Photo & Essay

◎  池めぐりコース(大沼池) 

レストハウスでお昼を食べたし、
空も晴れてきたし、
出発です。


大池

しばらくは池の縁に沿って池尻まで歩きます。
少し登りましたから池を見下ろすようになりました。
土色で人が見えるところの左奥にレストハウスはありました。


大池

池の色を写したいと思いますが、
樹木が生え茂っていて、
開けたところがありません。
ちょっとした隙間を見つけてはパチリです。


大池

ようやく橋があって、
広い隙間がありました。


大池




大池




大池

池尻に出ました。
3枚の写真をつないでパノラマにしました。

池の名前を勘違いして「大池」と書いていました。
「大沼池」または「大沼」です。

今日は池の色を見て頂きましたが、
検索で調べたら、
大沼は志賀山の溶岩流でせき止められた「せき止め湖」で、
周囲は5.5km、水深26m。
エメラルドグリーンは強酸性のためで、
魚類はすんでいないそうです。


◎  池めぐりコース(大沼池へ) 

ほとんど平坦な道だったのが、
下りになってきました。
丸太を使った階段です。
滑らないですが、
歩きにくいです。


大池へ

樹木の隙間から池が見えました。
エメラルド色の池といわれているのですが・・・

「もうすぐだ」と思わせましたが、
それからが長い下りでした。


大池へ

雨に濡れたシダがきれいでした。


大池へ

コケもきれいです。


大池へ

大分水面が近くなってきました。


大池へ

ようやく到着、
池のほとりのレストハウスです。
昼食はここで食べるつもりで来ました。

トイレのきれいなことに驚きました。
靴を脱いで上がらなければならない、というのが、
汚しにくくしているようでした。

昼食のときは1枚着込みました。
気温は18度でした。


大池へ

昼食が終わったころ、
日が射してきました。
今迄の降ったりやんだり、
晴れたり曇ったりとは違って、
もう大丈夫という感じです。

水の色が、
なるべくエメラルドに見える方角を写しましたが、
高い所からの方が美しいようです。
かつて水辺に木が生えていたのでしょう。
根元だけが何本か残っています。

以下はレストハウス周辺の花です。


大池へ

ヤナギラン
アカバナ科 アカバナ属


大池へ

コバイケイソウ
ユリ科 シュロソウ属

大池へ

アヤメ
アヤメ科 アヤメ属


大池へ

アキノキリンソウ
キク科 アキノキリンソウ属


◎  池めぐりコース(四十八池) 

渋池から1時間ほど歩くと四十八池湿原です。
説明板がありました。

四十八池湿原の植物
大小多数の池塘には、
ミヤマホタルイが田に植えられた苗のように生えています。
湿原にはイワショウブ、キンコウカ、ヒメシャクナゲ、
ミズギク、モウセンゴケなど、
代表的な湿原植物が見られます。
湿地のふちにはミズバショウ、コバイケイソウ、
マルバダケブキなど大型の草木が生えています。



四十八池

48個の池があるわけでなくて、
沢山の小さな池があるという意味のようです。


四十八池

ミヤマホタルイ(深山蛍藺)
カヤツリグサ科 ホタルイ属

手前岸辺の
白い花はイワショウブ、
黄色い花はキンコウカ(まだ蕾)です。


四十八池

イワショウブ(岩菖蒲)
ユリ科 チシマゼキショウ属


四十八池

渋池にもありましたが、
ワレモコウです。
咲いていると撮りたくなります。


四十八池

ワレモコウ
バラ科 ワレモコウ属


四十八池

相変わらず雨が降ったりやんだりです。
やめば鏡のような水面です。
次は一番大きな池「大沼池」へ向かいます。


四十八池

歩くコースに霧はありませんでしたが、
遠くの山は霧の中です。


四十八池

タケシマラン(竹縞蘭)
ユリ科 タケシマラン属

実が赤く熟していました。


四十八池

ムシカリ(別名:オオカメノキ)
スイカズラ科 ガマズミ属

まだ赤くなっていない、
熟しきっていない実です。


◎  池めぐりコース(渋池) 

志賀高原の二日目。
朝目覚めて窓の外を見ると、
かなり強い雨が降っていました。
ところが朝飯を食べているうちに雨がやみ、
時々薄日がさしたりするようになりました。

