Photo & Essay

◎  秋深し 

11月も終わりが近くなり、
秋もすっかり深まりました。
遠くへ出かけなくても赤い花も葉も見ることができます。


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サザンカが咲いています。
よく歩く道にはサザンカとハナミズキが並木のように植えてあります。


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先日、
園芸業者が一生懸命に仕事をしていました。
その結果、
こんな姿になってしまいました。
(ハナミズキも同様です)
これから咲こうとしているツボミも、
ほとんど切られてしまいました。
通行の邪魔になっているわけでもないのに、
どうしてこんなに切るのでしょう。


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夕陽に映える真っ赤な葉、
何だろうと思ったら、
ヤマボウシです。


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もう1枚ヤマボウシです。


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サクラです。


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ケヤキです。
すっかり葉が落ちて、
秋の深まりを感じさせてくれます。


◎  鎌北湖からの帰り道 

湖畔で写真を撮り、
お握りを食べました。


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湖畔の1枚です。


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来たときとは別のコースを帰りました。
この日の最高地点(380m)にある
北向き地蔵の祠のそばに立っていた木です。


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下り始めると左右にシダが広がっています。
もう11月の下旬だというのに、
どうして、
こんなに初々しい葉なのだろうと、
不思議でした。


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下って行くと「五常の滝」があります。
「五常」とは儒教でいう五つの道徳のことだそうです。
その五つとは、
「仁」「義」「礼」「智」「信」
とのこと。

小さな滝ですが、
立派な名前です。


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滝の上部を望遠で。


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滝の下流が杉林の中を流れていきます。
横から夕陽が射しています。
(14:30頃です)


◎  山を越えて鎌北湖へ 

「山を越えて・・・」なんていうと大げさです。
一番高い所でも400mありませんから・・・


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フユイチゴ(冬苺)
バラ科

山道に入ると赤い実が目につきます。
美味しそうだから、
口に入れてみましたが、
ちっとも美味しくありません。
図鑑には「食べられる」と書いてありましたが・・・


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オオモミジ(大紅葉)
カエデ科

標高290mまで登ると「ユガテ」という所があります。
ここで休憩して、
無人販売所で柚子を買いました。
(毎秋のことです)

ちょうど販売主の農家のご主人がいましたので、
「半分は焼酎につけて柚子酒に、
残りは煮てジャムにする」と話をしたら、
枝から何個かもぎ取ってオマケをしてくれました。

近年ジャム作りに挑戦していますが、
まだまだ未熟です。
しかし、
妻が食べてくれるので有り難く思っています。


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もう少し登って、
分かれ道にきたら、
こんな注意書きがありました。
まん中の「山と良心を汚す人」ってのは、
決めつけ、言い過ぎ、でないでしょうか?


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何の木でしょうか~
シルエットが面白いので・・・


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山を下って鎌北湖が近づきました。
この辺も柚子の里です。


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鎌北湖(標高180m)に到着。
祭日ですから、
ボートを楽しんでいる家族連れや恋人同士もいましたが、
湖中の島の紅葉は見頃を過ぎていました。


◎  鎌北湖への道 

駅を降りて、
山道にかかるまでの様子です。


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黄色いのは銀杏だったような気がします。


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土蔵と残り柿。


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柚子を落とす人。
こんなに高い木では大変でしょう。


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カワラナデシコ(川原撫子)
ナデシコ科

「なでしこジャパン」は日本中を沸かせてくれましたが、
まだこんなに奇麗でした。


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ケイトウ(鶏頭)
ヒユ科


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マユミ(真弓)
ニシキギ科


◎  鎌北湖の紅葉 

11月23日(勤労感謝の日)に、
鎌北湖へ行ってきました。
たいていの人は車で行きますが、
山(といっても低い山ですが)を越えてのハイキングです。

鎌北湖は、
埼玉県毛呂山町にあり、
農業用貯水池として昭和10年に完成した人造湖です。
湖の規模は、
周囲約2キロメートル、水深20メートル、貯水量30万立方メートルです。
春は桜、夏は緑、秋は紅葉が美しい湖で、
奥武蔵自然歩道の入り口にもなっているため、
多くのハイカーが訪れています。
また、へらぶな釣りを楽しむこともできます。



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紅葉は駄目でした。
まだ緑の葉がある一方で、
葉の先きが縮れてしまって美しくない紅葉があり、
葉が随分と落ちてしまっている木があり・・・


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大きな風景としては撮り様がありませんから、
部分的にきれいな所だけです。


