Photo & Essay

◎  智積院 

薄曇りの中、
智積院に到着です。
境内の紅葉は美しいのですが、
木の数はさほど多くありません。
そのせいでしょう、
東福寺のような混雑はなく、
ぽつぽつと人影が見える程度でした。

智積院は、
長谷川等伯、久蔵親子による国宝の障壁画で有名ですが、
豊臣秀吉が3歳で死去した愛児鶴松菩提のために建立した祥雲寺が前身で、
障壁画も秀吉がこの寺を飾るために描かせたものだそうです。

長谷川久蔵は25歳で、
ここの障壁画を描き、
翌年死去したそうです。
自分の跡を継いでくれる迄に成長した息子を亡くした等伯の悲しみが、
愛児を亡くして寺を建立した秀吉の悲しみと重なります。


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本堂の額。


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数は少ないものの、
美しく紅葉したモミジがありました。


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こんな色の葉もきれいです。


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五色幕を背景にした紅葉です。


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廊下と中庭。


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格子の向かうに見える紅葉。

人影の少ない境内で紅葉を楽しみ、
国宝の障壁画を鑑賞し、
寺院内の新しい襖絵を見たり、
心静かなひと時を過ごすことができました。

ここを出てから昼食を取り、
最後に清水寺へ行きました。
紅葉は終わりかけだし、
人間でごった返していましたので、
写真は省略させて頂きます。

これで京都の旅は終わりにします。


御用納めの日を迎えてしまいましたので、
ブログの投稿も、
今回をもって、
今年の納めとさせて頂きます。
1年間有り難うございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

新しい年が、
皆様にとって、
よい年でありますようお祈り致します。
                                 


◎  東福寺 

投稿を休んでいるうちに
クリスマスも過ぎて、
今年も終わり近くなってしまいました。
京都紀行を駆け足で終わらせたいと思います。

京都の最終日(12/2)は雨の予報となりましたので、
遠くでないお寺に行くことにしました。
まず東福寺です。
ここも定番の紅葉の寺だから混雑しているでしょうが、
雨模様だから、
却ってよいかと期待しながら・・・


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京都駅からJR電車で1駅。
降りてからは人波に従って歩きます。
塔頭が並んでいますが、
その中で「明暗寺」という寺名が興味を惹きます。
門の白い文字「明暗寺 尺八根本道場」と書いてありました。
虚無僧の本家本元だそうです。


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あんまりきれいでない紅葉ですが、
向うに見えるのが有名な「通天橋」です。
方丈と開山堂をつなぐ屋根付きの木橋で、
「ここから眺める紅葉と新緑が絶景」とパンフレットに書いてありますが、
逆側から見てこんなものですから、
向うから見ても絶景とはいきませんでした。


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開山堂です。


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開山堂前の庭園。
砂目が面白いです。


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この頃雨は上がっていましたが、
落ちて濡れた紅葉です。


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東福寺にいる内に薄日が射したり、
曇ったりになってきましたので、
智積院まで京都の街歩きをすることにしました。
1.5km足らずです。

東大路通りを歩いていくと、
軒並みシャッターが閉じている、
文字通りの「シャッター街」がありました。
歩いて行くと、
ようやくシャッターの開いている店があって、
「***商店街振興会事務所」と看板が出ています。
ここの「振興」は大変だろうと同情しつつ通り過ぎました。


◎  大覚寺 

大覚寺に着いたのは午後4時近くです。
もう暗くなりかけています。
ここは回遊式庭園があるわけでなく、
堂内を拝観します。

閉門時刻は4:50で、
退出したのは4:45くらいでした。


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モミジもちょっとはあります。


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宸殿から唐門を望むと嵯峨菊が植えてあります。


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別の庭に飾られた嵯峨菊です。
こんな説明が掲示してありました。