「『池めぐり』をしたいのだけれど・・・」と
ホテルのフロントで予報を聞いてみると、
「今日はときどき降るでしょうが、
豪雨ということはないでしょう。
『池めぐり』ならカッパまでは要りません。
傘があれば大丈夫ですよ」
という心強い返事だったので、
出かけることにしました。

ホテルの前からバスに乗り、
約10kmほど離れた硯川というバス停で降りて歩きます。
渋池、四十八池、大沼池などをめぐるコースで、
全長:10,3km
標高差:200m
所用時間:4時間30分
とガイドマップに書いてあります。


渋池

バスはだんだん混んできて、
最後は満員でした。
硯川でほとんどの人が降りました。
降りたところにトイレがあるので、
まずみんなそこに寄ります。
トイレの用がない人も、です。
ちょうど雨が激しく降り始めたからです。
本降りです。
トイレの軒先で、
みんなカッパを着込んでいます。

「カッパまでは要りません」
とのことでしたが、
念のためもっていきましたから、
着込みました。

トイレの裏の道を登って行くとリフトがあります。
5分ばかり乗ると平坦な湿地に到着します。
サマーリフトという名称ですから、
夏だけのリフトかも知れません。


渋池

リフトに乗っている間降っていましたが、
降りるとやんで、
日が射してきました。
今日はこういう天気のようです。

写真はヤマハハコです。

ヤマハハコ(山母子)
キク科 ヤマハハコ属
平地に咲くハハコグサの花が黄色なのに対して、
ヤマハハハコは白く、
エーデルワイスに感じが似ています。


渋池

リフトを降りたところから、
少し歩くと渋池です。
大きな池ではありません。
立て札の説明を転記します。

渋池
標高1800m。
水質は酸性。
腐食栄養型湖沼。
池の周辺と浮き島には沢山のモウセンゴケが生育し、
虫を食べています。
池畔には高山に見られるハイマツが
氷河時代の遺物として、
今も生育していることは非常に珍しいことです。



渋池

渋池のほとりにワレモコウが咲いていました。

ワレモコウ
バラ科 ワレモコウ属

池のほとりには、
ワレモコウより華やかなものも・・・
女子大生かと思われる
若い女性が6~7人でやってきました。
カッパなんか着ていません。
街を歩く姿(着ているもの、履いているもの)で、
傘はホテルで借りたのか、
ビニール傘の子もいます。

リフトで上がれば、
ここ迄はほぼ平坦です。
ただし、
どろんこ道ですから、
膝迄のパンツの子は白いふくらはぎに
泥ハネをいっぱいつけていました。

池をバックに記念写真です。
近くにいた私にシャッターを押す大役が任されました。
前列に出た子二人は、
小首を傾げて、
Vサイン。
2度シャッターを押して、
お役目終了です。

多分彼女たちは、
ここから先へは行かなかったでしょう。


渋池

説明板にあった浮き島です。
島の右端の赤っぽく見えるのがモウセンゴケです。


渋池

モウセンゴケ
モウセンゴケ科 モウセンゴケ属
(不明瞭な写真で申し訳ありません)


渋池

次は四十八池へ向かいます。
ほとんど平坦といってよいようなコースです。
道の両側は笹です。
ときどき降ったり、
またやんだり・・・


渋池

樹木の間から見えるのはガスの掛かった風景。


渋池

さっと日が射してくると青空が見えたり・・・
このころはカッパは脱いでしまって、
ホテルの人のお薦め通り、
傘をさしたり、
すぼめたりでした。


◎   せせらぎコースの花(2)  

先週からの続きです。

せせらぎコース

こんなに小さな「せせらぎ」です。
流れは細いですが、
その両側は湿地で、
木道があったり、
土の道があったり、
していました。


せせらぎコース

1枚目の写真にも写っていますが、
黄色の花が沢山咲いていました。
なんという花か分かりません。


せせらぎコース

水辺とか湿り気のあるところには、
セリ科の白い花が咲いています。
黄色の花はハンゴンソウです。


せせらぎコース

オオバセンキュウ
セリ科 シシウド属

でないかと思っていますが、
セリ科の花は区別が難しいです。


せせらぎコース

ハンゴンソウ
キク科 キオン属

遠くから見ている方がきれいです。
近づくほど
きれいな花と終わった花の混在に気づきます。


せせらぎコース

木道です。
「せせらぎ」に近づいたり、
離れたりしてます。

向うに白樺の木が見えます。
志賀高原にはシラカバとダケカンバとどちらもあります。
書いてあるものを見たら、
「シラカンバ」「ダケカンバ」と
どちらも「カンバ」になっていました。


