Photo & Essay

◎  京都御所(2) 

京都御所拝観の続きです。


「小御所」です。
皇太子の元服などの儀式に用いられ、
将軍や諸侯と対面される場所などにも使用された。
1867年(慶応3年)12月9日の王政復古の大号令が発せられた夜、
「小御所会議」が、
ここで行われた。
昭和29年に消失、
昭和33年に復元された。


「小御所会議」は新政府の会議。
激論の末、
徳川慶喜に辞官・納地を命じることが決定されました。

この結果、
慶喜はひたすら恭順、謹慎。
薩長軍は錦の御旗を掲げて江戸城へ迫る。
ちょうどドラマ「篤姫」でやっているところです。


京都御所

その「小御所」には、
「絵合せ」の人形5体が飾られていました。
左側に2人。


京都御所

右側に2人。


京都御所

中央に1人です。

「絵合せ」は左右に分かれて、
絵画等を出し合い優劣を競います。
「源氏物語」17帖では
藤壺中宮の御前で物語絵合せが行われました。


中央に座っているのは審判の女官でしょうか?
中宮はどこにいたのでしょうか?


京都御所

「御池庭」

池を中心とした回遊式庭園である。
前面は州浜で、
その中に舟着への飛石を置いている。
左手に欅橋が架かり、
対岸には樹木を配し、
苑内を回りながら様々な景色を楽しむことができる。


拝観者はこちら側からしか見ることができませんでした。


京都御所

「御学問所」
学問だけではなく、
親王宣下、月次の和歌の会などにも使われた。


「囲碁」の人形が展示されていました。
大宝律令(701年)の中に囲碁に関する項目があり、
奈良時代には盛んに打たれたようです。
正倉院に碁盤がおさめられています。
平安時代には貴族のたしなみとして好まれ、
「源氏物語」「枕草子」などの文芸作品にも
しばしば囲碁の描写が登場します。


大河ドラマで篤姫が碁を打つのも、
「貴族のたしなみ」だったのでしょうか?


京都御所

当日は快晴で、
白壁には木の枝が影を落としていました。


京都御所

白い山茶花が咲いていました。


京都御所

拝観を終えて出口に向かいました。
振り向くと「御学問所」の破風が見えました。


京都御所

「清所門」から退出します。
バスに戻ると、
降りたときはガラガラだった駐車場に、
ぎっしりとバスが並んでいてました。


◎  京都御所(1) 

11月13日京都御所の拝観です。
到着したのは10時半頃でした。
人波が押し寄せていましたが、
バスの駐車場はまだ数台しか停まっていませんでした。

写真の説明文で色を付けてあるのは、
立て札とパンフレットからのものですが、
何故か「ですます調」と「である調」が混在しています。


京都御所

宣秋門から入ります。
門の前にテントが張ってあり、
そこで(簡単でしたが)荷物検査です。


京都御所

「諸大夫の間」
正式に参内した者の控えの間です。
人形の題名は「和琴」。
奥に見える金地の屏風は「源氏の図」です。

和琴は日本が起源の弦楽器です。
日本古来の歌謡である国風歌舞などの演奏に用いられます。
「源氏物語」26帖では源氏が玉鬘に琴を教えています。



京都御所

「月華門」の置かれた牛車です。


京都御所

「承明門」から見る「紫宸殿」です。
ぐるりと回って、
写真の右側から「紫宸殿」に向かいます。


京都御所

「紫宸殿」に入る人の列。


京都御所

「紫宸殿」の正面です。

「紫宸殿」は即位の礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿である。
大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われた。
中央に天皇の御座「高御座(タカミクラ)」、
その東に皇后の御座「御帳台(ミチョウダイ)」が置かれている。
今上天皇の即位礼の際は、
東京の宮殿に運ばれて使用された。



京都御所

「清涼殿」
室内がうまく撮れていないので、
置いてあった人形の写真です。

「清涼殿」は平安時代、
天皇が日常の御生活の場として使用された御殿である。
現在の建物は平安時代のものより小さくなっているが、
比較的よく古制を伝えている。


「清涼殿」といえば菅原道真の詩「九月十日」を思い出します。

去年今夜待清涼
秋思詩篇獨斷腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拜餘香

去年の今夜 清涼に待す
秋思の詩篇 獨り斷腸
恩賜の御衣 今此こに在り
捧持して毎日 餘香拝す

去年の今夜「清涼殿」で帝の側にあって
「秋思」の題で詩を作って天皇にほめられ、
褒美に御衣を賜ったが、
一年後の今日は大宰府に流され・・・


◎  高野山(2) 