嵯峨菊は古来、
大覚寺境内の大沢池に浮かぶ菊ヶ島に群生しており、
その可憐さに惹かれた嵯峨天皇は
親しく殿上にお手折りになられたと伝わっています。

古典菊の精華、嵯峨菊は、
1鉢3本の「七五三仕立て」で育成します。
草丈は殿上から鑑賞するのにちょうどよい高さの約1.8mに仕上げます。
花は先端が3輪、中程に5輪、下手に7輪と、七五三に、
葉は下部を黄色、中程は緑、上の方は淡緑というように仕立て、
春夏秋冬を現すことになっています。
花の色は御所の雪(白)、
御所の秋(黄)
・・・・・・・・・


嵯峨菊は毎年、
新宿御苑で見ていますが、
仕立て方が違っていることを知りました。
御苑ではこんなに高くしないし、
花も先端につけるだけで、
「七五三」でありません。
新宿御苑菊花壇展(1)


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御所の雪(白)の先端の3個。


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御所の秋(黄)の先端の3個。


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五大堂の縁先から大沢池を望みます。

嵯峨菊のところで嵯峨天皇(786~824、在位809~823)の名が出てきましたが、
その皇后は橘嘉智子(786~850)で檀林皇后と呼ばれます。
絶世の美人だったそうです。
有名な光明皇后(701~760)も美人だったといわれますが、
こちらは伝説に過ぎず、
ほんとに美人だったか、
確かでないようです。
しかし檀林皇后が美人であったことは間違いないそうです。
(私は会ったことがないので、本で読んだだけですが・・・)

検索で調べたら伝説が見つかりました。
伝説によると、
檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり、
恋慕する人々が後を絶たず、
修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。
深く仏教に帰依していた皇后はこうした状況を憂い、
この世は無常であり、
すべてのものは移り変わって、
永遠なるものは一つも無い、
ということを自ら示して人々の仏心を呼び起こそうと、
死に臨んで、
自分の亡骸は埋葬せず、
どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。
遺言は守られ、
皇后の遺体は辻に遺棄されたが、
日に日に腐り、
犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、
白骨となって朽ち果てた。
人々は世の無常を心に刻み、
僧たちも妄念を捨てて修業に打ち込んだという。



日の短い秋の日を寺巡り、紅葉狩りで使い尽くしました。
寺を出てバス停に行った頃は暗くなっていました。
観光客の数は僅かで、
大覚寺の華道教室帰りのおばさまたちが10人ほどおられました。


◎  二尊院~清涼寺 

常寂光寺を出て二尊院に向かいました。
道のりは200mばかりです。


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大河内山荘も、常寂光寺も、
小倉山の山裾にありましたが、
この二尊院はその小倉山を山号にしています。

二尊院の名は、
釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本尊として
祀っていることによります。
(寺には多数の仏像が祀ってありますが、
本尊は一尊であるのが普通です)


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本堂横の庭園越しの風景。


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内側から撮った唐門。
額には「小倉山」と書いてあります。
小倉山の紅葉は、百人一首の

をぐら山 峰のもみぢ葉 こころあらば
今ひとたびの みゆき待たなむ

貞信公(藤原忠平)

で有名です。

宇田法皇が小倉山の紅葉があまりにも美しいので、
「帝(醍醐天皇)も見物に行幸なさる価値がある」
と仰せられたので、
「その旨を帝に伝えましょう」
と忠平が答えて詠んだとのことです。
そして奏上を受けた帝は翌日行幸されたらしいです。

平成の天皇はご多忙のようですから、
「紅葉がきれいです」
と聞いた翌日お出かけになる、
そんなことは無理だろうと思われます。


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「小倉山」の紅葉は常寂光寺の方が沢山撮れました。

さて、
ここからどこへ?
私は来た道をそのまま北へ進んで、
化野念仏寺へ行こうと思っていましたが、
妻は「死の匂いがするから嫌」といいます。

かつて、
二尊院から念仏寺に至る小倉山東北麓一帯は化野(あだしの)と呼ばれ、
東の鳥辺野同様、
亡骸を捨てる風葬の場だったそうです。
弘法大師が、
こうした死者の菩提を弔うため、
真言宗の寺を創建したのが、
念仏寺の始まりだそうです。
だから「死の匂い」が立ちこめているような気がするのです。

