Photo & Essay

◎  さよならマルタ 

多くの日数をかけて書いてきましたが、
実際は短いツアーでした。

国立考古学博物館を見てから、
雨風の中、
バスに乗ってホテルに戻って、
翌日はもう帰国の日です。

雨はすっかり上がって青空が出てきましたが、
強い風は残っていました。

ホテル出発は12:20です。
チェックアウト・タイムは正午でしたから、
ゆっくりできました。


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スーツケースの整理をすませてから散歩に出ました。
前方に海があって右側にビルが並んで、
その左側にヴァレッタからの道路が
海沿いに円弧を描いています。
昨夜のバスはこの道を通って来ましたから、
写真の背後に、
昨夜バスの中から、
一生懸命に探していたマクドナルドがあります。


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マルタに着いたときからサボテンは目につきましたが、
アロイは始めてです。
散歩の帰り道で見つけました。


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ホテル近くの海です。
北斎の「神奈川沖浪裏」ほどでありませんが、
大きな浪が寄せていました。
シャッターを押すタイミングが難しいです。


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ポイントを絞って飛沫を捉えました。


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方角が違うと静かな海になって、
雲も穏やかに見えます。


2月22日 12:20ホテル発
     14:45マルタ発
2月23日 00:55ドバイ着(時差+3時間)
     02:55ドバイ発
     17:20成田着(時差+5時間)

以上は予定時刻です。
実際の成田着はもう少し早かったはずですから、
20時間位で帰国しました。
往きよりも3時間以上短くて済みました。
ドバイの待ち合わせ時間が往きより1時間短かったのと、
ドバイ→成田のコースが、
往きの成田→ドバイよりも距離が短いのと、
さらに偏西風のお陰で、
所用時間が短縮されました。

往きは成田から日本海に出て、
北京付近を通って西へ向かいましたが、
帰りは南よりのコースで、
上海、九州、瀬戸内海を通って、
太平洋から成田に着陸しました。

最後にマルタの猫を少しばかりお見せします。


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車の上で日向ボッコをしている2匹です。

マルタ島では人間よりも猫の数が多いと聞いていましたので、
猫の写真を沢山撮って帰るつもりでしたが、
そんな沢山の猫に出会うことはありませんでした。


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車の下で路上観察です。

中世にヨーロッパを襲ったペスト。
ペスト菌を運び、広めたのはネズミだといわれます。
そのネズミを退治するために、
島にネコを連れてきたのが始まりだそうです。
多分効果があったのでしょう。
だから島の人たちはネコを大切にしたのでしょう。

ネコには住み易い島のようです。
人を見ても警戒心をあらわにするとか、
逃げ腰になるとか、
そういうことがなくて、
安心して、
人間と共存しているようでした。


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車の上でお昼寝です。
ボンネットに青空が映っています。


長らくのご愛読有り難うございました。
これにて「マルタ紀行」は完結とします。


◎  マルタのヴィーナス 

今回はマルタ島のヴィーナスたちです。
考古学博物館に展示されているのですから、
もちろん古代のヴィーナスたちです。


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これが「マルタのヴィーナス」です。
この形の像をぶら下げたストラップとか、
置物とか、
絵ハガキとかが売っています。

手のひらに載るほどの小さな像ですが、
これが巨石神殿(昨日平面を載せたハジャー・イム神殿)の奥に
安置されていたのだそうです。

マルタの像は首なしです。
首は別に作って胴体に差し込んであったそうです。


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上の像の背面です。
前向きで展示されていますので、
見えませんし、撮れません。
掲示してあった説明板を撮りました。
「この像はリアリスティックであるが、
特に背面が優れている」と書いてありました。
リアルに過ぎるというのが私の印象ですが・・・

神殿の造営年代から考えれば、
古代ギリシャで美しいヴィーナスの彫刻が作られた時代より
2000年ほど前になります。
ギリシャでは人体を理想化して像を造りました。
この像を見ていると、
理想化を追求したギリシャ人の気持ちが分かるように思います。


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ここから下は「ヴィーナス」と呼ばれているわけでありませんが、
女性をかたどった像がほとんどのようです。

これには首がついています。


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並べてあるせいか、
男女の首のような気もしますが、
説明を読んできていないので、
分かりません。


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最初の頃に見たタルシーン神殿にも似たような像がありましたが、
こちらは片側が欠けてしまっています。
スカートを穿いているのでしょうが、
そこから出ている脚のボリュームにはびっくりです。
あまりリアルであるよりも、
こういう方がよいように思います。
(古代人には彼らの都合があったのでしょうから、
私がそんなこといっても仕方ありませんが・・・)


