
「今日は寝ている」といます。
それがいいと思い、
私も残ることにして、
添乗員に連絡しました。

今日の観光予定は、
船でイニシュモアという小島に行くのですが・・・



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みんなが出かけてしまったころ、
食堂へ行きました。
がらがらに空いていて、
窓際の席に案内されました。

風は冷たそうですが、
日が射してきて、
窓際はサンルームのようにポカポカです。

ゆっくり食べて、
ゆっくりコーヒーを飲んで、
部屋に戻ると10時でした。
こんなに遅い朝食はいつ以来でしょう?
ゆったりした気分になりました。



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妻は着替えてベッドに入ると、
スヤスヤ眠ってしまいました。
お医者さんの薬も貰ってきてあるのですが、
寝るのが何よりの薬です。

外は日が射しているので、
カメラを持って散歩に出ました。
(その写真は次回に-----)



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散歩から帰って、
様子を見に、
部屋に戻りましたが、
相変わらずよく眠っています。

今度はホテル内の散策です。
といっても小さなホテルですから、
時間はかかりません。
そのときの写真が、
前回と今日の分です。

本棚があって、
ソファがあるので、
写真集を見たりしました。

今頃、
一緒の人たちは島に渡って観光中、
間もなく昼食でしょう。
今日はロブスター料理の予定です。

今日はちょっと残念だった、
という気もしましたが、
ヨーロッパの外れまで来て、
何をしようということもない1日を、
こうやって過ごすのもいいじゃないかと思いました。



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この時間になると、
ホテル内で宿泊客は見掛けません。
気になっていた小部屋の前を通ると誰もいません。
パソコンが2台置いてあって、
いつ通っても誰かがいたのに・・・

部屋に入って触ってみると、
Windows XP ・・・
無料で使えるようです。
「これはよいものが見つかった」
と嬉しくなって、
少し遊んでから部屋に戻りました。



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妻は目を覚ましていました。
たっぷりと寝て調子はよさそうです。
ホッとしました。

午後2時を回っています。
「お昼を食べに行こうか」
と誘いました。

朝食、夕食のレストランとは別の、
地下のバーで軽食が食べられます。
サンドイッチと紅茶を頼みました。
サンドイッチは1皿にしましたが、
2人で余るほどでした。
その上ポテトチップが山のように盛り上げてありました。

妻は「夕飯は要らない」というので、
今日のディナーは1人で行くことにしました。

部屋に戻って、
妻はまた寝ます。
私はもう1度パソコンです。
日本語のブログはそのまま表示されますが、
日本語の入力はできません。
(設定変更? 多分無理だろうと思いました)

夕方になって部屋に戻りました。
やがて添乗員から、
夕食の案内の電話がありました。

こうして、
思いがけない、
長くて暇な1日が暮れました。


◎  散歩 

すやすや眠っている妻を部屋に残して散歩に出ました。
こういう古めかしいホテルのキーは、
大きな真鍮のタグが付いていて、
ポケットにずしりと持ち重りがします。
それにカメラとコートと・・・


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ホテルの門。
門の手前が公道、
ビュンビュンと車が通ります。

正面はホテル付属のゴルフ場(9ホール)。
ゴルフ場の向うはコリヴ川です。

ホテルの建物はここから左に、
英語でいう "Drive"(公道から建物までの私道)を200mほど走った所にあります。
さすがに広々としています。



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ホテル全景。
四角の塔とそれにつながる建物がチャペルで、
今も結婚式などに使われているようです。



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ホテル入り口の階段。
左の国旗がアイルランドで、
右がアメリカ。
日本のはありませんでした。



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ゴルフ場のはずれの方です。
この左側に打ちっぱなし練習場。
後側にクラブハウスがありました。



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だれもいないクラブハウスの前に、
植木鉢が数個並んでいて、
同じ種類、色の違う花が咲いていました。
「これがヒース?」と思い、
寄って見るとジャノメエリカです。
「なーんだ」と1枚だけ撮りました。

帰国してから調べてみると、
ヒース(heath)は、
本来はイギリス北部、アイルランドなどにおける荒地のことで、
独特の背の低い植物が群生する。
また、そのような植物のことを指してそう呼ぶ場合もあり、
秋に花を咲かせる野草。農耕に向かない痩せた土地、
泥炭地によく生えるといわれる。
主要な構成要素、あるいはそう呼ばれる植物はエリカ属などである。

(Wikipedia)

やっぱりこれがヒース?
でもジャノメエリカは春咲きます。
ここの鉢も今咲いています。
「ヒースは8月になると、
スコットランドやアイルランドの荒涼とした泥炭地を埋め尽くして咲く」
ということの関係は???
よく分かりません。



