Photo & Essay

◎  プレイガール 

「プレイガール」はバラの名前です。
新宿御苑のバラ園にあります。
春(初夏?)に行っても、
秋(初冬?)に行っても、
綺麗に咲いています。
花期が長いようです。
「プレイボーイ」という花もあるのですが、
いい状態を見たことがありません。


プレイガール

このプレイガール、
先日(18日)は殊更に美しく咲いていました。


プレイガール

このブログにも何度か掲載しているのですが、
何か書きたいと思い、
例によって検索してみました。
ずばり「プレイガール」ではイカガワシイものが出てきました。
「バラ、プレイガール」を検索したら、
2番目に"Photo&Essay"(つまり私のブログ)の2007年の記事が出てきて、
3年前も同じことをやっていたことが分かって、
笑ってしまいました。
私の書いた本文よりも
お寄せ頂いたコメントの方が面白くて、
読み返えしてしまいました。
(下の青い文字をクリックして頂けば出てきます)。
バラ「プレイガール」


◎  プリンセス・アイコ 


プリンセス・アイコ

花の名は『プリンセス・アイコ』です。
「2002年、日本作出」と名札に書いてありました。
愛子さまは2001年12月1日のお生まれですから、
その翌年、
このバラが作出されたわけで、
(今頃になって、ですが)
その素早さに驚きます。


プリンセス・アイコ

上の写真は開きかけですが、
こちらは咲き誇っています。


ザ・プリンス

今からお相手がどうのこうのというつもりはありませんが、
この花は『ザ・プリンス』。
開きかけの王子さまです。


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今日もノバラのこと、
蕪村の句です。

愁ひつつ岡に登れば花茨(はないばら)    蕪村


この句を引っ張り出してきたのは、
古い新聞のコピーが出て来たからです。
1996年(平成8年)12月23日朝日新聞朝刊の一部が、
(どういうつもりだったのか、記憶ありませんが)
コピーしてありました。
寿岳章子さんのエッセイで題名は「私の好きな句」です。
紹介してみます。

この蕪村の句の存在を知ったのは今から17年前のことであった。
ある出版社からの依頼で、
百の花、あるいは木をえらび、
その植物がよまれている詩、短歌、俳句、
要するに散文でない文芸作品と
からませて短い文を書き一册の本としたのである。
美しい写真もあって、
なかなか楽しい仕事であった。

そして、
とりわけ京都加茂川堤によく咲いている
「みやこいばら」につけた句がこれであった。
もともと私は蕪村が大好きで、
飛びつく思いでこの句を掲げたのである。
ほめることばは
「何と新鮮で現代的だろうか。
多感な過去の人の心に花開いたばらは、
今なお加茂川のほとりに咲き、
花白く香り豊かであった」
というのである。

もともと私は単純にしてかつおセンチのけがあるオバサンである。
そんな私にぴったりの句だったのだ。
現代的というのはたしかだと思う。
蕪村のブの字も知らないひとにこの句を示し、
どんな人が岡をのぼっているかと問うてみよう。
おそらくチョンマゲのオッサンがエイサエイサと岡を登ってゆく姿を
連想する人などいないのではないか。
出来得べくんば、
竹久夢二風の楚々たる若い女性、
あるいは痩身の悩み深そうな表情の、
そして絣の着物に、
ちょっとクタクタになった袴をはいた青年などを
連想するのではなかろうか。

-----------後略------------


確かに現代的で、
チョンマゲのオッサンが詠んだ句とは・・・
しかし逆に、
現代であろうと、
紺絣の時代であろうと、
チョンマゲの時代であろうと、
もっと古い(聖徳太子みたいな)ミズラに髪を結っていた時代であろうと、
若かろうと、
老いていようと、
人間の心持ちは変わらないのでは、
そんな気もします。。。


◎  野ばら 

各地のバラ園は今が盛りのようです。
新宿御苑のバラ園はあまり大きくありませんが、
週初に行ってきました。


キャロリーヌ・ドゥ・モナコ

キャロリーヌ・ドゥ・モナコ


ムーンライト

ムーンライト


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先日ゲーテの「野ばら」の詩のことを書きました。
ドイツ語の詩は耳で聞いて覚えたものですから、
いわばカタカナでの記憶です。
ドイツ語の詩を見つけようと検索で探していたら、
この詩の背景を少し知ることができました。

