Photo & Essay

◎  里の秋 

西武線の高麗駅を降りて巾着田に向かうと、
テント掛けの店が沢山出ています。
農家の店が多いです。

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フォックス・フェイス/ツノナス(角茄子)
ナス科

薄緑の枝にキツネの顔が幾つもついています。
例年あちこちの店に沢山出ているのですが、
不作なのか、成長が例年より遅いのか、
今年はあまり見かけませんでした。

この店のおじさんは、
目と眉を描いて売っていました。


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カザリナス(飾り茄子)
ナス科

1枚目の写真の左側にもありましたが、
ミニトマトみたいなカザリナスはあちこちで売っていました。


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ムラサキシキブ(紫式部)
クマツヅラ科

マンジュシャゲを見にいくと、
ムラサキシキブも、ちょうど紫に色づいています。
向うに見えるのは茅葺きの水車小屋です。


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コスモス(秋桜)
キク科

巾着田と呼ばれていますが、
現在はほとんど休耕田になっていて、
コスモスが植えられています。


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こんな具合にちゃんと立っているコスモスもありますが、
先日の台風で地に伏せてしまったのも沢山あって、
全体に背が低くなっていました。


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アマクリナム
ヒガンバナ科

コスモス畑の一角に幾畝も植えてありました。
アマリリスによく似ています。


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『ローマ人の物語』を読んでいます。
時代は紀元前1世紀です。
面白いことが書いてありました。

ローマ帝国は西アジアからエジプト、
ヨーロッパ、アフリカ北部~~~
広大な地域を支配する大帝国になっていました。

ローマ本国(イタリア半島)の指導者(貴族、騎士)層には、
人口減少問題が起きてきました。

紀元前2世紀頃には、
1人の女性が10人の子供を産んで育てるのも珍しくなかったのが、
だんだん減って2~3人が普通になり、
紀元前1世紀末頃には結婚さえしない人が増えてきました。
その頃のローマが貧しく、
将来に希望が持てなかったわけでなく、
その反対に、
子供を産み育てることの他に、
快適な人生の過ごし方が増えたのです。

独身で通したとしても、
不都合は全くありません。
家事はすべて奴隷たちがしてくれ、
執事役の奴隷頭がすべてに眼を光らせていてくれる・・・

女の方も、
一度も結婚しないのでは社会上の立場がないので、
結婚はするにしても、
死別、離婚によって、独身に戻っても、
それによる不都合はほとんどなかったそうです。

指導者層の少子化、人口減。
それを解決するために皇帝は法律を定めます。

「姦通罪・婚外交渉罪法」
簡単にいえば、
浮気なんかしないで、
夫婦でせっせと子づくりしなさいということ。

「正式婚姻法」
結婚しないと、
子供を作らないと、
それも3人以上作らないと、
税法上の不利、遺産相続権の剥奪などなど。

この法律によって指導者層の人口が増えたのかどうか~
結果は書いてありませんが、
ローマ帝国がその後数百年続いたことをみれば、
成果はあったのでしょう。


◎  マンジュシャゲ(2) 

日高市巾着田のマンジュシャゲの続編です。

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群生している場所ではこんな風にカメラが向けられていました。


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上のカメラマンとはちょっと別の場所ですが、
こんな感じの所が撮影対象になっていました。

で、ここまでの2枚とも、
茎の乱れが気になるだろうと思います。


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先日の台風の中心がほぼこの辺を通ったのだと思います。
川の向こう岸では崖が崩れ落ちていました。


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マンジュシャゲもこんな具合にやられていました。


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この辺は、
向うに見える茎がみんな直立していますから、
被害を受けないで済んだのでしょう。


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こんな大群落地に行くと却って、
たった1本咲いている花が愛おしくなります。


毎年9月になると、
ここ巾着田のマンジュシャゲを掲載しています。

年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず


有名な詩があります。
「花」だって年によって咲き具合に違いがあるように思いますが、
「人」の方はどうでしょうか?

