Photo & Essay

◎  ヘラクレス 

今日はギリシャ神話、
ヘラクレスの話です。

ヘラクレス

シチリア島ではエニシダが花盛りでした。


ギリシャ神話はカオス(虚空)から始まりました。
そのカオスから神々が生まれ、
その神が神を産み、
そして神々は争います。
親が子を、子が親を殺したりもしました。
そして最後に勝利したのがオリュンポスの神々です。

オリュンポスの神々の頂点に立つのがゼウスで、
その妻がヘラです。
そしてヘラとゼウスは同じ両親から生まれた姉と弟です。

ゼウスはギリシャの最高神で、
雷光、雲、風雨、嵐を呼ぶ天空の支配者ですが、
一方、大の好色漢で、
ヘラという妻がありながら、
次々と浮気をして子供を作ります。
なにしろ神ですから、
何でもできるのです。
牡牛に姿を変えて美少女に近づき、
安心している彼女を乗せて、
海を渡り離れ島へ連れて行って子を産ませるとか、
大事な娘を青銅の部屋に閉じ込めておいたのに、
ゼウスは黄金の雨に身を変えて、
その部屋に忍び込み、
娘の膝の間に降り注いで思いを遂げたとか・・・

ヘラはオリュンポスの女主人で、
結婚、出産、女性の性生活の守護神だそうですが、
そのほかに嫉妬、復讐の守護神でもあったのではないかと、
(私見ですが)思えるほど、
夫の浮気に腹を立て復讐します。
その復讐の矛先は、
浮気相手の女とその女が産んだ子供に向けられました。

ヘラクレスはゼウスが浮気によって、
アルクメネという人妻に生ませた子供です。
名前は正妻ヘラの名に因んで付けられましたが、
ヘラからは最も執拗に迫害されました。

ところでギリシャ神話には神と人間が共存していますが、
争いが起こったときには、
いくら有能であっても強くても
人間は神に勝てません。
人間は殺されたり、
岩や木や動物や虫や、
などなどに変えられてしまったりします。

神と神から生まれる子は神ですが、
人間との間に生まれた子は人間です。
ゼウスは人間の娘や人妻とも浮気をしました。
ヘラクレスは人間として生まれました。


ヘラクレス

前置きが長くなりましたが、
ヘラクレスの登場です。
この像はナポリの国立考古学博物館に陳列されていました。
ライオンの皮(顔が付いています)と棍棒を持っています。
これらはヘラクレスを表す持物です。

ヘラクレスはギリシャ神話で
最強の英雄です。
ゼウスはヘルメスに不死の力を与えようと、
赤子のヘラクレスに眠っているヘラの乳を吸わせました。

ヘルメスの乳を吸う力があまりに強かったので、
ヘラは眠りから目覚め、
ヘラクレスを引き離しました。
そのとき天に飛んだ乳は天の川(Milky way)に、
地に飛んだ乳は百合の花になったそうです。

結果としてヘラクレスは半人半神になりました。


ヘラクレス

ヘラクレスは武術を身につけて剛勇無双となりました。
そして幾多の敵を倒しましたが、
最後は猛毒が全身に回り、
自らを火に焼いて死にました。
死後の彼は神に列せられたそうです。


ヘラクレス

東大寺二月堂に安置されている
執金剛神立像(国宝)です。
秘仏になっていて、
毎年12月16日だけ拝観できます。
秘仏とされてきたせいでしょう、
8世紀中頃の作でありながら、
色がよく残っています。

この神はギリシャ神話のヘラクレスが
仏教の守護神として取り入れられたのだといわれています。
たいていのお寺に置いてある
「阿」「吽」ペアの仁王様(金剛力士)は
この執金剛神からの展開とされています。


ヘラクレス

前回の最後にアグリジェントの神殿遺跡の配置を書きました。
ブログで紹介してきた順序では、
最初が「ヘラ」で、
次に「コンコルディア」
そして「ヘラクレス」
最後に「ゼウス」でした。

この位置関係と距離関係を推理してみました。
ヘラは夫ゼウスの浮気に悩まされていましたから、
憎しみの気持ちもあるわけです。
ヘラクレスに対しては絶対的な憎悪がありました。
一方ゼウスは神々との戦いで殊勲を上げてくれた息子、
ヘラクレスを信頼していたでしょう。

