Photo & Essay

◎  東京暮色 

「東京暮色」
たしか有馬稲子主演の映画がありました。
それとは全く無関係な、
単に東京都内で見た夕景色です。


夕焼け

上野の国立博物館で「宮廷のみやび--近衛家1000年の名宝」展を見ました。
1週間ほど前のことです。
午後から出かけましたので見終わったのは5時近くです。
博物館の前庭のユリノキの巨木の枝の向うに夕焼けが見えました。


夕日の茶室

博物館の裏側には日本庭園があり、
茶室もありますが、
いつでも見れるわけではなく、
ある特定の期間だけ入らせてくれます。
以前に見せて貰った時も夕方で、
茶室に夕日が当っていました。
(というわけで、この写真は別の日のものです)


夕月

上野駅の近くに来ると月が出ていました。
多分満月の2日前くらいです。
まさに「月は東に 日は西に」でした。
これに「菜の花」があれば蕪村の世界だったのですが・・・


夕焼け

これは次の日の夕方、
中央線信濃町駅の近くです。
枯れ木に強い西日が当って真っ赤でしたが、
コンデジがその色をよく捉えてくれました。


◎  彩翔亭 

彩翔亭

度々このブログで紹介している
所沢航空記念公園内の茶室の門です。。
(公園も茶室も県営です)


彩翔亭

門の横に茶室の名を書いた幟が立ててあります。

「彩」は埼玉を表しているのだと思います。
「埼」の「サイ」を「彩」に変えて、
埼玉県を「彩の国」といういい方があります。

「翔」はこの公園が日本最初の飛行場跡だから、
それに因んでいるのでしょう。


彩翔亭

門を入ると立派な建物があります。
正面の玄関はお座敷に入る場合に使うのだろうと思います。
私はここから入ったことがありません。
玄関は暗いようですが・・・


梅と雪柳

玄関の真ん中に梅と猫柳が大きな鉢に活けてありました。
ここにデンと置いてあったということは、
この日、
お座敷を使う予定がなかったのだろうと推理しています。


雪柳

少し暗いですが、
猫柳をアップで写しました。


彩翔亭

正面玄関の向かって右側にもうひとつ玄関があり、
ちょっとお茶を頂くときは、
こちらから入ります。
椅子席ですから靴のままでOKです。


彩翔亭

庭へ回るには上の建物の右側へ回ります。
お茶を飲みながら談笑しているご婦人方がいましたので、
ガラス戸の方は写さないで、
右端の丸い窓だけ撮りました。


紅梅

丸窓の奥の方に先日紹介した紅梅の木があります。
もう終りに近づいていますから、
アップは無理です。
遠くからなら綺麗に見えます。


紅梅が終わって、
白梅が見頃を向かえています。
今日の写真を撮ったのは先月26日で曇りでした。
そのあと晴れた日に白梅を撮ってきましたので、
次回に掲載します。


◎  千鳥ケ淵戦没者墓苑 

この前の日曜日に山種美術館へ行ってきました。
日本画の展覧会はあまり行かないのですが、
招待券を貰ったので、
行くことにしました。

この美術館は地下鉄東西線を九段下で降りて歩きます。
九段といえば靖国神社です。
大鳥居のある参道と平行に暫く歩いてから左に折れます。

この美術館からすぐ近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑があります。
今回は靖国神社には寄らないで
千鳥が淵の方へ参拝してきました。


千鳥が淵戦没者墓苑

遠く眺めた靖国神社の参道にはかなりの人が歩いていましたし、
観光バスも沢山並んでいました。
それに引きかえこちらの墓苑はひっそりと静まっていました。


(財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会のHPから引用しますと、

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
昭和34年(1959年)国によって建設され、
戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。
今から約60年前の大東亜戦争では、
広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。
この戦争に際し、
海外地域の戦場において、
多くの方々が戦没されました。
戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、
ご遺族にお渡し出来なかったものを、
この墓苑の納骨室に納めてあります。
いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。
現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。


当墓苑の敷地は約5000坪。
常緑樹を主とし、
そこに欅など落葉樹を交えるといった戦没者墓苑に相応しい厳かさ、
静けさを保つ工夫がなされました。
創建当時、低かった樹木は大きく成長し、
特に楠、欅などは鬱蒼と生い茂当墓苑の厳かさを一層感じさせてくれます。


六角堂の中には日本古代の豪族の寝棺を模した陶棺が据えられています。
そこには、昭和天皇から賜った金銅製の納骨壺が入っています。
その壺の中に、
海外のそれぞれの地域で亡くなられた方々を代表する御遺骨が納められています。