「人」を自分だとしてみたら、
毎年、ひとつずつ歳を重ね、老いてきます。
体に具合の悪い所も出てくるし・・・

「人」を周囲の人だとしてみたら、
去年の今頃は元気で一緒に活動していた人が、
今はもう亡くなっていたりするし・・・

「人」を日本の内閣総理大臣だとしてみたら、
歳々年々別の人になっているし・・・

物思いにふけってしまう秋の夜です。


◎  マンジュシャゲ 

秋分の日にマンジュシャゲを撮りに行ってきました。
日高市にある巾着田で、
その数百万本と称しています。

小雨模様だったせいもあるでしょうが、
最寄りの高麗駅を降りた客の数は
予想していたよりも少ないようでした。

行ってみたら、
「咲き始め」といってよい状況でした。


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群生地に行く途中、
今回始めて見つけたのですが、
石碑がありました。
「筆塚」と書いてあって、
書いたのは勝海舟だそうです。

海舟の文字はよく見えないと思いますが、
古い石碑の前に、
ヒガンバナとシュウカイドウが咲いている風景としてご覧下さい。


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高麗川です。
この先で左に曲がって
ギリシャ文字のΩの形を作ります。
Ωの内側の田んぼが、
その形から巾着田と呼ばれていて、
その巾着田の川沿いにマンジュシャゲの群生地があります。
(この群生地では「彼岸花」でなく「曼珠沙華」と呼んでいます)


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群生地にはロープが張られ、
数年前から入場料(¥200)を徴収するようになりましたが、
これは入場無料地域の川辺です。
こんな咲き具合も風情があるのではないかと思います。


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こんな程度にしか伸びていない株が沢山ありました。
この茎が、
あっという間に伸びて花を開くのだろうと思います。


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ここは入場料を払った後です。
こんなに咲いている場所もありました。


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大写しの写真は毎年同じようで、
変わり映えしませんが・・・


◎  アサガオ 

今日は秋分の日、彼岸の中日。
彼岸の花、曼珠沙華を撮りに、
日高市の巾着田へ行ってきました。

全体としては、
行くのが早すぎたというところですが、
花によっては終わっているものもありましたし、
台風で倒れた株もありました。

撮ってきた写真は整理してから載せることにして、
今日は以前に撮っておいたアサガオです。


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朝顔の紺の彼方の月日かな    波郷

深い紺の彼方に月日が見える。
俳人の感覚はスゴいです。


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紺の彼方に見えるのは、
若い人たちなら未来の月日でしょうが、
私に見えるのは過ぎ去った月日です。


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花びらの一部に残る紅い色に惹かれて撮りましたが、
こんな句がありました。

朝顔にほのかにのこる寝酒かな    杉風

そうか寝酒が残っていたのか、
と感心しています。
(冗談はさておき)
寝酒を飲んだのは杉風であって、
朝顔が飲むはずありませんが、
杉風が見た朝顔はどんな色をしていたのでしょう?

杉山杉風は芭蕉の弟子、
そしてスポンサーでした。
「鯉屋」の屋号で幕府御用の魚問屋を営み
豊かな経済力で芭蕉の生活を支えたそうです。
「おくのほそ道」の冒頭部に、

・・・・・・・・・・・・
住める方は人に譲り、
杉風が別墅に移るに・・・


とあります。
長旅に出るので今迄住んでいた芭蕉庵を売り払い、
出発の日までは杉風所有の別墅(別荘)で過ごしたのです。

そもそも、
芭蕉庵も杉風が芭蕉のために建てた家だそうです。
それを売った代金は芭蕉の懐に?
旅費に?
(どうでもよいことです)


◎  秋の草花 

秋の草花がいろいろと咲いています。

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ミズヒキ(水引)
タデ科


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ハギ(萩)
マメ科

草花でなく樹木ですが・・・


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エノコログサ(狗尾草)/ネコジャラシ
イネ科

猫じゃらし思い思いに踊りをり    capucino

ネコジャラシは茎が細く、頭が重いから、
風が吹くとよく揺れます。
茎の長さ、頭の重さで揺れる周期が異なるので、
それぞれマイペースで揺れ(踊り)ます。


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ススキ(芒、薄)
イネ科


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ヌカキビ(糠黍)
イネ科


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ツユクサ(露草)
ツユクサ科


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台風が通り過ぎて、
風も雨もやみました。
テレビで台風の経路を見ていると、
ほとんど真上を中心が通ったようでしたが、
過ぎてしまうと、
あっけないくらい静かな秋の夜になりました。