だからゼウスとヘラクレスの神殿は近く、
それに対してヘラの神殿は遠く離れています。
そしてその間にあるのがコンコルディア神殿、
これは和解、協調の神だといいますから、
うまく配置したものだと思います。


◎  アグリジェントの遺跡(3) 

遺跡巡りの続きです。

アグリジェント

同じような遺跡が続きますが、
ヘラクレス神殿です。

ヘラクレスについては、
次回に改めて書く事にします。


アグリジェント

上の写真の柱の先端です。
これは崩れて埋もれていたものが
発掘され再構築されたのだそうです。

それをやったのは英国人、
サー・アレクサンダー・ハードカッスル(1872~1933)です。
彼はこの神殿のそばに家を構え
(写真はありませんが、壮大な屋敷です)
資金を出して復興に努めました。
発掘したものをイギリスに持ち帰ることはせず、
ここの屋敷で生涯を終えました。
彼には後を継ぐ子がいませんでした。
何故なら彼はゲイだったのです。
(ガイドさんの話です)


アグリジェント

次はゼウス神殿です。
ここは崩れた石材があるだけです。
しかしその石の間に赤い花、
アマポーラが咲いていました。


アグリジェント

トルコで見たギリシャ遺跡でも、
同じように、
崩れた石材の間に咲いていました。


アグリジェント

ここにもアマポーラが咲いていますが、
これは巨人の像です。
元は3体あって、
神殿を支える柱だったそうですが、
現在は博物館に収められ、
レプリカが1体だけここに、
横倒しにされているのだそうです。


アグリジェント

巨人像の全体です。
もっと高いところから撮れるとよかったのですが・・・

同じような神殿の遺跡を見てきましたが、
ここで振り返って、
まとめてみたいと思います。

最後が「ゼウス」でギリシャの最高神。
その前が「ヘラクレス」で、
彼はゼウスの息子です。
その前が「コンコルディア」=和解・協調の神で、
その前、つまり最初は「ヘラ」=ゼウスの妻でした。
ヘラはヘラクレスの義母でもあります。
この夫婦と息子の関係は次回に。


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今日になって金子国土交通大臣が
「旅行は安心して」と「安全宣言」を出しました。

5月中旬、私が出発する頃は大変な状況でした。
高校生の修学旅行は次々と中止されていました。
だから旅行社から
「空港、飛行機の中ではマスクをして下さい」
と忠告を受けていました。

地元の駅から成田行きの空港バスに乗りました。
ここからマスクをと思っていたのですが、
大型バスに乗客は僅か8人でしたからやめておきました。

成田空港に着いたところでマスクを着けました。
いつもより空いていました。
空港全体がガランとしている感じです。
パスポートチェックは誰も並んでいないといってよいほどでした。
やっぱり利用者が減っているのかなと思いました。

飛行機の中ではみんなマスク着用です。
ほとんどが日本人だからでしょうが・・・

ローマで降りて国内線に乗り換えです。
ローマ空港内では、
マスクをしている人なんか誰いません。
だからローマでマスクを外して、
それきりでした。
旅行中も、
帰国の飛行機の中も、
成田空港でも。

帰宅も空港バスを利用しました。
乗客は5人だけでした。


◎  アグリジェントの遺跡(2) 

アグリジェント

昨日写真を載せたアーモンド並木の道を歩いて行くと、
左側には大きな岩が連なっています。
城壁だったのかも知れません。


アグリジェント

右側には木々が茂り、
その向うに現在のアグリジェントの街が見えます。
その木々の中にオリーブが少なからず見られます。
何年経っている木でしょうか。
堂々たる幹と根です。


アグリジェント

オリーブの花はこれからのようで、
つぼみがいっぱい付いていました。


アグリジェント

リュウゼツランの花茎ですが、
前回お見せしたのとは少し形が違っています。


アグリジェント

神殿が見えてきました。
見学者はみんな木陰で涼をとっています。

最初のヘラ神殿は柱だけでしたが、
こちらは神殿の形をしています。
コンコルディア神殿というそうで、
紀元前450~440年ころの奉献とされています。

ちなみに昨日のヘラ神殿も同時期の建設だそうですが、
カルタゴの侵攻に遭って炎上したため、
柱しかないような状態になっているそうです。


アグリジェント

コンコルディア神殿の横の方です。
この地が高台にあることが分かると思います。
はるかに見えるのは地中海です。


アグリジェント

コンコルディア(Concordia)は
「和解」「平和」「調和」を象徴するローマの女神だそうです。
6世紀末の初期キリスト教時代に、
聖ペテロ・パウロ教会として転用されたため
保存状態がよいのだそうです。