金剛峰寺の次は奥の院です。
弘法大師の御廟があって大師が眠っておられます。


高野山

奥の院に至る道の入り口です。
杉の巨木が立ち並ぶ参道を歩きました。

ここから一の橋、中の橋、御廟橋とあり、
御廟橋までの間には沢山のお墓があります。

新しいのはいろいろな会社の墓、
奥に進むと古い墓、大名の墓などがあります。
例えば織田信長の墓があり、
信長を討った明智光秀の墓があり、
その光秀を討った豊臣秀吉のはかがあります。

御廟橋から先は撮影禁止です。
上で大師はここに眠っていると書きましたが、
今なお生きておられます。
毎日2回食事が運ばれるそうです。
と、説明を聞いたいたら、
ちょうどそこへ若いお坊さんが2人で食事を運んできました。

写真が撮れれば一目瞭然なのですが、
説明すると難しいです。
三角屋根の付いた木製の箱に長い棒を通して、
駕籠のように後先を二人が肩で担いでいきました。
時刻ははっきりしませんが、
11時半頃だったと思います。
あと一回は何時頃なのか分かりません。
1200年近くもこうやって食事を運んできたのは凄いことです。


高野山

奥の院参拝のあとは往路とは別の道を辿りました。
お天気がよくて黄色や赤色のモミジがきれいでした。


高野山

入り口に戻り、
街に戻って昼食でした。


高野山

午後は霊宝館に行きました。
高野山には百を超えるお寺があるそうです。
各寺のお宝がここに集められています。

お庭のモミジがきれいでした。


高野山

これも霊宝館のモミジです。


高野山

霊宝館を出て大師教会へ行きました。
途中の歩道脇にこんな小坊主さんがいました。


高野山

大師教会で阿闍梨さまの法話を聞きました。
ここの境内にあった石碑です。

敦盛は今も十六盆供養     石楠

平の敦盛は笛の名手で、
一の谷の合戦で源氏方の武将、
熊谷直実に討たれました。
そのとき僅か十六歳。


◎  高野山 

長谷寺の参拝を終えて、
バスで高野山に向かいました。
日暮れが早いですから、
山を登る頃は真っ暗になりました。

高野山の標高は約900mだそうです。
上に登りつくと大門があります。
その大門の前に大きなデジタルの気温計があって、
6.7度を示していました。
夕方6時前です――山の上はやっぱり寒いです。

宿は、
高野山ですから宿坊です。
大きな和室に炬燵があり、
エアコンもありました。
両方を駆使して暖かくしました。

夕食はもちろん精進料理でした。
そして般若湯も頂きました。
美味しい酒でした。


高野山

夕食のあと、
給仕をしてくれた若いお坊さんが、
「根本大塔がライトアップされていますから、
行ってみたらいいですよ」
と教えてくれましたので、
夜道を歩いて行きました。