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大きなレンズを構えて紅葉を撮っている人も少しいましたが、
ヘラブナ釣の人の方が多いようでした。

この附近は「柚子の里」としても知られています。
そんな風景や道ばたの花などを次回に載せるつもりです。


◎  御苑の花 

新宿御苑、
菊以外の写真です。


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池のススキ

行く度に撮っていますが、
だんだん「枯れ尾花」になってきました。


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ヤツデ


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レストランの建物の一角にランが幾鉢か並べてありました。
それぞれに、
詳しい名札が付けてありましたが、
書き留めてきませんでした。
(名札を撮っておけば簡単なのに、それもせず・・・)


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新宿御苑の温室が改築工事に取りかかったのは、
何年か前のことです。
平成23年も暮れようとしているのに、
まだ完成しないようです。


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◎  新宿御苑菊花壇展(4) 

今回で最後となりますが、
6番目、7番目の花壇です。


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6番目は「肥後菊花壇」です。

肥後菊は、
古くから肥後(熊本)地方で作られた一重咲きの古典菊で、
おもに武士の精神修養として発達しました。
栽培方法や飾り方は、
江戸時代に熊本で確立した、
秀島流の厳格な様式にもとづいています。



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肥後菊


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肥後菊


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最後の7番目は「大菊花壇」です。

大菊は、
菊の代表的な品種で、
花びらが花の中央を包み込むよう丸く咲くのが特徴です。
神馬の手綱模様に見立てた「手綱植え」と呼ばれる
新宿御苑独特の様式で、
39品種311株の大菊を黄・白・紅の順に植え付け、
全体の花が揃って咲く美しさを鑑賞する花壇です。


311株の全体は写っていませんが・・・


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大菊


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大菊


肥後菊の栽培が「武士の精神修養として発達した」とのことで、
『菊と刀』を思い出しました。
その本を、
高校生の頃に読んだことがあるような気がして、
検索で調べてみたら、
読んだことはない、という結論に達しました。
当時ベストセラーになったそうですから、
読んでみたいと思っただけのようです。

例によって、Wikipediaから部分的に引用します。

ルース・ベネディクトの『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)は、
日本文化を説明した文化人類学の著作である。
ベネディクトは、
日本を訪れたことはなかったが、
日本に関する文献の熟読と日系移民との交流を通じて、
日本文化の解明を試み、
1946年に出版された。
日本の文化を「恥の文化」、
欧米の文化を「罪の文化」と定義した。

美を愛し菊作りに秘術を尽くす一方では、
力を崇拝し武士に最高の栄誉を与える。
それは欧米の文化的伝統からすれば矛盾であっても、
菊と刀は一枚の絵の二つの部分である。


引用の後段の部分が
『菊と刀』という題名の意味になります。


◎  新宿御苑菊花壇展(3) 

4番目、5番目の花壇です。


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4番目は「江戸菊花壇」

江戸菊は、
江戸時代に江戸で発達した古典菊です。
花が咲いてから花びらが様々に変化し、
色彩に富んでいるのが特徴です、
花の変化を鑑賞する菊です。


とのことですが、
この写真が、
変化のどの過程にあるのか知りません。
(毎年見に行っているのに・・・)


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江戸菊


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江戸菊


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5番目は「一文字菊、管物菊花壇」です。

一文字菊は、
花びらの数が16枚前後の一重咲きの大輪菊です。
花の形から、
御紋章菊ともよばれます。

管物菊は、
筒状に伸びた花びらが放射状に咲く大輪菊で、
糸菊ともよばれます。



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管物菊

「クダモノ」と聞くと「果物」を思い浮かべますが、
菊の場合は「管物」です。


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一文字菊はきれいな花がなかったので、
管物だけにしておきます。


日本に園芸品種の菊が渡来したのは、
奈良時代から平安時代のはじめといわれています。
その後、
江戸時代に発達をとげ、
明治元年に菊が皇室の御紋章に定められました。


◎  新宿御苑菊花壇展(2) 

3番目の花壇は「大作り花壇」です。
3株が展示されていました。

「大作り」は初冬に出てくる芽を1年がかりで枝数をふやし、
1株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて咲かせる技法で、
新宿御苑独自の様式です。