アグリジェント

柱の上の横材(アーキトレーブ)には飾りの彫刻が残っています。


アグリジェント

修学旅行の小学生たちが木陰で休んでいました。
昼食のレストランに騒音を残して行ったのは
この子たちだったかも知れません。


アグリジェント

カメラを向けると、
こんなパフォーマンスを見せてくれました。


――――――――――

今回のツアーの参加者は11名でした。
10名以上で催行しますということで、
かなりギリギリでの催行決定だったわけです。

出発が近づいてきた4月末から、
例の豚インフルが大ニュースになりました。
聞いてみると、
皆さんどなたも心配されたようです。
それで旅行社に電話をして、
「やめた人はいますか?」
「今のところ誰もやめていません」
このやり取りをみんなで繰り返したようです。

やめればキャンセル料がかかるし、
折角楽しみにしていたのだから行きたいし、
でもインフルも心配だし・・・
(あのころのテレビの騒ぎようは大変なものでしたから)

私ももちろん電話しました。
そして
「だれもやめないのか、
それじゃあ行こうか」
となったのです。

で、結局誰も欠けずに参加したわけですが、
催行決定からずいぶんと日数があったのに、
一人も増えなかったのは
やはり豚インフルのせいだったのではないかと思っています。

しかし参加者にはラッキーな旅でした。
11名に添乗員とバスの運転手がついて、
観光のときは現地のガイドがついて、
大型バスにゆったりと乗って・・・


◎  アグリジェントの遺跡 

前回はアグリジェントでの昼食で終わりました。
午後も遺跡見学です。


アグリジェント

バスの中からです。
菜の花が咲いていました。

小高い丘の上に街が見え、
神殿らしい遺跡も見えます。
実際に行ってみると近接しているわけではありません。


アグリジェント

見学の出発点にみやげ物屋がありました。
帽子がたくさん並べてあります。
すごい陽射しだから実需品なのです。
ここには見えませんが、
ご婦人向けにパラソルも売っていました。

添乗員がバスを降りる前にいいました。
「暑いですから水を必ず持って、
帽子だけでは足りませんから、
傘も持って下さい。
出発前に電話で傘を必ず持ってきてくださいといったでしょ」

われわれは帽子をかぶったり傘を持ったりして降りましたが、
その添乗員さんは何もなしです。
「わたしは長野の百姓の娘だから大丈夫です」

百姓の娘だろうと漁師の息子だろうと、
この日照りでは暑かろうと思うのですが、
旅行中、彼女は帽子も日傘もなしで過ごしました。
日に焼けて真っ黒になりましたが、
そこがなかなか魅力的でした。

出発前に旅行社の説明会に行きました。
そのときの説明では、
「最近のヨーロッパは夏でも寒い日があります。
遺跡見学は山の上で風当たりが強いですから、
ウインドブレーカーとセーターを必ず持っていって下さい」
とのことでしたが、
どちらも必要ありませんでした。

ガイドさんの話では、
われわれの前のグループの時はとても寒かったそうですから、
説明が間違えているというわけではありません。


アグリジェント

道端にサボテンがあります。
この陽射しにとても似合います。
花は咲き始めでした。


アグリジェント

こんな風にひとつ、ふたつ、
ポツポツと咲いていました。


アグリジェント

最初の神殿、ヘラ神殿です。

ヘラはギリシャの最高神ゼウスの妻です。
だからギリシャの女神の中では最高神で、
結婚と出産、
女性の性生活の守護神として崇拝されたそうです。


アグリジェント

この辺で採れる砂岩で作られているそうですが、
昔は大理石の白い粉が塗ってあって、
真っ白な建築だったとのことです。

柱に縦筋が何本も入っていますが、
日の当り具合で影ができるので、
真っ白な柱に陰影を与えて
一層美しく見せたのだそうです。


アグリジェント

サボテンばかりではなくて、
竜舌蘭もあります。
この厚い葉にいろいろと落書きがあります。
この写真では判読できないでしょうが、
日付や名前などが書いてあるようです。


