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Photo & Essay

◎  萬福寺(1) 


先週奈良方面に行って来ました。
桜も牡丹も石楠花も終わって
「花も紅葉もなかりけり」の時期でしたが
好天に恵まれ新緑が綺麗でした。

京都から奈良に向かう途中
宇治市にある
萬福寺と平等院に寄りました。
まず萬福寺から始めることにします。

京都からのJR奈良線を黄檗(おうばく)駅で下車
そこから5分歩けば萬福寺です。

禅宗には三つの宗派(臨済・曹洞・黄檗)があり
萬福寺は黄檗宗の大本山で
正式には
「黄檗山萬福寺」といいます。


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三門

この日は日曜日
萬福寺では「全国煎茶道大会」が開かれていました。

何度か訪れたことのあるお寺ですが
いつもは静かな雰囲気で参拝・拝観するのが
境内には和服の女性が大勢いて賑やかでした。
(なるべく人影のない静かなところを撮りましたが・・・)


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水鉢


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大雄宝殿
(だいおうほうでん)

萬福寺の本堂であり
最大の伽藍。


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ツツジと青モミジ

◎  萬福寺(2) 




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回廊


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躑躅と黄檗樹

葉が緑の細い木は
「黄檗樹」
「きはだ」
と立て札に書いてあります。

この寺は中国福建省から渡来した隠元大師が創設しました。
彼が住職を務めていた福建省の寺は
黄檗樹の群生する山・・・黄檗山にあったので
黄檗山萬福寺と称していました。

この地に寺を建てる時
中国の寺を懐かしんで同じ名前をつけ
黄檗樹を植えたそうです。

多分古い木が枯れたので
新しく若木を植えたのでしょう。


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般若瓦

勝手に命名しましたが
これもやっぱり鬼瓦と呼ぶのでしょうか?


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青モミジ

◎  萬福寺(3) 




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大雄宝殿
(本堂)

本尊は釈迦牟尼佛
両脇侍は迦葉・阿難の二尊者
他に十八羅漢像が安置されています。


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十八羅漢像のうちの一体

名前は記録して来ませんでしたが
端っこの一体だけ撮らせてもらいました。


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開梛(魚梆)
(かいばん)

萬福寺を紹介する写真には
必ずといってよいほど出てきます。

これを打って時を知らせるそうですが
実際の音を聞いたことはありません。
木魚の原型だとか・・・


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名前はわかりませんが
これも合図に打つものだと思います。

◎  萬福寺(4) 




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箒目


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丸窓


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障子戸


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◎  萬福寺(5) 




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若葉


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怨親平等塔

脇に由来が書いてありました。

昭和12年日中両国干戈を交るに至り
痛恨にも両国の戦病死者夥し
当寺ははその創立中国と最も深き因縁にあり
当寺の住職山田玉田和尚痛くこれを愁い
戦禍に斃れた両国の将兵及び諸民の精霊を慰めんと
妙法蓮華経六万九千六百四十三文字を一字一石に謹書して
宝筐印塔に収めその冥福を祈ることを発願された
云々


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法堂


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回廊

◎  萬福寺(6) 


青々としたモミジの若葉です。
紅葉の頃に来たら
さぞかし美しいことでしょう。


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◎  萬福寺(7) 




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鐘楼


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石灯籠


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卍の高欄

◎  萬福寺(8) 