私はその「死の匂い」の中に身を置いて考え事をしてみたい、
と思っていたのですが、
行けば、多分観光客で賑わっていて、
思索(???)どころでないでしょうから、
「死の匂い」は諦めることにしました。

そこで進路を東に変更し、
清涼寺を経由して大覚寺へ、
そこから京都駅へバスで戻る、
という計画に切り替えました。


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清涼寺のイチョウです。
この寺は、
国宝の釈迦如来像で有名ですが、
紅葉の庭園はありません。


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清涼寺本堂。

境内に茶店があります。
ここの「あぶり餅」というのが名物だというので、
食べてみることにしました。
ずいぶん歩いたので休憩も必要です。

ひと休みのつもりが、
注文から、餅が出てくる迄の長いこと!
たっぷりと待たされて、
待たされているうちに風が冷たくなってきました。


◎  常寂光寺 

「大河内山荘を出て左へ行くと池があります。
それを過ぎて・・・」
さっきの運転手さんが教えてくれた道順です。


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早速、小さな池がありました。
小倉池と地図にあります。
小倉山の麓にあるからの命名なのでしょう。

この左側に「御髪神社」というのありました。
頭髪の少ない者には霊験ありそうですが、
「今更…」という思いで、
通り過ぎました。


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まだ竹林もあります。
紅葉の美しい邸宅もありました。


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二尊院の手前に常寂光寺がありました。
どうしようか、
ちょっと思案しましたが、
紅葉もきれいそうだし、
寺の名前が気に入ったので、
拝観することに。


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ここもやはり小倉山の山裾なのでしょう、
門を入るとすぐに石段です。
登っていくと本堂がありました。


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さらに石段は続いています。


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多宝塔がありました。


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多宝塔から降りてきて、
本堂脇の鐘楼付近の紅葉がきれいでした。

この頃はまた曇ってきて、
紅葉の色がやや鈍くなりました。


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門から登って来た石段とは別の坂道を下ろうとしたら、
石の碑(敢えて”石碑”といいません)がありました。

女ひとり
生き
ここに
平和を
希う


と書いてあります。
左隣にもう一つ石があって、
そこに、
説明文が彫ってありました。

1930年代に端を発した第2次世界大戦には、
200万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。
その際にあって、
それらの若者と結ばれるはずであった多くの女性が、
独身のまま自立の道を生きることになりました。
その数は50万余ともいわれます。
女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、
これらの女性たちは懸命に生きてきました。

今、ここに、
ひとり生きた女の”あかし”を記し、
戦争を2度と繰返してはいけない戒めとして
後世に伝えたいと切に思います。
さらに、
この碑が今後ひとり生きる女性たちへの
語りかけの場となることを期待します。

この碑は、
独身女性の連帯の組織である独身女性連盟の会員が中心となって、
常寂光寺の支援のもとに建立しました、

碑文揮毫 参議院議員 市川房枝
1979年12月 女の碑の会


戦争が終わってから60年余り、
この碑が建てられてからでも30年以上の年月が過ぎました。

今また、
結婚しない女性が増えています。
あるいは、
結婚しても、
女性の寿命は長く、
相手の男性は年上のことが多いですから、
晩年は”ひとり生きる女”になるのが一般的です。

女ひとり
生き
・・・・・


女は詩になります。
男性も一生を、
独身で過ごす人が増えています。
連れ合いに先立たれ、
”ひとり生きる男”もいます。
でも男は詩になりにくいでしょうね。
そこを敢えて・・・

ひとり生きる男の背なや紅葉降る     capucino

(まだ、わたしは”ひとり”でありませんが・・・)


◎  大河内山荘 

嵯峨野の竹林の終端に大河内山荘があります。
妻の友人が、
何人かで昨秋、
観光タクシーで嵯峨野を巡ったとき、
素晴らしかったと思い出を語っていたというので、
寄ってみることにしました。

どんな所か、
パンフレットの説明を紹介します。

大河内山荘は百人一首で有名な小倉山の南面に、
時代劇の名優大河内傳次郎(1898~1962)が、
昭和6年(34歳)から64歳で逝去するまでの、
30年間の歳月にわたり、
消えることのない美を求めて、
こつこつと創りあげた庭園でございます。