若いゲーテはシュトラスブルクの大学に入りました。
友人と遠出をして小さな村へ行き、
そこで、
牧師の娘、フリーデリーケ・ブリオンという
金髪のお下げ髪の可愛い子と出会います。
そして二人は恋に落ちて・・・

しかし大学を終えたゲーテは
彼女を捨てて故郷へ帰ってしまいました。
理由は、
勉学のためであり、
結婚による束縛を嫌ったためだったそうです。
フリーデリーケはゲーテを恋い慕って、
生涯を独身で終えたそうです。

「野ばら」の詩は彼女との若々しい恋を歌ったもので、
シューベルトやウエルナーの曲に乗って、
今でも世界的に歌われています。

ゲーテは彼女との恋を捨てることで
大作家になったともいえるそうで、
この恋は彼の作品の大きな糧になっているそうです。

この詩の背景として、
少女の名も伝えられてきていますが、
フリーデリーケにしたら、
そんなことよりも、
ゲーテと一緒に暮らすことの方が願いだったでしょう。

一将功なりて万骨枯る
という言葉がありますが、
ゲーテ功を成して、フリーデリーケ泣く
じゃないかと思います。

「野ばら」の訳詩を載せておきます。
「童」はゲーテ、
「野ばら」はフリーデリーケなのでしょう。

童は見たり 野中のばら
清らに咲ける その色愛でつ 
あかず眺むる 
紅におう 野中のばら 
 
手折りて行かん 野中のばら 
手折らば手折れ 思い出ぐさに  
君を刺さん 
紅におう 野中のばら  
 
童は折りぬ 野中のばら  
手折りてあわれ 清らの色香  
永久にあせぬ
紅におう 野中のばら


フリーデリーケの心情を思いながら読むと、
なんだか胸に込み上げてくるものがあります。
上の2枚の、
どちらがフリーデリーケに似合う花でしょうか?


◎  聖天宮(2) 

聖天宮は道教のお宮。
では、その「道教」とは?
パンフレットから引用します。

道教は中国大陸で発祥した、
中国史の起源に遡る太古の民間信仰です。
神話の神々を起源とし、
後の世には三国志の英雄、
関羽候なども含む、
様々な神様が存在する多神教です。
道教は、
その発展の経緯から、
「神仙思想」と「老荘思想」という二つの面を持ち合わせています。

「神仙思想」とは、
神や仙人の世界に到達することを目的としたものであり、
特に不老不死の探求は漢方や気功とし、
練丹術は原始化学として、
火薬の発明に繋がりました。
「陰陽」「八卦」の概念も神仙思想より生まれ、
自然摂理や人の運命迄もを司るものとされ、
「風水」「占術」として現代にまで影響を与えています。

「老荘思想」とは、
老子や荘子などの思想家が「道(タオ)」を説いたものです。
「道」とは、
人智を超えた計り知れないものであり、
ことさらに知や欲を働かせる「人為」を無くし、
「無為」で「道」に従い生きることを説いています。
老荘思想を中心とした道教の世界観は、
Taoism(タオイズム)として、
東洋のみならず、
西洋でも根強い関心を集めています。
日本では平安時代に「陰陽道」「風水」など、
江戸時代は倫理道徳として捉えた「朱子学」を
「武士道」に取り入れたのがよく知られています。



聖天宮

前回の「境内案内図」の外にある塀と
狛犬(?)です。
この像の右側に見えるのが天門です。
金色の屋根は神様と皇帝の建造物にしか使うことができないそうです。


聖天宮

天門の上部です。
龍は皇帝の象徴だそうです。


聖天宮

鳳凰は皇后の象徴だそうです。


聖天宮

龍や鳳凰や花やその他の飾りはすべて色ガラスで作られています。
近づいて見るとガラスらしさが分かります。
(龍のひげは針金です)