アグリジェント

丘の上には神殿だけでなく、
遺跡が連なっています。
向うに小さく見える神殿を目指して歩きました。


アグリジェント

歩いていくのは立派な舗装道路です。
そしてこの辺はアーモンドの並木になっています。
花が咲くのは2月ころで、
アーモンド祭りなどもあって、
一番の観光シーズンだそうです。


アグリジェント

探してみると木の上に方にだけ実がついています。
手の届く高さの実は観光客が取ってしまったようです。
まだ青い実で、食べられないのに。


◎   セジェスタの神殿 

セジェスタには劇場の他に神殿も残っています。


セジェスタ

山の上で劇場を見た後バスで下ります。
途中でバスが停まりました。
神殿の全景を見せてくれたのです。


セジェスタ

最初の案内所兼みやげ物店の所まで戻って、
今度は坂道を徒歩で登って行きます。
道の両側に竜舌蘭が並んでいます。
50~60年に一回だけ花を咲かせて枯れるといわれていますが、
長い茎の先に花を咲かせている株がポツポツとあり、
花の茎が倒れて、葉も枯れている株もありました。


セジェスタ

やがて神殿に到着です。
近づけば大きさが分かります。
紀元前5世紀の建築だそうですから、
劇場よりも古いものです。

周囲の柱だけで内部に神室がまったくないので、
未完なのか、
それとも神室は不要だったのか不明な、
謎の神殿なのだそうです。


セジェスタ

神殿の写真を撮っている女性。

「眼鏡を掛けてカメラを持っていれば日本人」
といわれた時代もありましたが、
今は西洋人もたいていはカメラか携帯で
写真をパチパチ撮っています。


セジェスタ

上部に彫刻などの装飾はありません。
やっぱり未完の神殿でしょうか。


セジェスタ

石材はこの辺で採れたものでしょうが、
大理石のような緻密な石材でないようです。


セジェスタ

私が遺跡に似合うと思っている
アマポーラの花が少しだけ咲いていました。


セジェスタ

セジェスタの見学を終えて、
バスでアグリジェントへ向かいました。
バスの窓から撮った風景です。


セジェスタ

赤い花で埋め尽くされている畑(?)があります。
走るバスの中からでは何の花か分かりませんでしたが、
レンゲソウのような、
土地を肥やすための植物でないかと思いました。


セジェスタ

アグリジェントに到着して昼食です。
かなり広いレストランでしたが、
修学旅行の小学生の一団が食事を終えて出発するところでした。
子供たちを発生源とする騒音!
想像できるでしょうか?
日本でもイタリアでも同じです。
頭痛がしてくるほどでしたが、
潮が引くように静かになりました。

後はわれわれだけです。
静かに昼食を頂きました。
あの大勢の子供たちにどうやって食事をサービスしたのか知りませんが、
われわれには、この姉弟がやってくれました。
ワインやジュースも注文に応じて運んでくれました。
とくに弟が可愛いので、
みんなが弟にチップを手渡しました。

ふと姉が可哀想かな、と思いましたが、
後で他の人に聞くと大丈夫でした。
「あのお姉ちゃん、しっかりしている。
ほとんどのお金を弟から取り上げていたよ」


◎  セジェスタ 

またシチリア紀行に戻ります。
2泊したパルレモを出発して、
アグリジェントに向かいました。


パレルモ

前日ホテルの近くを散歩していて、
寿司屋(Sushi-Bar)の看板を見つけました。
この看板は店先にあるわけでなく、
いわば広告塔のようで、
店がどこにあるのか分かりませんでした。
(食べる所を探していたわけでありませんが・・・)

添乗員の話では、
パレルモには2軒の寿司屋があるそうですが、
包丁さばきが全然駄目で、
美味しくないとのことです。
魚は生きのよいものがあると思いますが・・・

出発したばかりのバスの窓から撮りました。


2イタリア地図2

パレルモからほとんど真南に当たるアグリジェントに向かうのですが、
途中(地図に赤丸をつけた)セジェスタという所に寄り、
古代ギリシャの遺跡を見学しました。

パレルモではもっぱら寺院めぐりと
モザイク画見学でしたが、
今日からはギリシャ遺跡が主体になります。


セジェスタ

セジェスタに着きました。
市街があるのではなくて、
遺跡があるだけです。
案内所兼みやげ物店みたいな建物があって、
草葺き屋根の下にベンチを並べた休憩所と
トイレがありました。