千鳥が淵戦没者墓苑

その六角堂に向かって左側に立っている石碑です。

御製
千鳥ケ淵戦没者墓苑
くにのため いのちささげしひとびとの
ことをおもへば むねせまりくる
雍仁親王妃勢津子謹書

と書いてあります。
墓苑創建の年の秋、
昭和天皇陛下から下賜された御製を秩父宮妃殿下が謹書され、
昭和35年(1960年)3月28日竣工したもの、
だそうです。


千鳥が淵戦没者墓苑

右側にも同じような石碑が立っています。

御製
戦なき世を歩みきて思ひ出ず
かの難き日を生きし人々
正仁親王妃華子謹書

と書いてあります。
終戦60周年を迎えるに当たり、
新春「歌会始の儀」で詠まれた今上陛下の御製を、
常陸宮妃殿下が謹書され、
平成17年(2005年)9月27日竣工したもの、
だそうです。


紅白梅

こちらの石碑の向うには紅白の梅が咲いていました。


白梅

角度を変えて撮りました。
白梅の向こうに見える緑の屋根が六角堂です。

畏れ多いので六角堂は屋根しか写してありませんが、
参拝の人影はまばらでも、
ずいぶん沢山の白菊の束が供えてありました。


◎  渋谷駅--忠犬ハチ公 

先日渋谷へ行きました。
渋谷へは滅多に行きません。
東急デパート内にある美術館、
Bunkamura ザ・ムージアムを見に行くときくらいす。


ハチ公

渋谷駅といえばハチ公の銅像が有名です。
帰りが早かったので、
寄ってみました。

ハチ公については
はっきりした知識がないので、
ウィキペディアで調べてみました。

(ハチ公は)1924年から東京帝国大学農学部の教授、
上野英三郎に飼われることになった。
上野の存命中は、
玄関先や門の前で上野を見送り、
時には最寄駅である渋谷駅まで送り迎えすることもあった。
上野の自宅は、
現東急百貨店本店(つまり美術館のある所)周辺と言われている。

1925年5月に上野が急死した後も、
毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたとされ、
東京朝日新聞の記事により世間一般に知れわたった。
主人を慕うハチの一途な姿は人々に感銘を与え、
「忠犬」と呼ばれるようになった。

1935年3月、フィラリアにより、
渋谷川の稲荷橋付近の路地で死去。
剥製は国立科学博物館に保存されている。

1934年4月、渋谷駅前に銅像が建てられ、
除幕式にはハチ自身も出席した。

ハチの銅像は第二次世界大戦中に金属資源不足により供出され、
現在のものは1948年8月に再建されたものである。


ずいぶん昔のお話です。
最初の銅像が作られたのは私が生まれる前のことです。
待ち合わせの場所としては有名でも、
銅像の人気はどうだうなのだろうかと思いながら、
行ってみました。


ハチ公

おばさんがハチ公を撮影していました。


ハチ公

若い子たちもケータイを振りかざしていました。


ハチ公

銅像は人気の割りに地味なものでした。
駅舎の壁の方が目立ちます。


◎  お祭り 

この前の日曜日(10/12)はお祭りでした。
よい天気でしたから、
ちょっと写真を撮ってきました。


お祭り

前方はゆるい下り坂です。
ぎっしりと人がいました。


お祭り

カメラを縦にして、
上まで写すと、
高層マンションが並んでいます。


お祭り

そんなマンションのひとつの前の広場に祭り屋台が置いてあって、
お囃子をやっていました。


お祭り

近づいてみると、
小太鼓を打っている女性がきれいです。
何枚か撮ったら、
ちょうど打ち手交替で、
男性に替わりましたから、
ラッキーでした。


お祭り

少し歩いて行くと別の屋台が道路にいました。
こちらはお囃子だけでなくて、
オカメさんが踊っています。


お祭り

屋台の前でおばさんたちも踊っていました。


お祭り

すぐそばにお神輿が一台休んでいて、
ちょうど出発するところでした。
担ぎ手はほとんど若い女性です。
どの子を撮ろうかと、
見定めているうちに、
目の前を通り過ぎてしまいました。
こちらはアンラッキーでした。

凄い人込みで、
先回りすることは不可能でした。
先頭の方に可愛い子を見つけたのに(涙)


◎  縛られ地蔵 

水元公園へ行く途中で、
縛られ地蔵尊を参拝しました。
所は東京都葛飾区東水元2丁目です。


南蔵院

山門の両側に黒御影石の石柱が立っています。
左側には、
「天台宗 業平山南蔵院」と、
右側には、
「縛られ地蔵尊」と、
書いてあります。


南蔵院

門を入って正面にあるのが地蔵堂です。

お寺で貰ってきたパンフレットから紹介します。

〔沿革〕
業平山南蔵院と称し、
貞和4年(約600年前)林能法師の開創に成り、
境内の地蔵堂にはしばられ地蔵尊を安置する。

開創当初は在原業平朝臣東下りの縁の地墨堤の畔にあり
業平山の山号はこれにより起こる。

寛永年間本所中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、
以来300年かの地に在り、
大正12年大震災の厄に遭い、
昭和4年現在地水元に転じた。



