Photo & Essay

◎  花の下にて 

枝垂れ桜

3月28日撮影の枝垂れ桜です。
これを撮って帰宅すると留守電が入っていて、
義妹が亡くなったという連絡でした。
そして昨日はお通夜、今日が告別式でした。

昨日も今日も冬に逆戻りの寒い日でした。
今朝は殊に寒く、
冷たい雨の中を出棺しました。

遺族が骨壷を抱いて外に出ると、
晴れ上がって青空が出ていました。
焼き場の隣に寺があって、
桜が咲いていました。
ソメイヨシノだと思います。
午後の日を受けて、
青空をバックにして、
この上ない美しさでした。

ふと西行の歌を思い出しました。

願わくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ


枝垂れ桜

今日はカメラは持っていません。
28日の枝垂れ桜の続きです。


枝垂れ桜

この桜も、
寺の境内にありました。
枝垂れの向うに石仏が見えます。


◎  ハクモクレン(2) 

今日はソフトレンズの写真です。


ハクモクレン

ソフトフォーカスにハイキー。
純白のハクモクレンには合いそうな気がします。


ハクモクレン

はっきりと見えないものは
美しいと錯覚するのです。

昔から言います。
「夜目遠目笠の内」


ハクモクレン

そこでパロディです。

夜目遠目 ソフトレンズと 笠の内

ソフトレンズで撮ると
美しい人はより美しく
それなりの人は、
それなりに
美しく写ります。


ハクモクレン

最近は花粉症美人も多く見受けられます。

夜目遠目 大きなマスク サングラス

蛇足ですが、
ほんとに美しい人は
ボンヤリ見えても
はっきり見えても
いつでもどこでも
美しいです。


◎  ハクモクレン 

ハクモクレン

前回の「ミモザ」と同じく、
3月22日の撮影です。


ハクモクレン

真っ白な花が咲き始めたし、
空は真っ青になったし、
早速撮ってきました。


ハクモクレン

ところがその日、
ソメイヨシノが咲き始めたので、
それを載せてしまいました。


ハクモクレン

今ではもう、
花びらが大きく開き、
茶色になってきています。


ハクモクレン

まだツボミを残した、
咲き始めの、
一番美しい頃の写真です。


◎  ミモザ 

近所の家のミモザが今年も咲きました。
青空になるのを待って、
撮りに行ってきました。
(3月22日)


ミモザ

昨年も同じようなことを書きましたので、
繰り返しになるのですが・・・


ミモザ

図鑑をみると、
「フサアカシア」の別名として「ミモザ」と書いてあります。
他に「ギンヨウアカシア」という種類も載っていて、
撮ってきた写真はこれとそっくりです。
(葉の色が銀色に見えます)

検索で調べたら、

アカシア属で「ミモザ」として知られているのは「フサアカシア」であるが、
最近は派手な「ギンヨウアカシア」見ることの方が多く、
なかなか「フサアカシア」の木にはお目にかかれない。


という記事がありました。
本当は「フサアカシア」が「ミモザ」なのでしょうが、
最近は「ギンヨウアカシア」が多く植えられ、
これを「ミモザ」と呼んでいるようです。


ミモザ

「フサアカシア」も「ギンヨウアカシア」も
マメ科のアカシア属ですからよく似ているわけです。
どちらが「ミモザ」でも、
どちらも「ミモザ」でも、
よいのではないかと思います。


ミモザ

それよりも、
名前に「アカシア」とついていることに注目です。

札幌の並木として有名な「アカシア」は、
正式な名は「ハリエンジュ」で
別名「ニセアカシア」といいます。
これも「ギンヨウアカシア」と同じマメ科ですが、
ハリエンジュ属です。

「ハリエンジュ」は明治初年に北米から輸入され、
「アカシア」と呼ばれただそうです。
その後に本来のアカシア(アカシア属)の仲間が輸入されたので、
可哀想に「ニセアカシア」と呼ばれるようになったとのことです。

でも普通は「ニセ」を付けないで「アカシア」と呼んでいます。
札幌の「アカシア並木」も、
いろいろな歌に出てくる「アカシア」も
みんなこの「ニセアカシア」です。
「アカシアの蜂蜜」も
「ニセアカシア」の花の蜜だそうです。