セジェスタ

ここからバスで山の上に登ります。
バスを待っている間に撮ったアザミです。
バスの乗車時間は5分くらいです。
歩いても20分くらいでしょう。


セジェスタ

バスは上に着くと、
待っていた客を乗せて下って行きました。
ふと見るとこんな立て札が・・・
実はパルレモの繁華街でも見かけました。
多分(というよりも、間違いなく)バス停の標識です。

"Fermata"って聞いたことがあると思いました。
そうです。
楽譜に出てくる,
写真の右上隅に入れた記号です。

バス停とどういう関係があるのでしょうか?
昨日になって辞書を引いてみました。

【イタリア語辞典】
フェルマータ(Fermata)〔名詞〕
1)停留所、駅。
2)(立ち)止まること、休止。
3)(保存のため肉や魚に)火を通すこと。

【音楽辞典】
フェルマータ(Fermata)
この記号がついた音符や休符は、
長め(約2~3倍)に伸ばす。
英語でPauseあるいはHoldと呼ぶこともある。
 

この記号は結果的には
「長めに伸ばす」ことですが、
ずーっと流れてきた音楽をこの記号がついた所でちょっとだけ
「止める」「休める」というのが本来の意味なのでしょうか~


セジェスタ

閑話休題。
山の上にはギリシャ遺跡があります。
ちらほらと見えるのは発掘作業をしている人たちです。

標高約430m、海岸から20~30km。
こんな所にどうして遺跡があるのでしょうか。


セジェスタ

眺めのよい場所に劇場が残っていて、
ここが見学スポットになっています。
紀元前3世紀頃に作られたそうです。

写真は舞台(下方左隅側)から見て左側の観覧席です。


セジェスタ

反対側、右の観覧席です。


セジェスタ

下から見上げた観覧席の中央部です。
なぜ全景を撮らなかったのだろうと思いますが、
今となっては分かりません。。。

席数はたしか4000と聞いたように思います。
この劇場は今も時々使われているとのことです。


セジェスタ

観覧席を背にして舞台から見下ろしています。
正面に、かすんでいますが、海があります。
この海側からの風に乗って、
舞台の声が観覧席に響き渡ったそうです。


セジェスタ

紀元前3世紀の古い劇場と
若々しい女性との対比です。

強い陽射しで肌を焼きに来ているのかとも見えますが、
左側に橙色のシャツを着た丸頭の中年男性がいますから、
彼が先生で、
彼女たちは学生で、
修学旅行?とも見えますが、
ほんとのことは分かりません。
(左端に男の子も1人2人いるようです)


セジェスタ

こちらは3人だけで遺跡めぐりを楽しんでいるようです。


◎  花菖蒲 

シチリア紀行まだ続きますが、
中休みにして、
昨日撮ってきた花菖蒲です。


花菖蒲

例年行っている東村山市の北山公園です。
咲き具合はちょうどよいくらいでしたが、
その上に雨も降らずで、
大変な人出でした。
(人を入れないで撮っていますが)


花菖蒲


花菖蒲


花菖蒲


花菖蒲


花菖蒲

花見客と花とが数を競い合う様子も撮りましたが、
若いお二人だけに登場してもらいました。
花は二人のために咲いています。

――――――――――

前回の話の続きです。

イタリアの男性は毎朝奥さんに、
「今日もきれいだね!」
と声を掛けるそうです。

「皆さん、
男性は奥様にそんな風にいったこと、
女性はご主人にいわれたこと、
ありますか?」
と添乗員が聞いたら、
バスの中で全員が首を振りました。

イタリアの男性ってすばらしいですね!


◎  市場 

前回までで、
シチリア第1日目の観光が終了です。
写真のデータを見ると、
まだ午後の2時ころでした。
(写真の掲載にはずいぶん回数を重ねましたが)
観光はすごく順調に進みました。


パレルモ

パレルモとモンレアーレ間は僅か8kmですが、
普段はすごく渋滞していて所要時間が読めないのだそうです。
それが、この日は道路がすいていて、
渋滞なしで往復できたので、
たっぷりと時間が余りました。