南蔵院

地蔵堂の左側に縛られ地蔵尊が安置されています。

お寺のパンフレットからの転載です。

〔縛られ地蔵の由来〕
享保年間8代将軍徳川吉宗の治世、
ある夏の昼下がり
日本橋のさる呉服問屋の手代が荷車に反物を満載して
南蔵院の門前を通りかかった。
ここらで一服と門前に車を止め
境内の銀杏の木陰に涼を取る内に
ついうとうととひと眠りしてしまった。
目が覚めてみるとさあ大変、
門前に置いた車がない。
青くなって番所へ・・・・・

そこで当時名奉行の聞こえ高い
大岡越前守忠相の直々の取調べとなった。

「寺の門前に立ちながら
泥棒の所業を黙って見ているとは
門前の地蔵も同罪なり、
直ちに縄打って召捕って参れ」
地蔵はぐるぐるに縛られ車に乗せられて
与力、同心に守られて江戸市中を引き回されて
南町奉行所へ・・・・・

物見高い江戸市中の野次馬連中、
どんな裁きが始まるかと
奉行所へなだれ込んだ。

頃を見計らった越前之守は門を閉じさせ、
「天下のお白州へ乱入するとは不届至極、
その罰として反物一反の過料を申し付ける」

鶴の一声で、
奉行所にはその日の内に反物の山ができた。
手代に調べさせると
その中から盗品が出て、
それからそれへと調べると
当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となった。

越前之守は地蔵尊の霊験に感謝し
立派なお堂を建立し
盛大な縄解き供養を行った。

以来「縛られ地蔵」と呼ばれ
盗難除け、足止め、厄除け、
さては縁結びまで
あらゆる願いごとを聞いて下さる地蔵尊として
お願いするときは縛り、
願いが叶えば縄解きする風習が生まれた。

今も幾百人もの願いごとを秘めて
縛られ続けている。



南蔵院

この通りぐるぐる巻きです。


◎  ポートレート 

題名をどうしようか思案しました。
ほんとは「飾り窓の女」にしたかったのですが、
それではあのアムステルダムの女と間違われそうで・・・


ポートレート

歳末の街、
黄昏の迫る頃。


ポートレート

白い胸飾りの女。
髪飾りで店の名前が分かってしまいますね。


ポートレート

白い帽子の女。


ポートレート

上の3枚とは別の店の飾り窓です。


◎  横浜美術館 

昨日は横浜美術館へ行ってきました。
展示は「セザンヌ主義」です。
展覧会については機会があればその内に、
ということにして、
今回は美術館とその周辺の写真です。


横浜美術館

この美術館へ来たのは久しぶりです。
大袈裟ないい方をすれば、
今世紀になって始めてです。

前回は桜木町駅から歩いたり、
動く歩道を利用したりして行きましたが、
今回は地下鉄みなとみらい線を使いました。
下車して地上に出ると、
目の前に美術館があります。
ずいぶん便利になりました。

古いことになりましたが、
(前世紀に)
ここで「ゴッホ展」を見たときは、
上の写真ではガランとしている広場いっぱいに、
九十九折りの行列をさせられて、
2時間待ちくらいでやっと入りました。
館内も満員、
通勤電車の中のようでした。

今日はすっと入れましたが、
写真で見る感じよりは混んでいました。


横浜美術館

美術館を出たら、
風が寒いので、
近くをぐるっと回っただけで帰りました。

帆船の日本丸は
帆が張られていない帆柱が寒々と見えました。


横浜美術館

周囲には高いビルが並んでいますので、
それをよけて、
帆柱の上の方だけです。


横浜美術館

東の方には大観覧車があります。
これも他のものを入れないで、
上部だけにしました。


横浜美術館

西の空は、
日暮れには早いのですが、
少し赤らんでいました。
一応
♪ ヨコハマ たそがれ ♪
です。


◎  甲州街道と内藤新宿 

新宿山の手七福神の2番目は太宗寺です。
この寺は新宿御苑の門のすぐそばにありました。

いろんなことを書いた掲示板がありました。
今回はそこから拾い読みした新宿の歴史です。


太宗寺

太宗寺の境内に入るとすぐに大きなお地蔵さまがありました。
この像についての話も次回に譲ります。


新宿御苑

新宿御苑内のプラタナス通り。


甲州道中と内藤新宿

〖内藤新宿の開設〗
徳川家康は江戸に幕府をj開いた直後、
五街道(東海道、中仙道、奥州道中、日光道中、甲州道中)の整備を行いました。

甲州道中(甲州街道)は慶長9年(1604)に整備が行われたもので、
江戸から甲府を経て
下諏訪で中仙道に合流します。

この街道の最初の宿場は高井戸(現杉並区)でしたが、
日本橋を出発して4里8丁(16.6km)もあったため、
人馬とも不便でした。

そこで浅草の名主喜兵衛は、
元禄10年(1696)に同志4名とともに、
ここ太宗寺の南東に宿場を開設するよう願い出ました。

この願いは翌年許可となり、
幕府は宿場開設の用地として、
譜代大名内藤家の下屋敷(現新宿御苑)の一部と
旗本朝倉氏の屋敷地などを上地(あげち)としてこれにあてました。