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ホテルとゴルフ場の間に、
3輛編成のオリエントエクスプレスが停車(?)しています。
今日はここで夕食だそうです。



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この席には花がありました。



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ホテルの外へ出ました。
公道を渡って、
向こう側の歩道を歩きました。
きれいな住宅が並んでいます。
ここも、
門を入って Drive を通って玄関に到着ですから、
立派なものです。
アイルランドの人は芝生をきれいに刈っておきます。
イギリス人と同じです。



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カエデだと思いますが、
春の紅葉です。


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写真を撮りながら暫く歩くと、
向こう側にレストランが見えました。
添乗員が今朝、
「お昼はホテルで食べて下さい。
外へ出ても何もありませんから」
といっていたのに・・・
でも、
よく見ると青い看板に、
"For Sale"(売り家)と出ています。
アイルランドも不景気だそうです。

そろそろ帰ることにして、
ホテル側の歩道に移って歩きます。



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いかにも郊外らしい小径。



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ホテルの敷地(ゴルフ場)が見えてきました。
すっかり青空になって、
暖かくなりました。



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ゴルフ場の上の白い雲。



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ホテルの建物が見えてきました。

ここはゴールウエイという街の郊外です。
ゴールウエイはアイルランド西部の中心都市、
そして学園都市だそうです。
近ければ街を歩いてみたかったのですが、
歩いて行くにはちょっと遠過ぎました。



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午前中には外から撮ったオリエントエクスプレス、
夜になって、
中からの撮影です。
ホテル側に差し向かい4人席、
ゴルフ場側に差し向かい2人席、
間に通路があります。



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2人席を与えられましたが、
妻が欠席なので、
1人で食べました。
隣の4人席はオール女性で、
そちらを向いて、
楽しい夕食でした。

食事中から雨となりました。
いつまで経っても発車しない列車、
プラットフォームには雨滴が跳ねていました。


◎  バレン高原 

成田出発から5日目の観光は、
「バレン高原」と「モハーの断崖」で、
そのあと最後の宿泊地ダブリン入りです。


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ゴールウエイ湾を望む地点でフォトストップです。
見えているのは湾内ですが、
海は大西洋になります。

アイルランド島は、
大ブリテン島と同様、
氷河期には厚い氷河に覆われ、
それが東から西へ移動し、
最後は大西洋に落ち込みました。
高い山は氷河に削り取られ、
今のなだらかな地形ができたそうです。



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少し陸側にカメラを向けると丘になっています。



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緑の丘の先に岩山が見えます。
バレン高原の始まりです。

ここまでの写真を撮ったあと、
バスはバレン高原の中心部に進みました。

バレン(Burren)とは、
アイルランド語の "Boíreann" (=石の多い場所)に由来するそうです。



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バスを降りて歩いて行くと、
こんな光景が広がっていました。

ヨーロッパ最大といわれる石灰岩カルスト地形の高原。
「まるで別の星に来たかと思われる奇観」
とガイドブックに書いてあります。

1651年に、
クロムウエルの軍隊が侵攻したとき、
ルドロウという士官がいったそうです。
「ここには、
人を溺れさせるに足る水もないし、
人を吊るす木もないし、
人を埋めるだけの土もない。
しかし、
石の隙間から栄養豊富な草が生え、
牛はよく肥えている」



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石灰岩が雨水に浸食されて、
面白い形を作っています。



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こんな荒涼とした所にも、
ドルメン(新石器時代から鉄器時代にかけて作られた巨石墳墓)があります。
巨大なので「巨人のテーブル」と呼ばれているとか。
紀元前4200 〜 2900 に作られたと推定されています。



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そばに人がいるので、
大きさが分かると思います。



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どうやって組立てたのでしょう?
土を盛って坂道を作って石を引揚げ、
そのあとで土を取り除く、
そんな方法もあるでしょうが、
ここに大量の土はありません。


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石の傍らには花も咲いていました。



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日が射して、
暖かそうに見えますが、
気温は低く、
風もあって、
かなり寒い日でした。


◎  モハーの断崖 

「モハーの断崖」は大西洋に切り立った断崖絶壁です。


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ビジターセンターに入って、
入場手続きをして、
そこからは、
各自が勝手に見てくることになりました。

ビジターセンター前の木像です。
右端に柵が見えて人が歩いている道を進みます。



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コースの続きが見えます。
左側の向うは海(大西洋)で、
正面の丘の向うも海です。
そこに断崖があります。


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突き当たる所から道が左右に分かれます。
その分岐点から左を見ると断崖が見えます。
海水面から200mあるそうです。