パレルモ

そこでマーケットの見学をすることになりました。
途中でバスの窓から撮った小さな商店です。
看板に赤い字で "Boutique del Pollo" と書いてあります。
"Boutique" (ブティック)といえば、
日本では
「しゃれた婦人服・小物・装飾品などを扱う小売店」
ということになっていますが、
こちらでは単に「店」という意味です。
"del"は「~の」で、
"Pollo"は「鶏肉」です。
つまりこの店はしゃれた婦人服を売っているのではなくて、
鳥肉を売っています。


パレルモ

市場、マーケットに着きました。
品物は並んでいますが、
客はほとんどいません。
午後2時はもうシエスタ(昼寝)の時間です。

並べてあるナスは、
丸いのも長いのも、
デカイのにびっくりでした。


パレルモ

値段は1個いくら、
あるいはkg当りいいくら、
と値札がつけてあるようです。
日本みたいパックしてありません。


パレルモ

カタツムリです。
もっと大きなのを食べるのかと思っていましたが、
小さくて、日本の食材に例えれば、
シジミくらいでした。


パレルモ

狭い小路に出てい店の様子は、
日本と感じが似ています。


パレルモ

ずーっと食品の店が連なっていたのですが、
この辺りはもう店を仕舞ったのでしょう。


パレルモ

さらに進んで行くと、
衣類や繊維製品の店がありました。
イタリアの主婦は
テーブルクロスやカーテンを頻繁に交換するそうです。

このほかに、
照明器具、靴、雑貨などなど、
何でも売っていました。


パレルモ

キョウチクトウがあちこちで咲いていました。


パレルモ

マーケットの小路を抜けて
大通りに出ると、
マッシモ劇場がありました。
新古典様式のオペラ劇場で、
客席数3200。
イタリアではミラノのスカラ座に次ぐ大劇場だそうです。

――――――――――――

市場の話のついでにイタリアの女性(主婦)のことを書いてみます。
添乗員から聞いた話です。
多少記憶がうすれていますが・・・

子供が学校へ行くようになると送迎が大仕事になります。
朝(車で)送って行き、
午前の授業が終わるころ迎えに行きます。
南イタリアでは昼食が一番大切な食事ですから、
精を込めて作ります。
買い置きの食材は基本的に使わない。
だからその日の分を買ってくる。
パスタなんかも自分で粉をこねて作り、
ソースもトマトを煮て作る。
ご主人もお昼は帰ってきて、
家族全員がそろって食べます。
(朝はクロワッサンとコーヒー程度、夕食も軽いそうです)

スペインと同じでシエスタ(昼寝)の時間があって、
4時過ぎから午後の仕事(あるいは学校の授業)が始まります。
ご主人も再度出社するし、
お母さんは子供を学校へつれていきます。
最後にもう一度学校へ向かえに行くから、
1日に4回も学校へ往復します。
これではとても共稼ぎはできません。
しかし共稼ぎでないと暮らせない人たちも・・・
それが少子化につながっているそうです。

午前中は掃除・洗濯もします。
窓ガラスは毎日拭くそうです。
(ほんとかなあ――という気もしますが・・・)
洗濯ものは絞らないで、
しわをよく延ばしてダラ干しにする。
(アイロン掛けを楽にするためです)
窓の外へぶら下げて、
雨が降ろうと風が吹こうと、
乾くまでそのまま。
(これも、ほんとかなあ――という気が・・・)

では添乗員はどうしてそんなことを知っているのだろうか――
ホームステイでもしたことがあるのだろうか――
取材源はバスの運転手だそうです。
昼食も夕食も運転手と添乗員と2人で向き合って、
ということが多いですから、
取材時間は結構豊富です。

1回のツアーで数人の運転手と付き合いますし、
われわれと違って何回も行きますから、
かなり大勢から話を聞くわけで、
信憑性はあるように思います。

でも奥さんのことをかなり美化して
語っている面もあるんじゃないか、
そんな気もしています。


◎  パレルモの大聖堂 

モンレアーレからまた8kmの道をパレルモへ戻りました。
またまたお寺ですが、
今度はパレルモのドゥオーモ(大聖堂)です。

ドゥオーモ(duomo)は「街の一番重要な教会、多くは司教座教会堂」のことで、
カテドラーレ(cattedrale)、英語のcathedral(カテドラル)は
「司教座大聖堂」のことですから、
同じ意味と考えていいようです。

『ウィキペディア』には、
司教(しきょう)は、カトリック教会の位階の一つで、
ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。
司教が長を務める教会の聖堂を、
カトリック教会では司教座聖堂と呼ぶ。