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この豊満な横座りの姿態は見事だと思います。


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最初の「マルタのヴィーナス」と並んで有名な像、
「眠れるレディ(Sleeping Lady)」です。
小顔で、豊かな肩回り、
そしてもっと豊かなお尻。

ぐっすりと、何千年も眠り続けて、
白雪姫のように、
白馬に乗った王子様が来てくれるのを
待っているかのようです。

ボケボケ写真で申し訳ありません。
かなり暗かったのです。
もう1~2枚撮っておけば・・・
と後悔しています。


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これも首なし像ですが、
感想は皆様にお任せします。

掲載順と造像時代順は無関係です。
人形たちは、
みんなとても小さいのです。


◎  巨石神殿 

国立考古博物館の写真を2回に分けてお見せします。

興味もあったし、
雨風を避ける意味もあったしで、
入りました。

入場料がいくらだったかは忘れましたが、
シニア料金で入りました。
日本では必ず年齢を証明するものを見せるよう要求されますが、
ヨーロッパでは自己申告です。
そしてまた、親切な窓口の場合は、
「シニア料金制度があるんですよ」と教えてくれます。

65歳直前のころに、
「シニア料金制度があるんですよ」と
いわれたことがありました。
そんなことは始めてだったので、
「シニアってなんですか?」と聞きました。
「65歳以上のことです」
そこで正直者(?)の私は、
「まだです」といって普通料金を払いましたが、
人の顔を見て歳を当てる能力の高さに驚きました。
日本の場合は、
顔を見てでなく、自己申告でもなく、証明書です。
(東京都関係では証明書がないときは生年月日をいえばOKですが、
民間の美術館はたいてい、証明書なしでは駄目です)

ノーフラッシュならカメラはOKでした。


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実際の見学はしなかった神殿ですが、
「ハジャー・イム神殿」の平面図です。
ゴゾ島の神殿よりも1000年ほど後のものです。
(とはいっても、今から4800年~4400年前です)
巨石を積み上げて造られていますが、
大きな石は、幅7m、厚さ60cm、重さ20トンあるそうです。


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こんな説明図がありました。
石のボールと梃子やロープを使って運搬したようです。


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そのボールです。
発掘されたボールなのか、
レプリカなのか分かりません。
(というのは、あまりにきれいだったから)

ボールの向うに渦巻き模様があります。
これが神殿を飾る古代人の装飾デザインです。


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これも渦巻きの変形です。


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渦巻きの他には
無数のくぼみをつけるデザイン(点描)もありました。


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生け贄の動物です。


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これは魚のようです。
やはり生け贄なのでしょう。


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「生命の木」だそうです。


遺跡の現場にあるのはレプリカで、
本物は博物館に展示してあるということでしたが、
あまりにきれいなので、
本物といわれても・・・
という感じさえしました。


◎  雨と風の中のヴァレッタ 

午前中に観光を終えて、
半日足らずではありますが、
楽しみにしていた自由行動が、
雨と風の中ということになってしまいました。

ホテルに荷物をおいて、
結局、ほとんどの人がバスに乗り込みました。
バスが出発すると早速、
ガイドさんがホテルへの帰り方について細やかに説明してくれました。

マルタのタクシーはメーターがないそうです。
**ホテルまで、いくら?
と料金を決めてから乗るのだそうです。
私たちのホテルまで€20~€25ならOKだそうです。

バスなら2人で€5くらいです。
時間は30~40分掛かるとのことでした


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バスが到着したのは、
トリトンの泉の前です。
タクシー乗り場も
路線バスの乗り場も、
これが目印です。

雨は少し小降りになってきましたが、
風の方は強さを増していました。
泉からチョッと歩いてメインストリートに入った所で
それぞれ目当ての店に向かいました。

すぐさま、銀製品(装身具)の店に入った人もいます。
早足で、真っ直ぐ進む人もいました。
私と妻は傘を傾けながらゆっくり歩きました。


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最終日のフィナーレが中止になってしまったカーニバルの残骸です。
「残骸」というのは、
おじさんたちが2人で壊しに掛かっていたからです。

ここを通り過ぎて、
お菓子屋さんに行ってお土産を少し買って、
それから国立考古学博物館に入りました。
建物の中は雨も風もなくて、
すいていて、
これまで見て回った古代遺跡のおさらいができました。
(博物館のことは改めて書きます)


