Photo & Essay

◎  シナマンサク 

暖かい日が続いています。
冬が去り、
春が来た、
と実感します。
春の花は黄色が多いです。


シナマンサク

シナマンサク
マンサク科

この花は昨年の葉が残ったままで咲きますから、
見分け易いです。
図鑑には「中国中部原産」とあります。


シナマンサク



シナマンサク

「シナ」を漢字で書けば「支那」です。
私が子供のころは普通に使っていた言葉ですが、
今ではほとんど使われていません。

Wikipediaを読んでみました。
冒頭、こんな風にかいてあります。

支那(シナ)とは、
現在の中国またはその一部の地域に対して用いられた地理的呼称、
あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称のひとつである。
本来は差別用語ではないが、
差別用語として誤認されることもあるため公的場所での使用はほとんどない。


英語の「チャイナ」
に対応する日本語の呼称が「支那」なのでしょうが、
「チャイナ」は広く使われているのに、
「支那」は使われません。
歴史的な背景があるのでしょう。

戦後のある時期から「支那そば」が
「中華そば」「ラーメン」と呼び変えられました。
今では「シナマンサク」「東シナ海」「シナチク」など、
ほんの少しだけ残っていますが、
書く場合は漢字でなく、
カタカナを使います。

因に、
中華人民共和国の公式国名は
"the People's Republic of China"
です。


◎  レトロの店 

レトロの店

前回掲載の目黒不動へ行く途中、
こんな店がありました。
昭和の匂いが漂っています。


レトロの店

帰路に近寄ってみました。
中央上部は「米沢市」という標識です。


レトロの店

カメラを右の方に向けました。
「昭和浪漫倶楽部」の看板(表札?)が見えます。

写真の右端に白い鳥居みたいなものが見えますが、
それが下の写真です。


レトロの店

ここに駅があるわけでも、
電車が通っているわけでもありません。
「レトロの店」の前ではなくて、
隣り家の前なのですが・・・


- - - - - - - - - - 

今日は「2」の日です。
平成22年2月22日。

ふと思い出しましたが、
昭和22年2月22日は日曜日でした。
弟が
誰かに聞いたのか、
自分で発見したのか知りませんが、
「今日は『に』の日だ。
2が続いた後に日曜日の『に』がある」
といいました。
(私も弟も小学生でした)

平成の今日が日曜日でないのは残念でしたが、
「2」の日に徹して、
22時22分22秒にアップするよう予約投稿しておきます。
(ただし残念なことに、
ブログでは平成22年でなくて、
西暦2010年を使っていますが・・・)


◎  目黒不動尊 

更新を怠けている内に日が過ぎて、
「一週間のご無沙汰」になってしまいました。
この台詞の玉置宏、
次いで藤田まこと、
同年代の人たちが相次いで逝ってしまいました。
寂しいことです。
ご冥福をお祈り致します。


2月7日に、
目黒のお不動さまへ初めていってみました。
正式には「泰叡山龍泉寺」というそうです。
入り口にあった説明文から抜き書きすると、

大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、
不動明王を本尊とし、
通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。
江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、
それ以後幕府の厚い保護を受けました。
また五色不動(目黒、目白、目赤、目黄、目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、
江戸近郊における有名な行楽地になり、
門前町とともに大いに賑わいました。
さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、
湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称されました。
裏山一帯は縄文時代から弥生時代迄の遺跡が確認され、
墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓があります。



目黒不動尊

仁王門です。


目黒不動尊

境内にはいくつものお堂がありましたが、
地蔵堂の前に紅梅が咲いていました。


目黒不動尊

石段を上って行くと、
更にその先の石段の上に本堂があります。


目黒不動尊

本堂庇の内側です。


目黒不動尊

大きな提灯を下から仰ぎ見たら、
「目」の字が見えなくなりました。


冒頭に引用したように、
五色不動(目黒、目白、目赤、目黄、目青)があるそうですが、
調べたら、
五色とも不動尊は存在しています。
目黒不動尊:目黒区下目黒
目白不動尊:豊島区高田(戦災以前は文京区関口にあった)
目赤不動尊:文京区本駒込
目黄不動尊:台東区三ノ輪
目青不動尊:世田谷区太子堂

この内の目黒、目白は地名でもありますので、
お不動さんの名とどういう関係になっているのか調べてみました。
Wikipediaによれば、

目黒の地名は目黒不動に因むという説もあるが、
古い地名であり、
地名に由来して目黒不動となった可能性は高いとみられている。
目白の地名は文京区目白台と豊島区目白があるが、
両者は近接した地域であり、
目白台に因んで目白不動になったとも、
目白不動に因んで目白の地名ができたとも言われる。
浅草にあった「明暦不動」が後になまってメキ(目黄)不動と呼ばれた。
目赤不動は伊賀国の赤目に由来する。
また赤目不動の置かれていた不動堂は動坂の地名を残している。
目青不動は青山の閻魔様を前身とする。


