Photo & Essay

◎  蘭 

新宿御苑の花
最終回、
蘭の続きです。

蘭

デンドロビウム トモヒサ ユカワ
Dendrobium Tomohisa Yukawa


蘭

デンドロビウム ニューギニア
Dendrobium New Guinea


蘭

パフィオペディルム アルマ ガバート
Paphiopedilum Alma Gavaert


蘭

パフィオペディルム(名札なし)


蘭

カトレヤ(名札なし)



先日カプチーノのことを書きましたが、
イタリアン・コーヒーについて調べましたので、
忘れない内にまとめておくことにします。

イタリアン・コーヒーと書きましたが、
これは英語式です。
イタリア語では、
形容詞が後になりますから、
カッフェ・イタリアーノ(caffe Italiano)になります。
先日はカフェとかカプチーノとか書きましたが、
カッフェ、カップチーノというように
「ッ」を入れるのがイタリア式発音だそうです。

基本はエスプレッソ(espresso)です。
イタリアでカッフェといえばこれのことです。
ごく細かく挽ひいた深炒りの粉に圧搾蒸気を通して
一気に淹れた濃いコーヒーで、
"espresso"とは英語の"express"「急行」
つまり「すぐできるコーヒー」という意味だそうです。
「一気に」とは20秒前後のようです。

デミタスと呼ばれる小さなカップで出されますが、
イタリア人はこれにたっぷりの砂糖を入れて
一気に飲みます。

私たちが普通に飲んでいるようなコーヒーは、
カッフェ・ルンゴ(caffe lungo)といいます。
"lungo"は「薄い」という意味です。
ホテルの朝食でウエイターが、
"Caffe? or tea?"といってポットを持ち歩いていたのは、
このカッフェ・ルンゴです。

エスプレッソにミルクを加える飲み方があります。
ちょっとだけ入れたものを、
カッフェ・マッキアート(caffe macchiato)と呼びます。
"macchiato"は「汚れた」とか「染みのついた」という意味で、
コーヒーの色をちょっと汚す程度にミルクを入れたということです。

ミルクをたっぷり入れたのが、
カップチーノ(cappuccino)ですが、
スタバなどには、
カフェ・ラテというものがあります。
どう違うのでしょうか?

イタリア式にいえばカッフェ・ラッテ(caffe latte)ですが、
("latte"は「ミルク」)
これはカップに半分エスップレッソを入れ、
残りの半分をスチームミルクで満たします。
カップチーノも同じく半分がエスプレッソで
残りをスチームミルクとフォーム(泡)半々で満たします。
ですから、
カップチーノの方がカフェ・ラテよりも味が強くなります。

このカフェ・ラテはイタリア語を並べていますが、
イタリアにはないそうで、
アメリカ生まれのようです。

フランスで愛飲されるカフェ・オ・レは
カフェ・ラテのベースになっているエスプレッソを
カッフェ・ルンゴ(普通のコーヒー)に変えたものということになります。
ですから、
カフェ・オ・レはカフェ・ラテよりも薄味になります。


自分の知識整理のために書き連ねました。
最後までお読みになった方には、
お退屈さまでした。


◎  蘭 

新宿御苑の花
第5弾です。

新宿御苑での蘭の栽培は明治25年(1892)まで遡るそうです。
昭和33年(1958)に東洋一を誇る温室が完成し、
そこで戦前からの品種や
御苑で作出した品種、
野生蘭の原種などを保護栽培しています。

その温室が平成19年から23年までの予定で
改修工事に入っているため、
見学できなくなっているのですが、
20種類足らずの蘭がレストランの建物の中に展示されていました。


蘭

ファレノプシス アマビリス ”エレガンス”
(Phalaenopsis amabilis "Elegance")


蘭

カランセ ヴェスティタ
(Calanthe vestita)


蘭

アダ カイリアナ
(Ada keiliana)


蘭

アングレクム ビーチー
(Angraecum Veitchii)
(eburneum x sesquipedale)
Veitch 1899年登録



「ブログ始め」の話の続きです。

写真を載せ、
何かを書くことにしました。
その何かは写真と関連していてもよいし、
無関係でもよいと考えました。
その文体は、
ためらわず「だ。である調」に決めました。

そのころ朝日新聞の夕刊に週一回、
『炎の文章塾』というコラムが連載されていました。
主に大学生を対象にした作文塾で、
入社試験での作文などを想定したものでしたが、
なかなか面白いので愛読していました。

そこで読んで頭に残っていたのが、
「だ。である調」で書くことを勧める。
「です。ます」だと、
どうしてもセンテンスが長くなる。
どこか間延びして、弱弱しくなる。
書き方が難しい。