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この写真は翌日帰国の時に空港でもらった
"THE TIMES"というマルタの新聞に載っていたものです。
激しい雨と強い風のために、
楽しかるべきカーニバルの最終日が中止になってしまい、
人々の心を、
灰色の空よりも、
もっと陰鬱にしてしまった。
と書いてありました。


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これも同じ新聞の写真です。
「傘の墓場」と書いてありました。
ゴミ入れの缶に入り切らないほどの傘が捨てられている一方で、
無事な傘をさして歩いている人もいます。
さすがに、新聞の写真はお見事です。


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博物館を出て、
帰ろうと思った頃は雨が止んでいましたが、
風は相当のものでした。
トリトンの泉の水が吹き飛ばされていました。

新聞の写真は、
傘をさした人はボケていても、
捨てられた傘はしっかり写っていましたが、
わたしの写真は全部ボケています。(涙)

タクシーなら間違いなく帰れますが、
ちょっと冒険してみたかったので、
バスで帰ることにしました。
風の向きが変わると、
バス待ちの列に噴水の飛沫が降り掛かります。

ようやくバスがきて、
乗り込みました。
マルタの路線バスは始めてです。
車内に電光掲示はありますが、
”STOPPING”と出るだけです。
だんだん分かってきました。
次の停留所で降りる人がボタンを押すと、
表示されるのです。
日本のバスみたいに行く先は表示されません。

ホテルのある所は「セントジュリアン」ですが、
ガイドさんがいっていました。
「セントジュリアン何たらかんたら」という停留所は沢山あります。
「セントジュリアン・・・」といい始めたら降りる準備をして、
右側に見えていた海が見えなくなって、
左側にマクドが見えたら、
次で降りて下さい。

バスは混んでいて海側は見えません。
左側の窓の外を一生懸命に見ていました。
乗ってから30分くらいすると、
停留所の看板に「セントジュリアン・・・」が見え始めました。
目を凝らしていると、マクドの店が!
次で降りました。


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降りたのは見覚えのない場所です。
さあ困った思いましたが、
チョッと歩いたら、
上の写真のショーウィンドウがありました。
(これは着いた日に撮った写真です)
これで大丈夫!
ここからなら帰れます。

まだ雨まじりの強い風です。
今夜は食事も自由です。
ホテルに戻ったら、
また外出する気になれません。
そのまま、
ホテルに一番近いレストランへ行くことにしました。
何度も前を通ったので、
目をつけておいたレストランです。

入ってみると、
いる!いる!
ツアーの仲間がいっぱい来ています。
添乗員もいました。
オーダーの手伝いをしてもらって、
ワインを飲んで、
マルタ料理を食べて、
雨風の中、ホテルへ戻りました。
今日もまた、
長い一日でした。



◎  ワイナリーとガラス工房 

カタコンベで実質的な観光はお終いです。
ここからは「見学」といっても、
お買い物ツアーです。

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まずワイナリー。
この島は夏になると雨が降りませんが、
葡萄を育てるには水が必要です。
飲み水を海水から取っていると
以前に書きましたが、
その水を使って作物を育てているそうです。

葡萄酒用としてはよい葡萄が採れるそうですが、
分量は僅かで輸出に回すほどはないようで、
レストランで出すワインもイタリア産などが多いようです。

写真は訪問したワイナリーの葡萄畑ですが、
まだ葉が出ていません。
昼頃になると雨脚が強くなってきました。
道路が水浸しで、
葡萄畑というよりも
雨水が溢れている道路の写真になりました。


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ワイナリーの入り口です。
バスの駐車場からここまで遠くて、
半身濡れながら到着しました。


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「見学」といっても、
この樽を見ただけです。
あとは試飲と買い物です。


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次はガラス工房。
ヴェネチアから技術を導入したそうです。

例えば色ガラスで鳥の形を作ったところを
カメラに収めようとしましたが、
あまりに手早く動かすので、
ピントが合わない、
ボケボケになる・・・などで、
こんな写真しかお見せできません。


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売店は広くて、
沢山の商品が並べてあります。
店には申し訳ありませんが、
買う気はなくて、
撮る気だけでしたので、
撮って回りました。

いろんな名画を取り入れた飾り皿がありました。
これはクリムトの「接吻」で、
他にはゴッホやセザンヌなどもありました。


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カラフルな人形。
値札を付けて踊っているところが面白いです。


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ガラス工房を出てレストランで昼食を取って、
ホテルへ戻ります。
低い土地に水が溜っています。
道路が川のようになってしまいました。


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上の写真共々ずいぶんなピンボケ写真ですが、
「ニュース写真」は、
状況が分かりさえすればよいだろうと思って掲載します。