こうして「内藤新宿」は元禄12年(1699)2月に開設の運びとなり、
4月には業務を開始しました。

〖宿場の概要〗
「内藤新宿」は東西9町10間余(約999m)、
現在の四谷四丁目交差点(四谷大木戸)から
伊勢丹(追分と呼ばれ、甲州街道と青梅街道の分基点)あたりまで
続いていました。

江戸の出入り口にあたる4宿(品川、板橋、千住、新宿)の
ひとつとして繁栄しましたが、
それを支えたのが旅籠屋(はたごや)と茶屋でした。

これらには飯盛女と呼ばれる遊女が置かれましたが、
元禄15年(1702)には
当時幕府公認の遊興地であった吉原から
訴訟が出されるほど繁盛しました。

〖宿場の廃止と明和の立返り〗
このように大変な繁盛をみせた「内藤新宿」でしたが、
享保3年(1718)には開設わずか20年にして廃止となります。

これは利用客の少なさ、
旅籠屋の飯盛女がみだりに客を引き入れたこと、
旗本内藤新左衛門の弟大八が信濃屋の下男に殴られた事件
などが原因といわれますが、
八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」に伴う
風俗統制の影響もあったようです。

その後、
度重なる再興の願いにより、
明和9年(1772)に宿場は再興されました。



新宿御苑

新宿御苑の森と高層ビル。


◎  両国 

10月も中旬となり、
秋たけなわ、
芸術の秋ですから、
大小(小が多いのですが)の美術展を見て歩いています。

昨日は少し遠出をして、
東京両国へ行ってきました。


両国

江戸東京博物館で行われている「よみがえる浮世絵」展を見ました。
外は空と雲が美しい、
夏を思わせる日和でした。


浮世絵展


副題は「うるわしき大正新版画展」ですが、
「新版画」とは、
江戸時代の浮世絵版画と同様の技法によって制作された、
大正から昭和初期に興隆した木版画のことだそうです。
風前の灯だった伝統的な木版技術を復興し、
新たな芸術を生み出そうと版元、版画家、彫師、摺師らが結集し、
さまざまな画題の新版画が作られました。

面白いのは、
版画に魅せられた欧米人の版画家もいることです。
やっぱり違う、
という絵もあれば、
日本人画家かと見まがう作品を画いている人もいます。

日本人の版画家も、
江戸時代の真似ではなくて、
古いものを古典として参考にしつつも、
新しい趣向を加えています。

展覧会のあとは、
すぐ近くの旧安田庭園へ行ってみました。


旧安田庭園

この庭園は、
江戸時代の大名庭園で、
明治22年、
安田財閥の祖である安田善次郎が所有することとなり、
大正11年に彼の遺志にもとづいて
東京市に寄贈されたそうです。

時期的に、
花も紅葉もないので、
池を撮りました。


旧安田庭園

サギが1羽いました。


旧安田庭園

羽根を広げて見せてくれました。


旧安田庭園

カモは沢山泳いでいます。


旧安田庭園

コイも。


旧安田庭園

池に映る緑です。


旧安田庭園

この庭園に隣接する両国公会堂です。


◎  隅田川 

旧安田庭園から隅田川へ出ました。

隅田川

川縁の遊歩道に降りて少し歩くと黄色い橋が見えました。
蔵前橋です。


隅田川

橋脚です。


隅田川

川面に青空と橋の黄色が映って模様を作っていました。


隅田川

遊歩道の壁にこんな絵がありました。
昔の蔵前橋も黄色だったのでしょうか?


隅田川

江戸か明治か、
いつの時代か分かりませんが、
「両国の川開き」の絵でしょう。


隅田川

蔵前橋の欄干です。
両国らしく相撲の図柄でした。


隅田川

蔵前橋から上流の眺めです。
緑の橋は厩橋です。
橋を渡って江戸通りに入ると、
浅草橋問屋街なのですが、
祭日のため店は全部閉じていました。
楽しみにしていたのですが、
見学できず残念でした。


◎  川越祭り(オカメとヒョットコ) 

「カプリ島」はもう少し続けるつもりですが、
ちょっと中断して「お祭り」の写真です。

去る17日、18日、川越祭りが行われましたので、
18日の夕方にちょっと行ってきました。

今年はNHK朝の連ドラの舞台になった川越、
そしてドラマの中にも出てきたお祭りですから、
例年以上の人出だったのではないでしょうか。
(ドラマの評判はよくなかったようですが・・・)