という教えでした。

実際にブログを始めてみると、
たいていの方が「です。ます調」で書いておられます。
心の隅に何がしかの違和感を抱きながらも、
『塾』の教えに従って「だ。である」を続けました。

その違和感に抗し切れず、
FC2に移るのを機会に「です。ます調」に切り替えました。

作文は、
特に入社試験などでは、
読んでもらうための文章ですが、
ブログの場合は、
読んでもらうのではあるけれども、
聞いてもらうような気持ちが、
語りかけるような気持ちが、
多分にあるのではないでしょうか。。。


◎  ツバキ 

新宿御苑の花
第4弾です。

ツバキ

御苑の入り口に
「ツバキが咲き始めています」
と書いてありました。


ツバキ

割と大きな木が多く、
日当たりのせいでしょうか、
高い所に咲いている花が多くて、
近づいて撮れる花は僅かしかありませんでした。


ツバキ

ツバキには全く名札が付けてありませんので、
名前は不詳です。



前回の続きで、
ニックネームの由来です。

2003年にイタリアへ行きました。
ホテルの朝食はたいていビュッフェ(いわゆるバイキング)方式です。
だから好きな料理を取ってきて食べます。
コーヒーや紅茶は、
同じように自分で持ってくる場合と、
ウエイターやウエイトレスが
コーヒーと紅茶のポットを持って回って来る場合とあります。

旅の最後はローマで、
そこで3泊したホテルは後者でした。
食堂の入り口で一緒のグループのWさんとちょうど一緒なりましたので、
同じテーブルで食事することにしました。
席に案内してくれたウエイターが
「コーヒーですか?紅茶ですか?」と聞きました。
両手にコーヒーと紅茶のポットを持っています。

Wさんは「カプチーノを」と頼みました。
ウエイターは「イエス、サー」といいましたので、
私も真似をしてカプチーノを頼みました。
ウエイターはキッチェンに戻り、
しばらくすると、
淹れたてのカプチーノをトレーに乗せてきました。

とても美味しいかったし、
Wさんがお代わりを頼んだので、
私もお代わりを頼みました。
ウエイターはいやな顔も見せずに持ってきてくれました。

食事をしながらWさんの話を聞きました。
私よりも年上の方です。
奥様をなくされていて、
娘さん(といっても50歳過ぎ)とご一緒でした。
最近はその娘さんの娘さん、
つまり孫娘さん(大学生)を連れて旅行することもあるということでしたが、
今回の連れは娘さんでした。

娘さんはニコニコしていいました。
「父と来るといいんですよ。
費用は全部父持ちだし、
いろんな所へ連れて行ってくれるし、
父の面倒を見るという大義名分があるから、
大いばりで留守にして来れるし・・・」

Wさんは健康状態に少し問題があるので、
一人旅は避けているとのことでしたが、
お元気でした。
そして海外旅行の大ベテランでした。

次の日もその次の日も、
(Wさんと一緒にはなりませんでしたが)
毎朝カプチーノを2杯ずつ頂きました。

カプチーノは印象深い飲み物となりましたので、
帰国後もカフェではたいていカプチーノを頼むようになりました。

ブログを始めようとした元日も、
初詣の後カフェに寄って、
カプチーノを飲んできたばかりでしたので、
ニックネームをどうしようと考えたとき、
自然と浮かんできたのです。


◎  ペーパーホワイト 

新宿御苑の花
第3弾です。

ペーパーホワイト

ペーパーホワイト
ヒガンバナ科

かなり以前から見ごろのようです。


ペーパーホワイト

純白のスイセン。
寒い時期の白い花は、
寒さのせいで傷んでいることが多いのに、
この花は寒さに強いようです。


ペーパーホワイト

ペーパーホワイト以外は枯れ木ばかり。
向こうに見えるのはNTTビル。
NHKの天気予報のとき、
「現在の新宿」の映像の中心に写っています。


振り返ってみますと、
ブログを始めたのは2006年1月2日でした。
dionのLOVELOGで、
2008年1月31日まで2年と1ヶ月続けました。
2月2日からこちら(FC2)に移転しましたから、
FC2に来て、
間もなく1年になります。

1月1日の午後になって、
「よし、元日からブログを始めよう」
と決心したのですが、
準備が整わず2日にずれこみました。
題名を何としようかとか、
ニックネームは?
テンプレートは?
文字が小さくて読みにくいので大きくしたいとか、
その場になって考えているものですから、
手間がかかりました。