目黒、目白の地名は江戸時代以前からあったそうですから、
地名がお不動さんの名前に反映されたようです。
また赤目不動を目赤と読み替えたり、
青山の不動さんを青目としたり、
明暦→メキ→目黄としたりして、
五色揃えたように思われます。

五色とは密教の陰陽五行説に由来し重んじられた青・白・赤・黒・黄で
それぞれ五色は東・西・南・北・中央を表しているそうです。


◎  椿 

ツバキ

今日はときどき雪がちらついていますが、
積もるほどではないようです。
これは先日雪が降ったときの撮影です。


ツバキ



ツバキ



ツバキ


椿にまつわる話がなかったろうかと考えて、
思い出したのが『八百比丘尼物語』です。

Wikipediaによれば、

八百比丘尼(はっぴゃくびくに)は、
日本のほとんど全国に分布している伝説。
地方により細かな部分は異なるが大筋では以下の通り。

若狭国のとある漁村の庄屋の家で、
浜で拾ったという人魚の肉が振舞われた。
村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることは知っていたが、
やはり不気味なためこっそり話し合い、
食べた振りをして懐に入れ、
帰り道に捨ててしまった。
だが一人だけ話を聞いていなかった者がおり、
それが八百比丘尼の父だった。
父がこっそり隠して置いた人魚の肉を、
娘が盗み食いしてしまう。

娘はそのまま、
十代の美しさを保ったまま何百年も生きた。
だが、結婚しても必ず夫に先立たれてしまい、
父も年老いて死んでしまった。
終いには村の人々に疎まれて尼となり、
国中を周って貧しい人々を助けたが、
最後には世を儚んで岩窟に消えた。


尼は椿が大好きだったので、
その岩窟の入り口に椿を1本植え、
「この椿が枯れたら、
自分が死んだと思って下さい」
といって岩窟の中に消えたそうです。

今でもその椿は枯れていないといいます。
古来、
人間は不老長寿を願ってきましたが、
親や子や友達は死ぬのに、
自分だけいつまでも死なないというのは、
恐ろしいような気もします。


小浜市のサイトにこの物語のアニメがありました。
お暇がありましたら、
下記をクリックして下さい。
『八百比丘尼物語』


◎  白梅 

立春以来寒い日が続いていましたが、
今日は突然暖かくなりました。
以下は寒い日に撮ってきた白梅です。

白梅



白梅



白梅



白梅


前回、
独身寮で♪エリカの花が~♪
と歌う人がいたことを書きました。

この寮は玄関を入ると
すぐに階段がありました。
2階は真ん中に廊下があって、
両側に3~4.5帖の小さな部屋が並んでいました。

階下には畳敷きの割と広い部屋があって、
テレビや新聞が置いてありました。
自室は狭いので寝るだけにして、
それまではそこで時間を過ごしていました。
「エリカの花」の人はこの部屋へ来ることはなく、
いつも自室へ直行でした。

「エリカの花」が歌われていた年、
1963年の秋のある日のことです。
その朝、
アメリカからテレビ番組の
始めての衛星中継があるということで、
何人かテレビの前に集まりました。

放送が始まって、
初の衛星中継が伝えてくれたのは、
ケネディ大統領暗殺のニュースでした。
予定では大統領のメッセージが放送されることになっていたそうですが、
突然の変更でした。

検索で調べると、
暗殺が起こったのは、
1963年11月22日(金)の12:30(現地時間)だそうですから、
日本で見ていたのは23日(土)だったことになります。
その頃は今と違って、
土曜日は休日でありませんでしたが、
勤労感謝の日だったのですね。

エリカの花から連想で思い出した事件です。
あれから間もなく50年、
半世紀になります。


◎  ジャノメエリカ 

昨日は立春、
寒明けでしたが、
寒明け十日といいますから、
まだ寒い日が続くでしょう。

引退も居座りもいる春立つ日   capucino


ジャノメエリカ

ジャノメエリカ(蛇の目エリカ)
ツツジ科 エリカ属

南アフリカ原産で、
日本には大正末期に渡来しました。


ジャノメエリカ

この花の名は、
黒い葯(花粉袋)が蛇の目に見えることから付けられているそうです。


ジャノメエリカ

背景は沈丁花(ジンチョウゲ)の蕾。


---------------------

ずーっと昔、
単身赴任で独身寮で暮らしたことがありました。
寮生は十数人くらいの小さな寮でしたが、
中に1人だけ孤立している人がいました。

夜はどこかで飲んで帰ってきます。
玄関を入ったときから自分の部屋へ行くまで、
いつも、
♪エーリカの花がー♪
と歌っていました。

今検索で調べてみたら、
西田佐知子の「エリカの花散るとき」(1963年)でした。
そうです‐‐‐東京オリンピックの前の年でした。
ユーチューブで聞いてみましたが知らない歌です。
聞き覚えがあったのは、
♪エーリカの花がー♪
の部分だけでした。


◎  寒桜 

梅の花もこれからという時期ですが、
もう咲いている桜があります。

カンザクラ

カンザクラ(寒桜)