くどくどと書きましたが、
「偽のアカシア」を「アカシア」と呼び、
「本物のアカシア」を「ミモザ」と呼んでいることになるようです。


◎  ソメイヨシノ開花 

東京のサクラ開花宣言は出たでしょうか。
東京の基準木は靖国神社にあるそうですが、
その開花宣言と一緒に
咲き始めるソメイヨシノが家の前にあります。

5階建てマンションの間にあって、
多分風当りが弱く、
日当たりの具合がよいのでしょう。
毎年付近のサクラよりもひと足先に咲くのです。


ソメイヨシノ

午後になって見上げると、
ひとつふたつ開いているようです。
200mmのレンズで撮ってトリミングしました。


ソメイヨシノ

開花宣言には花数が足りないかも知れませんが、
咲き始めているツボミもあります。
今日でなくても、
明日は開花宣言できるでしょう。


サクラ

ソメイヨシノでなくて、
名前は知りませんが、
葉も出ているサクラは数日前から咲き始めています。


サクラ



午前中に航空記念公園へ行きました。

ソメイヨシノ

そのとき撮ったソメイヨシノのツボミです。
低い枝でしたからマクロレンズで撮りました。


シダレヤナギ

枝垂れ柳が若緑になりました。


見渡せば 柳桜を こきまぜて みやこぞ春の 錦なりける
(花ざかりに京を見やりてよめる  素性法師)


そんな風景がもうすぐに見られそうです。


◎  渋谷駅--忠犬ハチ公 

先日渋谷へ行きました。
渋谷へは滅多に行きません。
東急デパート内にある美術館、
Bunkamura ザ・ムージアムを見に行くときくらいす。


ハチ公

渋谷駅といえばハチ公の銅像が有名です。
帰りが早かったので、
寄ってみました。

ハチ公については
はっきりした知識がないので、
ウィキペディアで調べてみました。

(ハチ公は)1924年から東京帝国大学農学部の教授、
上野英三郎に飼われることになった。
上野の存命中は、
玄関先や門の前で上野を見送り、
時には最寄駅である渋谷駅まで送り迎えすることもあった。
上野の自宅は、
現東急百貨店本店(つまり美術館のある所)周辺と言われている。

1925年5月に上野が急死した後も、
毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたとされ、
東京朝日新聞の記事により世間一般に知れわたった。
主人を慕うハチの一途な姿は人々に感銘を与え、
「忠犬」と呼ばれるようになった。

1935年3月、フィラリアにより、
渋谷川の稲荷橋付近の路地で死去。
剥製は国立科学博物館に保存されている。

1934年4月、渋谷駅前に銅像が建てられ、
除幕式にはハチ自身も出席した。

ハチの銅像は第二次世界大戦中に金属資源不足により供出され、
現在のものは1948年8月に再建されたものである。


ずいぶん昔のお話です。
最初の銅像が作られたのは私が生まれる前のことです。
待ち合わせの場所としては有名でも、
銅像の人気はどうだうなのだろうかと思いながら、
行ってみました。


ハチ公

おばさんがハチ公を撮影していました。


ハチ公

若い子たちもケータイを振りかざしていました。


ハチ公

銅像は人気の割りに地味なものでした。
駅舎の壁の方が目立ちます。


◎  オオイヌノフグリ 

このところ多用で、
ブログの世界に浸れない日が続いています。

あっという間に日が経っていることに驚いてしまいます。
杉林のことを書きました。
この山を降りたところで撮ったフキノトウはその前に載せました。
3月9日のことを載せています。

季節のズレを感じてしまいますが、
同じ日の写真です。


オオイヌノフグリ

日当たりのよいところに、
青い宝石、
オオイヌノフグリがいっぱい咲いていました。


オオイヌノフグリ

先日別の場所で撮った花を掲載したので、
二番煎じですが、
お許し下さい。


雪の道

オオイヌノフグリが咲いていた日向に出る前の日陰の道です。
薄い層でしかありませんが、
雪が積もって、凍っていました。
つるつる滑るから雪の上は避けて通りました。
標高は600m位です。