ニックネームはカプチーノのイタリア語にしようと考えました。
それは"cappuccino"なのですが、
登録を何故か拒否されました。
そこで勝手な造語で"capucino"としたら
幸いなことに受け付けてくれました。

後になって考えれば、
文字数が少なくなって、
良かったのではと思っています。

何故カプチーノなのかは次回に。


◎  カンザクラ 

新宿御苑の花
第2弾です。

カンザクラ

カンザクラ(寒桜)
花期:1月~3月中旬
カンヒザクラ群の園芸品種。
花は淡紅色で一重咲き。


と書いた板が幹に貼ってありました。


カンザクラ

まだほとんどが蕾で、
ぽつぽつとしか開いていませんでした。


新宿御苑

御苑の芝生です。
お天気がよければ、
ウィークディでもかなりの人がいるのですが、
曇りで寒かったせいでしょう、
だれもいません。

真実を語れば、
寂寥感を出すために、
誰もいないところを狙って撮ったのですが・・・

でも入園者が少なかったことは確かです。
園内にレストランがあります。
覗いてみるとかなりの人数がいました。
寒いので、
ここで暖まっているようでした。
私も入ってコーヒーを飲みました。
(体が冷えていてビールを飲む気にはなりませんでした)

撮った花がもう少しありますので、
掲載して行くつもりです。



◎  ウメ 

新宿御苑のウメです。

ウメ

お茶室のそばで1本だけ咲いていますと入り口に書いてありました。
それがこの白梅です。
いつ降ってきてもおかしくないような曇り空に
満開でもない白梅は
残念ながら見栄えしません。


ウメ

紅梅はほんの咲き始めです。
いっぱい咲いていれば、
そして撮りやすいように枝が垂れ下がっていなければ、
こんな一輪だけでは、
撮ってもらえないだろうと思いながら撮りました。


ウメ

曇り空とはいうものの
完全に逆光です。


ウメ

お茶室から離れた場所に
もう少し咲いている木がありました。



今朝の朝日新聞に、
鶴田知佳子さん(東京外語大教授、同時通訳者)が書いていました。

オバマ大統領が誕生した瞬間、
CNNの中継を同時通訳しているブースの中で、
同僚と私は思わず快哉を叫んだ。
これで久しぶりに大統領らしい英語の通訳ができる。
もっと正直にいえば、
通訳者の頭が悪そうに聞こえないで助かる・・・・・。

・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・

初のアフリカ系大統領だが、
黒人特有の発音やアクセントがない。
インドネシアやハワイの学校で学んだり、
カンザス州出身の白人の祖父母に育てられたりしたからだろう。
高い教育を受けた知識人の英語だ。

・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・

彼の演説に共通しているのは、
この人についていけば明日は良くなると思わせる説得力、
そして聞いている人たちを自分も統一体の一部と思わせる力だ。
同時通訳をしながら、
国家の指導者の言葉とはこういうものかと思った。



冒頭の段落で「通訳者の頭が悪そうに聞こえ」る心配を感じていたのは、
つい先日までの大統領のことでしょうか?
最後の段落の「国家の指導者の言葉とはこういうものか」
国会の施政方針演説などで聞いてみたいものです。

あまり見たことのなかった Youtube で
オバマさんの就任式とスピーチ
(President Barack Obama 2009 Inauguration and Address)を見ました。
そして彼の「高い教育を受けた知識人の英語」を聞いてみました。
聞いて分かるのか?
と質問されそうですが、
最近は日本語だってよく聞き取れません(苦笑)。
報告できるのは閲覧者数が 2,371,634 人だったことです。


◎  江戸野菜 

昨日新宿に出たついでに御苑へ寄ったら、
「江戸野菜と内藤新宿(新宿御苑)」
という展示をやっていましたので紹介します。
(先日、太宗寺~内藤新宿のことを書きましたので、
その関連のつもりです)

参勤交代のために江戸に下屋敷を構えた大名たちは、
やがて下屋敷で故郷の野菜を栽培するようになりました。
現在の新宿御苑とその周辺に
家康から受領した約20万坪以上もの屋敷を構えていた内藤家では、
内藤唐辛子や内藤南瓜を始めとする野菜が作られました。
その後、
江戸の人口が増加するに従って野菜の需要が増大、
近郊農家では、
これらの江戸野菜が盛んに栽培されたといわれます。



江戸野菜

内藤唐辛子

内藤家の菜園から広がった野菜の一つ。
品種は八つ房唐辛子。
内藤新宿から大久保方面にかけての畑は
真っ赤に彩られて美しかったといいます。
当時は成熟したものを漬物用や香辛料として使われました。