寒緋桜と山桜系里桜または早咲き大島との
雑種といわれます。


カンザクラ



カンザクラ



カンザクラ



カンザクラ

これはまだ花のない染井吉野の幹です。
先ほど撮ってきました。

瘤多き木に立春の日影さす     羽公

今日は立春。
よく晴れていて、
陽射しはあるのですが、
空気の冷たい日です。


◎  福寿草 

福寿草は先日もアップしましたが、
昨日、
雪の中の花を撮りましたので
再度の・・・

フクジュソウ



フクジュソウ



フクジュソウ


今日は節分、
明日は立春と、
暦が進んできました。

冬至、立春、春分・・・
は太陽の運行に基づいて決められていますが、
旧暦では月の満ち欠けに基づいて日を決めていました。

今年は元日が満月でした。
15日が新月で旧の12月1日。
30日が満月で今は月が欠けていく最中です。
そして2月14日が新月で、
旧の1月1日となります。

因に昨年は1月26日が旧暦の1月1日でしたから、
昨年と今年では20日ほども違っています。
調べてみると旧暦では昨年、
5月が2回ありました。
昨年の6月22日が旧の5月30日で、
翌23日が「閏5月」の1日になっていました。

それで今年の旧正月は2月の半ばになってしまったのです。
正月が来ない内に立春がきてしまう・・・
これを歌った和歌が、
古今集の冒頭を飾っています。

ふるとしに春たちける日よめる   在原元方
年の内に 春は来にけり ひととせを こぞとや言はむ 今年とや言はむ


意味は
「年が変わらないうちに立春が来てしまったけれど、
この年を去年というべきだろうか、
今年というべきだろうか」
ということです。

旧暦では、
正月を立春に合わせるという原則があったので、
こう歌っているのですが、
「合わせる」といっても、
±半月位の誤差はあるのですから・・・

くだらない歌だとされているようです。

中国では今も正月は旧暦で祝っています。
上海に赴任している娘一家が旧正月の休暇になると
一時帰国してきます。
今年は2月中頃だというので、
旧暦のことを調べてみました。
小さな孫を2人連れてきます。
嬉しくもあり、うるさくもあります。


◎  蕾 

今日は春を待つ蕾です。

ツボミ

ツバキ

花が開くと、
寒さのためでしょう、
花びらが傷んで汚くなってしまいます。
ツボミの内はきれいな色なですが・・・


ツボミ

ハクモクレン

ソメイヨシノと同じ頃に咲くのですが、
ツボミはこんなに成長しています。


ツボミ

シャクナゲ

この木は冬の初めに
帰り花を咲かせましたが、
今は春の準備をしています。

-----------------------

牧水の歌の続きで、
読み方と表記についてです。

のむ湯にも焚火の煙匂ひたる山家の冬の夕餉なりけり

歌集の表記です。
神米金の歌碑には、
「夕餉」を「ゆふげ」と書いていましたが、
この程度の書き換えはよくあることなのでしょう。

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

最初の記事では、
漢字を多くして表記しましたが、
歌集にはこう書いてあります。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけり

最後の「けり」を最初の記事では「けれ」としました
検索するとどちらも出てきます。

テレビなどで「飲むべかりけり」と放送すると、
すぐに「けれ」だという抗議がくるし、
「けれ」と放送すれば「けり」だという意見が寄せられるそうです。
これは牧水に原因があるそうで、
最初の歌集では「けれ」だったのが、
後に出した自選歌集では「けり」になっていて、
牧水自身もそれ以後、
文や色紙・短冊にも「けり」と書いたそうです。
ということで、
どちらかといえば「けり」がよいようです。

余談ですが、
冒頭の「白玉」を、
白玉団子はゆであがったら、
氷で冷やして、
白砂糖をかけて食べるので、
秋の夜によく冷えた白玉を食べたら歯に沁みる・・・
と解釈する人がいるとのこと。
(「白玉」は「歯」に掛かる枕詞みたいなもので深い意味はありません)


ついでに有名な2首。

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

牧水の歌ではこれが一番有名かも知れません。
「幾山河」は「いくさんが」と読む人も多いと思いますが、
字余りでも「いくやまかわ」と読むのがよいそうです。
(ひらがなで書く場合は「いくやまかは」)

この歌は牧水23歳(数え歳)、
早稲田大学の学生だったときの作品。

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

「白鳥」は「はくちょう」でなく「しらとり」と読むのだそうです。
「はくちょう」ではスワンになりますが、
「しらとり」だと単に白い鳥ということになります。

しかしこれにも経過があって、
最初発表されたときの振り仮名は「はくてう」となっていたのに、
歌集になったら「しらとり」に変っていたそうです。

また「かなしからずや」は最初「哀しからずや」だったとか、
「空の青海のあを」を「海の青空のあを」と
牧水自身が揮毫したこともあったそうですから、
ややこしいです。


以上は

大悟法利雄
「幾山河越えさり行かば」
ーー若山牧水の人と歌ーー
弥生書房

「日本の詩歌 4」
中公文庫

を参考にしました。



back to TOP