Photo & Essay

◎  巾着田からの帰り道 

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曼珠沙華群生地の一番奥にある木の橋。

ここで折り返して帰ります。



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橋脚部。



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案山子。

巾着田は、
その名の通り田んぼです。
ギリシャ文字のΩ型に湾曲した川の内側が田んぼで、
田んぼの外周、
つまり川沿いに林があって、
そこが曼珠沙華の群生地になっています。

休耕田になっているのでしょう、
観光客の為の駐車場にしたり、
コスモス畑にしたり・・・
(先日の台風でコスモスはみんな倒れてしまって・・・)
田んぼは、
ごく一部しか残っていません。

その僅かな田んぼに案山子がずらり並んでいました。
観光客向けのようです。

ひときわ大きい、
黒衣装の案山子が目立ちます。
見ていた人が、
「あれはマツコデラックスだ」



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コムラサキの紫の実が日を浴びて輝いていました。

近くに曼珠沙華が咲いていましたので、
コラボを狙ったのですが、
風で手前の葉が揺れて、
コムラサキの実が見えたり隠れたり・・・
曼珠沙華も紅葉のように見えたり・・・



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山荘風の小さなレストランで遅めの昼食でした。
戸外のバルコニー風の席で食べました。
その席からの空です。



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農家の裏庭に井戸があって、
手押しポンプが・・・

きれいに赤錆していて、
まるで塗装したようです。

水が垂れているように見えますが、
残念ながら草です。


◎  高麗神社へ 

巾着田に曼珠沙華を見に行ったついでに、
高麗神社へ行きましたので、
その時の写真を載せていきます。

今日は神社に着くまで。


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コスモス。



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ハナナス。

生け花などに用いる観賞用です。



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農家の車庫。



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シュロと青空。



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イネ。

わが家の近くは畑だけで、
田んぼがないので、
イネは珍しくて、
ついカメラを向けます。



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巾着田から高麗神社まで2.3km。
殆どは車道の端っこを怖々歩きましたが、
最後の方は、こんな田舎道で、
気持ちよく歩けました。



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この小径を抜けると高麗神社です。

続きは明日。


◎  高麗神社 

高麗神社に到着です。


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鳥居。

奥は深い杜、
のように見えますが、
そんなに深くありません。



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鳥居の額。

「高麗神社」と書いてあります。



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手水舎。



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手水舎の額。

「洗心」と書いてあります。
手を洗い、
口を漱ぐことは、
心を洗うことになるのでしょう。



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拝殿。



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拝殿の額。

ここには「高句麗神社」と、
「高」と「麗」の間に、
小さく「句」の文字が書いてあります。



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酒樽。

「高麗王」。
拝殿の向かって右側、
青いシャツの男性の向うに飾ってありました。


高麗神社(高句麗神社)。
高麗王。

説明は、
巾着田に行くために降りた西武池袋線、
高麗駅前にありました。



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駅前の案内板。

案内板の「1」〜「4」の説明文を、
書き写しましたので、
興味のある方はお読み下さい。

「1」
紀元前37年から668年、
朝鮮半島北部から中国東北部は
「高句麗(こうくり)」という巨大な国が所有していました。
しかし、
唐と新羅の連合軍との戦いに敗れ、
多くの高句麗人が海を渡り日本へ難を逃れました。

「2」
日本へ多くの渡来人がやってきました。
日本では高句麗のことを「高麗(こま)」と記し、
彼らのことを「高麗人(こまびと)」と呼びました。
高麗人は
東国7国(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野)にも住んでいました。

「3」
当時の政権の大和朝廷は、
716年武蔵国に「高麗郡」を置きました。
東国7国に住んでいた高麗人1799人は高麗郡に移住しました。
高句麗の王族であり、
すぐれた人物であった「若光(じゃっこう)」は、
高麗郡の郡司を命ぜられ、
郡を治めました。
当時、
未開地だった高麗郡内を開拓して、
産業を興すなど、
人々の生活を安定させました。
彼らはそこで、
生活の基盤を整え、
役所の建設や道の敷設など、
郡に必要な整備をしていきました。

「4」
高麗神社には高麗郡の郡司であった高麗王若光が祀られています。
現在に至るまで、
高麗王若光の直系によって護られており、
多数の参拝者が訪れています。
聖天院には「高麗王廟」など、
歴史的関わりの深い建造物があり、
多くの方々が訪れます。


「聖天院」は「巾着田」から「高麗神社」へ行く途中にありますが、
今回は立寄りませんでした。


◎  高麗家住宅 

高麗家は高麗王若光の子孫で、
代々高麗神社の神職を勤めてきました。

その住宅が高麗神社の裏手にあって、
国指定の重要文化財に指定されています。

普段は窓や戸を閉じているようですが、
この時期(巾着田の曼珠沙華)は自由に出入りできました。


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高麗家住宅全景。

左上にあるのは枝垂れ桜の大木です。
花の頃、茅葺き屋根を入れて写したいものです。

この住宅の建築年代は、
慶長年間(1596〜1615)と伝えられており、
高麗氏44代〜46代の頃の建築と考えられています。
(現在の当主は若光から数えて60代目)

1971年に重要文化財に指定され、
1976年〜1977年にかけて解体修理が行われ、
建設当初の姿を再現したものだそうです。



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表側格子。

この右側に入り口があります。



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パンフレットの平面図。

「土間」竃が設けられています。
「勝手(かって)」囲炉裏があり、ここで調理しました。
「表座敷(おもてざしき)」21畳の広さがあります。
「奥(おく)」客間で広さは10畳。
「四帖(よじょう)」奥に通される客はここから出入りしました。
「部屋(へや)」窓がなく壁で囲まれた部屋で、出産のときなどに使われました。



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表座敷。



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表座敷の屋根裏。



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勝手の囲炉裏。



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土間。



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裏庭の枯れた紫陽花。


◎  高句麗文化展 

高麗神社の境内に、
華やかな衣装が展示されていました。

誰も居ないし、
説明文もないし、
詳しいことは分かりませんが、
高句麗から渡来した頃の衣装を再現したものなのでしょう。


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左端。



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中央部。



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右端。



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左端の人形。



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右端の人形。



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高句麗文化展とは別なのですが、
最近作られたキャラクターのようです。

男の子が「トライくん」で、
女の子が「ミライちゃん」です。
1300年前の「渡来」から「未来」へという意味のようです。


巾着田からもっと近いと思って来てみたら、
ずいぶん遠かったので、
帰り道は写真も撮らず、
重い脚を引きずって歩きました。

高麗神社のことはこれで終わります。



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