広い山内の見学も終わります。


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開山堂


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躑躅


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句碑

山門を出れば日本ぞ茶摘みうた   菊舎尼

菊舎(1753〜1826)は
夫と死別して俳諧にこころざし
芭蕉を慕い
尼僧となって
諸国行脚に明け暮れた
美濃派の俳人

萬福寺を訪れた菊舎が
中国風の寺の佇まいに酔いしれて
三門を出た時
門前の茶畑から茶摘み唄が聞こえ
一瞬我に返った時の句

だそうです。

この句はお寺のパンフレットにも載っています。


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三門前のマンホールの蓋

萬福寺は京都府宇治市にあります。
菊舎が訪れた頃の門前には宇治茶の畑が広がっていたのでしょうが
現在は住宅が立ち並んでいます。

◎  黄檗駅へ 


萬福寺を出て黄檗駅に向かいました。


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門前の通り


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山法師の花

京都芸術高校


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色ガラス

駅前の店


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黄檗駅のホーム

向こう側の電車は京都行き
こちら側に入って来た電車は城陽行きで
奈良まで行きませんが大丈夫。
隣の宇治駅で降りて
平等院に行くつもりです。

◎  宇治駅 


JR奈良線でひと駅
宇治駅に到着しました。

まだ時間があるので
平等院に行くつもりです。


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JR宇治駅

わざわざ頭に「JR」とつけるのは
ここから1km弱離れたところに
「京阪宇治駅」があるからです。
ネットで検索してみると
その駅舎はグッドデザイン賞を受賞しているそうですから
機会があったら寄ってみたいものです。


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駅前の郵便ポスト


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横断歩道

渡った向こうの道を
右に行けば平等院
左に行けば宇治橋です。


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平等院への参道

店が並んでいますが
さすが宇治
お茶屋さんが多くあります。

しかも新茶の時期だから
どのお店も売り込みに気合が入っていました。

高いですが1袋買いました。
(帰宅してから飲みましたがさすがに美味しかったです)

◎  平等院(1) 


平等院に到着しました。
萬福寺と違って
拝観券を買うのに行列の後に並ばなければいけません。


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観音堂

門を入るとすぐあります。
手入れの良い松と白壁と・・・


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観音堂の屋根

「天平の甍」かと思って撮りましたが
調べて見ると
鎌倉時代前期の建物らしいです。
しかし「天平以来の格式高い様式に倣っています」と
お寺のHPに書いてありますから
天平の面影は残しているのでしょう。


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鳳凰堂全景

平等院は永承7年(1052)
関白藤原頼道によって父道永の別荘を寺院に改め創建されました。
その翌年の天喜元年(1053)に阿弥陀堂が建立され
その建物が現在鳳凰堂と呼ばれている。

(パンフレットから)


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中堂

ここには
定朝作の阿弥陀如来像(国宝)が安置されています。

◎  平等院(2) 


鳳凰堂の前の阿字池に沿って歩きましたが
何故か正面の全景が撮ってありません。

正面からの全景を
もし見たいと思う方がおられたら
10円玉を見て下さい。


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鳳凰堂斜め全景


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鳳凰(南側)


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鳳凰(北側)


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鳳凰堂右翼側面

◎  平等院(3) 


鳳翔館(宝物館)に入って
お宝を見て
鳳凰堂の裏側の小道を歩いて
表門に戻りました。


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鳳凰堂背面

中央上部は中堂
手前右は尾廊です。

鳳凰堂は
阿弥陀如来を安置する中堂を中心にして
その左右に翼廊
背後に尾廊が配置されています。
高いところから見れば鳳凰の姿に見えるのでしょう。


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景勝院

鳳凰堂背後にある平等院の塔頭です。


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樹影

白壁の中に入ってみると
松の陰が綺麗で
塀の向こうに鳳凰堂左翼の屋根が見えました。


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景勝院玄関


これで境内をひと巡りしたことになり
門を出て
来た道を宇治駅まで戻りました。

◎  宇治川 


帰り道では
宇治橋まで行き
宇治川を眺めたりしました。


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宇治橋

下を流れるのはもちろん宇治川。
この川は
大津市で琵琶湖から流れ出て瀬田川と呼ばれ
京都府に入るあたりで宇治川と名を変え
さらに京都府と大阪府の境界付近で桂川・木津川と合流して
淀川になるそうです。


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宇治橋欄干の擬宝珠と柳


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宇治橋からの眺め(下流)

赤い橋(朝霧橋)と手前右の小さな橋との間に
宇治川先陣の碑があるそうです。

寿永3年(1184)木曽義仲と源義経が宇治川で戦いましたが
雨で水嵩の増した宇治川の急流を
義経軍の梶原景季と佐々木高綱が
それぞれ名馬にまたがって先陣を争い
高綱が先陣の名乗りを上げたそうです。


