上田城の桜
桜を追って
信越方面に行ってきました。
お城が5ヶ所と寺院が1ヶ所です。
早くからの計画でしたので
各地の開花が早くて
「桜を追って」のつもりだったのが
逃げ足が速く
追いかけきれませんでした。。。
まず最初は
長野県上田市にある上田城です。
パンフレット表紙にある2行は
乱世を生き抜いた真田幸村
真田氏の居城「上田城」
「上田城 千本桜まつり」が行われていましたが
行った日(4月20日)が最終日でしたから
染井吉野が大分散っていたのは仕方ありません。
枝垂れだけはきれいでした。
松代城(太鼓門と堀)
テンプレートを変更しました。
そして写真も少し大きくしました。
(ノートパソコンご使用の方は
f11 キーを押して「全画面表示」にしてご覧下さい)
松代城は
永禄3年(1560)頃
甲斐の武田信玄が越後の上杉謙信との
「川中島の戦い」の際に築いた海津城が
その始まりといわれている。
元和8年(1622)に真田信之が
上田城から移封されて以降
明治4年(1871)の廃藩置県までの約250年間
松代藩真田家の居城となった。
平成16年に第一次整備が完了し
太鼓門 北不明門 堀 土塁 などが復原された。
(門前の説明板より)
ということで
建物などは新しいのですが
桜は見頃でした。
太鼓門。
太鼓門の右側。
太鼓門の左側。
堀に浮かぶ花びら。
明日は城内の写真です。
松代城(城内)
堀に掛けられた橋を渡り
城内に入りました。

太鼓門の大柱のところで
記念撮影中でした。
画面の右外にカメラクルーがいました。
前からも撮りましたが
あえて後ろ姿をアップします。
いえいえ
決して不美人だったわけでありません。

城内から見る太鼓門。
門内は本丸跡だそうですが
石垣で囲まれた平地になっていて
桜の木が沢山植えてありました。
染井吉野だと思いますが
今回の桜の旅では
一番の見頃でした。

土塁の石垣、
本丸跡の一画に小高い土塁がありました。

土塁の上からの眺望。
4月の薔薇
何で薔薇なの?
とお思いでしょうが
お城めぐりの途中
「信州 夢ばらの里」
という観光農園に立寄ったのです。
どうして4月に薔薇が咲く?
ハウス栽培だからです。
ここでは
観光客に見せるためと
苗を売るために
栽培しているようでした。
観光バスが来て
客がどっと入ってくると
担当が1人ついて
植え方、育て方などの説明をやっているようでしたが
撮影の方が忙しくて
全く聞いていませんでした。




実は薔薇はオマケで
本命は「苺の食べ放題」だったのです。
でも ですね。
この農園の苺は
ちっとも美味しくなかったのです。
多分 繁盛しているせいです。
生っているのは小さくて
赤色が薄くて
とても熟しているとは思えない実ばっかりだったのです。
先きに着いた人たちが
食べ尽くしたのでしょう。
「食べ放題」の時間は30分
ということでしたが
みんな10分位でハウスを出てきました。
だから
薔薇は時間潰しに好都合でした。
また明日からは
お城と桜です。
高田城の夜桜
夕方早めにホテルに入りました。
妙高高原温泉にあるリゾートホテルです。
冬はスキー
夏はゴルフ
を楽しむホテルですから
温泉街にあるのではなくて
山の中の1軒宿みたいな感じです。
部屋に荷物をおいてすぐの
気ぜわしい夕食でした。
前日ホテルのHPを見たら
レストランでは
地元新潟の銘酒「雪中梅」「八海山」「久保田」
などの日本酒もご用意しております。
とのことだったので
どれを飲もうかと
楽しみにしていたのですが
酒なんか飲んでいる余裕はありませんでした。
夕食を終えるとすぐに出発です。
向かったのは高田市。
高田の夜桜は日本3大夜桜のひとつだそうですが
あとの二つ 分かりますか?
添乗員の話では
一が上野の夜桜で
二が弘前の夜桜だそうです。
上野も弘前も
桜の名所として有名ですが
夜桜として有名とは思っていませんでした。
日の暮れた山道をバスは走って
高田に向かいます。
夜桜なんて撮ったことがないけど
撮れるかな?
と心配していたのですが
それは杞憂に。。。
何故なら
すっかり終わっていたからです。
高田では4月3日に開花。
4月10日に満開。
そして行ったのが20日の夜です。
観桜会はこの夜をもって終了だそうです。