川越祭り

とにかく、
大勢の人が出ていて賑やかでした。


川越祭り

山車で有名なお祭りですが、
今日の写真は、
山車の上や、
町内に設けられた舞台の上で、
笛太鼓に逢わせて踊るオカメやヒョットコです。


川越祭り



川越祭り



川越祭り

上のオカメさんが、
くるりと回るとこうなります。
顔の前後にお面を付けていました。


川越祭り



川越祭り



川越祭り

おキツネさんもいました。


川越祭り



川越祭りは、
『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、

埼玉県川越市の川越氷川神社の祭礼で関東三大祭の一つである。
一般には川越まつりと呼ばれている。
国の重要無形民俗文化財に指定されている。
川越まつりの特徴として、
氷川神社の神幸祭の付け祭りが発展したものが現在の川越まつりであり、
山車のお祭りである。
現在神田祭や三社祭などに見られるお神輿のお祭りではない。
山車の曳き回しと山車の舞台上での囃子の演奏がされる。


山車の写真も少し撮ってきたので、
それは次回の予定にします。


◎  川越祭り(山車) 

「川越祭り」の続き。
今日は主に山車の写真です。


川越祭り

山車の行列の先頭です。


川越祭り

引き綱を引かれて山車がゆっくりと進んできます。
山車の舞台には笛太鼓と踊り手が乗っていて賑やかです。
屋根の上にも数人が乗っています。
ここでは出ていませんが、
電線のないところにくると
人形を迫り上げます。


川越祭り

こんなおじさんがいました。


川越祭り

この山車では、
人形が上がっています。


川越祭り

下の方では面をつけて踊っています。


川越祭り

混雑の中で見かけました。
襟足がステキです。
前から見たら?
それはそれは美しい二人でした!


川越祭り

川越を有名にしている蔵作りの建物と山車です。


川越祭り

台車の上で、
屋台がぐるりと旋回できるようになっています。
山車同志が向き合ったり、
居囃子の踊り手と向かい合ったりできます。


川越祭り

秋の日は短く、
提灯に灯が入りました。


川越祭り

夜の方が賑やかなのですが、
この日は薄暮となったところで帰りました。


◎  天皇誕生日の銀座 

昨日は都心に出る用があったので、
ついでに銀座を歩いてみました。
天皇誕生日で晴天・無風の好日でしたから、
ホコテンの銀座通りは人(特に若い人)でいっぱいでした。

何を買うということもありませんが、
デパートにも入ってみました。
日ごろはガラガラの紳士物売り場が大混雑です。
それも若い女性がほとんどです。
多分クリスマスプレゼントを買いに来ているのです。
だから・・・スーツやコートの売り場に客はいません。
狙いは小物のようです。
そういう売り場のレジには長い行列ができていました。

たとえ小物でも貰える人は幸せです。
そして贈り物をする女性には、
必ずや神の恵みがあることでしょう。


銀座

ミキモトのクリスマスツリーです。


銀座

ツリーの根元の人形です。


銀座

これも同じです。


銀座

こちらはショーウィンドウの中です。
2枚撮りましたが、
こちらには女性が写っています。
もう1枚には男性(老人)が写っていました。
当然女性の方を選びます。


銀座

午後の光(西日)が強烈に射していました。
銀座通りは東西に走っています。
光(西)に向かって歩いている人たちがいました。
日がまぶしくて顔は見えませんが、
カッコよい男女のペアが腕を組んで、
整然と歩いて行き、
4丁目の交差点で立ち止まると、
回れ右をして、
こちらを向いて並びました。