上に、
「季節のズレを感じる」
と書いたのはこのことです。
あれ以来暖かい日が続いていますから、
この雪はもうなくなっていることでしょう。


◎  杉林 

杉林

先週の日曜日、山歩きをしました。
この辺りの山は杉ばかりです。


「落葉松」という北原白秋の詩があります。
その第二節、

からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。


これのパロディです。


杉林

杉の林を出でて、
杉の林に入りぬ。


杉林

杉の林に入りて、
また細く道はづづけり。


杉林

見上げれば杉。


杉の花

下を見れば、
風で落ちた葉の先に・・・
これが悪名をほしいままにしている
スギ花粉の元のようです。





◎  フキノトウ 

フキノトウ

フキノトウ
広辞苑を引くと、

(「蕗の塔」からか)
春の初めに蕗の根茎から生え出る花茎。
ふきのじい。
ふきのしゅうとめ。
(春の季語)


とあります。
春になって芽を出したばかりで、
「爺」だとか「姑」だとか、
そんな名が付くのは何故でしょう。


フキノトウ

「トウが立つ」とかいいますが、
これも辞書を引くと、

①野菜などのとうがのびる。固くて食べられなくなる。
②年頃が過ぎる。さかりが過ぎる。時期が過ぎる。


とあります。
こんな意味である「トウ」が、
春の味覚として珍重されています。


フキノトウ

漢字を調べましたが、
難しい文字です。
辞書からコピーしても
ブログのテキスト文字では「蕗の薹」になってしまいます。
「トウ」はもっと複雑な文字です。

今日も予約投稿です。


◎  椿 

椿

先日掲載した落ち椿と同じところで撮りました。


椿

何故か俯いている花ばかりです。
昂然と顔を上げている花もありましたが、
花びらが傷んでいたりして、
綺麗でありませんでした。
俯いている方が美しく見えるでしょうか・・・


椿

最後の1枚も下向きですが顔を見せています。

今日は予約投稿です。
コメントにお返事が遅れ、
訪問できないでおります。
少々お待ち下さるようお願いします。


◎  紅白梅 

白梅と紅梅と一緒の写真を、
と思って撮影しました。
好天で花は綺麗だったのですが、
写真にしてみると
色がパッとしませんので
どうしようかと思案しましたが、
折角撮ったので掲載します。
場所は新宿御苑です。
建物はその中のお茶室です。


紅白梅



紅白梅



紅白梅



紅白梅



紅白梅


◎  落ち椿 

落ち椿

落ち椿


先日、千鳥が淵戦没者墓苑のことを書いたせいかも知れませんが、
本棚から古い映画のパンフレットが出てきました。
この映画は見た覚えはありませんから、
多分娘が見て買ってきたのでしょう。


東京裁判


『記録映画「東京裁判」を完成して』
と題する小林正樹監督の文から抜書きしてみます。

劇映画「東京裁判」が企画され、
脚本も完成し、
映画化寸前まで進展したことがあった。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
今日まで陽の目を見ずに終わってしまった。

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
東京裁判への挑戦なくして私の戦争映画は終わらない。
いつかは、
私の戦争映画の集大成として真正面から取り組みたい題材であった。

その日が訪れてきたのは昭和52年、
5年前のことである。
しかもそれは劇映画としてではなく、
私の未知の領域である記録映画として私の前に登場したのである。
この記録フィルムは日本を占領した米軍によって、
東京裁判開廷の昭和21年5月3日から
昭和23年11月12日の閉廷までの2年6ヶ月の間、
東京裁判法廷で撮影(同時録音)されたものである。
その量は170時間、
50万フィートを超える膨大なものである。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

そして5年後の今「東京裁判」は完成した。
私の戦争映画はここで終止符をうち、
「東京裁判」は私の作品系列の中にしっかりと刻まれたのである。

製作の過程で「東京裁判」は世界の情勢と歴史の流れの中に位置づけて
見直すという考えが次第に定着してきた。
ポツダム会談に始まり、
国際紛争の年表で終わる記録映画「東京裁判」が歴史の教訓として、
更に日本と世界を見直す広い視野への展開につながれば
私たちスタッフの願いは果たされたことになる。