ビジターセンターには素晴らしい写真が展示してありました。
崖の壁面が赤みを帯びた夕方の光を受けていました。

しかし見学したのは11時過ぎ、
快晴の真昼でしたから、
そんな都合のよい光でありませんでした。



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浪でえぐられた洞穴を撮りました。

岩肌が層状になっています。
「黒い泥板岩と砂岩の層が美しい」
とガイドブックにありますが、
美しく撮れていません。



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反対側は光がよく当っていました。
丘の上に円筒形の見晴し台があります。
オブライアン塔といいます。



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人の顔に見えたので、
大きく撮ってみました。



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最初に、左の方へ進みました。
そしてオブライアン塔の方を見ると、
海中に岩の塔が立っていました。



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左コースは、
断崖の上を歩いているので、
断崖観察には適しません。
丘の上に牛がいました。



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牛のいる風景。



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タンポポと断崖。

来た道を戻って、
オブライアン塔の方に行くことにしました。



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見学時間が終わりそうなので、
塔まで行かずに戻りました。

この塔のある辺りの崖が最も高いのだそうですが、
海からとか、
空からとかでないと、
見ることができません。


バレン高原では陽射しがあっても寒かったのに、
ここではポカポカ陽気となりました。
今までには雨の日もありましたが、
天候に恵まれた旅だと思います。


◎  ダーティネリーズで昼食〜ダブリン到着 

2ヶ所の観光を終えて、
いよいよダブリンに向かいます。
途中で昼食でした。
食事場所は「ダーティネリーズ」というパブです。

ブログを書きながら、
今回のツアーのパンフレットを、
改めて見たら、
司馬遼太郎作品にも登場する、
歴史あるパブ「ダーティネリーズ」で昼食をどうぞ。

と書いてありました。
気に止めていなかったのですが、
今になって調べてみました。

司馬作品は、
「街道をゆく 愛蘭土紀行」です。
旅行中、
食事のときに、
この本のことを話題にしている人がいました。
こういう本を1册読んでから出かけたらよかったのかなと、
今になって思いますが・・・



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「ダーティネリーズ (Durty Nelly's) 」は、
1620年創立の古いパブだそうです。

この写真、
店の下の方が写っていませんが、
バスを降りた道路から撮りました。

パブの建つ地面は、
道路より大分低いので、
階段を降りて店に入ります。



2DSC03956.jpg

奥行きもありましたが、
横幅も広い店です。
2階の自転車、
面白いですね。

中はずいぶん広くて沢山の席がありましたが、
満席状態で混み合っていました。



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パブ兼レストランで食事のときは、
テーブルで食事をしますが、
飲み物はバーに行って、
注文し、
お金を払って、
席に持ち帰ります。

この写真の右の方に生ビールの器械がありました。
ギネスのハーフパイントを頼んで、
お金を払うと、
カウンター内の女の子が、
サンキュウーといって、
ニコッと笑って、
ビールの準備をしていましたが、
途中でどこかへ行ってしまいました。

「あれ!ビールは?」
といいそうになりましたが、
やがて帰ってきてグラスを渡してくれました。
グラスの縁から上に泡が盛り上がっています。
この辺の正確な仕上げに時間を掛けるらしいです。



4DSC03955.jpg

違い棚の陶磁器。
今になってみると
もう少し右の方を入れたらよかったのに。

由緒ある店だから、
回りの壁には写真だの額だの蝶の標本だの魚の剥製だの、
古めかしそうなものが沢山飾ってありました。

司馬遼太郎さんも、
この店で食べて、
取材していったのでしょうが、
何を書いたのか、
その内読んでみたいと思います。



5IMGP2132.jpg

例によってバスの窓からの撮影で、
ガラス面に雨滴と雨の流れた跡が見えます。

昼食後、
バスはダブリンに向かって走りましたが、
途中で雨にあいました。
一日の中に四季があって、
晴れも曇りも雨もある国です。



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バスはダブリンの市内に入り、
街の中心を流れるリフィ川を渡ります。



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繁華街に入ってきました。
実像と虚像と混在です。



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ビルのガラス窓に写る風景。
ちょうど信号待ちで、
バスが止まってくれました。

旅も最終段階に入りますが、
ダブリンに3泊ですから、
アイルランド紀行はまだ続きます。


◎  モナスターボイス 

ダブリンに1泊した翌日は、
市内から北西に60kmほど離れた地区の遺跡観光です。


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朝の内は曇りでした。
ホテルを出発して、
リフィ川を渡って北上します。

繁華街を過ぎた辺りに建設中のマンション(アパート?)が沢山見えました。
(窓から撮れなかったので写真はありませんが・・・)
建設を始めたけれど不況、
経済事情の悪化で中止になったままだそうです。