江戸野菜

内藤南瓜

内藤家の菜園から広がり、
淀橋・中野付近で栽培されるようになり、
淀橋南瓜といわれました。
表面に深い縦の溝がある、
ごつごつの日本南瓜で、
熟すと黄褐色になり、
菊座南瓜ともよばれています。



内藤家の野菜ばかりでなく、
江戸で採れた野菜も展示されていました。


江戸野菜

練馬大根

五代将軍の綱吉が尾張から大根のタネを取り寄せ、
練馬の農家に栽培させたのが始まりとされています。
当時は地元の大根と交雑し、
色々な大根が作られました。
煮ても漬物でも美味しく、
三浦大根の一方の親もこの練馬大根です。


東京都練馬区の特産品の大根で、
昭和20年代までは大根の代名詞のような存在でしたが、
青首大根に押されて生産量が少なくなりました。
その理由としては収穫時の重労働があるようです。
練馬大根は上の写真で見るように
首と下部は細く、
中央が太いということから、
収穫で引き抜く際、
青首大根の数倍の力が必要だといいます。
つまり高齢農家への負担が大きかったのです。


江戸野菜

小松菜

八代将軍吉宗が鷹狩に
(現在の江戸川区小松川付近のようです)
出かけた際に食べ、
小松菜と名付けました。
展示の小松菜は江戸時代から栽培されている伝統野菜です。
現在市販されている小松菜は
チンゲンサイなどと交配して栽培しやすく、
日持ち良く改良されています。



以上の他にも、
品川の蕪、目黒の筍、早稲田の茗荷、駒込の茄子、谷中の生姜・・・
などなどがあるそうです。

つまりこれらの土地は、
新宿も含めて、
江戸郊外の農地だったのでしょう。

ヨドバシカメラは知っていても、
ヨドバシカボチャは知りませんでしたし、
目黒は秋刀魚(落語)だと思っていたら筍でした。


◎  ハボタン 

ハボタンです。
撮ったのは昨年の暮れです。

ハボタン

美味しそう。
食べられそうな気がします。

ハボタン


パソコンのHD(ハードディスク)を交換しました。
雑誌の記事と取説を見ながらやりましたが、
書いてある通りにならないところがあって、
戸惑いもありましたが、
結果オーライで、
無事交換作業完了しました。

昨年の今頃、
パソコン雑誌を見たら、
HDの寿命は5年位だと書いてありました。
その頃で私のパソコンは6年経っていましたから、
時期だな、
と思いました。

その後、
はっきりと調子が悪くなってきました。
いつも使用するPhotpshopがスムーズに立ち上がらなくなりました。
途中で長いお休み時間があります。
閉じるのもかなり時間が掛かります。

たまたまシステムのエラーレコードの調べ方を知りましたので
早速調べました。
「ハードディスクDドライブの一部に不良ブロックがあります」
という記録が何行かありました。

「一部にある」といっても、
たちまち広がるから、
すぐにHDを交換した方がよい、
とのことでした。

それで意を決して
交換に踏み切りました。

Photpshopがさっと立ち上がるようになりましたから、
対策として間違っていなかったのだろう、
と思っています。
(80GBを120GBに増やしたせいなのかも知れません)
これでもう5年、
安心して使えれば有難いことです。
(買ってから現在7年です)

でも他にも老化している部品はあるだろう、
という心配はありますが・・・・・。


◎  秋麗 

前回に続いて多肉植物の花です。

秋麗

秋麗(シュウレイ)
ベンケイソウ科 グラプトペタルム属


秋麗

検索で調べたら、
「春~夏にかけて黄色の花が咲く」
と書いてありましたが、
わが家では真冬の今、
家の中で咲いています。

―――――――――――

前回の閻魔大王などによる裁判のことの続きです。

亡者を裁くためには罪状を調べ上げる必要があります。
これを担当するのが倶生神です。
人間が生まれると
その人に専属の倶生神が付きます。
肩の上に乗っていて、
人の行動を残らず書き記しておき、
死後にそれを閻魔庁に届けます。
だから罪から逃れることはできません。

それなのに何故10回も裁判があるのでしょうか?
私の推定では、
なんとかして罪を軽くしてくれようという心が
閻魔庁にあるのだと思います。

どんな判決が下るのでしょうか?
その前に仏教の世界観を知っておく必要があります。

仏教では全世界を分けて10界としています。
それを更に迷界と悟界に分けます。

迷界は6界(6道ともいいます)即ち、
地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界からなっています。
われわれは人間界にいるわけですが、
死後は裁きによって、
次に生まれ出る界が決められるのです。
こうしていろんな界に生まれ変わるのが、
輪廻転生です。
3周年の五道転輪王による裁判で、
最終決定しますから、
死後満2年で生まれ変わる界が決まることになります。