◎  秋の色 

今日は敬老の日。
こんな句がありました。
私のことを娘が詠んでくれたような気がします。

居眠りて父老人の日を疎(うと)む     澄子


明日は彼岸の入り。
残暑が続いていますが、
だんだんと秋らしくなってきています。


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ヒガンバナ(彼岸花)
ヒガンバナ科

今日撮ってきました。
残暑にも関わらず、
時期を誤らずに開花しました。


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近いうちに巾着田へ撮りに行くつもりでいるのですが・・・ 


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ケヤキの葉が少し赤味を帯びてきました。


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ハナミズキの葉は紅くなり始めています。


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サクラの落葉にも黄色いのが見られます。


◎  秋の日 

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爆音は遠ざかり行く秋高し   capucino

飛んでいるのは自衛隊の輸送機です。
(入間基地が近いのです)
離陸して間もないところで、
これからどこか迄飛んで行って、
ぐるっと回ってきて、
今撮っている位置の背後左側から着陸態勢に入ります。

基地の見学に行ったことがあります。
その時、この飛行機の操縦席についてみました。
地上ですから窓の外は飛行場でしたが、
真っ青な空を飛行したら、
さぞ気持ちよいだろうと思います。


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まだ本当の秋雲でないような気がしますが、
さりとて夏雲でもないようです。


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ザクロ(石榴)
ザクロ科

実りの秋がやってきます。
やがて熟れて割れて赤い実が見えるようになるでしょう。

熟れそめて細枝の嫋ふ(しなう)石榴かな    麦南


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ヤブツバキ(薮椿)
ツバキ科

初秋の光を浴びてつやつやと輝いていました。
その内もっと濃い色になるでしょう。


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ヒメジョオン(姫女苑)
キク科

清楚で、好きな花です。
花期は6~10月。
先週後半に撮ったのですが、
夏の季語だそうです。

見分けがつきにくいほどよく似ているハルジオン(春紫苑)は
名の通り春(4~6月)に咲きますが、
そちらは春の季語になっていないそうです。


◎  フヨウとムクゲ 

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フヨウ(芙蓉)
アオイ科


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フヨウは一日花です。
残暑が厳しく、昼間は暑いので、
夕方になってカメラを持って出かけると、
もうしぼみ始めています。
それでガンバッて、午前中に撮りました。


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花期は7月から10月で、
歳時記を見ると秋の季語。
こんな句がありました。

ぢりぢりとしぼむ芙蓉やむし暑し     たかし

蒸し暑い日の夕方、
しぼみ始めていたので、
撮らないでしまった芙蓉が思い浮かびます。


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ムクゲ(木槿)
アオイ科

これは雨の日に撮りました。

散歩道雨にくれゆく木槿かな     capucino

実はこんな句があったのです。

修理寮の雨にくれゆく木槿哉     蕪村

修理寮とは、
皇居などのの修繕を行う役所(その建物)のことだろうと思います。


◎  ルクレツィアの陵辱 

最終回の絵は、
「ルクレツィアの陵辱」
"The Rape of Lucretia"

(描いたのはティツィアーノ・ヴェチェッリオ)
舞台となったのは、
ローマ7代目の王「尊大な」と渾名されたタルクィニウス(紀元前534~509)の時代です。


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今回も古代ローマの事件を
日本の飛鳥時代の物語として書きました。
(ウソとデタラメの羅列ですから、そのつもりでお読み下さい)


『珍説・蘇我氏滅亡物語』

わが国の都が飛鳥にあった頃、
蘇我氏が政治の実権を握っていたが、
入鹿の代になると、
独断専行も甚だしくなった。
入鹿には堰登という息子がおり、
これまた横暴な男であった。

中臣鎌足(後の藤原鎌足)の妻は鏡王女といい貞淑の誉れ高かった。
堰登は鏡王女に横恋慕していた。

天皇が吉野山へ行幸され、
鎌足がそのお供をした日を狙って、
堰登は中臣の留守宅を訪れた。
蘇我氏の子息の来訪であるから、
鏡王女も気を遣ってもてなしたが、
夜になっても帰ろうとしない。
そして「今夜は泊めてくれ」と頼まれ、
仕方なく寝所を用意した。

夜が更けて召使いたちが寝付くのを待って、
堰登は鏡王女の部屋に忍び込み、
短剣を突きつけて脅した。
「いうことを聞かなければ、
お前を殺し、下男を1人殺して隣に並べ、
俺が姦通の場面を見つけて成敗したことにするぞ」

