Photo & Essay

◎  ロンドン 

前回のストーンヘッジから約140kmでロンドンです。
さすがに大都会。
高速を降りると大渋滞に巻き込まれました。
それまでにも、
エジンバラ、グラスゴーなどの大都会にも行きましたが、
あまり渋滞には遭遇しなかったのに・・・

ロンドン市内に入るとすぐバッキンガム宮殿へ。
そのことは、
このイギリス紀行の最初に載せました。
だからこのイギリス紀行は、
前回で終わりなのですが、
もう1回だけロンドンを載せることにしました。


ロンドン

バッキンガム宮殿の門です。


ロンドン

ロンドン中華街の門です。
横浜の中華街などに比べると随分シンプルです。


ロンドン

門ではありませんが・・・
ストランド通りにある、
大きなビルの間に挟まれたこの小さな店が、
日本でも有名なトワイニング紅茶、
発祥の店だそうです。

トワイニングのHPからの引用です。
1706年、
トワイニング社の創始者トーマス・トワイニングは、 
ロンドンのストランドにあったコーヒーハウス「トムの店」を買収しました。
当時ロンドンではコーヒーハウスが大流行中。
トーマスは、東インド会社に勤めていた経験から、
インドから輸入される紅茶の魅力をいち早く見出し、
「トムの店」で良質な紅茶を販売しました。

数あるコーヒーハウスの中でも
「トムの店」が出す紅茶のクオリティの高さは瞬く間に評判となります。
この成功を機に1717年には、
英国初の紅茶専門店「ゴールデン ライオン」(これがトワイニングの前身)をオープン。
女人禁制であったコーヒーハウスに対し、
ゴールデン ライオンはどんな階級の女性の出入も自由とし、
厳選された茶葉の量り売りを行いました。
この紅茶専門店のオープンにより、
英国の喫茶の習慣は急速に家庭へと浸透していきました。



ロンドン

バッキンガム宮殿前の
ヴィクトリア女王記念碑。

写真の向こう側からこちらを撮ると、
宮殿が記念碑の背後になって、
いい写真になるらしいのですが、
強い西日の大逆光でしたので、
宮殿側からの撮影です。


ロンドン

中華街近くのレスター・スクエアにあるチャップリンの銅像。
チャールズ・チャップリンはロンドンの生まれだそうです。


ロンドン

ファラディの銅像。
マイケル・ファラディは化学者、物理学者で、
ロンドン近郊の生まれだそうですが、
何故ここに銅像が建っているのか分かりません。

こことはテームズ川に掛かる、
ウォータールー・ブリッジ(次の写真)北側のたもとです。


ロンドン

ウォータールー・ブリッジです。
泊まったホテルはこの近くでした。
またトワイニングの店もすぐ近くです。

この橋の名は、
昔に見た映画「哀愁」の原作名として有名です。

少し調べてみました。
最初の橋は1817年に開通。
1840年代には、自殺の名所として有名になり、
1844年、トーマス・フードが「嘆きの橋」という詩を書きました。

またフランスの画家、モネや、
イギリスの画家、コンスタブルが絵を描いています。

新しい橋に架け替えられたのが1945年で、
「哀愁」は1940年の作品ですから、
映画に出てくるのは現在の橋でありません。

この映画のDVDを(安価だったので)買いました。
ヒロインは「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リー、
相手役は美男スターのロバート・テイラーです。

物語は1939年、
イギリスがドイツに宣戦布告したので大陸へ出発する
ロバート・テイラー扮する陸軍大佐が、
この橋の上で回想する・・・
・・・まだ大尉だった頃、
第一次大戦でフランスへ出征する直前、
この橋の上で、
ヴィヴィアン・リーと出会ったところから始まります。

映画を見ていると、
橋の上の大佐の背後に大げさな鉄骨構造があります。
資料で見る古い橋は、
(橋脚の数は多いのですが)
現在と同様の構造で吊り橋ではありません。
架け替え前はいろいろと補強していたらしいので、
その補強構造が写っているのではないかと思っています。


「ロンドン紀行」
-----完-----


◎  ストーンヘンジ 

バースの観光を終えて、
そこから東南へ約60km、
ソールズベリの巨石遺跡群ストーンヘンジへ行きました。
広い野原の中にあります。


ストーンヘンジ

日本語で説明してくれるイヤホンガイドを聞きながら、
遠回りに一周します。


ストーンヘンジ

ストーンヘンジについては、
Wikipdiaからの引用を、
最後に載せておきます。


ストーンヘンジ

立っている2個の大きな石は
"Sarsen stone"といいます。(あとで分かったことです)
イヤホンガイドは「サルセンセキが・・・」と説明していました。
「猿仙石」とでも書くのかな?
一体どんな石だろうと思っていました。