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『裾野の輝』花数:584輪


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『裾野の輝』の1部。
1輪だけ後を向いていました。


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『白孔雀』花数:673輪


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『裾野の月』花数:590輪


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『裾野の月』の1部。


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『裾野の月』の花1個。


新宿門近くのアートギャラリーに解説が展示してありました。
「大作り」の出来上がる迄です。

「種子」
11月 花弁の切除、花粉の採取
12月 人口受粉
1月 種子乾燥
2月 種子採取

「1年目」
4月 播種、鉢上げ(ポットに)
6月 定植(良好なものを畑に)
11月 選花(開花した中から優れたものを)
12月 堀り上げ(選花された根株を親木として鉢に植える)

「2年目」
4月~ 鉢作り(さし芽して苗を鉢に上げる)
11月 選花

「3年目」
4月~ 育成
11月 選花

「4年目」
秋口~7月 苗の植え込み
(さし芽~鉢上げ~冬場はガラス室で加温、花芽を形成させない)
摘心
(枝を伸ばすように育てる。
伸長した芽を摘心し、枝をふやす)
結い立て
(伸びた茎が折れないよう結い立てし、展示に向けて形を仕上げる) 
5月 定植(ガラス室から外の仕立て場に出す)
伏せ込み、結い立て
(分枝、伸長した枝を放射状に、斜めに寝かせて竹に結ぶ。
均等に配置しながら、結い立て・摘芯を繰り返す)
9月 摘蕾(弱い枝は切除し、各枝に1個ずつ蕾がつくようにする)
10月 堀り上げ、植え込み
(竹をはずし、枝を束ねて、仕上げ場から展示場に移す)
支柱組み立て、結い立て
(後から1列ずつ支柱を立てて枝を固定、
1株5人掛りで約1週間掛けて展示用に仕立てる)
完成(11/1~11/15展示)

大変な手数を掛けていることとは思っていましたが、
4年がかりとは知りませんでした。


◎  新宿御苑菊花壇展(1) 

11月15日、
新宿御苑の菊花壇展に行ってきました。
最終日です。
昨年は、開花が遅れ、
会期が延長されましたが、
今年は順調に開花したようで、
終わりかけの花もありました。


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小屋掛けした7つの花壇が作られていますが、
最初が「懸崖作り花壇」です。

野菊が断崖の岩間から垂れ下がって咲いている姿を模して、
1本の小菊を大きな株に仕立てる技法を「懸崖作り」と呼びます。



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2番目の花壇には3種類の菊が植えてあります。
まず、伊勢菊です。

伊勢菊は、
伊勢地方(三重県松坂)で発達した菊で、
縮れた花びらが垂れ下がって咲きます。



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これも伊勢菊です。


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丁子菊。

丁子菊は、
花の中心部が盛り上がって咲く菊で、
アネモネ咲きとも呼ばれます。



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これも丁子菊。


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嵯峨菊。

嵯峨菊は、
京都の嵯峨地方で発達した菊で、
細長い花びらがまっすぐに立上がって咲きます。


◎  軒下飾り 

木曾路散策の最終篇です。
家々の軒下に果物や花などが下げてありました。


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最後の写真だけが妻籠宿ではなくて、
馬籠宿です。
最初に書きましたように、
カメラの電池が切れてしまって、
馬籠の写真は数枚しかありません。
その数枚の中の1枚です。

四角い色紙には
「こはる日和 馬籠の宿に 野の花と遊ぶ」
と書いてあります。
街道のあちこちに、
同じものが下げてありました。

説明を書いた看板が撮ってありましたので
内容を下記します。

「馬籠の宿場」

中山道69宿のうち、
木曾谷には11の宿場が置かれていた。
馬籠は板橋を1番とすると43番目の宿場になり、
江戸からの距離は83里6町余りとなっていた。

街道が山の尾根に沿った急斜面を通っているので、
その南側に石を積んで屋敷を造る「坂のある宿場」が特徴となっている。

明治28年と大正4年の2度の大火で
江戸時代の遺構のほとんどを消失した。


◎  妻籠宿本陣 

宿場には本陣があります。

本陣は、
江戸時代以降の宿場で
大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。
原則として一般の者を泊めることは許されておらず、
営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。
宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。
また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。

(Wikipediaより)


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宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、
明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。
島崎藤村の母の生家であり、
最後の当主は藤村の実兄で、
馬籠から伯父の所へ養子にきた広助でした。

(Wikipediaより)

明治20年代に当主、広助が東京へ出て、
建物も取り壊されましたが、
平成7年、
江戸時代後期の間取り図をもとに復元されたものです。

上の写真で、
「妻籠宿本陣」の看板が宙に浮いていますが、
これは他の写真から貼付けました。


妻籠では脇本陣の方が古い建物で、
重要文化財に指定されています。
因に、入館料は本陣の¥300に対して、
脇本陣は¥600です。
(これは後で分かったことで、入ってみたのは本陣だけでした)