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バスが走っているうちにだんだんと晴れてきました。



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バスを降りて少し歩くと、
先端の壊れた高い塔が見えてきました。

最初の見学地、
モナスターボイスです。
"Monasterboice"はボイスの修道院という意味のようです。

その修道院の創立は5世紀で、
今では円塔 (Round Tower) とケルトの十字架 (High cross) が残るだけです。

円塔は高さが35mあり、
10世紀(968年以降)に建設されましたが、
1098年の火災で損傷して、
先端が壊れました。



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敷地内に入ると塔の全景が見えます。
手すりの付いた階段があって、
そこが入り口ですが、
扉が閉じていて入れません。



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円塔の他にケルトの十字架(ハイクロス)が沢山あります。



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最大の(高さ5.5m)ハイクロスです。
これはアイルランド中で最も美しいとされているそうです。
女性は、
われわれのガイドさんです。

ハイクロスは石造で、
聖書の物語がぎっしりと刻んであります。
文字の読めない人たちに教えるために使われました。



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こちらの面の十字の中心は、
キリストの「磔刑」です。
十字架に架けられたキリストを、
2人の兵士が左右から槍で突いています。



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反対側は「最後の審判」です。
キリストが死者を蘇らせて審判を下しています。
永遠の命を与えられた者はキリストの右側に、
地獄に墜ちる者は左側に送られます。



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近くにナノハナ畑がありました。
アイルランドでナノハナを植えるようになったのは最近のことだそうです。

ここからバスで次へ移動します。
ボイン川沿いにある古代遺跡、
ニューグレンジ(世界遺産)に向かいます。

ガイドさんは、
「ボインなんて、いい名前の川でしょ?」
とかいってニッコリしました。


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【追記】

本文に、
モナスターボイス (Monasterboice) は「ボイスの修道院」という意味のようです。
と書きましたが、
"boice" は "St.Buithe" という聖人の名(アイルランド語)の英語読みです。
従って、
「モナスターボイス」とは「聖ボイスの修道院」という意味になります。
またボイン川の名もこの聖人に因むそうです。

この聖人はアイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックの後継者で、
聖ボイスが亡くなったとき、
天から梯子が降りてきて、
ボイスはそれを使って天に昇ったという伝説があるそうです。


◎  ボイン川〜ニューグレンジ 

駐車場でバスを降りて、
少し歩くとビジターセンターがあります。

ニューグレンジを団体で観光するには、
あらかじめ予約申込をしておいて、
所定の時刻までにビジターセンターに行って、
待機していなければなりません。

センターには、
新石器時代の紹介コーナーや、
お土産コーナー、
レストランなどがあります。

所定の時間になると、
館外に出て、
マイクロバスの乗り場へ行きます。
バスの発車時刻を書いたワッペンをもらって、
見える所に貼付けます。


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バス乗り場まではちょっと距離がありました。
まずボイン川を渡ります。
川の上流です。
ニューグレンジはこちらにあります。



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上の写真と同じ方向で、
ズームをいっぱいに伸ばすと、
草を食む羊が見えました。



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下流です。
ここから14kmで河口に達し、
アイリッシュ海に注ぎます。



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この吊り橋渡って進みます。
専用シャトルバスの待合所に着いて、
待っていると、
見学の済んだ人たちを乗せたバスが、
2〜3台続いてきます。
ワッペンチェックを受けて、
バスに乗り込み、
しばらく走ります。



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バスを降りて、
ゲートを通って、
小径を昇ると、
ニューグレンジのマウンドが見えますが、
ここで待機です。

右端に黒い所が見えますが、
そこが入り口になります。

今にも雨が降り出しそうな黒雲が出ていましたが、
幸い帰りまで降られませんでした。



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広い芝生を刈っているところでした。
待機の暇つぶしに、
芝刈り作業を見ていました。



7IMGP2286.jpg

芝生の外側の見晴らしです。

あっちで待機、
こっちでも待機、
ようやく順番がきて、
見学が始まりました。

それは次回に・・・


◎  ニューグレンジ 

いよいよ順番が回ってきて、
内部に入ります。

中には、
ほのかに足元を照らす電灯はありますが、
真っ暗みたいなものですし、
撮影は禁止です。

それでパンフレットと、
お土産に買った薄っぺらなガイドブックの図や写真を
引用することにします。


1Newgrange.jpg
(パンフレットからの写真)