鏡王女は脅しに屈するしかなかったが、
堰登が自分の邸に帰えると、
すぐさま鎌足に使いを出して呼び戻した。
鎌足が家来を連れて戻ると昨夜の出来事を説明し、
話し終えると隠し持っていた短剣で命を絶った。

鎌足の家来たちの口から噂が広まり、
鏡王女の貞女ぶりへの賛美と、
蘇我氏への憎しみで世論は沸騰した。

鎌足は中大兄皇子と図って蘇我氏を討った。
皇子は即位して天智天皇となり、
鎌足とともに大化の改新を成し遂げた。



話をローマに戻すと、
「蘇我入鹿」は「タルクィニウス(王)」、
「蘇我堰登」は王の息子「セクトウス」、
「中臣鎌足」は「コラティヌス」
「鏡王女」はコラティヌスの妻「ルクレツィア」のことです。

戦争に出ていたタルクィニウス王は事件を聞いてローマに戻りましたが、
城門は閉ざされて、
入ることが出来ず、
別の街に逃げましたが、
そこで、以前に侮辱したことのある者の手で殺されました。
これでローマの王制は終わり、
共和制へと変わりました。


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◎  ホラティウス兄弟の誓い 

2枚目の絵は、
「ホラティウス兄弟の誓い」
"The Orth of the Horatii"

(描いたのはジャック-ルイ・ダヴィッド)
初代ロムルスから数えて3代目の王、
トウリウス・オスティリウス(紀元前673~641)の時代、
ローマを代表して決闘の場に臨む3兄弟が、
父の前で自己犠牲の宣誓を行っている場面、
古代ローマの勇気の象徴とされています。
(女たちは嘆き悲しんでいます)


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前回同様、
換骨奪胎やり放題で、
物語を源平の戦いに置き換えてみました。


『珍説・源平衰勢記』より

「平家にあらずんば人にあらず」といわれるほど、
平家の時代が続いていたが、
伊豆に流されていた源氏の嫡男頼朝が兵を起こすと、
関東を始め諸国の源氏が呼応して馳せ参じた。

大軍を擁して西へ向かう源氏に対して、
平家も維盛に大軍を授けて東へ向かわせ、
両軍は富士川を挟んで対峙した。

頼朝が平家に使者を送った。
「源平ともに天皇の臣である。
戦って多大な血を流すのは不忠というもの。
両者から3人ずつの武士を出して戦わせ、
それに勝った方が都に入ることにしては如何?」
平家はこれを了承した。

源氏方からは法羅家の3兄弟が、
平家側からは栗当家の3兄弟が選ばれた。
広い決闘場が設けられ、
そこに6人が登場した。

激しい戦いの中で、
法羅の1人が倒れた。
やがてまた1人倒れた。
残る1人は「俺がやられたら源氏の負けだ」と
一目散に逃げ出した。
彼は足が速かった。

暫く走ってから振り返ると、
追いかけて来る栗当の3人には遅速があって、
バラバラになっていた。
そこに留まって敵の到着を待った。
息を切らせてやって来た1人目を斬った。
そこへ来た2人目も斬った。
遅れて来た3人目も斬って、
彼1人が残った。
源氏の勝ちである。

維盛は軍を引いて京都へ戻ったが、
都を明け渡さなかったので、
源氏方は平家を攻めて、
ついに壇ノ浦で攻め滅ぼした。


(ウソ八百を並べた源平合戦で、申し訳ありません)

話をローマに戻すと、
「源氏」は「ローマ」、
「平家」は「アルバ(国)」
「法羅家」は「ホラティウス家」、
「栗当家」は「クリアティウス家」のことです。
ローマは約束(決闘で勝敗を決める)を守らなかったアルバの王を八つ裂きにし、
街を破壊し尽くしましたが、
住民たちはローマへ移住させてローマ市民としました。


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◎  サビニの女たちの略奪 

第1回目の絵は、
「サビニの女たちの略奪」
"The Rape of the Sabine Women"

(描いたのはニコラ・プッサン)
ローマの誕生(紀元前753年とされる)直後の出来事です。


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絵の説明は塩野さんの文章を引用すれば、
それで済んでしまうのですが、
あえて、
古代ローマの伝説を日本神話に置き換えてみました。


