Photo & Essay

◎  美しい五月を! 

天候不順の4月が逝きます。
やってくる5月が陽光に満ちていますように!


ナノハナとハナダイコン

ナノハナとハナダイコン


シャクナゲ

シャクナゲ


タンポポとカタバミ

タンポポとカタバミ


シモクレン

シモクレン


ヒメオドリコソウ

ヒメオドリコソウ


------------------

美しい五月を期待して、
ハイネの詩、

"Im wunderschönen Monat Mai"

Im wunderschönen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen,
Da ist in meinem Herzen
Die Liebe aufgegangen.

Im wunderschönen Monat Mai,
Als alle Vögel sangen,
Da hab ich ihr gestanden
Mein Sehnen und Verlangen.


『美しい五月に』

美しい五月に
すべての蕾が弾けると
ぼくの心に
愛が芽ばえた

美しい五月に
すべの鳥がさえずると
ぼくは彼女に
恋をうちあけた


そして、シューマンの曲です。





ハイネの詩のような
若々しい心が、
もうないことは残念ですが、
明日からの五月が美しくありますように!!!


◎  ハナミズキ 

サクラと同じく、
ハナミズキも青空が似合います。


ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ



ハナミズキ


- - - - - - - - - - - 

前回、お茶室「彩翔亭」の写真を載せました。
中を覗いてみたら空いていたので入った、
と書きましたが、
先客は私たちと同年輩のご夫婦1組だけでした。
注文を聞きに来た女性と話が弾んでいるようです。
アルバムを女性に見せていました。
DPEの店がサービス版の写真を入れてくれる、
あの薄いアルバムです。
女性が「まあ、こんなにいい写真が撮れて・・・
きっといいカメラなんでしょうね~」
というと、
ご主人は「カメラがいいんじゃない。腕がいいんだ」

庭が見えるよう
その夫婦と並んだ席にしました。
私たちの方にも別の女性が、
お盆に和菓子を5~6種類載せて来て、
どれにするかと、
注文を聞いていきました。

アルバムは2冊あって、
その女性が1册見終えると、
それを私の方に寄越して、
「よかったら見て下さい」

花の写真です。
少しページをめくったらお茶が出てきましたので、
アルバムはお返ししました。
隣では2册目のアルバムをようやく見終えて、
やっと和菓子の選定を始めるようでした。

お菓子を食べて、
お茶を頂いて、
窓から庭を見ていると、
ご主人がまた「よろしかったら・・・」
といってアルバムを再度手渡してきました。
「**市の△△△△で個展を毎年、もう20回も開いているんです」
「あ~、そうですか~」
「**市の☆☆高校ってご存知ですか?」
「知りませんけど~」
「そこの校友会誌の表紙に、
頼まれて、
18年も私の写真を掲載しているんです」
「そうですか~、それはたいしのもので~」

全ページをめくり終えるのを待っていて、
もう1冊を差し出してきました。
こちらは花ばかりでなくて、
奥様の写真が沢山入っています。
「花もきれいだけど、
奥様がきれいに写っていますね」
といってやると、
お二人ともニコニコされました。

アルバムを丁重にお返しして外に出ると、
妻が「あの人 自慢ばかりして! やーねぇ」
といいます。
「いじゃないか。ああ天真爛漫なら、あの人、きっと長生きする」
と私。

考えてみると私だって似たようなものです。
花やら旅やらのヘボ写真を
ブログに載せて、
皆様にお見せして・・・・・
私も長生きできるでしょうか???


◎  彩翔亭 

寒暖の繰り返しが激しく、
昨日は夏、
今日は冬となりました。

4月11日の日曜日は暖かくて、
航空記念公園は
この春の桜を見納めしようという客で賑わっていました。


彩翔亭

久しぶりに園内のお茶室「彩翔亭」に入ってみました。
外から覗いたら、
ガラガラに空いていたからです。
係の女性は、
この後混んでくるといっていましたが・・・

床の間を撮ってきました。


彩翔亭

お茶室の庭です。
池には桜の花びらが浮かんでいました。


 ---------------------

前回の続き、
1994年秋のローマです。

初めてのイタリア旅行は、
ミラノ~ベネチア~フィレンツェとまわり、
最後のローマの最終日は自由行動でした。

午前中にヴァチカン美術館を見て、
午後もあちこちと回っていたら、
フォロロマーノに行き当たりました。

「フォロロマーノ」は
古代ローマの政治・経済・文化の中心----遺跡です。
市街の真ん中に古代遺跡があって、
見学できます。

 
フォロロマーノ

古代の遺跡が立ち並んでいます。

天高しフォロロマーノの大柱    capucino

帰りの飛行機の中で作った句です。
イメージとしては真っ青な空だったのですが、
写真を見ると雲がかなり出ています。


フォロロマーノ

大学生のアルバイトかと思いますが、
発掘調査が行われていました。
この時から15年、
大分成果が上がっていることでしょう。


コロッセオ

歩いて、
外れが近くなると、
円形闘技場「コロッセオ」が見えてきました。


コロッセオ

コロッセオの外には観光馬車が沢山客待ちしていました。

フォロロマーノを歩きながら、
妻は足が痛くなったといっていましたので、
夕暮れも近いし、
これで観光は終わりにして、
ホテルに帰ることにしました。
持っていた小さなガイドブックをみると、
コロッセオという駅があって、
地下鉄で二駅目がテルミニ駅です。