まず全景です。
昨日の写真は結局側面しか見えません。
全体を見るには空からしかないわけです。
右下に入り口があります。



2IMGP2295_20130625134905.jpg

入り口の左側。
上部に積んである白い小石は石英の石だそうです。



3IMGP2294.jpg

入り口正面です。
入り口の前に横長の大きな石が置いてあります。
この渦巻き文様は、
装飾でなくて宗教的な意味を持つそうです。

この石が邪魔をしていて入れません。
右横から見学用に作られた階段を使います。
(金属製の手すりがちょっと見えます)
見学が終わると左側の階段を使って外へ出ます。

入り口の上に黒い平板があって、
その上に白い石で囲まれた開口部があります。
これは太陽光の通り道で、
後で出てくる図面の "Roof Box" です。



4Newgrange.jpg
("concise guide to Newgrange" 表紙から)

中に入ります。
大きな石を組み立てた狭いトンネルになっています。
少し上り坂になっています。
進むにつれて暗くなります。
上の方に楕円形の光が見えますが、
これが "Roof Box" です。

左右に立っている石が、
後出の図で白く描かれている石です。



5Newgrange.jpg
("concise guide to Newgrange" から)


この見取り図によると、
マウンドの直径は約80m、
トンネル部の長さは約25mです。

周囲に並んでいる "GC1" などは、
サークルストーンと呼ばれる大きな石です。



6Newgrange.jpg
("concise guide to Newgrange" から)

上の図は横断面図です。
緩い坂に沿って、
立てて並べてある白い石が、
トンネルの横壁です。

下の図がトンネル部の平面図です。
奥が十字形になっていて、
3ヶ所の墓室があります。

墓室には入れませんが、
この十字の中央部に約20人が入れました。

ここの上部はドームになっていて、
天井が高いのです。
すべて石を積んだ構造ですが、
作られて以来5000年、
1滴の雨水も侵入していないそうです。

これを作ったのはケルト以前の原住民ですが、
この十字形はキリスト教の聖堂の原型のように思いました。

内部の電灯を全部消して、
実験してみせてくれました。
赤い矢印を書いておきましたが、
そこから光を入れると、
一番奥の墓室にまで光が届きます。
太陽の光がこの向きになるのは冬至の日だそうです。

冬至の太陽が登るにつれて、
光がだんだん奥の方へ伸びてくる光景は素晴らしいそうです。

見学を終えて出てくると、
次の人たちが入り口で待っていました。



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外へ出て、
マウンドを1周しました。
90度毎に文様を刻んだ石が置いてあります。
文様は少しずつ違います。



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入り口の丁度反対側です。



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石の拡大です。



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回り終えたところです。
マウンドの右側に並んでいる石がサークルストーンです。



見学を終えると、
マイクロバスでビジターセンターまで戻り、
駐車場で観光バスに乗換えて、
近くのパブで遅い(3時半)昼食。
そのあと「タラの丘」に向いました。


◎  タラの丘 

タラの丘はアイルランドの聖地です。

美しい丘にかすかに遺構を残すのがタラの丘だ。
紀元前200年頃からアイルランドに移住してきたケルト人が
瞬く間に先住民族を駆逐し、
大小の国を形成した。
やがて王の中の王タラを中心に緩やかな連合王国を形成した。
タラの王は絶対的な行政権はもたない宗教色の強い象徴的な存在であった。
やがてタラを中心とする地域は聖地となり繁栄。
キリスト教が入り込むようになってからは衰退したが、
聖地としてケルトの人々の心に現在も生き続けている。
移民として各地に散ったアイルランド人にとって、
「タラに帰る」という言葉は、
「アイリッシュとしての心・望郷」
という意味があるという。

(「地球の歩き方」から)


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駐車場でバスを降りて、
タラの丘に向かうと、
まず出会うのが、
この丘を衰退させたとされる、
キリスト教の伝道者、
聖パトリックの像です。

アイルランドにキリスト教を広めようとした聖パトリックは、
まず最初、
タラの丘に来て、
ここに存在する強力な古代宗教と対決しなければならなかった、
と伝えられています。
(聖パトリックがタラに来たのは433年)

古代アイルランドの宗教と神話では、
タラは、
神の住処であり、
別世界への入り口でした。
その世界は、
老いることも死ぬこともない、
永遠の喜びに満ちていました。

タラに先住民族が来たのは今から6000年前で、
彼らもここに墓地を作り、
聖なる土地としていました。



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柵の扉を開けて入ると、
1822年に建てられた教会があります。
現在ではタラの丘の解説センターとして使われていますが、
立寄りませんでした。

写真右端にある青いバケツの所から階段を昇って、
タラの丘へ上がります。



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昇り切る前にこんな石が見えました。
写真ほぼ中央の短冊形の石ですが、
これはケルトの豊饒の神の姿だそうです。
かつては、
もっと多数の石(遺跡)があったとのことです。