『珍説・古事記』より

天孫ニニギノミコトは三千人の男たちを従えて、
高天原から高千穂の峰に降り立った。
大きな河のほとりに広い土地を見つけ、
そこに彼らの国(倭国)を作った。

ミコトは考えた。
「男ばかりでは人口が増えない。従って国も大きくならない」
そこで一計を案じて隣国(佐美嶺)へ使者を送った。
「盛大な祭りを催すので、国を挙げておいで頂きたい」

祭りの当日、
佐美嶺の人たちは、老若男女打ち揃って倭国へやってきた。
賑やかで楽しい祭りが最高潮に達したとき、
ニニギノミコトの命令一下、
倭国の男たちは、
あらかじめ目をつけておいた娘たちに襲い掛かり、
抱きかかえて各自の家に連れて行った。
突然の出来事に驚いた佐美嶺の男たちは、
妻や子供や年寄りを守って逃げ帰るのが精一杯だった。

佐美嶺の王は倭国に使者を送り、
「わが国の娘たちを返せ。
さもなくば、軍勢を差し向けて滅ぼすぞ」
ニニギノミコトの答えは、
「娘たちを奴隷にするわけでない。正式に結婚し、
妻として大切に扱うから心配無用」
といって、
ミコト自身も娘の一人と結婚した。

しかし佐美嶺の人たちは納得せず、
幾度も倭国へ攻め込んだ。
しかし倭国は強く、3度はね返された。
そして4度目の戦争となったとき、
娘たちが幼子を抱きかかえて現れ、
両軍の間に割って入った。
「わたしたちの夫と親兄弟が殺しあうのは見ていられません。
戦争は止めて下さい」

そこで和睦が成立し、
ニニギノミコトは佐美嶺の王に提案した。
「わが国の一部を与えるから一緒に住んで国造りをしようではないか」
それが倭国発展の礎となった。



話をローマに戻します。
「ニニギノミコト」は「ロムルス」、
「倭国」は「ローマ」、
そして「佐美嶺」は「サビニ(族)」のことです。

戦いに敗れた相手を平等な市民として受け入れることで、
ローマは発展して行きました。

欧米で行われている、
花婿が花嫁を抱き上げて新居の敷居をまたぐ風習は、
この故事に由来するそうです。


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◎  志賀高原の空と雲 

志賀高原の山や樹木と空と雲です。
(最後の写真は帰りの高速道SAからの夕空)

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塩野七生さんの『ローマ人の物語』の第1巻「ローマは一日にして成らず」を読みました。
15冊の大作ですから全冊を読みきる自信はありませんが、
とりあえず1冊読んでみました。
面白かったので、
次も読んでみたいと思っています。

では、どんなことが書いてあったの?
と聞かれると、困ってしまいます。
脳みそがスカスカですから、
読むあとから忘れ去っていきます。
でも、読んでいるときはそれなりに面白いのです。

それでもいくつか記憶に残ったことがあります。
中でも興味を惹かれたのは、
西洋美術(歴史画)の題材になっている物語が出てきたことです。
それを3つばかり紹介しようと思っています。

第1巻にはローマの誕生(紀元前753年とされる)から
約500年間のことが書いてあります。
「ローマの誕生」は伝承、伝説、つまりは神話みたいなものでしょうが、
ロムルスという18歳の若者と彼に従う3000人のラテン人が、
テヴェレ河の東側、7つの丘のある地域に住み着いて建国しました。
(ローマのいう地名はロムルスの名に由来するとか~)
彼らはどこかのあぶれ者だったのでしょうか、
男ばかりのグループだったそうです。
そこから先のエピソードと絵画は次回に。


◎  池めぐり(四十八池) 

ひょうたん池から再度渋池に戻り、
四十八池を目指しました。
地図では戻りが15分、
四十八池までが50分になっています。
実際の所要時間はこの通りでありません。
のろのろと足を引きずりながら、
写真を撮りながら、
休みながらですから~


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四十八池に到着です。
ここにはトイレも休憩所もあります。
休憩所のベンチに空きがないほど大勢いました。
ちょうどお昼時でした。