せせらぎコース

ミズギク
キク科 オグルマ属 

木道の脇に名前が書いてあったので、
覚えてきました。
山の湿地に咲く花です。


せせらぎコース

ウメバチソウ
ユキノシタ科 ウメバチソウ属

これも木道脇の湿地に咲いていました。


せせらぎコース

せせらぎコースの終点は高天ヶ原です。
すごい地名です。
神話の世界に入り込んだような気分になりました。

山にはガスがかかっていました。
明日の天気はどうなるのだろうか~

このコースを歩いたのは、
初日、豪雨の中を出発したのに、
志賀高原に到着する頃は日が射していた、
そんな午後でした。


せせらぎコース

ホテルの部屋のテーブルの上に、
テルテル坊主が置いてありました。
泊まってくれたお客さんに、
よいお天気をプレゼントしたいという、
メイドさんの心遣いなのでしょう。

でも翌朝起きて窓の外を見ると、
ザアザア降っていました。

もし晴れていたら
「ありがとう」のメモを
メイドさんに残すつもりだったのに・・・・・


◎  せせらぎコースの花(1) 

ホテル近くの「せせらぎコース」に
咲いていた花々を掲載して行きます。
ホテルのロビーにファイルが置いてあって、
『ホテル付近の花』の写真とその名前が載せてありました。


せせらぎの道の花

ピンクの花は昨日掲載したヤナギランです。
手前右に立っているのは、

タカネスイバ(高嶺酸葉)
タデ科 ギシギシ属

せせらぎの道の花

ヨツバヒヨドリ
キク科 フジバカマ属


せせらぎの道の花

ヤマオダマキ
キンポウゲ科 オダマキ属


せせらぎの道の花

ウツボグサ
シソ科 ウツボグサ属


せせらぎの道の花

クサフジ
マメ科 ソラマメ属


せせらぎの道の花

コバギボウシ
ユリ科 ギボウシ属


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昨日は広辞苑が
「右」をどう説明しているかについて書いた。

そのあと、待てよ、もしかして?
と考えて調べてみた。

昨日の復習だが、広辞苑は、
「右」を「南を向いた時、西にあたる方」と説明している。
では「南」はどうだろうか?
「日の出る方向に向かって右の方向」となっている。
これじゃあ、
ほんとに「右」も「南」も知らない人には理解できないのでは・・・。

パソコンについてきた国語辞典(大辞泉)も同様だ。
「右」は「東に向いたとき南にあたる方」で、
「南」は「太陽の出る方に向かって右の方角」だから、
広辞苑と同じといってよい。
(ただし、この辞書には「右」についてもうひとつ説明があって、
「大部分の人が食事のとき箸を持つ側」とも書いてある)

手元にある「例解新国語辞典」(小学生向けの小さな辞書)を引くと、
「右」は「人の体で心臓のない側」であり、
「南」は「太陽の出る方向にむかって右手の方」となっているから、
「右」も「南」も知らない人にも分かるようになっている。

小学生向けと成人向けとでは辞書編纂の方針が違うのかも知れない。


◎  ヤナギラン 

志賀高原の花々を掲載して行きます。
今日の写真はホテルのそばから、
細い流れにそって歩く「せせらぎコース」で撮ったヤナギランです。


ヤナギラン

ヤナギラン(柳蘭)
アカバナ科

ピンクだから
この花が一番目立ちました。


ヤナギラン




ヤナギラン

図鑑には、
北海道と本州中部以北の山地帯~亜高山帯に生える
高さ0.5~1.5mの多年草。
山火事の跡地や森林の伐採跡などを好み、
群生することが多い。

とあります。

人手の入った山地に多いのかと納得です。


ヤナギラン

途中に一の瀬のホテル群があります。
まるでスイスの風景のようですが、
窓に赤い花の鉢が並んでいないところが違っていました。


ヤナギラン


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この間テレビを見ていたらクイズ番組をやっていた。
広辞苑は『右』をどう説明しているか?
という質問である。
「箸を持つ手の方が右」というのが一般的だが、
左利きの人もいるからそれでは正確でない・・・
で、広辞苑はどう説明しているか?
ということ。