聖天宮

本殿の正面上部です。
飾りも木材も石材も台湾から運んで来たとのことです。


聖天宮

前殿横の鼓樓です。
ここだけ登ることができます。


聖天宮

鼓樓から見下ろした天門です。
向うに見える緑の野はポピー畠だそうですが、
行った時(4月)には咲いていませんでした。


台湾の道教のお宮が、
何故ここに(埼玉県坂戸市)にあるのでしょう?
これもパンフレットからです。

聖天宮の建て主は康国典大法師。
40歳半ばにして不治の大病を患い、
ご本尊「三清道祖」と縁起をもたれたのを期に一命を取りとめ、
完治されました。

深謝の念と、
何人にも神様のご利益のあやかれるお宮を建てたく
建造の地を探していたところ、
なんと生国の台湾ではなく
日本国のこの地にとお告げを授かりました。

聖天宮の名、
佇まいや方角もお告げがあり、
当時、
正面の道も、
最寄りの若葉駅も
なかった雑木林のこの地を一から整地し、
昭和56年より着工に至りました。
台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、
15年を掛け、
平成7年に聖天宮を開廟しました。


◎  聖天宮 

4月下旬のよく晴れた日曜日に、
坂戸市にある聖天宮へ初めて行ってきました。

絢爛豪華な台湾の神社だと聞いていましたが、
それ以上のことは知りませんでした。


配置図

同じような建物が続きますので、
パンフレットから境内案内図をコピーしました。
天門の前に広いスペースがあり、
その外に塀がめぐっています。


天門

天門です。
これの左側に小屋があって、
そこで拝観料を払います。
300円でした。
ここで「聖天宮」の読み方を知りました。
「ショウテングウ」だと思っていたら、
「セイテンキュウ」と呼ぶのだそうです。

仏教の方に、
聖天さま、つまり聖天歓喜天(または歓喜天)という仏がありますが、
その像は「人身象頭二天抱擁」の姿が多いです。
つまり身体は人ですが、
頭部は象で、
二人が向き合って立ち、
しっかりと抱き合っています。
一体は男、他は女とされ、
恋愛成就・夫婦円満などの神として信仰されます。

そんな神を祀った神社かと思っていたのですが・・・
ショウテン様でありませんでした。


前殿

天門を入ると前庭があって、
その先に前殿があります。
向かって右端に鐘楼、
左端に鼓樓があります。


本殿

前殿を抜けると本殿です。
左側に立っている柱は避雷針です。

聖天宮(セイテンキュウ)についての説明を、
パンフレットから引用します。

聖天宮は、
中国台湾三大宗教(仏教、道教、儒教)のひとつ「道教」のお宮です。
日々の道徳を重んじ、
善行に報いる最高神「三清道祖(サンセイドウソ)」が本尊として祀られています。
開祖は台湾出身の康国典大法師です。
日本国内に現存する道教のお宮として
最大級の規模を誇り、
豪華絢爛な造りは天界の悠久の宮殿をイメージしたものです。
神様と皇帝の建造物しか使われない、
黄色い屋根瓦、龍は遠くから目を惹き、
屋根、天井、内装に及び、
多種多彩な彫刻が使われ、
類い稀なる美しさになっています。



道祖

本殿の中央に三清道祖が祀られています。
これについてもパンフレットから引用します。

道徳天尊:万物を導く道を司る。
夫婦円満、兄弟合好、良縁成就、交遊良好

元始天尊:万物の成り立ちを司る。
商売繁盛、病気平癒、合格成就、交通安全

霊寳天尊:万物の魂魄を司る
魂魄調和、精神集中、怨霊除去、怨念消沈


本殿の入り口に説明をしてくれる人がいました。
参拝の人は長い線香を立てます。
これが燃え尽きる迄40分程掛かるそうです。
その間じっとお祈りを捧げるのですが、
祈るというより、神様に報告するのだそうです。
例えば「商売繁盛」のことだとしたら、
こんなことがうまくいかなかった~~
こういう失敗をした~~
だから今度はこうやるつもりだ~~
などと具体的に報告するのだそうです。

聞いていて思いました。
たいていの日本人は神社で、
お賽銭をポンと投げて、
パチパチと柏手を打って、
それで商売繁盛、家内安全などなど祈ったことにしていますが、
そういう曖昧なお祈りに比べたら、
この祈り方は効き目がありそうです。

次回はこの続きです。


◎  チューリップとモッコウバラ 


チューリップ

チューリップ


チューリップ

チューリップ


モッコウバラ

モッコウバラ


モッコウバラ

モッコウバラ


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上の写真はモッコウバラでしたが、
ゲーテの詩「野ばら」です。

Heidenröslein
(Johann Wolfgang von Goethe)

Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
War so jung und morgenschön,
Lief er schnell, es nah zu sehn,
Sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.