そこで私の疑問です。
死後2年経ったら、
「千の風になって」の歌詞のように、
「私はお墓の中にいません。
死んでなんかいません。
畜生になって生きています」
なんてことになるのでしょうか・・・

善行を積んだ人だけが、
この輪廻を脱出して悟界に入れます。
ここには声門界、縁覚界、菩薩界、仏界の4界がありますが、
正直いって縁のない界です。


◎  金の成る木 


金の成る木

金の成る木に花が咲きました。
ある程度年数が経たないと咲かないようですが、
この木花が付けたのは2度目です。

妻が小さなのを貰ってきて、
忘れた頃水をやるという、
いい加減な管理をして幾星霜・・・


金の成る木

フチベニベンケイ(俗称:金の成る木、成金草)
ベンケイソウ科

――――――――――

今日は「初閻魔」の日です。
歳時記にはこんな風に書いてあります。

正月16日、
その年の最初の閻魔の縁日のこと。
おりから、
薮入りの日で各地の閻魔堂は参詣人でことのほか賑わう。


先日掲載した新宿太宗寺の閻魔堂に書いてあった文を引用すると、

江戸時代より「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信仰をあつめ、
かつては薮入り(1月と7月の16日に商家の奉公人が休暇を貰い家に帰ること)
に閻魔大王の縁日が出て賑わいました。


「賑わいました」と過去形になっていますから、
現在は賑やかな縁日でないようです。

死んであの世に行くと、
閻魔大王の裁きを受けるといいますが、
どうなるのでしょうか?

この世の裁判は地裁、高裁、最高裁の3段階ですが、
あの世では裁判が10回あり裁判官も10人いるそうです。
その10人の内の一人で
中心的な役割を果たすのが閻魔王です。

10回の裁判は次のように行われます。
日取りと担当の裁判官です。

初七日つまり 7日目----秦広王
二七日つまり14日目----初江王
三七日つまり21日目----宋帝王
四七日つまり28日目----伍官王
五七日つまり35日目----閻魔王
六七日つまり42日目----変成王
七七日つまり49日目----秦山王
百箇日----------------平等王
一周年----------------都市王
三周年----------------五道転輪王

ご覧のように人が亡くなった時の法要の日取りと一致しています。
法要はそれぞれの判決の前に
生きている親族が罪の軽減を祈るのです。
ですから法要は前倒しはよいのですが、
先送りはいけません。
判決が出てしまいます。
閻魔王は35日が担当。
そして裁判のあらかたは49日で決着するそうです。


◎  霜柱 

寒い日が続いています。
雨も雪もあまり降りません。
毎朝霜柱が立っています。

広辞苑で引くと、
しも‐ばしら【霜柱】
寒冬、
土中の水分が地表にしみ出てきて凍結し、
細い柱状群となって上方に成長するもの。
この際、
多くは表土を押し上げる。
関東地方の赤土に顕著。



霜柱

確かに柱です。
上を向いて立ち上がっています。

土が載っていないときれいだと思うのですが、
下から伸びてくるのだから仕方ありません。


霜柱

左側のは
くぼみがあったので
上から下へ伸びたようです。

右側のは
横に伸びて
先が垂れ下がったようです。


霜柱

これはあったままを撮っています。
横に伸びて重なり合い、
折れたものがあったりしたのでしょうか。

朝、ゴミ捨てに出たとき、
これを見つけ、
惹かれて、
カメラを持ち出しました。

霜柱顔ふるるまで見て佳しや      多佳子


◎  太宗寺 

前回に引き続いて太宗寺です。


太宗寺

お地蔵さまの隣に閻魔堂がありjました。
堂内には閻魔像と脱衣婆像が安置されています。


太宗寺

閻魔像ですが、
掲示板に載っていた写真ですから不鮮明です。

木造彩色、
総高550cmの巨像で、
目をむき大きな口をあけて見据える姿は拝観者を恐れさせ、
子供のしつけのため参拝されていました。



太宗寺

脱衣婆像です。

木造彩色で総高240cm。
明和3年(1870)の製作と伝えられます。

脱衣婆は閻魔大王に仕え、
三途の河を渡る亡者から衣服を剥ぎ取り、
罪の軽重を計ったとされます。

衣を剥ぐことから、
内藤新宿の妓楼の商売神として信仰されました。



太宗寺

閻魔堂の向かい側には不動堂があります。
この中には三日月不動像が安置され、
その前面に布袋尊像が置かれていました。


太宗寺

三日月不動尊像です。

額の上に銀製の三日月を持つため、
通称三日月不動を呼ばれます。

銅造で像高は194cm、
火炎光背の総高は243cm。
江戸時代の作ですが、
詳細は不明です。

寺伝によれば、
この像は高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、
休息のため立ち寄った太宗寺の境内で、
磐石のごとく動かなくたったため、
不動堂を建立して安置した伝えられています。