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いよいよ丘の上に出ました。

タラ(Tara=Teamhair)とは「偉大なる繁栄」という意味で、
面積は100エーカー(約40ha)、
現在は国有地です。

標高は500ft(約150m)ですが、
晴れた日には、
ここからアイルランドの半分が見えるといわれています。

写真中央の奥を目指して歩きました。



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目指したのはこの石です。
タラで最も有名な遺跡、
「運命の石」と呼ばれています。
男根をかたどったものといわれ、
豊饒を示すと考えられています。

この石の回りに王たちが集まって、
王たちの中の王、
つまりタラの王を決めました。
その地位にふさわしい人が触れると、
この石はうなり声を上げたそうです。

王選びは紛糾することなく、
地位にふさわしい王が手を挙げ、
他の王たちはみな賛成して、
あっさりと決まったそうです。
とガイドさんが、
見てきたような説明をしてくれました。

「運命の石」は別の場所にあったのですが、
1798年のタラ戦争で、
イギリス軍に殺されたアイルランド兵士、
約400人が葬られたこの場所に、
1824年に移設されたそうです。



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本来はなだらかな丘だと思うのですが、
人工的な感じの凹凸が見えます。

砦や堀の跡があったらしいので、
もう少し注意深く撮ったり、
ガイドさんに聞いたり、
しておけばよかったのですが・・・



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ほんとにアイルランドの半分が見えるような気もします。



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望遠で引き寄せて見ています。



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丘の端っこに木があって、
何か沢山ぶら下がっています。
ハンケチでも靴下でも、
何でもよいから持ち物を下げると、
望みが叶うとか、幸せになるとか、
ガイドさんがいいましたが、
われわれのグループでは誰も何も下げませんでした。
満ち足りた人ばかりのようです。



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さっきの「運命の石」を振り返りました。
もう1本の石が立っています。
何だったろう?
と思っていますが、思い出せません。
いろんな資料を見ても、
1本の写真しかありませんから、
撮らなくてもよかったようですが・・・



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丘の隅っこにハイクロスがありました。



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長い石垣は宴会場の跡。
3年に1度、
アイルランドの王や王女たちが集まって、
祭礼を行い宴会を開いたそうです。

この石垣の右端から降りて、
駐車場へ戻りました。


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タラの丘へは初めて行きました。
しかし「タラ」という地名には懐かしさを感じます。

それはマーガレット・ミッチェルの長編小説、
そして映画としても有名な、
「風と共に去りぬ」に出てくる名だからでしょう。

この小説のヒロイン、スカーレット・オハラの父親は、
アイルランドからの移民で、
1代にして、
アメリカ南部で、
大農場の主となりました。
彼は故郷の聖地「タラ」を農場の名としたのです。
ちなみに映画の主題曲は「タラのテーマ」です。

1991年、
「風と共に去りぬ」の続編として、
「スカーレット」が出版されました。
(著者はアレクサンドラ・リプリー)
その後半で、
物語の舞台はアイルランドに移ります。
スカーレットは、
父の故郷「タラ」に帰ったのです。


◎  ダブリン夕景 

観光を終えて、
ダブリンに戻ってきました。

時刻的には夕方なので、
題名を「ダブリン夕景」としましたが、
日暮れが遅いから、
夕景らしくありません。
それで時刻を入れることにしました。


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【17:47】
市内に戻ってきたバスの窓からです。

ホテルに着いて、
一息入れてからちょっと出かけました。



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【18:25】
ホテルのすぐそばに、
セント・ステーブンス・グリーンという公園があります。
広い芝生があって、
くつろいでいる人たちが見えます。

公園の4隅に入り口(門)があります。
ホテル側と対角位置の門を出ると、
スーパーがあるというので、
行ってみました。



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【18:34】
公園の中です。



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【18:40】
門を出ました。



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【18:42】
大きなショッピングセンターの中で、
スーパーはこの奥にありました。
19時閉店ということで、
ひと回りしてみただけでした。



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【19:06】
立派な街灯がありましたが、
まだ点灯していません。



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【19:16】
ショーウィンドウに樹木が写っていました。



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【19:17】



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【19:17】
まだ暗くはならないのですが、
空気が冷たくなってきたので、
ホテルに戻ることにしました。



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【21:17】
夕焼け。
ホテルの部屋から。

明日の予定は、
ダブリン市内観光〜自由行動。
そして明後日は帰国です。


◎  聖パトリック大聖堂 

観光最終日は晴れて、
暖かな日になりました。

市内観光の最初は聖パトリック大聖堂です。
入り口で貰ったパンフレット(日本語版)の冒頭部分を引用します。

聖パトリックは、
かつて大聖堂のそばの公園にあった井戸でキリスト教への改宗者を洗礼しました。
教会は、聖パトリックとの協力により5世紀よりこの場に存在しています。