朝、ホテルを出発するときの予定では、
昼食が終わったら、
ヴァレッタの街のどこかにバスを停めるから、
荷物はもったままで、
午後の自由時間を買い物などでどうぞ、
ということでした。

しかしワインを買った人、
ガラス製品を買った人、
どちらも重たい荷物です。
しかも強い雨に風が加わってきました。
予定通りでは無理です。

それで、
一旦ホテルへ戻って、
荷物を置いてから、
希望する人たちをヴァレッタの街迄送ってくれることになりました。


◎  イムディーナ→ラバト 

イムディーナの続きです。

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町の端っこに来て、
外を眺めました。
雨に煙った野原と町が見えました。


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イムディーナの観光が終わって、
城外に出る前に、
また路地を撮りました。
下に載せた城壁の外の路地と比べて下さい。


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入ったのとは別の門から出ました。
門はトンネルのようで、
城壁の厚さ、堅固さに驚きました。


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城壁外に広がる町ラバト(Rabat)に行きました。
二つの町はつながっています。
雨の中、傘をさして、
車が飛ばす水しぶきを避けながら歩きました。

ラバトの路地です。
上に載せたイムディーナの路地と比べてみると、
生活感が出ているというのか・・・
山の手と下町の違いというのか・・・


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聖パウロ教会。
中には入りませんでしたが、
ガイドブックによると、
中央祭壇には聖パウロの腕が安置されているそうです。


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教会前の街灯です。
ちゃんとマルタ十字がつけてあります。


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これからカタコンベ(Catacombs)、
「地下墓地」の見学をしに暗い地下に入ります。
墓場なんて、陰気な、という思いもありますが、
穴の中なら雨が降ってこないから、
有り難い面もありました。

222,000平米の広さに、
1000の墓地が連なるマルタ一番の規模を誇る地下墓地で、
4~6世紀にキリスト教徒が埋葬されたそうです。


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丸い大きな岩は、
埋葬の際に会葬者が別れの食事をしたといわれるテーブルです。


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細い通路が地下に張り巡らされていて、
その両側に小部屋(墓地)があります。
現在、遺骨は一体もないそうです。


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ベッドみたいになっていますが、
ここに遺体(遺骨)が置かれていました。

ここを出たあとは、
ワイナリーとガラス工房の見学です。


◎  イムディーナ 

マルタ島観光の4日目(2/21)となりました。
短い旅ですから、
明日の午後は帰国の途につきます。

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毎朝、ホテルの部屋の外にあるバルコニーから地中海を撮ります。
昨夜から雨になりました。
朝のうちはまだ、
風もはあまりなく、
波も高くはありませんでした。

観光は午前中でしたので、
雨だけでしたが、
午後からの自由行動の時は風も加わって、
悪天候となりました。

マルタのカーニバルは2月17日(金)~21日(火)の予定でしたが、
この雨で最終日の今日は中止となってしまいました。
今日がカーニバル観覧予定のツアーもあったでしょうが、
その人たちには可哀想なことになりました。


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イムディーナ(Mdina)の街を観光しました。
ここはヴァレッタがマルタの首都となる前の首都です。

ヴァレッタが海辺にあるのに対して、
イムディーナは島の中央部にあります。
高台の上にあって、
重厚な城壁で囲まれています。

向かうに見えるのが街への門です。
青い合羽を着た人たちは修学旅行の学生のようでした。


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メインゲートに上にある聖像です。
中央が12使徒の1人聖パウロ、
向かって左が聖プブリオ、右が聖アガサです。
新しい騎士団長が任命されると、
このゲートの下で、
貴族の特権として与えられる町の鍵を受け取ったのだそうです。

聖パウロの像の足元にあるのは、
燃え上がる炎と
そこから立上がった毒蛇です。 

この図像解説のため、
パウロとマルタの関係について説明しておきます。

伝説によれば、
キリスト教は西暦60年頃、
使徒パウロによって、
この島にもたらされました。

パウロは政治的反逆者として審理されるためローマへ連れて行かれる途中、
マルタの海岸で船が嵐にあって難破しましたが、
乗員のすべては、
泳いで、無事に島に上陸しました。
島の人たちは火をつけて彼らを迎えました。
火の中から毒蛇が出てきてパウロに噛み付きましたが、
何事も起こりませんでした。
島の人たちは、
パウロが特別の人であることを知りました。
そしてパウロはこの島にキリスト教を広めました。


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この町には路地が沢山あります。
建物はみんな立派できれいで、
雑然としたところがありません。
ガイドブックには「静寂の町」と書いてあります。