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本陣の中庭。


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展示物のひとつ。
島崎こま子は上述の広助の娘、
つまり藤村の姪です。

彼女は、
女学校卒業後、妻を亡くした藤村の家に住み込んだ。
19歳の1912年半ば、藤村と関係を結び、藤村との子を妊娠する。
藤村は1913年4月にパリに留学。
同年8月に藤村との子を出産するも養子に出された。
藤村は1916年に帰国し、関係が再燃。
「二人していとも静かに燃え居れば世のものみなはなべて眼を過ぐ」
はその時のこま子の歌である。
1918年7月、こま子は家族会の決定により、
台湾の伯父秀雄(藤村の長兄)のもとに身を寄せることになった。
それ以来、藤村とは疎遠となる。

(Wikipediaより)


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邸内。


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囲炉裏に火が燃えていました。


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入り口の花梨の実。


妻籠、馬籠では島崎藤村がビッグネームです。

藤村は1872年(明治5年)馬籠村に生れました。
父は正樹、母は縫(妻籠の島崎家から嫁ぎました)。
生家は代々、本陣や庄屋、問屋をつとめる名家で、
妻籠村の島崎家とは同族でした。

「木曾路はすべて山の中である」に始まる
藤村の小説『夜明け前』の主人公は父、正樹がモデルです。


◎  妻籠宿 

11月9日、
木曾路へ、
妻籠宿と馬籠宿へ行ってきました。

妻籠が先きで、
あちらこちらと写真を撮って、
途中で昼食を取り、
それから馬籠。

馬籠はずーっと坂道です。
登りながら、
またあちこちと・・・
カメラがいうことを聞きません。。。
電池切れです。
とんだ不注意でした。

ということで、
写真は妻籠だけです。


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妻籠は、
中山道の中でも江戸時代の面影が、
特に色濃く残っているそうです。
日本橋から42番目の宿場で、
ここ迄が信濃の国(長野県)、
次の馬籠から美濃の国(岐阜県)になります。


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さっぱり人影が見えませんが、
居ない所(時)を狙って撮りました。
週日なのに、
結構な人数の観光客が来ています。
(おじいさん、おばあさんばかりですが・・・)


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藁の馬です。
トロイの木馬はコンピューター・ウィルスとして有名ですが、
妻籠の藁馬は悪さをしないようです。


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下駄屋さん。


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こちらは何屋さんといえばよいのでしょうか?


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宿屋だと思って、
撮ったのですが、
町中が妻籠宿なのですから、
「宿」の文字があったからといって、
宿屋とは限らないかも知れません。
でも、やっぱり宿屋のようです。


妻籠宿は中世からの宿場町で、
交通の要衝として栄えてきたそうですが、
明治以降、
国道や鉄道が宿場から離れて敷設されたため、
近代化から取り残されてしまいました。

しかし、
そのお陰で江戸時代の町並みが残り、
それを観光資源とすることで、
木曾ブームの火付け役になったそうです。

「禍福は糾える縄の如し」
とは、よくいったもので、
禍は福となり、
福は禍に変じます。


◎  秋の日 

カメラをさげてブラブラと散歩。
(10月29日)


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ニシキギ
ニシキギ科


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「?」のマーク
何が「?」かというと、
次とその次の写真です。


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10月も終りだというのにアジサイが・・・
多少、ドライフラワー化していますが。


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こちらは、
上の赤よりも、
もっと「今咲いている」という感じです。


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こちらも今咲いています。
市のフェスティバル会場。
湘南方面へ観光に来て欲しいという宣伝部隊。

左から、
「平塚」の織り姫(織女→七夕祭り?)
「江ノ島」(海へおいで?)
「茅ヶ崎」(タスキが上着で見えなくなっていますが)
の3美人です。


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ツバキ
ツバキ科

上の美女たちが後姿でしたから、
こちらは真っ正面からです。


◎  よこはま・たそがれ 

「よこはま」の最終回です。

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港の見える丘公園から降りて、
元町通りをウィンドウ・ショッピングしながら歩いて、
途中から右に折れて、堀川を渡ると中華街。
中国風の寺院がありました。
何度か見ている関帝廟とは違うようです。
これは「横濱媽祖廟」でした。
(写真は内側から撮った門)

『媽祖』は航海の安全を護る海の神としてのみならず、
自然災害や疫病、戦争、盗賊から人々を護る女神として、
現在でも中国大陸や台湾はもとより華僑が住む世界各地で信仰されている