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紫式部像

無骨な先陣争いの後は優雅な「源氏物語」です。
宇治橋のたもとに紫式部の像があります。

像の手前に「夢浮橋之古蹟」と書かれた石碑があります。
これについての説明板がありましたので下記します。

『源氏物語と宇治』
「源氏物語」は十一世紀初めころ作られた長編小説です。
作者は藤原彰子に仕えた女房紫式部であると伝えられています。
物語は全部で五十四帖(巻)からなります。
このうち最後の十帖は
光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋の物語で
特に「宇治十帖」と呼びます。
「橋姫」で始まり
「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」には
朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。
「源氏物語」は実話でありませんが
いつの頃からか
物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって
宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。
今古跡を訪ねることで
遠く王朝文学の世界をしのぶことができます。


◎  夕暮れの散歩 


新幹線でお昼頃京都について
奈良へ向う途中
黄檗駅で降りて萬福寺
宇治駅で降りて平等院
2箇所も途中下車した後
ようやくJR奈良駅に到着しました。

今回の宿は近鉄奈良駅のすぐそばです。
わずかな距離ですがくたびれたので
バスで近鉄奈良駅まで行って
ホテルにチェックインしました。

ひと休みの後
夕食がてらカメラを持ってホテルを出ました。


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午後7時近く
奈良の街も黄昏かけています。


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外が薄暗いから
店先の照明が明るく見えます。


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修学旅行の中高生相手のお土産屋さんですが
もう彼らの姿はありません。
間も無く閉店です。


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猿沢池まで来ました。
奈良町への細い道です。
宿へ帰るのか
夕食の場所を探しているのか
三々五々と人の姿が・・・


◎  猿沢池 


奈良の繁華街である三条通りの東の果てに
猿沢池があります。
なぜかこの池が好きで
奈良へ来ると必ずここへ来て
池に映る興福寺の五重の塔を眺めます。


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猿沢池に到着


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興福寺南円堂


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興福寺五重塔


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池の対岸のホテル

近づいてみると結婚披露宴が行われているようでした。
大安でありませんが日曜日です。

◎  夜の散歩(1) 


猿沢池を見た後は夕食です。
食後夜景を撮りながら帰りました。


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三条通り

この後夕食でした。


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信号待ち

8時頃です。


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ビルの窓

半月が2個写っています。
本当の月も入れて3個撮りたかったのですが
あまり小さくなるので2個で我慢しました。


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街灯

◎  夜の散歩(2) 


夕食後の散歩の続きです。


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酒場

通り掛かったら
ウエスタン調の女性店員が姿を見せました。


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のぞき穴

薄色の小さな文字を読むと

気になったらのぞき穴。
気に入ったらどうぞ中へ。

と書いてあります。
私は気になったので撮りました。


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細い路地

ここを抜けて行くとホテル前の道に出ます。


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ホテルはもうすぐです。
夜更けの感じですが8時ちょっと過ぎです。

おやすみなさい。

◎  堀切菖蒲園(3) 


昨日に引き続いてUさんのお話です。

彼は花菖蒲をかなり沢山育てているそうです。

珍しい品種ばかりにしたんですよね。
そうすると咲いているのは珍しい花ばかり
それってあまりいいものでありません。


普通の品種に混じってこそ珍しい品種の価値が出てくる
そういうことのようでした。


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◎  今井町(1) 


奈良滞在2日目(5月20日)は
奈良市から南に約20km
橿原市今井町に行きました。
快晴に恵まれた月曜日でした。

戦国時代に一向宗の寺内町として成立し
江戸時代には豪商が軒を連ねる南大和最大の商都として栄えた今井町。
東西600m、南北310mの範囲に
江戸時代以来の伝統様式を受け継ぐ500棟もの町家が残っており
古民家の多さや密集度は全国トップクラス。
江戸時代を思わせる町並みは
重要伝統的建造物保存地区に選ばれている。

(JTBのガイドブックから)

南北に走る近鉄橿原線と
東西に走る近鉄大阪線との交点に
大和八木という駅があり
そこから400m南に走ると次の駅
八木西口駅です。
ここで下車すると今井町はすぐそこです。