三重櫓。
城らしい建物はこれひとつです。

お堀の噴水。
遠くに見える桜はきれいなようですが
散りはてていて
赤い萼が残っているのです。

お堀沿いのボンボリ。
正面の橋は「極楽橋」。

お堀に映るボンボリ。

御神輿。
先ほどまで
お堀の回りを
ワッショイ ワッショイ
と担ぎ回っていました。
三重櫓の前で花火が上がって
4月4日からの観桜会は終了です。
またバスに乗って
山奥のホテルに戻りました。
雪の妙高高原
ホテルの回りには
雪をみることができました。
この冬
関東地方は大雪に見舞われましたが
普段豪雪の地方では少なかったと聞いていました。
残雪の具合が例年通りなのか
多いのか
少ないのか
聞いてこなかったので
分かりませんが・・・

妙高山(標高2454m)
(朝6時)
ホテルの部屋(9F)の窓からよく見えましたから
起きてすぐ
朝食に行く前
朝食の後
何度も撮りました。

見下ろすとゴルフ場がありますが
ここにも雪が・・・

廊下の窓からの風景。
陽当たりの悪い斜面のようです。

ホテル前です。
これは前日夕方の撮影です。
駐車場の雪を積み上げたのでしょうが
大きな山になっていました。
松本城(1)
2日目
まず行ったのは
国宝・松本城です。
お城近くの駐車場でバスを降りて
歩きました。
昨日は日曜日で
大混雑だったそうです。
今日は月曜日だから
よほど空いているだろうとのことでした。

中央が天守閣。
右側の低い方が乾小天守で
大天守との間に見える屋根は渡櫓。
左側の赤い欄干のある建物が月見櫓
その上に屋根だけ見えるのが辰巳付櫓
この2棟は泰平の世になってからの付け足しだそうです。

石垣。
細かな石が使ってありますが
当初からのものなのか
どうなのでしょう?

天守閣見上げ。
天守閣に昇ってみることにしました。
ずいぶん昔に昇ったことがあるはずですが
いつのことか思い出せません。

竪格子窓。(3階だったと思います)
外に桜があるのですが
ご覧の通りです。
殆どの花びらは散ってしまって
赤い萼が残っています。

窓から見下ろした堀。
白いのは桜の花びら----花筏です。
6階の内
4階まで行きましたが
その先が渋滞していて進まないので
最上階に昇ることは諦めて
降りることにしました。
外から写真を撮りたかったので・・・
松本城(2)
天守閣階段の
あまりの混雑と渋滞に
最上階まで登るのを諦めて
途中から降りてきました。
見ていると
そういう人たちも少なくありません。
最近
国宝の天守閣はみんな大混雑だそうです。

降りてくる途中で
外を撮りました。
天守閣が湾曲しているようにみえますが
そんなことはありません。
傾けて撮っただけです。
面白いので
あえてお見せします。
ピンクに見えている桜は
花でなく萼の色です。
赤い花が咲いているように見える木は
近くに行ってみたらカエデの赤い葉でした。
(次の写真)

カエデ。
木に名札があって
カエデ科 メブキショウ***
と書いてあるのですが
最後の方が風化していて
読めません。

カエデと天守閣。

堀と石垣と天守閣。
外に出て
堀を少し廻って
撮りました。

山桜。
入り口を出るときの撮影ですが
城内で
きれいに咲いていた桜はこれだけのようでした。
これで松本城の見学は終わりです。
光前寺(2)
光前寺の桜が続きます。