とあります。

パレルモにもモンレアーレにもそれぞれのドゥオーモがあるわけです。


パレルモ

最初に訪れた王宮まで戻り、
そこから歩きました。
公園がありました。
日差しが強いので木陰のベンチで本を読んでいる人や、
小さな子供を遊ばせている母親などがいました。

アフリカに近いだけあって、
南国の風景です。


パレルモ

空を見上げれば・・・


パレルモ

少し歩いて賑やかな通りに出ました。
観光馬車がいます。

向かって左側に大きなドゥオーモ広場があります。


パレルモ

創建は1184年で、シチリア・ノルマン様式、
パレルモ的な建築だそうです。
14、15世紀を中心に増改築が行われ、
イスラム色も濃くなっているとのこと。


パレルモ

上の写真の左側です。
道路を挟んで左にある建物は神学校で、
司教さまは道路の上の橋を渡って
行き来行きするのだそうです。


パレルモ

正面、ファサードです。
イスラム寺院のような彫刻です。


パレルモ

この丸い塔は比較的新しく、
18世紀後半の建設だそうです。


パレルモ

中に入りました。
中央部、身廊です。
モザイク画はありません。
白く、明るいのが印象的です。


パレルモ

側廊です。


パレルモ

大理石の聖母子像です。


パレルモ

観光客が出入りする戸口の上にも聖母子像がありました。


パレルモ

聖母子像の足元の柱の彫刻がすばらしいです。


パレルモ

外へ出ると強い日を受けてカンナが咲いていました。


パレルモ

この時期は子供たちの修学旅行の時期でもあります。
どこへ行っても小学生~高校生たちに出会いました。


◎  モンレアーレの大聖堂 

前回は聖堂の周りのみやげ物屋などでしたが、
今回は中に入ってみます。
ここもモザイク画で埋められています。


モンレアーレ

観光客は横の入口から入ります。
祭壇の方を向くと上に大きなキリストの絵があります。


モンレアーレ

「祝福を与えているキリストの右手の大きさは12mあります」
とガイドが説明してくれました。
そのときは「あ、そう」と聞いていましたが、
今になってみると、
ものすごい大きさだと思います。
その大きさを小さな石やガラスの破片を埋めて絵を作る・・・
途方もない作業です。


モンレアーレ

祭壇とは反対側、
建物の正面側です。


モンレアーレ

上の写真と連続した物語のようで、
裸の人はアダムとイヴでしょう。


モンレアーレ

聖書からの物語が堂内いっぱいに描かれていますが、
これは「最後の晩餐」でしょう。


モンレアーレ

窓は小さくて、
華やかな色彩のステンドグラスはありません。


モンレアーレ

これは聖堂真上の天井です。


モンレアーレ

これはもちろん上の方ですが、
堂内のどの辺だったか記憶がありません。

この大聖堂の建設が始まったのは1174年だそうです。


◎  モンレアーレ 

パレルモでノルマン王宮を見たあと、
8kmばかり離れたモンレアーレという街へ行きました。
標高310mの山の上にあるこの街にも
美しいモザイク画で飾られたドゥオーモ(大聖堂)があるのです。


モンレアーレ

駐車場でバスを降りると、
果物の店がありました。
そのまま買ってもよいし、
ジュースにして貰って飲んでもよいのです。
レモンを絞って凍らせた、
つまりシャーベットを飲んで(食べて?)みました。
甘いからといわれたのですが、
いくら甘いといってもレモンですから、
やはり酸っぱいシャーベットでした。

オレンジは真っ赤な実のものがあります。
ジュースにすると鮮やかな赤になります。
これはアリタリアの機内でもサービスされました。


モンレアーレ

ドゥオーモに向かってゆるい坂道を登って行くと、
みやげ物屋が並んでいます。


モンレアーレ

陶器ができるそうで、
皿などが並べてありますが、
どこかスペイン風に見えます。


モンレアーレ

ドゥオーモの正面です。


モンレアーレ

ドゥオーモの周囲には小屋掛けのみやげ物屋が並んでいます。
この雰囲気はトルコで見たのと同じです。


モンレアーレ

こういう雰囲気はヨーロッパというよりも、
オリエンタルな感じ、
中東の感じでないでしょうか。


モンレアーレ

ドゥオーモに入る前に、
高台から下を見下ろす展望台に行きました。
何の木か、
うっそうと茂った木があって、
涼しい木陰を作ってくれています。


モンレアーレ

天気はよいのですが、
遠くはかすんでいて、
くっきり見えません。
向うは海、地中海です。
(正確にいえばテレニア海ですが)


モンレアーレ

道端に並べてあったお土産です。
ブックスタンドでしょうか?