額上の三日月は「弦月の遍く照らし、
大空を駆ける飛禽の類に至るまで、
あまねく済度せん」
との誓願によるものといわれます。



太宗寺

ようやくにして、
布袋尊像です。
この寺へ来たのは、
七福神めぐりで、
この像を拝むのが目的でした。

布袋尊は中国の禅僧がモデルで、
豊かな暮らしと円満な家庭の守護神です。

新宿山の手七福神は、
昭和初期に有志によって創設されたもので、
太宗寺(布袋尊)
鬼王神社(恵比寿神)
永禄寺(福禄寿)
厳島神社(弁財天)
法善寺(寿老人)
経王寺(大黒天)
善国寺(毘沙門天)
の七ヶ所となっています。


全部の名前が出てきたところで、
新宿山の手七福神巡りは完結とさせて頂きます。


◎  太宗寺の地蔵菩薩像 

昨日は「内藤新宿」の話で終わってしまいましたが、
太宗寺のことは
昨日写真を載せた地蔵菩薩像から
始めたいと思います。
これも境内に掲示してあった文書からの抜粋です。


太宗寺

この地蔵菩薩像は、
江戸時代の前期に、
江戸の出入り口六箇所に造立された
「江戸六地蔵」のひとつです。

銅造で像高は267cm、
正徳2年(1712)9月に「江戸六地蔵」の3番目として
甲州街道沿いに造立されたものです。

「江戸六地蔵」は深川の地蔵坊正元が発願し、
江戸市中から多くの寄進者を得て造立したものです。
各像にはその名前が刻まれていますが、
その合計は7万2千人以上に及んでいました。


太宗寺

字が細かくて見えにくいですが、
台座部に刻まれた名前です。
像の肩部などにもぎっしりと刻み込まれていました。


ここ以外にある「江戸六地蔵」は、
品川寺(品川区南品川)
東禅寺(台東区東浅草)
真性寺(豊島区巣鴨)
霊巌寺(江東区白河)
永代寺(江東区富岡)
で、
このうち永代寺の像だけが現存していません。



地蔵菩薩像は境内の入り口にあります。
中に本堂と閻魔堂と不動堂があるのですが、
それについては次回とします。


白侘び助

お地蔵さまだけでは色気がありませんので、
全く別の場所での撮影ですが、
白の侘び助です。


◎  甲州街道と内藤新宿 

新宿山の手七福神の2番目は太宗寺です。
この寺は新宿御苑の門のすぐそばにありました。

いろんなことを書いた掲示板がありました。
今回はそこから拾い読みした新宿の歴史です。


太宗寺

太宗寺の境内に入るとすぐに大きなお地蔵さまがありました。
この像についての話も次回に譲ります。


新宿御苑

新宿御苑内のプラタナス通り。


甲州道中と内藤新宿

〖内藤新宿の開設〗
徳川家康は江戸に幕府をj開いた直後、
五街道(東海道、中仙道、奥州道中、日光道中、甲州道中)の整備を行いました。

甲州道中(甲州街道)は慶長9年(1604)に整備が行われたもので、
江戸から甲府を経て
下諏訪で中仙道に合流します。

この街道の最初の宿場は高井戸(現杉並区)でしたが、
日本橋を出発して4里8丁(16.6km)もあったため、
人馬とも不便でした。

そこで浅草の名主喜兵衛は、
元禄10年(1696)に同志4名とともに、
ここ太宗寺の南東に宿場を開設するよう願い出ました。

この願いは翌年許可となり、
幕府は宿場開設の用地として、
譜代大名内藤家の下屋敷(現新宿御苑)の一部と
旗本朝倉氏の屋敷地などを上地(あげち)としてこれにあてました。

こうして「内藤新宿」は元禄12年(1699)2月に開設の運びとなり、
4月には業務を開始しました。

〖宿場の概要〗
「内藤新宿」は東西9町10間余(約999m)、
現在の四谷四丁目交差点(四谷大木戸)から
伊勢丹(追分と呼ばれ、甲州街道と青梅街道の分基点)あたりまで
続いていました。