"Sarsen stone"は「イングランド中南部の大砂岩」
と辞書に書いてあります。
この地から30kmほど離れたマールボロ・ダウンの石だそうです。
これ以外の石は"Blue stone"といい、
この地から385km離れたウエールズのプレセリ山の石だそうです。
紀元前2500年ころに、
これらの大きく重い石を
こんなに沢山、
どうやって運んだのでしょう。


ストーンヘンジ

歩くにつれて、
見る角度が違ってきます。


ストーンヘンジ

周囲は広い野原で、
写真の背後も、
遺跡のもっと向うも、
見渡す限りの野原です。
すべてが、世界遺産、国家遺産ではないでしょうが・・・


ストーンヘンジ

1枚上の写真で、
右に少し離れて見える石です。
「ヒール・ストーン」と呼ばれ、
冬至の日には、
この石から遺跡の中心の延長上に日が沈むそうです。



Wikipediaからの引用です。

ストーンヘンジ(Stonehenge)は、
ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する
環状列石(ストーンサークル)のこと。
現在のイギリス人、
アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在していた。

円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、
世界で最も有名な先史時代の遺跡である。
考古学者は
この直立巨石が紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられたと考えている。
しかしそれを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るという。
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、
直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。
夏至の日に、
ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、
中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、
設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。
また、当時としては高度な技術が使われており、
倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。

遺跡の目的については、
太陽崇拝の祭祀場、
古代の天文台、
ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、
さまざまな説が唱えられているが、
未だ結論はでていない。
この遺跡とその周辺は、
1986年にユネスコの世界遺産に加えられた。
また、登録古代モニュメントとして法的に保護されている。
ストーンヘンジ自体は英国の国家遺産として保有・管理されている。
周辺はナショナル・トラストが保有している。




◎  ローマン・バス 

今回は、
ローマ時代の温泉(Roman baths)です。


ローマン・バス

ローマン・バスの入り口です。
この建物は19世紀のもので、
ローマ時代の建物は現在では地下レベルになっています。


ローマン・バス

大浴場。(温水プールかも知れません)

紀元43年にローマがブリテン島の南半分を支配しました。
この頃がローマン・バスの始まりです。
この地をローマ人は”Aqae Sulis"と呼びました。
これはラテン語で、
英語では”The waters of Sulis”という意味だそうです。
"Sulis"はギリシャ神話の神でローマ神話では「ミネルヴァ」で、
知恵と工芸の神です。
温泉は「神の水」だったのです。


ローマン・バス

大浴場を見下ろすバルコニーから、
前回紹介したバース・アビーが見えます。
この二つは昔から併存してきました。


ローマン・バス

ローマン・バスの模型。
巨大な施設だったのです。


ローマン・バス

温泉そのものは、
ずーっと使われきたようですが、
上の模型が示す施設は土に埋もれてしまっていたのが、
19世紀末に発見されて、
再び日の目を見るようになりました。
掘り出された遺跡の一部です。


ローマン・バス

見学を終えて、
出ようとする頃、
あの大プールのほとりに
古代ギリシャ風の婦人が立っていました。


ローマン・バス

湧き出ている水(お湯?)です。
コップに1杯ずつ飲ませてくれました。

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◎  バース・アビー 

ローマ時代に温泉の町として栄えたバースは、
温泉の語源になったことでも有名な観光都市。
町はこの地域で採れたハチミツ色の石材で建てられた建築で埋め尽くされ、
優雅なジョージ王朝の時代を現在に伝えている。
人口は16万9040人。


と「’09~’10 地球の歩き方」に書いてあります。
この中で「温泉の語源になったことでも有名」は本当のことか?
疑問に思っています。

また人口については、
16万というのはかなり広範なバース地域のことであり、
バース市(中心部)の人口は8万人くらいのようです。

ここの観光名所のひとつ、
バース・アビー(Bath Abbey)を紹介します。


バース・アビー

バース・アビーの西側ファサード。

「アビー」とは大修道院のことですが、
教会と考えてよいようです。

これも「地球の歩き方」からですが、
史上初の統一イングランド王となったエドガー王が、
993年に戴冠式を行った由緒ある教会。
現在の教会は、
1499年に建てられたもので、
ヘンリー8世の修道院解散直前に建てられた貴重なもの。
内部は、
柱から扇が広がるような形のアーチが天井を埋め尽くしており、
非常に美しい。
また壁の80%は窓で覆われており、
「イングランドの西部の灯火」と称えられるほどだ。
西壁のファサードには「天国への梯子」が彫られている。