モンレアーレ

これもお土産屋さんの展示。
豊かな実りを表すのでしょうか?

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シチリアの歴史について、
帰ってきてからですから、
遅ればせですが
少しばかり勉強しました。

紀元前8世紀ギリシャ人の入植が始まりました。
つまりギリシャの植民地になったわけです。
そのころすでにギリシャでは人口が増えたので、
植民地が必要になっていました。

紀元前3世紀ころになるとローマが力を持つようになり、
シチリアを属州としてしまいます。

3世紀ころからシチリア島にキリスト教が普及します。

やがてローマ帝国が分裂し、
6世紀に東ローマ帝国がシチリアを征服。

9世紀に入るとイスラム軍がシチリアに上陸し、
10世紀始めには全島を制圧。

11世紀にはノルマン人がシチリア侵攻を開始し、
12世紀にはノルマン王国が成立。

15世紀にはスペインの属領に。
スペインのハプスブルク家から、
後にはオーストリアのハプスブルク家に。
またその後はナポリ王国の支配を受けたりして、
現在はイタリア共和国の特別自治州となっています。

なにしろ地中海の要衝にある島ですから、
めまぐるしく支配者が変わっています。
極東の片隅にある日本とは環境が全然違います。

こんな歴史を経て、
ギリシャ、ローマ、ビザンチン、イスラム、ノルマンなどの
多彩な文化が残っているのです。


◎  パレルモ(ノルマン王宮) 

ギリシャ遺跡に咲くアマポーラから始めまてみたのですが、
それはさておき旅の最初の部分から紹介します。

成田発 5月17日 13:20
ローマ着 19:00
ローマ発 21:40
パレルモ着 22:50

上は予定時間で、
実際は遅れがあり、
ホテルに着いたのは夜中の12時を過ぎていました。
しかし時差で頭も体も混乱していますから、
あまり問題はありません。


ノルマン王宮

5月18日
まず訪れたのはノルマン王宮です。
王宮があるということは王家があったわけですが、
シチリアを支配したノルマン王家、
あるいはノルマン王朝について、
何も知らないのですが・・・

この王宮は現在、
シチリア州議会堂として使われているとのことです。


ノルマン王宮

見所は2階にあるパラティーナ礼拝堂で、
上の写真の右手奥から入ります。

入り口付近にあったた木です。
幹にも枝にもトゲトゲがびっしりとついています。
この島にはアフリカの植物がたくさんあるそうですから、
そういう種類だと思います。


ノルマン王宮

階段を登って2階に上がると、
(こちらの呼び方では日本の1階が地階で2階が1階なのですが)
スペイン風の中庭があります。
正面の奥にパラティーナ礼拝堂があります。


ノルマン王宮

右手を上げているのは「全知全能の神キリスト」です。
ドーム、壁、天井、柱を埋め尽くしているのはモザイク画です。
この部分は18世紀に付け加えられた新しいものだそうです。


ノルマン王宮

「聖ペテロと聖パウロを従えた玉座のキリスト」
これは14世紀のものだそうです。


ノルマン王宮

上の方には12世紀のモザイクもあるとのことですが、
どれがどれだかよく分かりません。


ノルマン王宮

この図形はイスラム模様だと思います。


ノルマン王宮

床のモザイクも見事なものです。


シチリアのシンボル

これはシチリア島のシンボルです。
3本足の魔物。
見たものを石に変える能力を持つギリシャ神話の魔物、
メドゥーサです。

小さなマグネット付のものから、
直径30cmもある大きな飾り円盤まで、
土産物屋で売っています。



南イタリア地図

シチリア島は三角形をしている・・・つまり三つの岬があることから、
上のような3本足のシンボルになっているそうです。

地中海では最大の島で、
九州より小さく、
四国より大きいそうです。

最初にパレルモ、
次にアグリジェント、
それからタオルミーナ、
これでシチリア観光を終えて、
イタリア本島に渡り、
ナポリからカプリ島へ、
そしてポンペイの遺跡を見て、
ナポリから帰国しました。



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