高野山

説明板に書いてありました。

根本大塔は弘法大師の遠大な構想によって創められたが、
その完成は大師以後となった。

雷火によって何回も焼け、
その都度再建された。
現在の塔は第6回目に昭和9年に再建された。
高さは48m余りの真言密教の宝塔すなわち大日如来塔である。

この塔は高野山を象徴する八葉蓮華としての山々の中台になぞらえられる。
すなわち高野山の教理上の中心としての大日如来を象徴するものである。
・・・・・・・・・・


高野山は周囲を山に囲まれた盆地なので、
周囲の山々を八葉蓮華とみなして、
弘法大師がこの地を選んだのだそうです。


高野山

塔の真上には十三夜の月が出ていました。
うっすらと雲がかかっていました。


高野山

大塔のそばにある鐘楼です。
白いのできれいに撮れました。


高野山

次の朝です。
6:30から朝の勤行があり、
ほとんどの人は参加しました。
本堂は火の気がないから寒いこと・・・

前庭のモミジに、
出発頃ようやく日が当ってきました。

今年は最初暖かかったせいで、
紅葉がまだらですと
お坊さんが説明していました。


高野山

お隣に高野山大学があり、
門のそばにモミジが1本立っていました。
この木にはよく日が当っていて、
赤と黄色に輝いていました。


高野山

昨夜の大塔の前にある金堂です。


高野山

大塔の隣にある御影堂です。

金堂、根本大塔、御影堂、鐘楼、その他にもいろいろな建物があります。
この地を壇上伽藍と呼び、
真言密教の思想を具現化した聖地であるとのことです。


高野山

次に金剛峰寺へ行きました。
文禄2年(1593)豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立した寺だそうです。
中に「柳の間」という部屋があります。
秀吉に追放された前関白秀次が切腹を命じられ、
自刃して果てた部屋だそうです。


高野山

境内のモミジです。


◎  長谷寺 

11月11日から13日まで関西方面へ行ってきました。
出発の日は5:30に家を出ました。
東京駅に集合、団体の旅です。
夫婦ばかり11組でした。

初日は奈良の長谷寺。
その晩は高野山に泊まって
2日目は高野山めぐり。
夕方に大阪まで行って泊まり
3日目は京都で御所見学などです。


長谷寺

新幹線に乗ると
富士山が見えるかどうか気になります。
快晴ではないのですが、
見えそうな予感がしていました。

走っている新幹線の窓越しですから、
電線や、運が悪いと電柱が突然入ってきたり、
するのですが、
何とか撮れた1枚です。

レンズは17~70mmのズームですから、
小さくしか写っていませんが、
大胆にトリミングしました。

名古屋で降りて、
後はバスです。
高速が渋滞して、
途中で一般道に降りて走ったり、
予定よりも遅く長谷寺に着きました。


長谷寺

仁王門を入ると登廊です。
春には右側にボタンが咲くのですが、
今は枯れ木です。


長谷寺

ところが1輪だけ咲いていました。
小さな花です。

春の花が遅れて咲いたのか、
冬の花が早く咲いたのか、
どうしたのでしょう。


長谷寺

本堂は撮影禁止です。
ご本尊は十一面観音で、
身の丈3丈3尺(10m余)もある立像です。

垂れ幕の奥にご本尊が安置されていて、
この女子高生たちがいる所は、
京都の清水寺と同じような舞台です。


長谷寺

女子高生たちの背後方向を
舞台から見下ろした風景です。
ご覧のように紅葉はまだまだです。
それに加えて曇り空ですから、
よくいえば落ち着いた眺め、
悪くいえばどんよりしています。


長谷寺

上の眺めの右側が山になっていて、
五重塔があります。
これも紅葉に中にあればよいのですが、
地味な風景でした。

でも女の子が2人いてくれたから、
多少絵になったでしょうか。


長谷寺

歩いて塔の下まで行って見ると、
モミジの枝先の葉が少しだけ赤くなっていました。
ささやかな風情です。


長谷寺

山を降りてきて、
ちょっとだけ紅葉のある風景です。
中央に見える紅葉した木はヤマボウシです。
日が射していればもっときれいなのでしょうが・・・


長谷寺

紅葉がまだ進んでいないせいでしょう、
門前の土産物屋さんが並ぶ通りも閑散としていました。
(近くにある室生寺は紅葉真っ盛りらしかったですが
コースに入っていませんでした)


◎  御苑の花 

菊花壇展を紹介してきましたが、
その他の花です。

御苑を訪れたのは11月1日ですから、
もう半月も経ってしまいましたが・・・


コムラサキ

コムラサキ(小紫)
別名:コシキブ
クマツヅラ科 ムラサキシキブ属

花でなくて実です。
ムラサキシキブでなくコムラサキですが、
11月1日に撮った写真です。

今年は「源氏物語」1000年紀です。
1000年前の11月1日に
「源氏物語」の存在が確認されたのだそうです。

当時の宮廷では、
紫式部さんと清少納言さんが
ライバルとして張り合っていたそうですが、
今年は紫式部さんが優勢でしょう。


バラ

秋のバラは終りかけていました。
その上風が強くて撮りにくい日でした。

シュタット・エルトビレです。


バラ

クリーム・デライトです。

素晴らしい晴天でしたから、
青空をいっぱい入れてみました。


チャ

チャノキ(茶の木)
ツバキ科 ツバキ属

チャノキは近くの茶畑に沢山あるので、
わざわざ御苑まで撮りにいくことはないのですが、
きれいに咲いていましたので・・・


◎  新宿御苑の菊花壇展(2) 