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大聖堂です。
ヴァレッタの大聖堂は聖ヨハネに捧げられた教会でしたが、
ここは聖パウロに捧げられた教会で、
格式としてはヴァレッタの聖堂よりも上だそうです。


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大聖堂の内部です。


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天井を見上げるとドームがあります。
ゴゾ島の大聖堂と違って、
本物のドームです。


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暗い所を無理矢理明るく画像処理しましたが、
パウロ海難の場面を描いたフレスコ画です。


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聖母マリアが受胎告知を受けている場面の絵です。


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聖母マリアの礼拝堂です。
カトリックの人たちはマリアを熱烈に信仰します。

自分の死後、
天国へ昇るか、
地獄へ落ちるか、
それを決めるのは、
審判者イエス・キリストです。
キリストは厳しいのです。
そして、
自分が天国へ行けると確信出来る人は少ないでしょう。

聖母マリアは優しいから、
マリアさまにお願いしたら、
キリストに取りなしてくれるのではないか、
そんな思いがあるようです。


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パイプオルガンです。
こういう石造りの聖堂の中で響くオルガンの音色は素晴らしいのに、
入ったとき、
このオルガンは沈黙していました。


◎  ジュガンティーヤ神殿 

カリプソの洞窟から、
ジュガンティーヤ神殿に向かいました。
小さな島ですから、
あっという間に到着です。

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入場料が必要です。
ゲートを入って、
進んで行くとぽつんと咲いている花・・・サクラ?
アーモンドでした。


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石を積み上げた遺跡が見えてきました。
ガイドブックによると、
「周囲は高さ8mにも及ぶ石積みの壁で囲まれている」
とありますから、
高い所で8mくらいあるのでしょう。
この辺は神殿の背面になります。


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反時計方向に回って行きました。


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写真では全貌がつかみにくいので、
説明板の絵をお見せします。

クローバーの葉のような形の神殿が2つあって、
それぞれに入り口があります。
そして全体は、
今、見て来た重厚な壁で囲まれています。

ジュガンテーヤ神殿の巨石群は
数百年(紀元前3600~3000年)をかけて建造されました。
今から5600年も前、
ゴゾ島には農耕と牧畜を営む人たちが住んでいて、
彼らが造ったのです。

マルタ島にも、
先日紹介したタルシーン神殿(紀元前3000~2500)など、
いくつもの神殿があって、
同様の構造をしていますが、
ゴゾ島の神殿が最古です。

神殿では暮らしや豊饒を祈る儀式が行われましたが、
このように複雑な構造は、
地中海のまん中に孤立した小さな島、
ゴゾ島、マルタ島だけの、
他所では見られない独特な儀式が
行われていたことを示しているそうです。

ジュガンティーヤ神殿は約1000年間使われましたが、
この神殿文化は突然、ミステリーの如く消えてしまいました。
その後の青銅器時代(紀元前2500~1500)の住人は
ここを火葬墓地として使用しました。

この遺跡が発掘されたのは1820年、
そして世界遺産に指定されたのが1980年です。


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神殿内部です。
タルシーン神殿にも、
こんな鳥居みたいな構造がありました。
祈りの場所です。


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これも神殿内部ですが、
生け贄を奉る場所といったか、
何と説明があったか・・・???です。


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神殿入り口の横壁に開けられた穴です。
左右両側にあって、
棒を渡したらしいとのことです。


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外壁の一部です。
この辺の高さは8mはないと思いますが、
仮に6mとしても、
巨大な石が下積みされています。

この神殿は、
地中海沿岸では最古の建造物だそうです。
5000年以上もの昔に、
大きくて重い石を、
どこから、
どうやって運んで来て、
どうやって積み上げたのでしょうか?
下の写真で示すように、
この神殿は高台の上にあるのです。


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神殿のある高台から、
北方を見下ろすとシャーラの街(距離:1.5km)が見えます。
その先に、
カリプソの洞窟(距離:3.5km)、
そして地中海があります。


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神殿の外側には菜の花が咲いていました。


これで3日目の観光は終了です。
港に戻り、
フェリーでマルタ島へ、
そしてバスでホテルへ。
朝はいつもより1時間早く出ましたが、
2人積み残しのトラブルがあったり、
レース製品の売店で買い物に手間を取った人がいたりで、
予定よりも遅い帰着となりました。


◎  カリプソの洞窟 

「カリプソ」という言葉は様々な意味に使われていますが、
ここでの意味はギリシャ神話に登場する海の女神の名前です。

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「カリプソの洞窟」を見る前に昼食です。
洞窟に近いマルサルフォーンという町(村?)に行き、
「カリプソホテル」のレストランで食べました。
ホテルの前からの風景です。


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小舟の色が海面に写ってきれいでした。


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ホテル近くの通りです。
釣り竿に魚がかかっています。
看板なのでしょうが、
魚屋ではなさそうですが・・・
釣り道具屋? 船宿?