と、なれば、
(地図を思い浮かべて)
「北に向かったとき東の方が右」
と自分なりの答えを出した。

正解は逆で、
「南を向いた時、西にあたる方」だという。
なんで北を向かないんだとぼやいてみたが、
好みの問題だろう。
因にパソコンに付属している辞書を見たら、
「東に向いたとき南にあたる方」
と説明している。
「勝手にしろ!」
といいたくなった。


◎  焼額山 

志賀高原滞在3日目は朝から、
というより夜明け前から空に星がきらめいていて、
快晴でした。
それでホテルの裏手にある焼額山へ登ることにしました。

この山の標高は2006mですが、
昇り口の標高が1600mくらいですから、
実際の標高差は400m程度です。


焼額山

まっすぐ進めば、
昨日紹介したシナノキの巨木へ向かう道。
少し先の右側に焼額山への登山口があります。


焼額山

今回志賀高原の地図を買いました。
その付録の小冊子には、こんな風に紹介してありました。

焼額山の頂上迄は1時間30分ほどの昇り一方の道。
植物を楽しみながら、
小鳥のさえずりを聞きながら、
展望に見とれながら、
あせらずに登りたいコース。

チシマザサの密生する中を縫って山頂を目指すと、
ササハギラン、ハクサンチドリ、テガタチドリなどの
ラン科の植物の多いコースだ。


と、書いてあるのですが、
時期が違うのでしょう、
ラン科の花は見当たりません。
代わりにキノコがいろいろと生えていました。


焼額山

キノコだけかと思っていたら、
道ばたに
こんなものが生えていました。

ギンリョウソウ(銀竜草)
イチヤクソウ科 ギンリョウソウ属

山地のやや湿り気のある腐植土の上に生える腐生植物。
高さは8~20cmになる。
根以外はすべて白色である。
和名の銀竜草は
鱗片葉に包まれた全体の姿を竜に見立てたもの。
別名ユウレイタケ(幽霊茸)。


焼額山

あまり登ってくる人もいませんが、
ときどき若い家族連れや中年夫婦とすれ違ったり、
追い越されたりして登っていくと、
途中に何カ所かお花畑があります。
それはスキーコース、
つまりゲレンデなのです。

地図で見ると
この山には大小16本のリフトと
1本のゴンドラがあります。


焼額山

前述の小冊子には、

登山道の中ほどから眺める景色は素晴らしい。
志賀山や横手山、笠ヶ岳、
また千曲川や遠くに北アルプスが一望できる。


と書いてあります。

下の方には雲があって、
千曲川は見えませんでしたが、
(写真が小さくて不明瞭ですが)
右側の樹木の上に掛かる横雲の上に
北アルプスの山々が見えました。


焼額山

焼額山、隣の東館山のゲレンデが見えます。


焼額山

山頂には湿地が広がり、
稚児池というきれいな池があります。
ここで昼食です。


焼額山

小冊子によれば、
ここまでの所要時間は1時間半ですが、
休みながら、
花を撮り、景色を撮りながらで、
2時間半かかりました。


焼額山

そして下りはゴンドラであっという間に。
昨年膝を傷めてから下りは怖いので、
最初からそのつもりでした。
夏の間もゴンドラだけは動いているのです。

ゴンドラで登って、
稚児池を見て、
ゴンドラで下る人たちも多いのですが、
汗をかきながら登ったお陰で、
お花畑や雄大な景色を楽しむことができました。


何度も引用した小冊子ですが、
これに焼額山の説明が書いてあります。

約50万年前に噴火した火山で安山岩で構成。
山頂の火口には水が溜ってできた「稚児池」があり、
ほかに小さな池塘もいくつか見られる。
東側山麓のカラマツ林は植林されたもので、
北側はダケカンバ、シラカンバの二次林で覆われている。

志賀高原の山で、
山全体が植林と二次林で覆われているのは焼額山だけであり、
開発し尽くされた山といえる。
「長野県植生自然度図」では、
自然林への人間の干渉度合いが60~80%で
最も破壊度のひどい山のひとつ。

山頂の稚児池の辺りだけが手つかずの自然なのでしょう。


◎  シナノキ 

志賀高原には
21のスキー場があるそうで、
それぞれに数多くの宿があって、
夏場には避暑やハイキングの客を受け入れています。
行ったのは焼額山スキー場のホテルですが、
すぐ隣に一の瀬スキー場があり、
この地域にシナノキの巨木があると聞いて見に行きました。

山道を2~30分歩いて辿りつきました。
途中には鉄のパイプを2本ぶら下げたものがあり、
それを鳴らしてシナノキに挨拶をして下さいと書いてありましたが、
本当は熊除けのようです。