新宿御苑の菊花壇展(1)ということで
7つの小屋の内第1から第3の小屋までを掲載して、
中断してしまいました。

今日は新宿御苑の菊花壇展(2)として
第4から第7までの小屋を一挙紹介します。


御苑の菊

第4番目の小屋は『江戸菊花壇』です。

江戸時代に江戸で発達した古典菊です。
花が咲いてから花びらがさまざまに変化し、
色彩に富んでいるのが特徴で、
「花の変化」を鑑賞する菊です。

新宿御苑の菊花壇の中では
最も古い歴史があります。
(作り始めは明治11年)


2_IGP7271.jpg

同じく江戸菊の白花です。


御苑の菊

第4の小屋から第5への途中に、
路地花壇があります。

左側は池。
右側の芝生の奥にお茶室「楽羽亭」があります。


御苑の菊

第4番目の花壇は『一文字菊、管物菊花壇』です。


御苑の菊

一文字菊は、
花びらの数が16枚前後の一重咲きの大輪菊です。
花の形から御門章菊とに呼ばれます。


御苑の菊

管物菊は、
筒状に伸びた花びらが放射状に咲く大輪菊で、
糸菊ともよばれています。


御苑の菊

第6番目の小屋は『肥後菊花壇』です。

古くから肥後(熊本)地方で作られた一重咲きの古典菊で、
主に武士の精神修養として発達しました。


御苑の菊

これも肥後菊です。


御苑の菊

最後の第7番目は『大菊花壇』です。

大菊は、
菊の代表的な品種で、
花びらが花の中央を包み込むように丸く咲くのが特徴です。

黄・白・紅の順に植えつけ、
全体の花が揃って咲く美しさを鑑賞する花壇です。


御苑の菊

黄花です。


御苑の菊

白花です。


御苑の菊

紅花です。


御苑の菊

39品種311株が植えつけてあるそうですが、
これで半分足らずです。


◎  新宿御苑の菊花壇展(1) 

新宿御苑の菊花壇展に行ってきました。

この時期あちこちで行われる展覧会は、
菊作りの名人たちが作品を持ちより、
審査の結果で金銀などの賞がつけられていますが、
ここは御苑で育てた菊が展示されています。

パンフレットによれば、
明治11年宮内省は
皇室を中心として菊を鑑賞する初めての『菊花拝観』を
赤坂の仮皇居で催しました。
展示用の菊は当初赤坂離宮内で栽培されていましたが、
明治37年より新宿御苑でも栽培が始まりました。
そして昭和4年からは観菊会も御苑で行われるようになりました。


ということで、
クラシカルな菊花展です。


御苑の菊

園内に7つの小屋が建てられて、
それぞれに異なる品種の菊が飾ってあります。
この花壇を過ぎると
最初の小屋があります。


御苑の菊

1番目の小屋は『懸崖作り花壇』です。

野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を摸して、
1本の小菊を大きな株に仕立てます。

陽射しが強すぎて、
小屋の中が暗くてうまく写っていません。


御苑の菊

明るい部分だけを撮りましたから、
大きい物も部分だけになっています。


御苑の菊

2番目の小屋は『伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇』です。

伊勢菊は、
伊勢地方で発達した菊で
縮れた花びらが垂れ下がって咲きます。


御苑の菊

丁子菊は、
花の中心部が盛り上がって咲く菊で、
アネモネ咲きとも呼ばれます。


御苑の菊

嵯峨菊は、
京都の嵯峨地方で発達した菊で、
細長い花びらがまっすぐに立ち上がって咲きます。


御苑の菊

3番目の小屋は『大作り花壇』です。

初冬に出てくる芽を1年がかりで枝数をふやし、
1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて咲かせる技法を「大作り」と呼びます。