庭は回遊式借景庭園で、
数多くの松、桜、楓などが四季を彩り、
大乗閣からは朝な夕な七色に変化する嵐山、霊峰比叡山が仰がれ、
徒然草ゆかりの双ヶ丘につらなる古都の風光が見られます。



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上の記事にあった大乗閣に昇る途中にある中門附近です。
残念ながらここのモミジは終わりかけていました。


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建物などと一緒に撮った楓はもうきれいでありません。
きれいな樹木だけお見せします。


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これも同様です。


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展望台からの眺めです。
正面やや右寄りの、
美しい姿の最高峰が比叡山です。
比叡山には何度か(バスで)登りましたが、
こんなに美しい山だとは知りませんでした。


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記念館に掲示してあった大河内傳次郎の写真。
当り役だった丹下左膳の姿です。

大スターだったことは知っていますが、
こんなに広い、
素晴らしい山荘を持っていたとは知りませんでした。
(もっと小さな庭園を想像していました)


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園内を順路に従って回り終えると、
お抹茶を頂くようになっています。
(入館料に抹茶代が入っています)

午前の宝厳院に続いて2杯目でした。
この頃には午前中の曇り空もどこへやら、
晴れて青空が出てきて暖かくなっていました。

隣の席には中年の男性が2人いて、
観光タクシーの運転手付きです。
ここへ来る少し前の下り坂で、
「滑らないように気をつけて下さい」
と声を掛けてくれた、
親切そうな運転手さんです。
聞いてみました。
「二尊院の紅葉はきれいですか?」
「もちろんきれいです。ぜひ行ったらいいです」
そして道順も丁寧に教えてくれました。
これで次の行く先決定です。


◎  冬うらら 

まだ、京都の紅葉は続くのですが、
ひと休みして、
近くの公園の風景です。

昨日はぽかぽか陽気でした。
朝のラジオで天気予報のオネエさんが、
「季節もここまで来ると、
今日の陽気を『小春日和』といわないで、
『冬うらら』といいます」
と解説していました。

折角の陽気なので、
『冬うらら』の公園へ行ってみました。


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「一人と一匹」


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「二人と一匹」


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「一人と二匹」


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「二個と二羽」


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「そして誰もいなくなった」


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日が落ちてきました。
風が冷たくなってきました。
ぽかぽか陽気も終わりです。


以上、昨日の写真でした。
今日は気圧配置が冬型となり、
日本海側では雪。
関東地方は晴れていますが、
夕方になって一段と風が冷たくなってきました。
インフルエンザも流行り始めたとか、
寒暖の差が激しいから、
体調管理に気を付けなくてはと、
自分にいい聞かせています。


◎  嵯峨野竹林 

弘源寺を出て、
早めの昼食を取り、
竹林へ向かいました。
(大本山天竜寺は大混雑らしいのでパスしました)


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そう古いものでなさそうですが、
お地蔵様が並んでいました。


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嵯峨野の竹林は、
随分久しぶりです。


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何で、こんなに竹ばっかり?
と思うほど、
竹ばっかりです。


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竹林の中に野宮(ののみや)神社がありました。

平安時代には、
未婚の皇女が斎宮として伊勢神宮に仕えました。
斎宮になることが決まると、
宮中の初斎院で1年余り潔斎してから、
野宮に移り、
ここでまた1年間の潔斎をして、
伊勢に下向されました。

平安時代の野宮は嵯峨野一帯に設けられ、
建物は天皇1代毎に造り替えました。
南北朝の戦乱で斎宮制度は廃絶しましたが、
神社として後世に残された野宮神社には、
黒木(皮のついた丸木)の鳥居が再現されています。

写真はその鳥居です。
野宮は源氏物語にも出てくるそうです。

斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が1年間、
野宮で潔斎生活を送り、
いよいよ伊勢に下向するという直前に、
光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が「賢木」の巻にみえる。 