「史上初の統一イングランド王」とか
「ヘンリー8世の修道院解散」を解説したいと思いましたが、
イギリスの歴史は複雑で・・・諦めました。

途中迄調べた結果、
993年は973年の誤りであることだけ分かりました。


バース・アビー

祭壇に向かう主廊。


バース・アビー

「柱から扇が広がるような形のアーチが天井を埋め尽くして」いる天井


バース・アビー

白い方が主廊、茶色の方が側廊の天井。


バース・アビー

「『イングランドの西部の灯火』と称えられる」
窓のステンドグラス。


バース・アビー

「天国への梯子」
天使たちが梯子を登っています。


バース・アビー

教会前の広場。


◎  バース 

「バース」というと、
かつてプロ野球の阪神で活躍したランディ・バースを思い出しますが、
これは町の名前です。
”Bath”と書きますから風呂です。
風呂のことは「バス」というのではないか?
ユニットバス、バスタブ、バスタオルなど・・・
改めて辞書を引くと
「バス(bǽθ) 」と「バース( bάːθ)」と両方ありました。
(因みに阪神のバースは”Randy William Bass”です)

この町には昔から温泉が出ました。
2世紀ごろ、
ローマの支配下で温泉の街として発展しました。


バース

ホテルの部屋の窓から撮った町(住宅街)の様子です。
ここの建物もハチミツ色です。


バース

ホテルを出て、
徒歩で市内観光です。
上の写真の少し右手にあるバルトニー橋です。


バース

橋の下手です。


バース

町の中心部に近い広場です。
この背後にバースの町を有名にしている二つのポイント、
バース・アビーとローマン・バースがあります。


バース

小さな道路に入りました。
階段を降りていくと店があります。
この店があるのはローマ支配時代の地面の高さだそうです。
私が立っている
黄色い看板のある所が
現在の高さです。
千数百年の間に、
これだけ堆積したのだそうです。


バース

バースで現存する最古の家で、
写真左上の赤紫の看板に、
1482年と書いてあります。
パン屋さんです。


◎  コッツウォルズ 

ガイドブックからの引用です。

イングランドでも屈指の美しさを誇るカントリーサイド、
それがコッツウォルズ地方だ。
淡い緑の中に点々と白い羊たちが草をはむ、のどかな風景が続く。

コッツウォルズの町を彩るのは、
この地方で採れる石灰岩、ライムストーンだ。
北東部ではハチミツ色をしたこのライムストーンは、
中部では黄金色となり、
さらに南西に下るに従って、
真珠のような柔らかい白色へ変化してゆく。


シェークスピア生誕の地、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンを「小さな町」と紹介しましたが、
ガイドブックを見ると、
人口は111500人となっていますから、
決して小さな町でありませんでした。
ビルなどが見当たらないので、
小さいと感じたのでしょう。

翌日はコッツウォルズで2つの町(村?)を訪ねましたが、
こちらはほんとに小さな町でした。
最初の町、ボートン・オン・ザ・ウォーターの人口は3151人、
次の町、バイブリーは人口僅か630人です。


コッツウォルズ

駐車場からボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部へ向かう小径です。


コッツウォルズ

上の石塀のクローズアップです。
これがガイドブックにあった「ハチミツ色のライムストーン」です。


コッツウォルズ

ボートン・オン・ザ・ウォーターの中心部です。
「オン・ザ・ウォーター」の名の通り、
この川(ウインドラッシュ川)に沿った町で、
「コッツウォルズのヴェネツィア」と呼ばれるそうです。
川の中に入っている人が見えますが、
とても浅い、そして奇麗な水の流れている川です。


コッツウォルズ

町の中を少し歩いてみました。
1枚目と似た細い道がありましたので、
進んでみると広い草原に出ました。
残念ながら羊には出会えませんでした。

川沿いを歩くとやがて車道に出て、
教会があったり・・・
地図もないのに、
迷うこともなく元の場所へ戻ることができました。
そんな小さな町でした。


コッツウォルズ

ここからは、
更に小さな村、バイブリーです。
ここにもコーン川という小さな清流がありました。

川の向うにライムストーンの建物が並んでいます。


コッツウォルズ

橋を渡って建物に近づきました。


コッツウォルズ

この地方はちょうどバラのシーズンでした。


コッツウォルズ

バイブリーには、
かつてウイリアム・モリスが住みつき、
「イングランドで最も美しい村」と評していたそうです。

モリスはデザイナーとして有名ですが、
詩人でもあり、思想家でもあったそうです。


◎  シェイクスピア 

ビアトリクス・ポターとワーズワースにゆかりの地、
湖水地方の次は、
シェークスピア生誕の地、
ストラトフォード・アポン・エイヴォンです。
随分長い地名ですが、
エイヴォンはこの街を流れる川の名前です。