その後に「裁かれる日本の17年8ヶ月」という解説文があります。
ここからも抜粋しておきます。

昭和21年1月22日。
ポツダム宣言に基づいて、
連合軍最高司令官マッカーサー元帥が、
極東国際軍事裁判所条例を発布し、
戦争そのものに責任のある主要戦犯を審理することとした。

戦後日本の進路を運命づけた「東京裁判」
正式名称「極東国際軍事裁判」である。

満州事変から支那事変、
太平洋戦争におよぶ17年8ヶ月間、
日本を支配した指導者百名以上の戦犯容疑者の中から、
28名が被告に指定された。

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

5月3日。
開廷した裁判所では、
まず起訴状の朗読が行われ、
第1類平和に対する罪、
第2類殺人、
第3類通例の戦争犯罪および人道に対する罪に大別され、
55項目におよぶ罪状が挙げられた。
この裁判の一つの特徴は、
戦争の計画や開始そのものの責任を問う
「平和に対する罪」を設定したことであろう。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

弁護側は、
戦争は国家の行為であり、
個人責任は問えないと異議の申し立てを行ったが、
個人を罰しなければ国際犯罪が実効的に阻止できないとの理由で、
裁判所はこれを却下した。

こうして23年4月15日まで、
実に416回の公判が行われ、
11月12日判決がいいわたされた。

28名の被告のうち、
発狂、死亡の3名が免訴され、
残る25名のうち、
7人が絞首刑を宣告され、
他の被告は終身刑または有期刑であった。

・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

処刑は昭和23年12月23日未明、
巣鴨拘置所で実施された。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・

終身刑および有期刑を宣告された被告のうち、
4人は服役中に病死し、
残りの被告は、
講和条約調印(昭和26年9月8日)後に仮釈放された。

そして、
昭和33年4月7日、
東京裁判に参加した11ヵ国政府は戦犯者の刑の免除を発表し、
東京裁判は名実ともに解消された。



落ち椿

最後にもう一つ落ち椿です。


◎  千鳥ケ淵戦没者墓苑 

この前の日曜日に山種美術館へ行ってきました。
日本画の展覧会はあまり行かないのですが、
招待券を貰ったので、
行くことにしました。

この美術館は地下鉄東西線を九段下で降りて歩きます。
九段といえば靖国神社です。
大鳥居のある参道と平行に暫く歩いてから左に折れます。

この美術館からすぐ近くに千鳥ケ淵戦没者墓苑があります。
今回は靖国神社には寄らないで
千鳥が淵の方へ参拝してきました。


千鳥が淵戦没者墓苑

遠く眺めた靖国神社の参道にはかなりの人が歩いていましたし、
観光バスも沢山並んでいました。
それに引きかえこちらの墓苑はひっそりと静まっていました。


(財)千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会のHPから引用しますと、

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
昭和34年(1959年)国によって建設され、
戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。
今から約60年前の大東亜戦争では、
広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。
この戦争に際し、
海外地域の戦場において、
多くの方々が戦没されました。
戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、
ご遺族にお渡し出来なかったものを、
この墓苑の納骨室に納めてあります。
いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。
現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。


当墓苑の敷地は約5000坪。
常緑樹を主とし、
そこに欅など落葉樹を交えるといった戦没者墓苑に相応しい厳かさ、
静けさを保つ工夫がなされました。
創建当時、低かった樹木は大きく成長し、
特に楠、欅などは鬱蒼と生い茂当墓苑の厳かさを一層感じさせてくれます。


六角堂の中には日本古代の豪族の寝棺を模した陶棺が据えられています。
そこには、昭和天皇から賜った金銅製の納骨壺が入っています。
その壺の中に、
海外のそれぞれの地域で亡くなられた方々を代表する御遺骨が納められています。