小さな池塘が沢山あるので、
「四十八」と呼ぶのでしょう。
もっと多ければ「九十九」とか名付けたことでしょうが・・・


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ワレモコウ(吾亦紅)
バラ科

ここにはワレモコウが沢山ありました。


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ワレモコウにアカトンボ


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イワショウブ(岩菖蒲)
ユリ科


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ウメバチソウ(梅鉢草)
ユキノシタ科



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この木道を奥の方へ行けば、
瑠璃色の大沼池へ行くのですが、
ここで引き返すことにしました。


来た道を戻って、
リフトで降りて、
ホテルに帰って、
温泉で汗を流して、
涼しい高原にさよならを告げて、
バスで山を下りました。

束の間の避暑は終わりましたが、
写真はまだありますので、
もうちょっと連載するつもりです。


◎  池めぐり(ひょうたん池) 

渋池からひょうたん池へ向かいました。
初めて行ってみる池です。
地図上では、
リフトを降りた所から渋池まで5分、
渋池からひょうたん池まで10分と書いてあります。

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よく晴れて、
陽射しの強い日でしたが、
林の中の道でしたから、
爽やかです。

平坦に近いと思っていたのに、
道はどんどん下って行きました。


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ミネカエデ(峰楓)
カエデ科

葉柄が赤く、
日を透かして見る葉は、
もう8月なのに、
新緑のように見えました。


3ひょうたん池パノラマ1

ひょうたん池

写真を撮りながらゆっくり歩いて行くと、
小さな、きれいな池がありました。


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ひょうたん池

誰もいません。
強い陽射しの下でひっそりと静まり返っていました。

そういえば、ここへ来る時すれ違ったのは1組だけで、
渋池へ戻る時すれ違ったのは2組、
夫婦か女同士のペアでした・・・


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ミタケスゲ(御岳菅)
カヤツリグサ科

渋池と同じく、
ミヤマホタルイもありました。
また、
木道の両側にはコバギボウシが咲いていました。


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ミタケスゲ(御岳菅)
カヤツリグサ科

花なのか実なのか、
星のような形がきれいです。
高原の池でよく見かけましたが、
名前を調べたのは初めてです。


◎  池めぐり(渋池) 

カメラが故障して、
修理に出しました。
直ってくるまで1週間ほど掛かります。
そんなことで暫くは、
8月前半に行った志賀高原の記事が続きます。

8月10日もよく晴れました。
実は前日の後半からちょっと膝が痛くなったのですが、
折角晴れたし、
膝にサポーターをつけて、
ストックを持って出かけました。
歩き始めれば大丈夫ですが、
出だしが、
例えば椅子から立上がっての第一歩がスムーズでありません。


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前山リフト

ホテルを出てちょっと坂を登るとリフトがあります。
これに乗ればたちまち、
前山山頂(標高1796m)です。

リフトを降りる時、
早速・・・・・
到着すると座席から立上がって、
さっと横に移動しなければならないのに、
今迄腰掛けていたから、
膝がいうことを聞いてくれません。
立ったまま、
もたもたしていたら、
係のお兄さんが(あせって)助けてくれました。

無事に降り立って、
ここから池めぐりを始めましたが、
はっきりした計画はありません。
膝の調子を見ながら・・・
ということにしました。


3渋池パノラマ2

渋池

まず行ったのが渋池です。
前回の牧水の『峠にて』に「渋峠」「渋温泉」が出てきましたが、
ここは「渋池」です。
みんな一緒の場所にあるわけでもなし、
この辺一帯(つまり志賀高原)が「渋」と呼ばれていたのだろうか、
とか考えていますが、
分かりません。


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浮島

この辺りには池・・・池塘が沢山あります。
池塘には浮島もあります。
池の底から盛り上がって水面に出ている中州でなくて、
池塘に浮いているのです。

以下は池塘の植物です。


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ミヤマホタルイ
カヤツリグサ科

岸辺にも、
浮き島にも群生しています。


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ワタスゲ
カヤツリグサ科

池の右横に(まばらに)群生していました。


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モウセンゴケ
カヤツリグサ科

浮島の写真に赤い草が見えますが、
モウセンゴケ(食虫植物)です。
この写真は別の場所で(近寄って)撮りました。

画面の上の方に見える小さな白い花がモウセンゴケの花です。
これは先日月山で教わってきました。
赤いコケには、
似合わない花色ですが・・・

(膝の痛みは、その後全快しておりますので、ご安心下さい)



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