これは新宿御苑独自の洋式で、
全国各地の菊花壇展でみられる千輪作りの先駆けにもなっています。

写真の品種は「白孔雀」
花数:548と書いてありました。


御苑の菊

「白孔雀」の部分です。


御苑の菊

「白孔雀」の根元です。
赤い丸印が茎ですが、
花部に対してずいぶん細いです。


御苑の菊

これも白花で「裾野の月」です。
花数:706と多いですが、
まだ咲き始めです。


御苑の菊

大作りは3鉢の展示で、
黄色は「裾野の輝」
花数:640です。

御苑の菊

「裾野の輝」の部分です。


◎  入間航空祭 

11月3日入間航空祭に行ってきました。
航空自衛隊入間基地で毎年この日に行われる航空ショーです。
今年は基地創立50周年だそうです。

目玉はブルーインパルスのアクロバット飛行ですが、
その前に輸送機がかなりのアクロバットをやったり、
落下傘部隊が降下したりもしました。
この日は生憎の曇り空で見栄えのしない写真ばかりになりましたので、
ブルーインパルスに絞って掲載します。


入間航空祭

こんなジャンパーを着たおじさんがいました。
かなりのファンなのでしょう。
ブルーインパルスの機体もこんなに写ればよかったのですが、
グレーインパルスになってしまいました。


入間航空祭

ブルーインパルスは6機が駐機していました。
出発(離陸)から見せてくれたのですが、
この人出ですから、
滑走路はとても見えません。

最初に4機が編隊を組んで離陸したようです。
次々に飛び立って、
空で編隊を組むのではなくて、
離陸したときにはダイアモンド編隊を組んでいました。



入間航空祭

見ごたえのない写真なので小さくしました。
左の上から下へ、
それから右の上から下へと見てください。


入間航空祭

あまりに惨めな写真なので
やめようかと思いましたが準備したので掲載します。

2機がぐんぐん上昇して、
左右に分かれ、
下降して、
交差します。
これでハートができました。

その中心を目がけて3号機が横から入ってきます。
見事にハートを射抜きました。
(写真は全然見事でありませんが・・・)


入間航空祭

たっぷりとショーを見せた後は着陸です。
着陸は1機ずつです。
しかし飛行場の隅で6機が揃ってから、
同時行動で、
最初の駐機位置に戻りました。

その様子は人の影に隠れて見えません。
つまり滑走路を見ることができるのは最前列か
それに近い人だけになります。

そこで知恵を働かせる人がでてきます。
脚立を持参するのです。
そうすると、
その人は見えるのでしょうが、
その後ろの人はますます見えなくなります。

「他の人の迷惑になりますから、
脚立の使用はご遠慮下さい」
とアナウンスしていますが、
聞く人はいません。

他人の迷惑など気にせず、
自分の利益を追求する。
これって資本主義の原理かなあ、
と思いました。


入間航空祭

なんとかきれいな色で撮れた1枚です。


◎  多峯主山 

11月2日、久しぶりに山へ行ってきました。
山といってもほんとに低い山です。

当日はちょうどお祭りで賑わっていた飯能の市街を抜けて行くと、
能仁寺という大きな寺に着き、
その脇から天覧山への登りが始まります。


天覧山

天覧山頂上の見晴台からの眺めです。

天覧山は、
標高195m。
山麓にある能仁寺の守護神である愛宕権現を祀ってあることから、
愛宕山と呼ばれていましたが、
元禄年間に
徳川5代将軍綱吉公の生母
桂昌院が納めた羅漢の石仏に因んで、
羅漢山と呼ばれるようになります。

明治16年
陸軍の演習に際して、
明治天皇のお野立所となったのを記念して、
天覧山と称されることになりました。

天覧山の頂上から北へ下って、
次の山へ向かいます。


多峯主山

今日の最高峰
多峯主山(とうのすやま)です。

「多峯主山は標高271m。
文字通りこの辺りの山ではひと際高い」
と表示板に書いてあります。
頂上に3等3角点があります。


富士山

お天気がよくて、
富士山が見えました。
冬のように空気が澄んでいませんから、
薄くしか見えません。
しかもレンズは70mmです。

大幅にトリミングして、
Photoshopでフィルターを掛けて、
お見せしています。


吾妻峡

多峯主山の山頂で昼食を取ってから山を下りました。
平地に出て少し歩くと入間川に出ます。
ここは吾妻峡と呼ばれる名勝です。
紅葉には少し早かったのですが、
水面に映る景色がきれいでした。