1191年、ノルマン人がこの場に石造の教会を建てました。
これが13世紀初頭に再建され、
今日我々が目にする建造物となりました。
1370年、火災を経てマイノット大主教により西塔が再建。
1749年には尖塔部が加えられました。

聖パトリック大聖堂は、
長い歴史を通してアイルランド人の生活に貢献してきました。
ジョナサン・スイフトは、
1713年〜1745年の主任司祭でした。

-----以下略-----



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大聖堂全景。
典型的なゴシック建築です。



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この部分の内部に祭壇があります。



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バラと塔。



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聖堂の内部に入りました。
身廊部(奥が祭壇)の天井(ヴォールト)です。



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身廊天井見上げ。



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柱とリブ。



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ジョナサン・スイフトの墓標(床面)。
「ガリバー旅行記」の作家として有名ですが、
ここの主任司祭を勤めました。



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ジョナサン・スイフトの胸像。



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アイルランド連隊旗。



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説教台下部の彫刻。



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第1次、第2次世界大戦戦死者慰霊碑。

第1次大戦の頃、
アイルランドはまだ独立していませでしたから、
イギリス軍として、
ドイツと戦いました。
日本もドイツと戦いましたから友軍でした。

第2次大戦の時はアイルランド共和国になっていました。
そして日本とは敵対したことを思うと、
複雑な気持ちです。

毎年11月に、
大統領も出席して、
英霊記念日の式典が、
この第聖堂で行われているそうです。



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ステンドグラスはすべて、
オリジナルでなく、
19世紀後半以後に作られたものだそうです。



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組紐文様のステンドグラス。



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見学を終えて外へ出ると、
サンザシの赤い花が咲いていました。



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キングサリの花も咲いていました。


◎  トリニティ・カレッジ〜国立美術館 

聖パトリック大聖堂の次はトリニティ・カレッジです。

1592年にエリザベス1世によって創設されたアイルランド最古の大学で、
昨日の記事で名前が出てきたジョナサン・スイフトや
作家のオスカー・ワイルドなどが、
卒業生だそうです。


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大学の中庭です。
ここで行列しているのは、
「ケルズの書」を見るためです。



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待ち時間が長いので、
学内を少し回ってきました。
どれが何の建物か分かりませんが、
みんな石造りです。


ようやく順番になって、
中に入りました。
「ケルズの書」を解説するコーナーがあって、
その奥のガラスケースの中に、
本物が2枚展示されていました。
(撮影不可です)

ケルズの書(The Book of Kells)は、
8世紀に制作された聖書の手写本。
三大ケルト装飾写本のひとつとされ、
アイルランドの国宝となっており、
世界で最も美しい本とも呼ばれる。

縦33cm、横24cm。
豪華なケルト文様による装飾が施された典礼用の福音書で、
四福音書(マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書)が収められている。
現在は、ダブリン大学のトリニティー・カレッジ博物館に所蔵されている。

(Wikipediaより)

「ケルズの書」は全部で340枚あり、
ベラム紙という牛の皮で作った書写材が使われています。

写真があったので3枚を紹介します。



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キリストの図です。



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十字架の図だといったような気がしますが・・・



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福音書はラテン語で書かれています。



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オールド・ライブラリー。
(古い書物と有名人の胸像)

「ケルズの書」を見た後は図書館です。
300万冊の蔵書が8つの図書館に収められているとのことですが、
この最古の建物には古い蔵書20万冊があるそうです。



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「ケルズの書」を見た人がみんな来ますから、
観覧者でいっぱいです。



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テーブルの上に古い本が広げてあったので撮りました。
これはアラビア語で書かれた帝王切開です。



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図書館を見て、
トリニティ大学を後にして、
次は国立考古学・歴史博物館でした。
ここには「タラのブローチ」という国宝があります。
撮ったのですがブレブレでボツです。

市内観光はここまで。
以後は自由行動になるのですが、
全員が行くというので、
国立美術館まで行って、
そこで解散になりました。



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「手紙を書く婦人と召使」(フェルメール)。

アイルランド国立美術館の目玉のひとつです。

トリニティ・カレッジは入館料が必要でしたが、
国立の博物館、美術館は、
イギリス同様に無料です。
経済的に苦しい国なのでしょうが・・・

この後は街歩きです。


◎  ダブリン街歩き 

自由行動になって、
美術館の後は、
大好きな街歩きです。

今まで、
ベルファスト、ロンドンデリー、ゴールウエイと
市街地は通過しただけで、
街歩きの機会がありませんでした。

前夜に機会はあったのですが、
風邪気味になっていたので、
夜風は避けることにして、
早めにホテルに戻りました。

最終日のこの日は好天に恵まれ、
暖かい日となりましたので、
ラストチャンスでした。


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市街を通るバス。
車体にコマーシャルが描かれるのは世界共通になっています。
アイルランドもかつては大英帝国の1部でしたから、
イギリスと同様の2階建バスです。
繁華街から歩いてホテルに帰れるので、
乗ってみる機会はありませんでしたが・・・