シナノキ

木のそばに説明板がありましたので、
内容を紹介します。


長野県天然記念物
一の瀬のシナノキ

指定 平成13年3月29日

標高1650m、
ここ長野県下高井郡山ノ内町志賀高原、一の瀬に生息。
目通り幹周8m、樹高23m、樹齢800年と推定され、
長野県一の大きさを誇り、
全国的にも1、2位を争う巨木である。

シナノキは低山帯に生息するシナノキ科の落葉高木で、
木の内皮の繊維が強く柔軟なので、
かつては加工して、
紙、縄、蓑などを作っていた。

昔、京都に朝廷があったころ
和紙を献上することが多かったので、
シナノキを多産する国として、
『信濃(しなの)の地名の語源』になったとの説が長野県下にあり、
古来から信濃ゆかりの樹木として知られている。



シナノキ

巨大な幹は人の顔に見えるような気がします。

もう1枚立て札がありました。

木(ぼく)から人間様へお願い

私はシナノキです。
800年前に志賀高原に生まれ、
キハダやダケカンバなどの仲間と静かに暮らしていました。
この沢にはサンカヨウ、ツバメオモト、オオウバユリなど美しい花が咲きます。

昔からシナ布や和紙の材料にされたり、
明治の頃からは炭焼きの人が入り、
大勢の仲間が切り倒され、
いなくなりました。

私は何度か切り倒されかけましたが、
今もこうしていられるのは、
この山の主として見守ってきた
私の霊気を人々が感じたからでしょう。

その後、昭和29年頃から、
一の瀬の開発が進み、
静かだったこの辺もスキー場になってしまい、
かろうじてこの周りの森だけが残りました。

私を天然記念物として大切にしてくれるのはありがたいことでが、
長い間生きてこられたのは、
豊かな自然の生態系が保たれていたからなのです。

私も年をとり、
やがて枯れて土に返りますが、
私の子供や孫たちが、
安心して生育できるよう環境を保って欲しいと願っています。

因みに私の仲間のセイヨウシナノキをリンデンとかボダイジュなどと呼び、
釈迦がこの下で悟りを開いたといわれています。

シナノキより



シナノキについて少し調べて見ました。

図鑑を見ると、

シナノキ(科の木、級の木)
シナノキ科 シナノキ属

同属に、
ヘラノキ(箆の木)、
ボダイジュ(菩提樹)、
オオバボダイジュ(大葉菩提樹)
が載っています。


Wikipedia によれば、

菩提樹は木の名としては次の1.・2.・3.の意味で使われる。
1.インド原産のクワ科イチジク属の常緑高木インドボダイジュ。
2.中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木ボダイジュ。
3.2に近縁なヨーロッパ原産のセイヨウボダイジュなど、シナノキ属の植物

したがって、
釈迦が悟りを開いたのはクワ科の印度菩提樹の下であって、
シナノキ科の菩提樹の下ではないようです。

シューベルトの歌曲「菩提樹」はシナノキ科です。


◎  小さな秋 

立秋から1週間が経ちました。
感覚的には、
ようやく梅雨が開けて、
これから真夏が来るような気もしますが、
暦通りに、
秋はひっそりと忍び寄っています。
                   

紅葉

全体は緑なのに、
ごく一部の枝だけ紅葉しているウルシの木がありました。
(志賀高原にて)


皇太子ご一家は今日の午後、
那須の御用邸に向かわれました。
ここで2週間ほどお過ごしになって、
周辺の自然などを楽しまれる予定だそうです。

東宮御所の改修工事が終わり、
仮住まいからの引っ越し作業が行われるためもあるので、
ご静養だけが目的ではないようですが、
うらやましいことです。   

わが家には、
ご用邸も別荘もありませんので、
志賀高原の安い宿で2泊3日だけの静養(?)をしてきました。

10日朝の豪雨の中を出発。
台風がらみもありましたので、
滞在中はずーっと雨、
という覚悟もして出かけたのに、
初日は向うに着いたら雨が上がり、
2日目は午前中曇りときどき雨から午後は晴れ。
3日目は快晴となりましたから、
まあまあ良かったと思っています。