千鳥が淵戦没者墓苑

その六角堂に向かって左側に立っている石碑です。

御製
千鳥ケ淵戦没者墓苑
くにのため いのちささげしひとびとの
ことをおもへば むねせまりくる
雍仁親王妃勢津子謹書

と書いてあります。
墓苑創建の年の秋、
昭和天皇陛下から下賜された御製を秩父宮妃殿下が謹書され、
昭和35年(1960年)3月28日竣工したもの、
だそうです。


千鳥が淵戦没者墓苑

右側にも同じような石碑が立っています。

御製
戦なき世を歩みきて思ひ出ず
かの難き日を生きし人々
正仁親王妃華子謹書

と書いてあります。
終戦60周年を迎えるに当たり、
新春「歌会始の儀」で詠まれた今上陛下の御製を、
常陸宮妃殿下が謹書され、
平成17年(2005年)9月27日竣工したもの、
だそうです。


紅白梅

こちらの石碑の向うには紅白の梅が咲いていました。


白梅

角度を変えて撮りました。
白梅の向こうに見える緑の屋根が六角堂です。

畏れ多いので六角堂は屋根しか写してありませんが、
参拝の人影はまばらでも、
ずいぶん沢山の白菊の束が供えてありました。


◎  桃の節句 

お雛さま

3月3日は雛祭り。
わが家ではこの一段だけを飾りました。

古びなや華やかならず臈たけれ   久女

「雛祭り」は「桃の節句」ともいい、
花屋さんでは花のついた桃の枝を売っていますが、
庭や畑に植えられた木に花が咲くのは大分先のことでしょう。

歳時記で「雛祭り」「桃の節句」は晩春の行事とされていますから、
本来は旧暦3月の行事です。
月遅れの4月頃になれば桃の花もほんとに咲くでしょう。


キクモモ

キクモモ
バラ科 サクラ属 モモの園芸品種

数年前の4月中ごろの写真です。
花の向うに見えるのは奈良の新薬師寺本堂で、
天平時代(1250年前)の建築で国宝です。


キクモモ



キクモモ

だんだんと花に近づきます。

八重咲きで花弁が細く、
花の形がキクににているので、
キクモモと呼ぶそうです。
江戸時代からの品種だそうですから、
天平時代から咲いているわけではありません。


◎  彩翔亭の白梅 

彩翔亭

昨日紹介した
所沢航空記念公園のお茶室
「彩翔亭」の庭に咲く白梅です。


彩翔亭の白梅



彩翔亭の白梅



彩翔亭の白梅



彩翔亭の白梅

昨日の写真を撮った日は曇りでした。
この木に近づくと梅の香りが漂っていました。

今日の写真は、
その2日後の晴れた日に撮りました。
空は青いし、
花もよく開きましたが、
香りは少なくなったように感じました。


◎  彩翔亭 

彩翔亭

度々このブログで紹介している
所沢航空記念公園内の茶室の門です。。
(公園も茶室も県営です)


彩翔亭

門の横に茶室の名を書いた幟が立ててあります。

「彩」は埼玉を表しているのだと思います。
「埼」の「サイ」を「彩」に変えて、
埼玉県を「彩の国」といういい方があります。

「翔」はこの公園が日本最初の飛行場跡だから、
それに因んでいるのでしょう。


彩翔亭

門を入ると立派な建物があります。
正面の玄関はお座敷に入る場合に使うのだろうと思います。
私はここから入ったことがありません。
玄関は暗いようですが・・・


梅と雪柳

玄関の真ん中に梅と猫柳が大きな鉢に活けてありました。
ここにデンと置いてあったということは、
この日、
お座敷を使う予定がなかったのだろうと推理しています。


雪柳

少し暗いですが、
猫柳をアップで写しました。


彩翔亭

正面玄関の向かって右側にもうひとつ玄関があり、
ちょっとお茶を頂くときは、
こちらから入ります。
椅子席ですから靴のままでOKです。


彩翔亭

庭へ回るには上の建物の右側へ回ります。
お茶を飲みながら談笑しているご婦人方がいましたので、
ガラス戸の方は写さないで、
右端の丸い窓だけ撮りました。


紅梅

丸窓の奥の方に先日紹介した紅梅の木があります。
もう終りに近づいていますから、
アップは無理です。
遠くからなら綺麗に見えます。


紅梅が終わって、
白梅が見頃を向かえています。
今日の写真を撮ったのは先月26日で曇りでした。
そのあと晴れた日に白梅を撮ってきましたので、
次回に掲載します。



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