いよいよ「カリプソの洞窟」に向かいます。


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バスを降りて洞窟へ歩いて行く途中、
花が咲いていましたが、
名前が分からないので、
ギリシャ神話のお話をします。

ホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」は、
トロイア戦争の後、
イタケーの王である英雄オデュッセウスが、
各地を流離、放浪する冒険と、
オデュッセウスの息子テーレマコスが父を探す旅とで展開されます。

物語は、
美しい海の女神カリプソがオデュッセウスを、
永遠に自分の夫にしておくために、
自分の島に閉じ込めているところから始まります。


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しかしオデュッセウスは、
自分の妻、ペネロープの許にどうしても帰りたいと思い、
自分の庇護者である女神アテネに口添えを頼んで、
最高神ゼウスから解放命令を出してもらった末、
7年目にして、
ようやくカリプソの島を出ることができました。


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カリプソは不本意ながらもオデュッセウスのために小舟を用意し、
ワインとパンを積み込んで送り出しました。
この時オデュッセウスは
「カリプソよ、あなたは私の妻よりもずっと美しい。
しかし私は妻の許に帰らなければならないのです」
といいました。


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いよいよ洞窟の門です。
オデュッセウスが閉じ込められていたのは、
ここにある洞窟で、
「カリプソの島」とはゴゾ島のことだ、
というのです。

経緯はこういうことのようです。
この洞窟がホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」ゆかりの地とされたのは、
17世紀末から19世紀始めにかけて、
ジュガンティーヤ神殿(次回に写真を載せます)の発見によって、
ゴゾ島が人々の関心を集め、
一方で古代ギリシャの伝説が甦ってきた、
そんな時代でした。

この頃ヨーロッパを旅をする人たちは、
伝説と現実の土地を結びつけるのに懸命でしたから、
ゴゾ島を「カリプソの島」と考え、
この洞窟をオデュッセウスが閉じ込められていた場所としたのです。


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洞窟のある高台から望むラルマ湾です。
夏には海水浴客で賑わうそうで、
ゴゾ島随一の美しい浜といわれています。
眺めの美しさが、
美しい女神カリプソと結びついたのでしょう。


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湾から少し左手の海です。


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振り返って島の内部を望むと、
だんだん畑、
あるいは千枚田のような景観です。


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その、問題の洞窟なのですが、
危険だからとのことで、
近寄れず、従って写真も撮れません。
こんな感じの所だと思って下さい。

ギリシャ神話だの、
ホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」だの、
立派そうなことを書いたのに、
さっぱり見るべきものがなくて、
申し訳ありませんが、
「伝説とはこんなもの」
ではないでしょうか。


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上の写真で、
岩陰に咲いていた花です。
これも美しいから「カリプソの花」?


◎  アズール・ウィンドウ 

高台から島の景観を見た後は、
海辺の観光に行きました。

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アズール・ウィンドウ(Azure Window)、
「紺碧の窓」です。
数千年の風と波の浸食によって造られた自然のアーチの間から
紺碧の海と空が見えます。

ガイドさんも「アズール・ウィンドウ」と説明したし、
ガイドブックにもそう書いてあります。

「アズール」って何語だろうと思い、
"Azure"を英和辞書で探したら、
見つかりました。
意味は、
空色の、青空の、(雲ひとつない)紺碧の、
などです。
そして発音は「アジャ」です。
「アズール」はイタリア語的ですが、
イタリア語の「青い」は"azzurro"でした。

まあ、とにかく「アズール・ウィンドウ」を観光しました。
好天に恵まれて、
海も空も「アズール」でした。


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少し引いて撮りました。
「ウィンドウ」の上辺の左端と右端に人の姿がありますから、
大きさが分かると思います。


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カメラを海側に振るとこんな岩場です。


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マルタ島の「青の洞門」同様、
小舟での観光がありました。


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水がきれいです。


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海は非常に静かだったのですが、
それでも岩にぶつかった水は白く泡立っていました。
風が強いときの波はすごいでしょう。
そのエネルギーが岩に窓を開けたのです。