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ぶらぶら歩いていると、
土産物屋の店先に、
シュールリアリズムの画家ダリの、
「柔らかい時計」と思われる、
グニャリと曲がった時計が並べてありました。

ダリはスペイン人です。
どういう縁でここに時計があるのでしょう?



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シャーロック・ホームズ。
パイプ屋さんです。

ここはロンドン?
と思わせました。



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グラフトン・ストリート。
歩行者天国になっています。
ガイドブックには、
「ストリート・ミュージシャンが多いおしゃれな通り」
と書いてありましたが、
ミュージシャンに出会いませんでした。
パフォーマーはいましたが・・・



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この黄色いパフォーマーは、
何をやろうとしているのか分かりませんでした。



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5人の大掛かりな銅像ショーです。
時々姿勢を変えたり、
犬の前の帽子にお金が入ると、
スローモーションでお辞儀したりしていました。



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写真を撮っていたのは私だけでありません。



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誰かを待っているのでしょう。
多分恋人と待ち合わせでしょう。
ショーウインドウのマネキンも誰かを待っているようです。



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こちらの2人は、
どこかで待ち合わせしたのでしょう、
楽しそうに歩いています。


明日は早朝にホテルを発って帰国の旅につきます。
長い1日になりますので、
名残惜しいですが、
この後、
お土産を少々買ったりして、
ホテルに戻りました。


ほぼ1ヶ月に亘って綴ってきた「アイルランド紀行」は、
これをもって終わりと致します。
長い間のお付き合い、有難うございました。


◎  ダブリンの扉 

アイルランド紀行の追記です。

最初に、
イギリスとアイルランドの関係についてちょっと・・・

17世紀半ばに、
クロムウエル率いるイギリス軍がアイルランドに侵攻し、
人民を虐殺し、
土地を収奪して、
イギリス人の地主たちに分配し、
アイルランド人を小作人にしてしまいました。
つまりアイルランドの植民地化です。

クロムウエルはプロテスタントでしたから、
プロテスタントに非ずば人に非ずとなり、
カトリックのアイルランド人は蔑視されました。

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ダブリン市内観光の日、
ホテルを出発したわれわれのバスは乗用車と接触事故を起こして、
その処理で15分ばかり停車しました。

ガイドさんが、
道路沿いに建つアパートのドアが面白いから、
バスから降りてご覧になったらいいです。
と教えてくれました。


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各戸の扉とその両側の柱はみんな別々です。

ダブリンのアパートについて説明しますと、
地上4階、地下1階の建物です。
縦割りになっていて、
1戸の家が上から下までを使うようになっています。

緑の扉の家の左側に鉄柵が L字型に設置されていますが、
この鉄柵で囲まれた部分が掘りこまれていて、
地階の明り取りになっています。



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ジョージアン様式と呼ばれる建物だそうで、
イギリスにジョージという王様が続いた時代(1世〜4世)、
18世紀に発達したデザインで、
特に集合住宅として普及したものだそうです。



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現在では、
住宅としてよりも、
オフィスなどとして使われている場合が多いそうです。



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司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」から、
孫引きになるのですが、
福原麟太郎の「イギリス気質」という随筆集に載っているというお話です。

六十の老婦人が、
ロンドンの南にある保養地にゆき、
旧知の八十の老婦人を訪ねて、
夜更けまで話しこんだ。
近所の教会の時計が十一時を打ったから帰ろうとすると、
八十の老婦人のほうが真顔になって、
「あなた、あの時計をお信じなすってはいけません。
あれはカトリックの寺ですわ」


また、
別の本に、
英国婦人が家じゅうをみがきあげて、
ドアのノブまで磨いている。
磨きつつ、
「カトリックはこんなことをしないでしょう」




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バスが停まっている間に撮った写真です。

1枚目の写真の緑の扉の家です。
ここは個人の住宅でしょうか、
この家の奥さんと思われる女性が、
一生懸命にドアのノブを磨いていました。

何気なく撮ったのですが、
上の随筆を読んでから見ると、
妙な気がしてきます。

この奥さん、
ドアのノブを磨いているから、
カトリックでない???

アイルランド人の9割以上がカトリックだといいますから、
この奥さんがカトリックである確率は非常に高いわけですが・・・



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