雨ならゆっくり過ごすつもりだったのが、
結局は小雨の中でもカメラを持って歩き回り、
「静養」は家に帰ってからになりました。
貧乏人に旅先での「静養」は無理です。


◎  横蔵寺 

ムクゲ

伊吹山などの旅の最後は岐阜県にある横蔵寺(よこくらじ)です。
投稿が時系列に沿っていませんでしたので
改めて整理すると、
東京→米原→醒ヶ井→長浜→竹生島→長浜→伊吹山→横蔵寺→岐阜羽島→東京
の順です。


横蔵寺

2日目の午前中に雨と霧の伊吹山へ登り(バスで)、
下ってくると晴れてきました。
関が原駅前で昼食をすませ、
午後は横蔵寺です。
地図を見ると大垣の真北へ約20kmのところにあります。
正面の緑の中に赤く見えるのは医王橋です。
この寺の本尊は薬師如来なのです。


横蔵寺

参道を登っていくと右側に見えた建物です。
境内図によると客殿のようです。
本堂が修理中ですっぽりと囲いがしてありましたので、
この辺が一番美しい建物でした。
秋の紅葉が見事だろうと思われます。


横蔵寺

三重塔。


横蔵寺

境内を流れる清流。
向こう岸にはアジサイが咲いていました。


宝物殿に数多くの仏像(重文)が並び、
舎利堂には妙心上人の舎利佛(ミイラ)が安置されていました。

妙心上人は天命元年(1781)横蔵村に生まれましたが、
両親の没後巡礼の旅に出て、
西国、坂東、秩父、四国の各札所を巡り、
やがて信濃の善光寺で受戒されました。
その後は富士山に登り、
富士講の先達を勤めましたが、
山梨の洞窟で断食し、
入定(聖者が死去すること)されました。

上人の遺体は村人によって祀られていましたが、
明治の初めに山梨県庁へ移され、
明治13年天皇行幸の際、
天覧に供されましたが、
そのとき故郷に戻すようのとの明治天皇のお言葉があって、
この横蔵寺に祀られることになりました。

全く人手を掛けていない
上人の信仰心のみによってミイラ化した坐像です。


◎  醒ヶ井 

米原で新幹線を降りて、
長浜へ行く前に、
醒ヶ井(さめがい)に行きました。


醒ヶ井

中山道の宿場町だったところです。
米原でバスに乗るときはすごい豪雨でしたが、
少しずつ優しい降り方に変わってきました。
しかしまだ降っていますし、
先ほどの豪雨が記憶にあるから、
バスを降りて歩き始めたときは、
橋上の女性のように重装備の方も少なからずいました。
大勢いますから、
人それぞれで、
スカートに中ヒールの女性もいましたが・・・

幸いなことにだんだんと小止みになってきました。


醒ヶ井

中山道に沿って
地蔵川という小さな川が流れていて、
そこにバイカモが咲いているから、
見に行きましょうということでした。

朝からの雨で水かさは増して
濁っていました。
グラジオラスの鉢は増水で川に落ちたのでしょうか、


アジサイ

珍しくもないアジサイですが、
まだこんなにきれいに咲いていました。
この花には雨が似合います。


醒ヶ井

川でスイカを冷やしていました。
スイカの下手にある水草がバイカモです。


醒ヶ井

あまり花がついていませんが、
こんな風に川の流れになびいています。
水面すれすれに咲く花ですが、
水の反射でうまく撮れません。


バイカモ

バイカモ(梅花藻)
キンポウゲ科
清流にしか咲かないそうです。

さっきのスイカの橋の上に細長い木箱を置いて、
そこにバイカモを植えて咲かせていました。
ここの花は水面から出て咲いています。
観光客向けに置いてあるようでした。


醒ヶ井

川の反対側には
多少街道筋を感じさせる家があります。
みやげ物屋さんですが・・・


中山道は東海道と並ぶ
江戸と京都を結ぶ重要な街道です。
お江戸日本橋を出て1番目が板橋宿。
この醒ヶ井宿は61番目です。
そして草津宿(68番)、大津宿(69番)を経て、
京都三条大橋に到ります。


◎  竹生島 

前回は湖上を船で行って、
帰ったことだけ紹介しましたが、
今日は竹生島をチョコッと紹介します。


竹生島

船が島に近づいてきました。
雨がポツポツと当たり始めました。
デッキが後部にありますから、
船が邪魔をして全景は撮れません。


竹生島

島へ降りると先ず傘を出したり、
雨支度です。

かなり急な石段を登ると本殿があります。
本尊は弁財天で、
厳島神社、江ノ島と並んで、
日本三大弁才天の1つに数えられているそうです。


竹生島

この門の奥は観音堂です。
そしてこの門は国宝で、
豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)
または伏見城の遺構を移築したものといわれるそうです。