江戸の出入り口にあたる4宿(品川、板橋、千住、新宿)の
ひとつとして繁栄しましたが、
それを支えたのが旅籠屋(はたごや)と茶屋でした。

これらには飯盛女と呼ばれる遊女が置かれましたが、
元禄15年(1702)には
当時幕府公認の遊興地であった吉原から
訴訟が出されるほど繁盛しました。

〖宿場の廃止と明和の立返り〗
このように大変な繁盛をみせた「内藤新宿」でしたが、
享保3年(1718)には開設わずか20年にして廃止となります。

これは利用客の少なさ、
旅籠屋の飯盛女がみだりに客を引き入れたこと、
旗本内藤新左衛門の弟大八が信濃屋の下男に殴られた事件
などが原因といわれますが、
八代将軍徳川吉宗の「享保の改革」に伴う
風俗統制の影響もあったようです。

その後、
度重なる再興の願いにより、
明和9年(1772)に宿場は再興されました。



新宿御苑

新宿御苑の森と高層ビル。


◎  稲荷鬼王神社 

「新宿山の手七福神」の内、
最初に訪ねたのが稲荷鬼王神社(いなりきおうじんじゃ)です。
これは新宿歌舞伎町にありますが、
歓楽街の真ん中ではなく、
普通の町並みの中にありました。

七福神の内、
恵比寿さんを祀ってあります。


稲荷鬼王神社

大きなビルの下にひっそりとある、
という感じでしたが、
古くから信仰を集めてきた神社のようです。

次のような説明が書いてありました。

鬼は『鬼瓦』のように災いを近づけないという力を持つといわれ、
当社はその鬼の王様という意味の名を持つ事から、
江戸時代から盛んに厄除けが行われ、
現在でも江戸時代からの厄除けの伝統を守る数少ない神社として、
全国から多くの方が悪しき事を祓って良き年にしようと御祈祷にこられています。



稲荷鬼王神社

鳥居をくぐるとすぐに、
鬼が手水鉢を頭に載せていました。


稲荷鬼王神社

正面が稲荷さんです。
左手に赤い幟が立っていますが、
ここに恵比寿さんがあります。


今年の干支『丑』について書いてありましたので、
少し長いですが紹介します。
「社伝ゆえ本などに書かれている干支の話と違う事もあります」
という但し書きがありました。

「丑」という字は、
これまで曲がっていたものを伸ばす、
という意味があり、
また、結ぶ・つかむ
という意味もあります。
字の形は、
曲がりくねった枝が曲がりながらも伸びていく姿であり、
陰気が緩むのを待って手をさしあげて仕事を始める、
という字体です。

この「丑」に「糸」をつけると「紐(ひも)」になります。
人や仕事との縁(えにし)を、
より結ぶ力の強い「綱(つな)」にするには、
筋を通し、
正しく規律を守る事が大事です。

昔の時刻「丑」は今の午前2時にあたり、
夜明け前の物の判別もつかない暗闇の時間ですが、
信念を持つ者には、
来る夜明けを感じさせる希望の時間でもあります。
「丑のとき参り」の様に愛する人に不実をすれば報いがあります。
伴侶に不実な事をすれば、
仕事にも家庭にも実りがありません。


広辞苑から引用:
うしのとき‐まいり【丑の時参り】
嫉妬深い女がねたましく思う人をのろい殺すために、
丑の時(今の午前2時頃)に神社に参詣すること。
頭上に五徳をのせ、
蝋燭をともして、
手に釘と金鎚とを携え、
胸に鏡をつるし、
のろう人を模したわら人形を神木に打ち付ける。
7日目の満願の日には、
その人が死ぬと信ぜられた。


今年の干支の動物は「牛」です。
牛は農耕に古来より関わり、
単なる動物ではなく、
姿は力強さを表し、
多産的豊穣性は農業の豊作を促進し、
幸福をもたらす霊獣と古来より考えられてきました。

牛年生まれの人は犠牲的な精神が他人に理解されなかったり、
牛が怒りにかられると制御が難しい様に、
周囲の人に感情をぶつけてしまう事がありますが、
辛抱強く、
根気よいゆえに手先が器用で、
信用持ちで、
押しが強いという善性がある人が多いといいます。