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深い洞穴が向うまで抜けています。


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船から見上げた岩と空です。


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船を降りて、
こんな岩場を歩いてバスに戻りました。
向うに見える四角い建物は見張り台でしょう。


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駐車場に停めてある観光バスの数は少なかったですが、
キティちゃんのバスがありました。

この島へ来るフェリーにバスは載せないようです。
私たちもマルタ島のバスは港に置いてフェリーに乗りました。
そしてゴゾ島のバスに乗って観光していましたから、
このバスもゴゾ島のバスだと思います。


◎  ゴゾの大聖堂と大城塞 

全員顔ぶれが揃ったので観光開始です。

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坂道を昇ります。
上を向いて撮っていますから、
坂道は写っていませんが・・・

山というほどのものはない島ですが、
高台はあります。
かなり急な坂でした。


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大城塞です。
高台の上に石垣を巡らせて城塞が築かれて、
その入り口に大聖堂があります。


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たちまち大聖堂に着いてしまって、
全体写真がないのですが、
入り口への階段です。


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中に入りました。
正面が祭壇です。


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見上げると立派な天井です。
中央に半円形のくぼみがあります。
聖堂には付き物のドームです。

実は「だまし絵」なのです。
遠近法をうまく使って描いて、
この辺からだとドームに見えるのです。

そんなことをした理由は?
お金がなくてドームの建築が出来なかったのだそうです。


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大聖堂を出て、
石壁の間の狭い道を通って歩くと、
広々とした緑地に出ました。


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ここから大聖堂を見ると、
ドームなんてどこにもありません。


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さっき急な坂を登ってきましたから、
ここは高台です。
素晴らしい見晴らしです。
緑の大地が見えていますが、
夏になるとすっかり枯れて茶色の大地になるそうです。


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地中海も見えます。
よく晴れて、海は凪いでいました。
今日の天気予報は「くもり+雨」だったのですが、
よい方に外れてくれました。


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向うに見える台地は、
上面が平で、
まるで整地したかのようです。
不思議です。


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この台地一帯が城塞になっていて、
こんな風に石垣を巡らせてあるのです。
17世紀のころ、
オスマントルコや海賊の侵攻に備えたのだそうです。

手前にはサボテンが茂り、
黄色い花が咲いていて、
こんな風景はマルタ島もゴゾ島も同じです。


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城塞ですから、
大砲も設置されていました。

かなり広い城塞でしたから、
歩き回るのは半分ほどにして、
さっきの街へ下りました。


◎  ゴゾ島へ 

マルタ観光3日目は、
隣の島、ゴゾ島へ行きます。
毎日ホテル出発は9時でしたが、
この日だけ8時出発です。

ホテルの朝食は6時半からです。
いつもはゆっくりと降りていって食べていましたが、
この日だけはチョッと早めに食べてロビーに集合しました。


1マルタa

改めて地図を載せておきます。
泊まっているのがセントジュリアンという街で、
今日はマルタ島の西北にあるゴゾ島で1日を過ごします。

今迄は南の方ばかりでしたから、
北へ行くのは始めてです。
この島(国)に高速道路はありません。

上の地図に尺度が載っていませんが、
ゴゾ島は横に長いですが、
その横幅が4.5kmです。


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フェリーに乗る港が見えてきました。


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フェリーです。
切符は要らないということでしたから、
無料かと思ったら、
帰りの船で往復の料金を払うのだそうです。


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たちまちゴゾ島に近づきました。


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入港です。


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船を降りて、
バスに乗って、
ヴィクトリアという街へ行きました。
そして、ここでお買い物タイムです。
濃いグリーンの店で、
ハチミツ、ジャム、アーモンドのお菓子などなど・・・
この島の特産だそうです。

朝から、なんで?
実は夫婦1組をホテルにおいたまま出発してしまったのです。
この夫婦が悪かったのではありません。
添乗員が
「もうお揃いですね。では早めですが出発します」
と、やってしまったのです。
毎朝人数を確認していたのに、
この朝はチラと見ただけで済ませてしまったのです。

それで、このお2人が次のフェリーで来る迄
時間調整することになりました。
メンバーは女性が多いから買い物は大好きです。
みんな大喜び。


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さっきの店のすぐそばのカフェでは、
老人たちがくつろいでおしゃべりに夢中です。


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路地があって、
土産物屋がありました。


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時間つぶしに、
もっと進んでいくと、
マーケットがありました。


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往きとは別の道を戻ってきたら、
魚屋です。
蛇みたいな模様の気味悪いのが・・・


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こんな魚も。
魚の種類が雑多なのは、
網にかかったものを持ってきて売っている、
ということだろうと思います。