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案内板

もうすぐ今井町です。
下の方に「華甍へ」と書いてあります。

この町をどう回ればよいのか
ここへ行けば教えてくれるらしいです。


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飛鳥川

古代日本を思わせる名前です。
さっきの駅からもうちょっと電車に乗れば
神武天皇が祀られている橿原神宮があり
さらに進めば最初に都が置かれた飛鳥になります。

それはさておき
左手の赤い橋を渡ると今井町です。


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飛鳥川沿いの道

橋を渡ると川沿いに大きな道があります。
これを奥に進めば「華甍」ですから
道に迷うことはなさそうです。


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小道

赤い橋を渡ってまっすぐの道です。

結果的には
町を巡り歩いた後
この道から橋に戻ってきましたが
この時は知る由もありません。

◎  今井町(2) 


華甍への道すがら
例によって写真撮りしながら歩きましたが
鉢植えなどの植木のある家々です。


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◎  今井町(3) 


「華甍」に到着しました。


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華甍正面

正式には「今井まちなみ交流センタ『華甍』」と言います。

明治36年(1903)高市郡教育博物館として建設され
昭和4年より今井町役場にも使用されていました。
現在は今井町の歴史を詳しく分かりやすく解説する資料を一堂に集めた資料館として・・・

(HPから抜粋)
とのことです。


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右翼の部屋

ほぼ左右対称の建物です。


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室内の照明


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展示されていた額絵

僅か東西600m、南北600mの今井町に
大和国の7割の富が集中しているといわれたそうです。


館内を見学した後
館員の方から町を回る道順や
開いていそうな食事処などを教えてもらい
町並み見学に出発しました。

この日は月曜日でしたが
月曜は閉じている店が多く
普段見学可能な家も今日は入れてくれないとか・・・
昨日(日曜日)は催し物もあって賑やかだったんですよとか・・・

美術館や博物館は月曜休日が多いですが
この町も全体が博物館だと思えばよいのか・・・

でも来てしまったのだから
仕方ありません。

◎  今井町(4) 


町歩き開始です。
人通りはほとんどありません。
とても静かでした。

どの家も綺麗に手入れされています。
今でも豊かな町なんだろうな〜
と思いながら歩きました。


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◎  今井町(5) 


お店の写真を集めてみました。


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髪技屋

ヘアーサロンなのでしょうか?
店の名前は「ルビ」?
カタカナは相応しくない店構えですね。
営業中かどうかは不明です。


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床屋

「本日定休日」の札が下げてあります。
この町に限らず
全国的に床屋さんは月曜日お休みですよね。
でもこんな入り口の床屋さんは見たことありません。


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薬局

大正時代か昭和初期を思わせる雰囲気です。


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郵便局

新しそうですがデザインは今井町らしいです。
(あるいは古い建物を綺麗に手入れしたのかも)

◎  今井町(6) 


奈良県橿原市今井町を歩いていますが
改めてこの町の歴史を紹介します。

今井町の成立は戦国の世
天文年間(1532〜1555)
この地に一向宗本願寺坊主の今井兵部卿豊寿によって
寺内町が建設されたことに発します。

一向宗の門徒が
都市計画に基づき今井に御坊(称念寺)を開き
自衛上武力を養い
濠をめぐらしました。

永禄11年(1568)織田信長が
足利義昭を擁して上洛以来
本願寺は反信長の旗を立て
今井もそれに呼応し
寺を中心とした城塞都市の形態を整え
抵抗しましたが
天正3年(1575)明智光秀を通じて信長に降伏し
事なきを得ました。

かくして信長から赦免の朱印状が今井郷に下され
「万事大阪同前」として自治特権を許されました。

その後
大阪や堺などとも交流が盛んになり
商業都市として変貌を遂げ
江戸時代には南大和最大の在郷町となって
今井札(銀札)を発行するまでに栄えました。

(今井町パンフレットから)

前置きが長くなりましたが
今井町成立の基となった
称念寺に到着しました。


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山門

小さな寺でした。
本堂が工事中で
シートをかぶっていて見えないので
全貌はわかりませんが・・・

左側の立て札には
本堂が重要文化財であることが書いてあります。


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明治天皇駐蹕之處

山門を入って正面の建物です。

難かしい漢字が書いてあります。
一生懸命に調べました。
「駐蹕(ちゅうひつ)」とは
天子が行幸の途中
一時乗り物をとめること。
また
一時その土地に滞在すること。

だそうです。

休憩されたのか?
お泊まりになったのか?
お寺の前で説明してくれた人は
お泊まりになったと言ったような気がします。


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太鼓楼


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鬼瓦


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