地下鉄で帰ろうというと、
足の痛いはずの妻は、
歩いて帰ろうと言い張ります。
心もとない地図なのですが、
さほど遠くなさそうだし、
歩くことにしました。

歩き出すと、
目の前の道路の分岐と、
ガイドブックの地図の道路と
全く違います。
出だしが違っていたのでしょう。

今地図で確認すると、
直線で1kmちょっとの距離なのですが、
かなり回り道をしたようです。
もう10月も末、
そんなに遅い時刻ではないのに、
街は黄昏れてきました。
山野でないのだから、
心配することはないのですが、
心細くなってきました。

ふと、
左側を見ると、
見覚えのある塔が、
町並みの上に覗いていました。
それが前回紹介した
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の鐘楼だったのです。

これで安心です。
無事テルミニ駅に到着。
ここからなら間違いなくホテルに帰れます。
屋台で売る焼き栗の匂いが流れていました。

焼き栗やローマの街は黄昏るる    capucino


◎  春の色 

前回の「水辺の桜」と同じ日(4/6)に新宿御苑で撮りました。

ハナカイドウ

ハナカイドウ


イロハモミジ

新緑のモミジ


カリン

カリン


- - - - - - - - - - - -

昨日の朝は雪。
東京都心でもミゾレが降ったそうですが、
私の街は都の西北30km、
一面が白くなるほど降りました。
あまりの寒さに詩ができてしまいました。

花開いて寒く
花満ちて寒く
花散って寒く
雪は花の如く

寒い春です。
ソメイヨシノの木を見上げると、
花びらは落ち尽くして、
紅い花殻と小さな緑の葉と半々です。
そこへ雪です。
随分遅い降雪でした。
とはいってもまだ4月・・・春です。

真夏に雪が降ったという教会の伝説を思い出しました。


サンタ・マリア・マッジョーレ教会

それがこの教会です。
永遠の都・ローマの、
「終着駅」で有名なテルミニ駅の近くにある
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。

初めてローマへ行ったのは1994年の秋でした。
ホテルはテルミニ駅からも、
サンタ・マリア・マッジョーレ教会からも近い場所でした。
その時は、
この教会を訪れる機会はありませんでしたが、
ホテルからバスで出る時、
帰ってくる時、
横目に見ながら通りました。

添乗員が「これは真夏に雪が降ったという教会です」
と説明してくれました。
「フンフン」と聞いていて、
その雪と教会の間にどんな関係があったのか、
聞きもしなかったし、
調べることもありませんでした。

昨日の雪に触発されて調べてみました。

この地はエスクィリーノの丘と呼ばれるそうですが、
356年(352年と書いた記事もありますが)の8月4日、
当時の教皇リベリウスの夢に聖母マリアが現れ、
「エスクィリーノの丘の雪に覆われたところに教会を建てよ」
というお告げがありました。
教皇が翌日そこへ行ってみると、
真夏なのにお告げ通りに雪が降っていましたので、
教会を建てて聖母に捧げました・・・

ローマへはその後2003年の春に行く機会がありました。
写真はそのときのものです。
中へも入ってみました。
横にもっと広がっている建物なのに、
縦サイズで塔を中心に撮ってあります。
これは鐘楼で高さが75m、
ローマで一番高い塔だと
ガイドブックに書いてあります。

次回はこの塔にまつわる思い出を・・・・・


◎  水辺の桜 

水辺に咲いている桜の写真を集めてみました。
写真は全部新宿御苑での撮影です。


水辺の桜



水辺の桜



水辺の桜

旧御涼亭
(俗称:台湾閣)

昭和天皇の御成婚(皇太子時代)を記念して
台湾在住邦人から贈られた建物。


水辺の桜



- - - - - - - - - - -

幼い頃の思い出です。
はっきりしないのですが、
昭和17年4月18日のことだったのでは・・・
あるいは昭和18年の4月だったかも知れません。
とにかく小学校2~3年生のときでした。

昭和16年12月8日の真珠湾奇襲で始まった太平洋戦争。
体制を整えたアメリカ軍は日本本土を目指して進攻してきました。
そして航空母艦を発進した米軍機が
初めて本土爆撃を行ったのがこの4月18日でしたから、
この日のことではないかと思っているのですが・・・