この詩はシューベルトやウエルナーの曲で歌われていますが、
その他にも沢山の曲があるそうです。

近藤朔風の訳詩

童はみたり 野なかの薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かずながむ
紅におう 野なかの薔薇

手折りて往かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野なかの薔薇

童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香
永久にあせぬ
紅におう 野なかの薔薇


昭和22年に学制改革がありました。
私たちが小学校(正確には国民学校)を卒業するときで、
全員が無試験で中学に入れることになって、
大喜びしました。
そして新しい中学校の内容が整わないまま、
3年間を遊びほうけて過ごしました。

旧制中学は新制高校に変わり、
旧制高校は少し遅れて
新制大学に吸収されていきましたが、
旧制の高校生というのはカッコよい存在でした。

同級生に旧制高校を卒業したばかりの兄さんがいました。
話上手な人だったので、
何人かで遊びに行っては、
旧制高校の寮生活の話などを聞かせて貰ったものでした。

そんなときに、
寮でよく歌っていたといって、
「野バラ」の歌を教えてくれました。
旧制の高校生の歌ですからドイツ語です。
曲はシューベルトでした。

ザー アイン クナーブ アイン レスライン シュテーン
レスライン アウフ デル ハイデン
ヴァル ゾー ユンク ウント モルゲンシェーン
リーフ エル シュネール エス ナーツ ゼーン
ザース ミット フィーレン フロイデン
レスライン レスライン レスライン ロート
レスライン アウフ デル ハイデン 

意味も綴りも全く分からない、
呪文みたいなものですが、
耳で聞いて覚えました。
「レスライン」の繰り返しが多いせいもあったのでしょう、
何回か一緒に歌ったら覚えてしまいました。
今でも覚えています。
(1番だけですが)

脳みその柔らかな、
いくらでも記憶のできた3年間を
遊んで過ごしたのは、
もったいなかった、
と今になって思います。

今覚えろといわれても、
とても無理です。

ドイツ語で歌っているユーチューブを探してみました。
聞いてみると、
覚えている歌と似てはいるが
別の曲のような気がしてきます(笑)。
寮歌風にアレンジされていたのだろうと思います。



◎  ボタン 

今年のGWは好天に恵まれましたが、
あまり出かけないでしまい、
昨日になってようやく、
ボタンを見に行ってきました。


ボタン

例年の通り多門院です。


ボタン



ボタン



ボタン



ボタン


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先日はハイネの詩を載せましたが、
♪バイロン、ハイネの・・・♪
みたいな歌があったことを思い出しました。

与謝野鉄幹の『人を恋ふる歌』です。

妻をめとらば才たけて
顔(みめ)うるはしくなさけある
友をえらばば書を読んで
六分の侠気四分の熱

<途中略>

ああわれコレッヂの奇才なく
バイロン、ハイネの熱なきも
石をいだきて野にうたふ
芭蕉のさびをよろこばず

<以下略>


「コレッジ」を「ダンテ」としているバージョンもありますが、
「バイロン、ハイネ」は変わりません。
この歌は明治30年(1897)に作られたそうですから、
その頃は、
「コレッジ」または「ダンテ」
そして「バイロン」「ハイネ」
などが好まれたのでしょう。
(語呂のよさで選ばれた面もあるでしょうが)

因みに、
ハイネは1797生~1856没、
バイロンは1788生~1824没、
与謝野鉄幹は1873生~1935没、
ですから古いです。

ハイネとは関係ありませんが、
冒頭の妻をめとらば・・・
は今でもよく知られていると思います。
これをネタにした川柳がありました。

才たけてみめ美しく売れ残り    宮崎あずさ



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