小さいですが、
きれいな観光の街です。


シェイクスピア

この通りを真っ直ぐに歩いて行くとシェクスピアの生家があります。


シェイクスピア

これが生家です。
シェクスピアは1564年4月23日に生まれていますから、
それ以前からあった建物です。
因みに、亡くなったのは1616年4月23日で、
誕生日と同じ日だそうです。

もうひとつ、
徳川家康は1543年に生まれ、
シェクスピアと同じ1616年に亡くなっています。

そんな昔の、
宮殿でも、お城でもない、
民間の住居が残っているというのは、
驚きです。

父親は手袋の製造・販売をやっていたそうで、
かなり裕福だったようです。


シェイクスピア

生家の庭に、
こんな2人がいました。
何の芝居か知りませんが、
台本を読み合っているようでした。


シェイクスピア

上の写真にも写っていますが、
庭のバラが満開でした。


シェイクスピア

こちらは、
シェクスピアの妻、アンの生家です。
茅葺きの大きな家で、
裕福な農家だったそうです。

2人は幼なじみでしたが、
子供ができてしまったので、
そのことを報告に来て、
2人並んで腰を下ろしたという
細長い木のベンチが残っていました。
シェイクスピアが18歳で、
アンは26歳でした。


シェイクスピア

これがエイボン川です。
実際以上に美しく写っています。
こんなに奇麗な水でなかったと思いますが・・・


シェイクスピア

街の中には、
こんな古そうな建物も残っています。

中程の家の2階がレストランになっていて、
昼食はそこでとりました。
記憶が薄れていますが、
16世紀の建物だといったようでした。


シェイクスピア

イギリスの古い小さな街の歩道に、
どうしてこんな文字が書いてあるのでしょう?

「こんなこと書いた人
誰だ?
何やってんだろ?」
といいたくなりました。


◎  ワーズワース 

もう1日湖水地方の観光です。
湖水地方はその景観が第一ですが、
ビアトリクス・ポターとワーズワースも
大切な(言い方は悪いですが)観光資源です。


ウィンダミア湖

ウィンダミア湖をクルーズした日は雨模様でした。
再びボウネスの湖畔に来て、
この周辺を散策してから船に乗りました。

水辺の風は冷たく、
気温がどの位だったか分かりませんが、
かなり寒く感じました。


ウィンダミア湖

出航して、
街がだんだん遠ざかっていきます。


ウィンダミア湖

南北に長い湖をほぼ中央から南端へ向かいました。

クルーズのあとは蒸気機関車が引く汽車に乗り、
そこから小さなバスで丘の上に登ると、
ビアトリクス・ポターが住んだ家があります。
その見学もしましたが、
雨が強くて家の写真が撮れていません。


ワーズワース

その後は詩人ワーズワース(1770~1850) ゆかりの場所を巡りました。
彼が学んだグラマースクールやその時の下宿、教会などを見ました。

あまり面白い写真もないので、
途中にあったお土産屋さんの店先です。


ワーズワース

最後はワーズワース住んだ家です。
窓辺のミヤママタタビの葉が赤くなっていました。
(マタタビは葉が白くなります)


ワーズワース

白い花が咲いていましたが、
葉の方が奇麗でした。


ワーズワース

ワーズワースが愛用した椅子だそうです。
背もたれの取り付け方が普通と違います。
立ち上がり易いからだとか、
説明してくれたように思いますが、
確かなことは忘れてしまいました。

家の中でアフターヌーン・テーを頂き、
管理人さんがワーズワースの詩を朗読してくれました。
詩は「水仙(The Daffodils)」です。
英語ですから、聞いていても分からないのですが、
調子よく、心地よく、聞こえました。

この詩はブログに載せたことがあります。
私が知っているワーズワース唯一の詩です。
「水仙」

ワーズワースはロマン派(注)の詩人で、
この湖水地方の美しい自然がその作品に大きな影響を与えました。

(注)
ロマン主義は、
どこにもない、
しかしどこかにある理想の世界や、
境地を絶えず求めてやまない心情の発露として形象化される。
「水仙」の詩においても、
ワーズワースは具体的な水仙をうたいつつ、
実はその彼方にある神秘的な心情の陶酔、
どこにもないが、
まさに「魂の深奥」に存在する「共感の歓喜」を讃美しているのである。

のだそうです。


ワーズワース

庭です。
かなり広いものでした。
管理人さんの話では、
つい最近迄水仙が咲いていたそうです。


ワーズワース

庭から眺めたワーズワースの家です。

この日は、
時に強く降ったり、
止んでみたり、
寒さを感じる日でした。
湖水地方は寒いと聞いていた通りでした。



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