この日だとすれば
土曜日だったそうですから、
学校から帰ってきて、
昼食を済ませてからのことです。
母が急に桜を見に行こうといいました。
その時姉や弟はどうしていたのか分かりませんが、
私一人を連れて家を出ました。

5分くらい歩くと川の土手に出ます。
その土手の上の道を20~30分位歩いたところに、
川の流量を管理する堰があり、
私たちはそれを大堰と呼んでいました。

大堰周辺の両側の土手には桜が植えられていました。
時期になると花見の客で賑わう名所でしたが、
戦時中のことでしたから、
花見の宴は自粛していたと思います。

ですから私たちは手ぶらで歩いて行きました。
重箱もゴザも持たず、
純粋に花を見るためでした。

土手の上を10分くらい歩いた時、
役場のサイレンが鳴り渡りました。
「警戒警報」です。
この田舎町に敵機は飛来するとは
考えられないことでしたが、
母は「帰ろう」といって、
桜を諦めて帰途につきました。

その後戦局は次第に厳しさを増し、
ついに敗戦、
戦後の混乱、
世の中が少しずつ安定して来た頃には、
我が家の没落、
花見どころでない年月が続きました。

そんな中で、
昭和28年母は亡くなりました。
私一人を連れて花を見に行こうとした年以後、
桜の名所で花を見る・・・
そんな気分になることは
ついにありませんでした。

あの時急に花を見たいと思った
母の心の中の衝動はどこから来たのでしょう~
これが最後のチャンスだという予感があったと考えるのは、
考え過ぎかも知れませんが・・・

さまざまの事おもひ出す桜かな    芭蕉


◎  サクラ 

昨日は日曜日で晴れて暖かで、
花見日和となりました。
今春は開花が早く、
その後が寒かったので、
例年よりも長い間花を楽しむことができました。
(これからも八重桜など花期の遅い桜が楽しめますが・・・)


サクラ

サクラの写真は随分沢山撮りましたが、
みんな似たようなものです。
最近に撮ったものを掲載します。


サクラ

多摩湖、
東京都の水ガメです。
9日(金)に行きました。
湖岸の桜がもう少し多いとよいのですが・・・
でも新緑がきれいでした。


サクラ

多摩湖のそばにある小さな池です。
鯉が沢山います。
昨年秋に行ったとき、
中学生くらいの男の子が大きな鯉をつり上げていました。
今回立て札があることに気がつきました。
「釣をしてはいけません」
と書いてあります。


サクラ

多摩湖と隣り合わせて狭山湖があり、
そのほとりの山口観音の八角塔です。
まだ若い枝垂れ桜です。


サクラ

航空記念公園の八重紅枝垂れです。
これは昨日撮りました。
すぐそばに県営野球場があり、
春期高校野球大会の予選が行われていて、
試合開始のサイレンが聞こえました。
地方の予選試合でも、
この音だけは甲子園と同じかなと思いました。


サクラ

上の枝垂れ桜の部分です。
隣に白の一重のしだれ桜がありましたが、
そちらはもう終わりでした。


◎  神代桜 

すっかりご無沙汰してしまいました。
いろいろと行事が立て込んでいたり、
桜が咲いて、
あちこちの花見で忙しかったりしておりました。
病気でも旅行でもありません。

花見で一番の遠出は、
山梨県北杜市にある日蓮宗実相寺の「神代桜」でした。
行ったのは4月4日で
関東南部は曇り空でしたが、
山梨は午前中晴れ渡っていました。


神代桜

境内には沢山の桜が満開を迎えていました。
ここでは桜と一緒に水仙も満開でした。
黄色い水仙の手前にある緑の葉はチューリップです。
神代桜は画像のもっと左にあります。


神代桜

これが樹齢1800年とも2000年ともいわれる神代桜です。
まず目につくのは花よりも幹です。
巨樹としての風格は十分です。

神代桜花より幹に目を惹かれ     capucino


神代桜

花だけを見るとしたら、
1枚目の若い木の方がずっときれいです。
巨大な幹に比べると枝は可哀想なほどです。


神代桜

力強い幹と満開の花と撮ってみました。

花の種類は「エドヒガン」で,
1922年にサクラとして初めて国指定の天然記念物となりましたが、
近年の環境の変化によって樹勢が急速に衰えてしまったそうです。


神代桜

掲示されていた表ですが、
天然記念物に指定された年と最近とでは、
こんなに大きさが違っています。

近くを通っていた道路を迂回させたり、
土壌を入れ替えたり、
復活への努力が続けられているようです。
老樹ではありますが、
いつの日か、
往時の枝振りを取り戻してもらいたいものです。



back to TOP