カメラをまともに西日に向けての撮影でしたが、
こんな風に写っていました。
もっと遠くから撮ったのですが、
トリミングしました。

どういう人たちが、
何のために歩いていたのか分かりません。
とにかく、
みんなカッコいいです。


◎  銀座の飾り窓 

前回の続きです。


飾り窓

飾り窓の内外が混然と写っています。
暗くなってからの方が綺麗なのでしょうが、
明るいうちに帰りましたから仕方ありません。


飾り窓

立ち並ぶブランド店も賑わっていました。
ただし、客の数は多いですが、
商品が沢山売れたのかどうかは分かりません。
店の外から見てただけですから・・・


飾り窓

こちらはいつも撮らせて貰うデパートです。


飾り窓

前々回に新聞に載っていた俳句を紹介しましたが、
同じ日に載っていた短歌もひとつ。

マネキンはマネキンなれど怖々とスカート覗く少年がゐる     市川きつね

マネキンなら覗いても罪にならないでしょうね。
ましてこの人形なら覗くこともありません。


飾り窓

上の一部だけを撮りました。


飾り窓

この飾り窓を撮ったのは私ばかりでありません。
この女性の他にも何人かいました。


◎  レトロの店 

レトロの店

前回掲載の目黒不動へ行く途中、
こんな店がありました。
昭和の匂いが漂っています。


レトロの店

帰路に近寄ってみました。
中央上部は「米沢市」という標識です。


レトロの店

カメラを右の方に向けました。
「昭和浪漫倶楽部」の看板(表札?)が見えます。

写真の右端に白い鳥居みたいなものが見えますが、
それが下の写真です。


レトロの店

ここに駅があるわけでも、
電車が通っているわけでもありません。
「レトロの店」の前ではなくて、
隣り家の前なのですが・・・


- - - - - - - - - - 

今日は「2」の日です。
平成22年2月22日。

ふと思い出しましたが、
昭和22年2月22日は日曜日でした。
弟が
誰かに聞いたのか、
自分で発見したのか知りませんが、
「今日は『に』の日だ。
2が続いた後に日曜日の『に』がある」
といいました。
(私も弟も小学生でした)

平成の今日が日曜日でないのは残念でしたが、
「2」の日に徹して、
22時22分22秒にアップするよう予約投稿しておきます。
(ただし残念なことに、
ブログでは平成22年でなくて、
西暦2010年を使っていますが・・・)


◎  スカイツリー(1) 

9月28日快晴。
二天門から浅草寺境内を出て、
隅田川の堤防に登りました。


1虚と実と

ツリーは川の向こう側です。
堤防にフェンスがあって、
その間から見えました。

左が実像。
右がビルの側面に映る虚像。

ツリーは、
高さ的には完成しましたので、
ビルの高さが足りなくなってしまいました。


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吾妻橋を渡って、
隅田川の向こう岸へ。

さっきのビルのそばへ行くと、
今度はツリーの上の方だけが映っていました。


3IMGP4284.jpg

どんどん歩いて行くと、
ツリーが近くなって来て、
ファインダの視野に収まらなくなってきました。
カメラを斜めにして、何とか。。。


4IMGP4317.jpg

ツリーの上の方は、
どっちから見ても同じだし、
高いからバックは青空だけで、
代り映えしません。

ちょうど日が当たっていたので、
その輝きをポイントにというつもりで撮りましたが・・・


5IMGP4332.jpg

いっそ、いろいろと一緒に撮り込もうと、
「路地裏からのツリー」を撮ってみました。
蜘蛛の巣に掛かったツリーみたいになりました。


6IMGP4334.jpg

逆さツリーを撮りに行きましたが、
日当りの向きも悪いのだろうし、
風があって波があるし、
単なる影法師になりました。

個性的なスカイツリーを撮るのは至難の業と知りました。
富士山と同じことです。
とはいえ、
沢山撮ってあるので、
次回もツリーの予定です、


◎  スカイツリー(2) 

スカイツリー第2回です。

1IMGP4340.jpg

通りを歩くと、
銀行であれ、寺であれ、
ガラス窓のあるビルならばツリーを映しています。
(街の中のお寺はビルでした・・・)


2IMGP4346.jpg

マンションがありました。
布団も洗濯物も干してあります。


3IMGP4349.jpg

金属板のミラーが店先に置いてありました。
少ししゃがんで撮ると
先端が映ります。
青いのはミラーの色でありません。
空の色です。


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模型を作って、
飾っている店も・・・
売り物ではないようでした。


5IMGP4363.jpg

これはツリーとは無関係ですが、
面白いので・・・


6IMGP4367.jpg

帰る頃になってようやく、
雲が少し出てきました。
吾妻橋を渡ってからの撮影です。
(さっきの写真の種明かしです)


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別の日に撮った東京タワーです。
スカイツリーにすっかり人気を奪われてしまいましたが、
この姿は大好きです。


◎  よこはま 

横浜へ行って、
ぶらぶらしてきました。

表題を「よこはま」としました。
これは発音を示したつもりです。
文字としては「横浜」が普通ですが、
街を歩いていると「横濱」が目につきます。
古い建物の看板などに多いようですが、
懐古趣味なのでしょうか、
古くなくても使われていることもあるようです。

街ではあまり見かけませんが、
歌謡曲などでよく使われている「ヨコハマ」があります。
これは「福島」を「フクシマ」と呼ぶ場合とは違うように思います。

もう一つ "YOKOHAMA" もありますが、
これは外人向けということで、
全国共通でしょう。


6横浜パンフレット

観光案内の表紙。

みなとみらい駅で観光案内を見つけて、
持って出かけましたが、
少し変だと思ったら、
中国語版でした。
ということで上のような「よこはま」も発見しました。


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まず行ったのが「赤レンガ倉庫」です。
2号館を西側から見ています。
写真には写っていませんが、
右側にもう1棟、1号館があります。
築造年度は、
1号館が1913年、
2号館が1911年だそうですから、
2号館がちょうど築後100年になります。