ある秋、
源氏は松風の吹きすさぶ嵯峨野を分け入り、
野宮に六条御息所を訪ねる。
斎宮に決まった娘とともに御息所が嵯峨野に来たのは、
源氏との恋を清算するためだったが、
訪れた源氏を否むべくもない。
ふたりは再びものあわれな夜を迎える。
さしのぼる月の描写が美しい。
だがこの夜を限りに彼女は源氏から去る-----
古びた神社には笹鳴りの音が聞こえるばかりだ。



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天竜寺の北側が竹林に隣接していますから、
その小門だと思います。


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竹林の向こうは紅葉です。


◎  弘源寺 

宝厳院を出て、
天竜寺の法堂の前を通り過ぎ、
庫裏に背を向けて、
総門の方に向かって行くと、
弘源寺がありました。


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弘源寺へ行く途中にあった他の塔頭のモミジです。


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宝厳院での満足感から、
期待を持って弘源寺に入りましたが、
回遊式の庭園があるわけでなし、
モミジの木があるわけでなし、
目立ったのは、
色づいたドウダンツツジくらいです。

写真の正面から入ると日本画を主とするお宝が展示されていました。
竹内栖鳳、上村松園、小野竹喬などの作品です。

庭は枯山水で、
花も紅葉もありません。
その上、暖房のためでしょう、
ガラス戸がしっかり閉じてありました。


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建物から出て、
狭い境内を回ってみるとモミジの木が、
あることはありました。
そしてナンテンが多いことに気が付きました。


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ナンテンの赤い実がきれいです。


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期待はずれで、
がっかりして帰る時、
門に向かって撮った写真です。
向うに見えるのは嵐山です。


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お寺のパンフレットの写真です。
今開いてみると、

本堂からの眺望は雄大で、
嵐山を借景にした枯山水庭園が春の桜、
秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指である。


と書いてあります。
お寺にいる内にパンフレットを開いてみればよかったのです。
ガラス戸の内から枯山水のお庭を、
チラと見ただけで、
遠くの嵐山を、
そして「嵐山屈指」の景色を見ないでしまいました。


◎  宝厳院 

京都へ着いた1日目(11/30)は快晴でポカポカ陽気でしたが、
2日目(12/1)の予報は「曇りで寒い」とのこと。
でも雨にはならないようなので、
前日の情報を頼りに、
嵐山方面へ行くことにしました。

京都駅からJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅まで。
電車を降りて、
駅の構内で散策マップを入手してみると、
持参した地図と同じだったので、
これしかないと
これに従って歩くことにしました。
まず天竜寺、その前に渡月橋、
と思って階段をおりました。

そこに観光案内の女性が二人いて、
「天竜寺の塔頭の宝厳院と弘源寺のモミジがきれいだから、
ぜひ行きなさい、
2寺の拝観料をまとめて買えば1割引になります」
と勧められて、
予定を変更しました。

「最初に渡月橋に行くのなら・・・」
と道順も教えてもらって出発です。


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桂川と渡月橋です。
その向うに見えるのが本来の嵐山なのでしょうが、
観光的には渡月橋周辺全部を「嵐山」というようです。

どんよりと曇っているので、
山の紅葉も鈍い色をしていました。
橋を向こう側まで渡って、
また戻って、
何枚も撮りましたが、
載せるのはこれ1枚にしておきます。


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1枚目の写真の右側を川沿いに進んで、
右に折れると宝厳院はありました。
ここの紅葉は見応えがありました。
勧めてくれた女性に感謝です。

この写真は庭園内のお茶室の門です。
駅を出てから渡月橋界隈を歩き、
ここ迄歩いてきましたので、
ひと休みするにはちょうどよいと思い、
お抹茶を頂きました。
(緋毛氈を敷いた長椅子に腰を下ろして撮影)


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この庭園は「獅子吼の庭」と呼ぶそうです。
「獅子吼」とは「大声で叫ぶ」ことだと勘違いしていましたが、
そうではなくて「仏が説法する」という意味だそうです。