今年は牛年の人に限らず、
人の指導にあたる場合は、
短所が長所につながる事もあるので、
短所をとがめるより長所を伸ばしましょう。

「牛にひかれて善光寺まいり」という言葉があるように、
偶然が良い方向に導かれる年ですが、
偶然をいかす普段の心がけが大事です。

今年の干支『丑』の御利益は、
☆努力の実る、伸長発展、心願成就
☆縁と幸せを結び、仕事にも家庭にも確かな実りをもたらす、商売繁盛、家運隆盛
です。



恵比寿神社

『丑』の話が長くなりましたが、
これが主目的の恵比寿神社です。


トウカエデ

次の布袋尊に向かって歩く途中、
新宿の街角には紅葉が残っていました。
先日閉じたコマ劇場はここから200mくらいの所にあります。


◎  サクラとウメとイヌフグリ 

この正月は沢山の寺社へ初詣をしました。
元日はひとつだけでしたが、
あとは七福神めぐりを3コース歩きましたから、
3x7=21にもなります。

2日は川越七福神。
これはずーっと毎年歩いていますので、
珍しくもなんともない感じになって、
さっぱり写真は撮っていません。

3日は飯能市を中心とした武蔵野七福神。
昨年始めて歩きましたから今年は2回目です。

5日は新宿山の手七福神。
これは始めて歩きました。

そのうちにもうひとつ、
東久留米七福神も回る予定です。
ここは昨年も行きました。

こんなに沢山回って、
何を願うのかとお思いかも知れませんが、
別段願いがあるわけでもありません。
ウォーキングであり、
始めてのコースを、
地図を頼りにして
目的のお寺や神社を探して行くのが
楽しみでもあるのです。


サクラ

2日の川越で見たサクラです。
ジュウガツザクラでしょうか?


ウメ

3日に飯能で見たウメです。
冷たい風に当らず、
日当たりがよいのでしょうが、
ずいぶんと早咲きです。


イヌフグリ

このイヌフグリも飯能です。
日向に咲いていました。


◎  横浜美術館 

昨日は横浜美術館へ行ってきました。
展示は「セザンヌ主義」です。
展覧会については機会があればその内に、
ということにして、
今回は美術館とその周辺の写真です。


横浜美術館

この美術館へ来たのは久しぶりです。
大袈裟ないい方をすれば、
今世紀になって始めてです。

前回は桜木町駅から歩いたり、
動く歩道を利用したりして行きましたが、
今回は地下鉄みなとみらい線を使いました。
下車して地上に出ると、
目の前に美術館があります。
ずいぶん便利になりました。

古いことになりましたが、
(前世紀に)
ここで「ゴッホ展」を見たときは、
上の写真ではガランとしている広場いっぱいに、
九十九折りの行列をさせられて、
2時間待ちくらいでやっと入りました。
館内も満員、
通勤電車の中のようでした。

今日はすっと入れましたが、
写真で見る感じよりは混んでいました。


横浜美術館

美術館を出たら、
風が寒いので、
近くをぐるっと回っただけで帰りました。

帆船の日本丸は
帆が張られていない帆柱が寒々と見えました。


横浜美術館

周囲には高いビルが並んでいますので、
それをよけて、
帆柱の上の方だけです。


横浜美術館

東の方には大観覧車があります。
これも他のものを入れないで、
上部だけにしました。


横浜美術館

西の空は、
日暮れには早いのですが、
少し赤らんでいました。
一応
♪ ヨコハマ たそがれ ♪
です。


◎  スイセン 

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。


スイセン

元旦、市内の神明神社へ初詣に出かけました。
家を出てすぐにこのスイセンを見つけました。


雛人形

初詣は例年の通りですから、
撮ってきた写真も例年通りです。
それで昨年載せなかったショットを選びました。

神社に着いて参拝の行列の後に付くと、
毎年時刻も大体同じですから、
行列の長さも同じくらいで、
進んで行くと例年通りの店が出ています。

最初にある店が人形屋さんです。
店先にバーゲンの雛人形が並べてありました。
雛人形と安売りは似合わないような気もしますが・・・


飾り熊手

拝殿の脇には熊手屋さんがいます。
多分暮れから夜通しで商売しているのでしょう。
お昼少し過ぎに参拝すると、
店を片付け始めています。

でも時々は小さなのが売れるようで、
売れると、
買主と売り手と一緒になって、
シャンシャンシャンと拍子木に合わせて、
手締めをやっています。


家から神社まで歩いて1時間近くです。
参拝には大体30分掛かります。
参拝が終わるとぶらぶらと駅の方へ歩き、
カフェで一休みするのがここ数年の慣わしです。

どこのカフェも同じかも知れませんが、
元日の昼間から、
読書に励んで(?)居る人が必ず2~3人います。
何かの資格試験の受験勉強と思われる人もいます。

元日くらいゆっくりすればよいのに、
と思います。
(暮れからタップリとブログを休んだいいわけです・・汗)



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