100年も経ったということは、
「横濱」が似合いそうですが、
館内には若い女性向きの店が並んでいましたから、
「ヨコハマ」が似合いそうにも感じました。


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2号館を東側から見ています。


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正面と避雷針。


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窓は全部、2個ずつのペアです。


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海を隔てて大桟橋から。
ちょっと見分けにくいですが、
手前が1号館、奥が2号館です。
1号館は関東大震災で左側半分が壊れたそうです。

左端の白い半月形の・・・赤ければ西瓜の一切れみたいな・・・ビルは、
「ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル・ホテル」という、
長~い名前のホテルです。


◎  工作船 

「よこはま」の第2回ですが、
今回はちょっとキナ臭い話題です。

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赤レンガ倉庫の隣に「海上保安庁資料館横浜館」がありました。
「工作船展示館」と書いてあります。
入場無料だから入ってみました。

もう10年も経ってしまいましたが、
北朝鮮の工作船事件というのがありました。

事件の経過
2001.12.22(平成13年)
6:10 不審船が航行中との情報を防衛庁から入手。
6:20 海上保安庁の航空機が不審船を発見・追跡。
16:12 巡視船「いなさ」が現場に到着。停船命令・上空と海面への威嚇射撃。
16:13 船体への威嚇射撃。
22:09 工作船からの攻撃~巡視船からの正当防衛射撃~工作船の自沈。

2002.9.11 船体引揚げ。
2002.9.17 日朝首脳会談で金正日委員長が不審船への北朝鮮の関与を認める発言。
2004.12.10~ ここに展示。

(パンフレットの写真を転載します)


2工作船追跡

工作船(グレーの船)と追跡する巡視船「いなさ」(白い船)


3逃げる工作船

逃走する工作船。


4工作船の引揚げ

自爆・沈没した工作船の引揚げ。
この工作船は、
九州周辺海域で覚せい剤取引をしていたとのことです。


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大桟橋から海を隔てて見る展示館。
白いかまぼこ型の建物が展示館で、
右側の白い船は巡視船です。


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大桟橋の西に、赤煉瓦倉庫、展示館、
北東に「ヨコハマ・ベイブリッジ」が見えます。


◎  港の見える丘公園 

「よこはま」散策の続きです。

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大桟橋(国際客船ターミナル)は「くじらのせなか」と呼ばれる
船の甲板みたいな板敷きの遊歩道、展望台で覆われています。
「せなか」をひと回りして降りてきたら、
ステキな後姿の母子?
それともオバアちゃまとお孫さん?
の姿が見えました。

真っ直ぐ行って、
左に曲がると山下公園です。


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好天で真っ青な海に浮かぶ氷川丸。
日本郵船が1930年に竣工させた12,000t級貨客船で、
北太平洋航路で長らく運航された後、
ここで博物館船として公開されています。


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山下公園を通り過ぎて、
港の見える丘公園へ行きました。
こんなに急な坂だったろうか~
こんなに長い階段だったろうか~
と思いながら、
息を切らせて登りました。
(歳のせいなのです!)

丘の上から見たベイブリッジです。
公園の展望台からだと、
手前にあまり美しくないビル群が入ってしまうのですが、
展望台の手前の、
ここでは樹木がそれを隠して、
ブリッジだけを見せてくれました。


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秋のバラが咲いていました。
見るだけの人、
写真を撮る人、
絵を画く人、
その絵を、
通りがかりの人に見せたがる人、
見せたがらない人、
いろいろです。


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港の見える丘公園は、
終戦直後の昭和23年にヒットした流行歌『港が見える丘』にちなんで命名されましたが、
その名の通り、
見えるのは横浜港だけです。
新名所のベイブリッジは見えますが、
横浜の代表的な観光地である「みなとみらい21」などは見えません。
日本三大夜景と呼ばれる函館・神戸・長崎の山より標高がずっと低く、
見渡せる景色の範囲が限られてしまうからです。


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白い建物は横浜イギリス館で、
昭和12年に英国総領事公邸として建てられたそうです。
バラはイギリス風の庭と建物に似合います。


◎  よこはま・たそがれ 

「よこはま」の最終回です。

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港の見える丘公園から降りて、
元町通りをウィンドウ・ショッピングしながら歩いて、
途中から右に折れて、堀川を渡ると中華街。
中国風の寺院がありました。
何度か見ている関帝廟とは違うようです。
これは「横濱媽祖廟」でした。
(写真は内側から撮った門)

『媽祖』は航海の安全を護る海の神としてのみならず、
自然災害や疫病、戦争、盗賊から人々を護る女神として、
現在でも中国大陸や台湾はもとより華僑が住む世界各地で信仰されている

とのことです。


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結婚相談、占いの店が繁盛していました。
ぶらぶらしている内に、
日が落ちてきました。
秋の日暮れは早いです。