庭園内を散策し、
鳥の声、風の音を聴くことによって、
人生の真理、正道を肌で感じる。
これを「無言の説法」というが、
心が大変癒される庭である。


とお寺で頂いたパンフレットに書いてあります。
散策して、
「人生の真理、正道を肌で感じる」
とまではいきませんでしたが、
心は大変癒されました。


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写真に人が写っていませんが、
(写していませんが)
もちろん多数の人たちが訪れていました。
私にとっては始めてでしたが、
「知る人ぞ知る」名園のようでした。


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拝観を終えて、
門を出ると塀沿いの小径の両側にモミジの木が植えてあって、
「モミジのトンネル」なのだそうですが、
残念なことに、
「もう」というのか「まだ」というのか、
あまり見事ではありませんでした。

次は、
天竜寺の門前を通り過ぎて、
弘源寺へ向かいました。


◎  銀閣寺 

ジイサン、バアサン、修学旅行の中学生、それに若い人たちもいて、
混雑している細い参道(仲見世?)を抜けると銀閣寺です。
もう黄昏てきたのですが、
閉門まで、まだ1時間チョッとあるので、
中に入りました。


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「銀閣」と呼ばれる観音殿(かんのんでん)です。
金箔を貼った「金閣」に対して「銀閣」と呼ばれ、
寺全体を銀閣寺と俗称されていますが、
正式な寺の名は東山慈照寺というそうです。

Wikipedia によると、
銀閣とはいうものの、
現在銀箔は貼ってないし、
創建以来貼られたことはないそうです。


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前庭に砂を盛った円錐状の山があります。
「向月台」というそうです。

パンフレットの写真は、
銀閣(観音殿)の手前に向月台を配していますが、
そういう構図では拝観の客がぞろぞろと入ってしまうので、
それを避けて別々に撮りました。


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向月台の隣には
銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれる砂盛りが広がっています。

銀閣寺のパンフレットにはこんな風に書いてあります。
波紋を表現した銀沙灘と
白砂の富士山型の向月台とのコントラストは人々を魅了する。


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庭園です。


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ローマのトレビの泉の真似でしょうか、
庭園の池に沢山の硬貨が投げ込まれていました。
どんなご利益があるのでしょう?
1円玉が多いですから、
たいしたご利益は期待できないようですが・・・


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東求堂(とうぐどう)です。
足利義政の持仏堂だったそうで、
ここに入るには別途の拝観料が必要です。
以前に何度か入っていますし、
日暮れが近く、
時間がありませんので
今回は入りませんでした。


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庭を通り過ぎると山道にかかります。
1枚目の写真は銀閣を見上げる構図でしたが、
山に登れば俯瞰することができます。
銀閣背後のビル群が木立に隠れてしまうポイントがありました。
夕暮れが迫って、
遠景がぼんやりとしか写らないのも幸いでした。


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出口に近づいた所で撮った銀閣の屋根の鳳凰です。
トリミングして、
明るくしたら鳳凰らしくなりました。
シルエットでは、
雄鶏が時を作っているように見えていました。

これで1日目は終わりです。
寺を出て、
バス停の行列に加わりました。
すぐ後に並んだ人(男の一人旅)が、
「京都の紅葉見物は、
今日で3日目です。
あと2日どこへ行こうか思案中です。
昨日嵐山へ行ったらきれいな所がありましたよ」
と教えてくれました。

これで次の日の方針は、
ほぼ決定です。
(基本計画のない、いい加減な旅なのです)
ホテルへ行って、
明日の天気予報を見て、
最終決定です。


◎  哲学の道 

永観堂を出て、
哲学の道を銀閣寺へ向かいました。
「哲学の道」は、Wikipedia を引用すれば、

京都市左京区にある小道である。
南禅寺付近から慈照寺(銀閣寺)まで、
琵琶湖疏水の両岸に植えられた桜はみごとで、
春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。
哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら
思索にふけったことからこの名がついたと言われる。
「思索の小径」と呼ばれていたものが、
いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされており、
1972年(昭和47年)に正式な名称となった。
日本の道100選にも選ばれている散歩道である。



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モミジはポツポツとしかありませんが、
人の賑わいの方は Wikipedia 記載の通りです。