とのことです。


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結婚相談、占いの店が繁盛していました。
ぶらぶらしている内に、
日が落ちてきました。
秋の日暮れは早いです。

地下鉄で、
中華街からみなとみらい地区へ移動しました。


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先日の写真で紹介した、
西瓜ひと切れのようなホテルの方へ行きました。


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ビルの間から見るベイブリッジ。


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ホテルの湾曲したガラス面に写るビル群。


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ホテルの隣にパシフィコ横浜大ホールがあります。
前面が青く輝いているので、
行ってみると、
巨大なステンドグラスでした。
幅13~19×高さ14mもあるそうです。
写真は、ほんの1部分です。

このホールがオープンした1994年6月2日に、
横浜上空に見えた星空をコンピューター解析して、
壮大な星の神話、ギリシャ神話の世界を、
平山郁夫画伯が描いた原画を元にしているのだそうです。

この色合いから、
「ブルーライト・ヨコハマ」が思い出されます。

この辺で、
ヨコハマにサヨナラです。


◎  港の見える丘公園 

「よこはま」散策の続きです。

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大桟橋(国際客船ターミナル)は「くじらのせなか」と呼ばれる
船の甲板みたいな板敷きの遊歩道、展望台で覆われています。
「せなか」をひと回りして降りてきたら、
ステキな後姿の母子?
それともオバアちゃまとお孫さん?
の姿が見えました。

真っ直ぐ行って、
左に曲がると山下公園です。


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好天で真っ青な海に浮かぶ氷川丸。
日本郵船が1930年に竣工させた12,000t級貨客船で、
北太平洋航路で長らく運航された後、
ここで博物館船として公開されています。


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山下公園を通り過ぎて、
港の見える丘公園へ行きました。
こんなに急な坂だったろうか~
こんなに長い階段だったろうか~
と思いながら、
息を切らせて登りました。
(歳のせいなのです!)

丘の上から見たベイブリッジです。
公園の展望台からだと、
手前にあまり美しくないビル群が入ってしまうのですが、
展望台の手前の、
ここでは樹木がそれを隠して、
ブリッジだけを見せてくれました。


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秋のバラが咲いていました。
見るだけの人、
写真を撮る人、
絵を画く人、
その絵を、
通りがかりの人に見せたがる人、
見せたがらない人、
いろいろです。


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港の見える丘公園は、
終戦直後の昭和23年にヒットした流行歌『港が見える丘』にちなんで命名されましたが、
その名の通り、
見えるのは横浜港だけです。
新名所のベイブリッジは見えますが、
横浜の代表的な観光地である「みなとみらい21」などは見えません。
日本三大夜景と呼ばれる函館・神戸・長崎の山より標高がずっと低く、
見渡せる景色の範囲が限られてしまうからです。


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白い建物は横浜イギリス館で、
昭和12年に英国総領事公邸として建てられたそうです。
バラはイギリス風の庭と建物に似合います。


◎  工作船 

「よこはま」の第2回ですが、
今回はちょっとキナ臭い話題です。

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赤レンガ倉庫の隣に「海上保安庁資料館横浜館」がありました。
「工作船展示館」と書いてあります。
入場無料だから入ってみました。

もう10年も経ってしまいましたが、
北朝鮮の工作船事件というのがありました。

事件の経過
2001.12.22(平成13年)
6:10 不審船が航行中との情報を防衛庁から入手。
6:20 海上保安庁の航空機が不審船を発見・追跡。
16:12 巡視船「いなさ」が現場に到着。停船命令・上空と海面への威嚇射撃。
16:13 船体への威嚇射撃。
22:09 工作船からの攻撃~巡視船からの正当防衛射撃~工作船の自沈。

2002.9.11 船体引揚げ。
2002.9.17 日朝首脳会談で金正日委員長が不審船への北朝鮮の関与を認める発言。
2004.12.10~ ここに展示。

(パンフレットの写真を転載します)


2工作船追跡

工作船(グレーの船)と追跡する巡視船「いなさ」(白い船)


3逃げる工作船

逃走する工作船。


4工作船の引揚げ

自爆・沈没した工作船の引揚げ。
この工作船は、
九州周辺海域で覚せい剤取引をしていたとのことです。


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大桟橋から海を隔てて見る展示館。
白いかまぼこ型の建物が展示館で、
右側の白い船は巡視船です。


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大桟橋の西に、赤煉瓦倉庫、展示館、
北東に「ヨコハマ・ベイブリッジ」が見えます。



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