桜の花言葉を調べてみました。
いろいろとありましたが
「九つの花言葉」というのがありましたので
紹介しておきます。
その1:精神の美しさ
その2:しとやか
その3:優れた美人
その4:善良な教育
その5:独立
その6:神秘な心
その7:想いを託します
その8:あなたに微笑む
その9:私を忘れないで
それぞれが
何となく「そうだな」と思えますので
項目毎の解説を引用する必要もなかろうと思いますが
「善良な教育」だけは???でないでしょうか。
これは
小学生の頃
先生が押してくれた
「よくできました」のスタンプが桜のマークだった
ことによるそうです。
光前寺(3)
桜以外の花など。

石垣の木瓜。
積み上げられた石垣の
石の間に根を張っています。
いわゆる「ど根性・・・」と思ってみましたが・・・
推測ですが
短い苗を植え込んだのでしょう。

杉と連翹 (レンギョウ)。
参道の両側が高くなっていて
その上に
かなりの年数を経た杉が
ずらりと並んでいます。
その大きな杉の隣に
細いながらも
沢山の花を咲かせていました。

杉と苔。

紫陽花。
老いてなお美しく・・・
光前寺はこれで終わります。
高遠城址公園(1)
連載が長くなっていますが
信越桜の旅(4月20日〜21日)は
最後の訪問地となります。
高遠城址の小彼岸桜は有名ですが
これまで機会がなく
初めて見ることができました。
今年は桜が早かったので
高遠でも
もう終わっているのでは
と心配・・・というよりも
半ば諦めていたのですが
行ってみたら
思いのほか
楽しむことができました。

城址公園は小高い丘の上にあります。
バスが駐車場に着いて
見上げると
桜もきれいだし
この時刻には「雨」の予報だったのが
ご覧のように
少しではありますが
青空が見えて
嬉しいことでした。

桜雲橋(おううんきょう)からの眺め。

桜雲橋に降りかかる花吹雪。

白兎橋(はくとばし)。
橋の下の道には
桜の花びらが
一面に散り敷いていました。
ということで
木に残る桜もきれいでしたが
散る桜
散った桜が楽しめました。
高遠城址公園(2)
昨日は
散る桜(花吹雪)と
地面に散った桜でしたが
今日は
水に散った桜(花筏)です。

小川なのか
細長い水たまりなのか
分かりませんが
花びらが
びっしりと水面を埋めていました。

石の水鉢。

池。

池(部分)。
花びらは
地面に落ちるより
水に落ちた方が
美しいように思えました。
高遠城址公園(3)
高遠小彼岸桜の続きです。

どんどんと
散ってはいますが
ご覧の通り
花はいっぱい残っています。
これがみんな散ったら
どれだけの花屑になるのだろうと
思ってしまいます。

店も沢山出ています。

桜の向うに
立派な建物が見えます。
「高遠閣」です。
登録有形文化財だそうで
観光客の休憩所になっています。

東国三つ葉躑躅。
バスの駐車場に近いゲートから入りましたが
「高遠閣」のそばにあるゲートから
公園を出ました。
「進徳館」という
旧藩校を見たりしながら
坂を下ってきたら
咲いていました。
高遠は高遠氏が治めていましたが
武田信玄に侵略され
城は信玄によって拡張改築されました。
信玄の五男、仁科盛信が城主の時に
織田信長の嫡男、信忠に攻められ
城兵は玉砕して落城。
織田軍と戦った仁科盛信の姿は
後々まで語り継がれ
盛信の流した血は城内に植えられている
小彼岸桜の赤みになぞらえられているとのことです。
この城址公園の近くには
「絵島囲み屋敷」があります。(行ってみませんでしたが)
絵島は江戸城大奥の大年寄りで絶大な権力をもっていましたが
芝増上寺に墓参した帰りに芝居見物をした後
役者を招いて茶屋で宴会を催し
大奥の門限に遅れました。
対立する勢力にこれを咎められて
高遠藩お預け(事実上の流罪)となり
28年をここで過ごしました。
絵島の相手とされた役者、生島は三宅島に遠流。
春になると花見で賑わう城址には
悲しい物語が残されています。
信越桜紀行は
これで完了です。