地下鉄で、
中華街からみなとみらい地区へ移動しました。


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先日の写真で紹介した、
西瓜ひと切れのようなホテルの方へ行きました。


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ビルの間から見るベイブリッジ。


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ホテルの湾曲したガラス面に写るビル群。


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ホテルの隣にパシフィコ横浜大ホールがあります。
前面が青く輝いているので、
行ってみると、
巨大なステンドグラスでした。
幅13~19×高さ14mもあるそうです。
写真は、ほんの1部分です。

このホールがオープンした1994年6月2日に、
横浜上空に見えた星空をコンピューター解析して、
壮大な星の神話、ギリシャ神話の世界を、
平山郁夫画伯が描いた原画を元にしているのだそうです。

この色合いから、
「ブルーライト・ヨコハマ」が思い出されます。

この辺で、
ヨコハマにサヨナラです。


◎   サッポロの街 

2004年2月8日。
真駒内から市内に戻りました。

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まずは有名な時計台。
内部が博物館になっているので、
ゆっくりと見物しましたが、
今になって、
何があったかと聞かれたら、
「?」としか答えようがありません。


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つぎは、
「赤レンガ」と呼ばれる「北海道庁旧本庁舎」です。
ここも内部を見学。


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2階窓からの風景です。
雪国育ちの私は、
こんな風景を見ると嬉しくなります。


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展示してあった優佳良織(ユーカラ織)。


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赤レンガを出て駅に向かいました。
街角の彫刻。
雪の中のヌード像は寒そうに見えました。


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札幌駅です。
帰るのではありません。もう1泊します。
これから小樽へ行くのです。


◎   小樽雪あかりの路 

2004年2月9日の午後、
「雪祭り」の札幌から「雪あかりの路」の小樽へと向かいました。

平成11年2月に市民有志により始まった「小樽雪あかりの路」は、
キャンドルの灯火が古い街並みを優しく照らす幻想的なイベントです。

と説明があります。


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電車が小樽駅に到着しました。
(小樽駅のホームが今も写真と同じかどうか分かりません)
駅を出たときはまだ空が青く日が射していました。


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市内をあちこち見て、
ぶらぶら歩いて、運河に着いた頃は雪になっていました。


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運河沿いの倉庫には見事なツララが下がっていました。


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だんだんと日が暮れてきて、
「あかり」が灯り始めました。
観光客もぞろぞろと出てきました。


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これも「雪あかり」の展示です。


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とっぷりと日が暮れてきたし、
運河周辺を一回りしたし、
小樽駅に向かいました。

駅の周辺で食事をしたと思いますが、
寿司だったような気もするし、
他のものを食べたような気もします。
8年も前のことです。
覚えているわけがありません。

小樽市は、ウィキペディアによれば、
20世紀半ばまでは石狩地方で産出された石炭の道外への輸送や、
ロシアとの交易で栄え、
1920年頃までは、
札幌の人口よりも多く、
函館に次ぎ道内第二位の人口があった。
しかし1960年代以降、
石炭需要の低下と北海道内の炭鉱の閉山、
ロシア貿易の衰退、
太平洋側の苫小牧港や近隣の石狩湾新港の整備により港としての機能は衰え、
人口も最盛期より35%も減少している。

2010年、
道内の人口10万人以上の市で初めて、
過疎地域の指定を受ける。
なお、
人口10万人以上の市で過疎地域の指定を受けた道外の市には、
小樽市と同時に指定された福岡県大牟田市がある。

とのことです。

現在の人口が13万人強なのに対して、
昨年(平成23年)の「小樽雪あかりの路」の来場者数が57万3千人だそうですから、
すごい人出です。

8年前の写真で、
「札幌雪祭り」と「小樽雪あかりの路」を紹介してきましたが、
これをもちまして、
終了とさせて頂きます。


◎  東京駅のドーム 

昨日は東京駅の外観だけを紹介しましたが、
今日はドームの内部です。

改めて東京駅に行ったのは、
10月8日。

祭日(体育の日)でしたから、
駅の内外は見物の人でごった返していましたので、
見る(撮る)のは北口だけにしました。
南口のドームもデザインが同じなのか、
違うのか分かりませんが・・・


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天井(ドーム内部)見上げ。



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隅部見上げ。



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白い彫刻。
カーテンの下がった窓は、
ステーションホテルかと思います。



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ドーム中心見上げ。


東京駅は、
すでに完成していた新橋駅と上野駅とを結ぶ線路の中央駅として、
1914年(大正3年)に完成しました。

八重洲側の方が江戸時代からの繁華街だったのに、
反対側の、
皇居の正面(丸の内側)に駅舎が建設されました。

第二次大戦末期の1945年(昭和20年)、
米軍の空爆により被災。

3階建てを2階に改修するなどして、
戦後60年以上にわたって使われてきましたが、
今回、
戦前の姿に戻りました。



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