コスモス

川に沿った道路を駅に戻ります。
途中で撮ったコスモスです。


7月に膝を傷めてから始めての山歩きでした。
殊更にゆっくりと歩きましたが、
多峯主山からの下り道で母子連れに追い抜かれました。
男の子は2年生、
女の子は3歳(間もなく4歳とのこと)です。
小さい子は身軽です(苦笑)

膝はまだ完治でありませんが、
このくらいの坂道なら、
そしてゆっくりなら
大丈夫ということが確認できました。


◎  復讐 

今年の7月スイスへ行きました。
チューリッヒ空港で、
帰国の飛行機に乗り込むとき、
通路の脇に無料の新聞が置いてありました。
1面の写真に惹かれたので貰ってきました。

7月11日付けの「ヘラルド・トリビューン」という
「ニューヨーク・タイムズ」の国際版の新聞です。


多分ベッドでしょうが、
そこに腰を下ろしてカーテンの降りた窓を眺めている老人の
憂いに満ちた後ろ姿。
この写真に惹かれました。


復讐

この62歳の老人は毎日窓の外を眺めて過ごしている。
血で血を洗う争いが彼を家の中に閉じこめているのだ。
閉じこもりはすでに8年に及んでいる。


老人の写真の下方に少年の写真があります。


復讐

『自由が欲しい。学校へ行きたい』
この17歳の少年はいう。
『恐ろしくて戸外に出ることができない。
こんな生活は刑務所に入っているよりもひどい』



記事の見出しは
『死の因習』
――アルバニアの男たちの居場所は自宅だけ――


記事は少年の方から始まっています。
アルバニアの少年、クリスチャン・ルリ(17歳)は
この10年間狭い自宅に隠れ住んでいる。
戸外に出ればたちまち殺されてしまうからだ。
ビデオゲームなどで時間つぶしをしている。
学校へ行けないから学力は12歳程度である。
夢は建築家になることだが、
諦めて四方の壁を見つめて暮らしている。

彼の不幸は殺人者の息子として、
このアルバニア北部の地に生まれたことによる。
500年以上も続くこの地方の掟によれば
「血は血によって償われなければならない」のである。

掟によれば、
男の子は銃を扱えるほどの年齢になると、
復讐者(殺された側の親族)にとって殺してもよい相手となる。
クリスチャンの親族では
17人の男たちが家に閉じこもっている。


老人の方の話。
シェリフ・クルタージ(62歳)は
背中の腫瘍と歯槽膿漏の治療が出来ないでいる。
二人の息子が隣人を殺してからの8年間
家に閉じこもったままである。
治療や手術のために病院へ行こうとすれば、
復讐者の銃弾で死ぬことになるのだ。


こうした風習も少しずつ変わり始めているらしいことも載っている長い記事ですが、
写真に関わる説明部分だけを紹介しました。


◎  温室の花 

投稿を怠けている内に
たちまち日が経ってしまいましたが、
前回の小平薬用植物園の続きです。
ここには小さな温室があります。
久々に温室の花を撮りました。


オウゴチョウ

オウコチョウ
マメ科 Caesalpinia pulcherrima
和名:黄胡蝶
熱帯アメリカ原産
小種名(pulcherrima)は「最も美しい」という意味

と名札に書いてありました。


オウゴチョウ

図鑑を引いたら「オウゴチョウ」になっています。
和名はやっぱり「黄胡蝶」です。

検索で調べると
どちらもありますが、
どうやら濁る方が主流のようです。

漢字を見たら「オウコチョウ」と読みたくなります。
何故濁るのか分かりません。


サンゴバナ

サンゴバナ
(ウスロサンゴバナ)
キツネノマゴ科
南アメリカ原産

と書いてありました。

「ウスロ」って何だろうと図鑑を調べたら、
「ウスイロサンゴバナ」と書いてありました。
「薄色珊瑚花」です。
「イ」が落ちていました。

「サンゴバナ」は真っ赤なのが本来で、
ピンク色のも含むようですが、
区別するときは「ウスイロ」を付けるようです。


インドジャボク

インドジャボク
キョウチクトウ科

有毒植物で、
根を
鎮静、催眠、血圧降下
に用いるそうです。


ドラセナ

これは何に見えるでしょうか?

コルディリネ
リュウゼツラン科

俗にドラセナと呼ばれる観葉植物です。



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