仏教でいう「生老病死」の内、
「老」と「病」と「死」は,
すぐそこまで来ているのですから、
この際、
そんなことを考えながら歩いたらいいのか、
なんて思いましたが、
人は多いし、
お土産屋、喫茶店などなど、賑やかで、
「哲学」も「思索」もなしで歩きました。


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随分と歩き続けたので、
ひと休みです。
テーブルがあくのを待った時間を含めて
1時間近い休憩でした。


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こんなお店がありました。


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モミジの他にサザンカ(赤と白と)がかなりありました。

休憩している内にすっかり曇ってしまい、
ぱらぱらと小雨が降ってきました。
予報に「雨」はなかったので、
傘は持ってきていません。
でも、
濡れるほどには降らないで
やんでくれました。


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紅白の衣服の女性がいたので、
通り過ぎてから、
振り返ってパチリです。


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「ちりめん屋」という店があって、
ちりめんで作った小物がぶら下がっていました。


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哲学の道も終わりです。
写真の右側から歩いてきました。
写真の奥へ進むと銀閣寺です。

ということで、
次回は銀閣寺です。


◎  永観堂 

南禅寺の次は歩いてすぐの永観堂です。
正式には永観堂禅林寺といいます。
自他ともに許すというのか、
自己宣伝か知りませんが、
「モミジの永観堂」と称しています


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拝観料を払う前の、
垣の外側からの写真です。


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これもそうです。


3IMGP5529.jpg

中に入るには拝観料が必要です。
それが1000円!
高いじゃないか?
と思いましたが仕方ありません。
払って入りました。

建物の内部に色々と寺宝を並べて、
それの特別拝観料、ということらしいのですが、
来ている人たちは、
モミジを見に来ているのですが・・・


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白いサザンカが咲き誇っていました。


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折角、白砂に付けた箒目の上に、
モミジの落葉が沢山落ちていました。


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大勢がカメラを向けています。
黄色いイチョウの落葉を背景に赤いモミジが映えていました。


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お庭にも沢山のモミジがありましたが、
陽射しが強すぎていい写真が撮れませんでした。
1000円払わないで、
塀の外から撮った方がきれいだったようで、
損をした気分で門を出ました。


◎  南禅寺 

11/30~12/2、
京都へ行ってきました。
紅葉を楽しむには1週間遅かったようですが、
急に決めた旅なので仕方ありません。
往きの新幹線の中で当日の計画を考える、
次の日の計画は、
ホテルで天気予報を見ながら考える、
というドロナ式旅程です。
結局、ありふれた、有名なお寺を巡ることになりました。
もっと事前計画を立てておけばよかったのですが・・・

1日目は午後だけなので、
そして秋の日は短かいので、
簡単に行けるところということで、
まず南禅寺です。


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モミジは、
どこで撮ってもモミジです。
京都らしく色づくわけでもありません。

京都といえばお寺になるから、
その建物とモミジ、
屋根や土塀の瓦とモミジ、
という図柄になります。
これだって、
京都以外のお寺と違いは出てきません。


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サクラの紅葉です。


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南禅寺の山門。
「絶景かな絶景かな……」という歌舞伎での
石川五右衛門の科白で有名な門です。

矩形の隙間から見たモミジを撮ろうと考えていたのですが、
外人のご夫婦がやってきたので、
これもいいかと・・・


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お天気もうよく、
気温も上がり、
暑いくらいでした。
車椅子の人ものんびりと・・・


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赤い葉ばかり見ていると、
黄色の葉が美しく見えてきます。
これは赤と黄と混じった葉でした。


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手前の人が和服の女性を撮っていて、
その向うの赤い帽子の人はモミジを撮っていて、
その3人全部を撮っているのが私です。


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観光バスも沢山来ていて、
境内は込み合っていたのですが、
この辺は隅っこで、
誰もいません。


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最後に1枚、
花もモミジもない、
人影も見えない、
竹ばかりの写真です。

以上すべて南禅寺でした。
ここから程近い永観堂へ歩きました。
それは次回に。



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