竹生島

雨の中をぐるぐると見て廻り、
船着場に戻ると、
そこに琵琶湖周航の歌の歌碑がありました。


竹生島

待っていると迎えの船がやってきました。
定期の連絡船は終わっていて、
特別に出してくれた船です。
ツアー客37人+添乗員1人+長浜からのガイドさん2人=40人
が乗客です。

竹生島は無人島だそうで、
寺の方もみやげ物屋の人たちも、
通いだそうです。
われわれの船には乗ってきませんでしたから、
多分自家用の船で通っているのでしょう。


竹生島

到着時には撮れなかった島の全景です。


竹生島

神社仏閣、みやげ物屋は島の南側にありますから、
人間は南側にしか入りません。
北側にはカワウが沢山いて
糞害で木を枯らしているそうです。


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前回、
小谷城にまつわる女たちのことを書きました。

「小谷」と書くのに
「おたに」とか「こたに」とか
適当に入力して漢字に変換しましたが、
正式な読みは「おだに」だそうです。

浅井長政の「浅井」は「あさい」と入力していましたが、
こちらは「あざい」が正しい読みだそうです。

今までは勝手な読み方で記事を書いていました。
漢字さえ正しく出ればよいと思っていたのです。
試してみると、
「おだに」を変換すれば「小谷」がでますし、
「あざい」を変換すれば「浅井」になります。

因みに、
兵庫県加西市にある「小谷城」は「こだにじょう」と読むそうです。
これも試しに「こだに」を変換したら「小谷」になりました。


◎  琵琶湖 

伊吹山へ登る前日、
午後3時に長浜を出航して竹生島に渡りました。
午前中、新幹線を米原で降りた時は、
ものすごい土砂降りだったのですが、
その頃の長浜には日が射していました。


伊吹山

船に乗る前に撮った伊吹山です。
山頂に少し雲が掛かっていますが、
この分なら明日は晴れるのでは?
と希望を抱かせたものです。


琵琶湖

琵琶湖の湖上に出るのは初めてです。
船に乗っている間はずっと晴れていましたから、
デッキからの景色を楽しみました。

長浜の町も伊吹山も遠ざかっていきます。
伊吹山の右方が関が原です。
左に12~3kmの所に小谷山があります。
そこには(今回行っていませんが)小谷城址があります。

昨夜の大河ドラマ「天地人」では
淀君が秀頼を懐妊したところでしたので、
その辺の人脈を
Wikipediaで確認しながら整理してみました。

小谷城は浅井氏3代の居城でした。
3代目の浅井長政の正室は織田信長の妹、
美人として誉れ高いお市の方です。

長政は信長に敗れて自決しますが、
お市は3人の姫たちと共に助けられ、
その後柴田勝家に子連れで嫁ぎます。

柴田勝家も秀吉に敗れて自刃。
お市も一緒に自害しましたが、
姫たちは助け出されます。

そして3人の姫たちは・・・
長女の茶々は秀吉の側室に、
初(はつ)は大名京極高次の正室に、
江(ごう)は徳川秀忠の正室になりました。

茶々は秀吉の後を継ぐ秀頼を生んで淀君となります。
初のことは知りませんが、
江は御台所となって3代将軍となる家光と
秀頼の正室となる千姫を生みました。

そして大阪夏の陣で、
豊臣方は徳川方に敗れ、
淀も秀頼も自害して果てます。
千姫だけは助け出されて再婚しました。

戦国時代の女たちの運命は過酷です。


琵琶湖

湖上には日が射し、
東の伊吹山の方は晴れていましたが、
南と西の方は黒く見えて
雨になっているようでした。


長浜城

湖上から長浜城も見えました。
遠かったのでトリミングして、
城を大きくしました。


琵琶湖

竹生島に着くと雨が待っていました。
島のことは後日にまわして・・・
長浜へ帰り着くとまた晴れてきて、
消えかかっていますが虹が見えました。


長浜城

長浜城へも行ってみました。
この城は秀吉が初めて城持ち大名となったときの城です。
その後山内一豊の居城となったこともあるそうです。
現在の建物は昭和58年に建てられたものです。


長浜城

この城は博物館になっていて、
「石田三成特集展」をやっていました。



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