約1時間の観光後、
ここが待ち合わせ場所になったので、
再度行ってみたら
「蛇」みたいなのは売れてしまっていました。


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果物、野菜も売っています。
待っているうちに遅れた人たちも到着したので、
観光開始です。


◎  カーニバル (5) 

カーニバルも5回目となりました。
今回でこの日の観光は終了にします。


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「マルタのAKB」(添乗員が命名しました)をお目にかけます。
これまでのダンスチームはアイデアを凝らした派手な衣装で登場しましたが、
この子たちは地味でシンプルです。
衣装よりも自分たちの美しさをアピール、
という感じで、
全員がすらりとした体型でロングヘアーでした。


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髪の色はさまざまです。

踊りの中で、
片膝をついて腰を沈め、
頭を垂れた姿勢から、
一気に頭を振り上げると、
下に垂れていた長い髪が一斉に舞い上がる・・・
という動作が2~3度ありました。
とても素晴らしかったのですが、
ただただ見とれてしまって、
写真がありません。
今更後悔しても「マツリノアト(?)」です。


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このグループは、
シンガーは1人だけです。
彼女だけが黒いストキングで、
前を向いて歌っているのに、
他のダンサーたちは後ろ向きになっています。
シンガーは踊らないから、
ヒールの高さも違っています。


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山車の向うの空は妖しげな色をしています。
写真は明るく撮れていますが、
すっかり暮れてきました。
寒くなってきました。


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上と同じ山車です。
踊りに取り囲まれて、
会場を1周して出ていきます。


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上の山車を囲んでいた踊り手たちです。
テーマがドラゴンだったのでしょうか。
司会者の説明が大音声でスピーカーから流れてくるのですが、
全然聞き取れていません。


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これは別の踊りの輪です。


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これまた別の踊りです。
衣装の華やかさは、
「マルタのAKB」と対照的です。


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そろそろ6時が近くなってきました。
帰らなければなりません。
こんな人込みの中で迷子になったら大変です。
添乗員の後姿を見失わないようにして会場を後にしました。


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ここで待っていて下さいといわれて、
みんなの集合を待ちました。
日はとっぷりと暮れました。

お祭りで大混雑なので、
バスを停めてあるところまで歩いていかなければなりません。
歩いている内に雨が降り始めました。
傘をささないといけないほどの降り方になってきました。
ちょうどよい時に出てきたことになります。
この雨では見物どころでないでしょう。

バスがホテルに着いたころは本降りになっていました。
今日も長い1日でした。
ブログをご覧の皆さまもお疲れ様でした。


◎  カーニバル (4) 

カーニバルの写真も4回目となりました。
どれも同じようだといえば、
そうなのですが、
みんな工夫をこらしているので、
どこかが違うといえば、
みんな違います。
そんなことで、
見とれているうちに、
4時のバスは出てしまい、
6時のバスまで見ていることになってしまいました。


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見ていれば面白いですが、
ちょっと飽きてきたし、
気分転換に場外に出てみました。
ゲートで手の甲にスタンプを押して貰います。
それを見せれば再入場はOKです。

外にも人がいっぱいいます。
仮装して来ている家族が、
記念撮影中のようでしたから、
脇から盗み撮りしました。
坊やがチョッと横を向いてしまいましたが・・・


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ぐるっと回ってみましたが、
屋台の食べ物はたいてい売り切れていますし、
温かい飲み物もないようなので、
結局スタンドに戻りました。

スタンドの下にいたお嬢ちゃんです。


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あとからあとから山車とダンスチームがやってきます。
これは童話がテーマのようです。


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大きなピエロの右手に載っているのはピノキオです。
ピエロの両腕が開いたり閉じたりしました。


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横の方はおもちゃ箱でしょうか~


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人間がおもちゃを演じているのでしょう。


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後には扉があって、
開くと大きな顔が出てきます。


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後の扉が一旦閉じて、
また開くと別の顔になっています。


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このダンスチームも歌舞伎っぽい衣装です。


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ボクサーたちですが、
肌色のシャツに詰め物をして、
体格をよく見せるのも
歌舞伎で力士なんかを演じるのと同じです。


午前中はよく晴れていて、
暖かだったのですが、
午後になって、
曇ってきて、
日が暮れ始めると、
風が冷たくなり、
寒くなってきました。
朝ホテルを出る時には予想もしなかった寒さです。
もう1枚何かを持ってくればよかったと、
後悔しても仕方ありません。


◎  カーニバル (3) 

カーニバルの第3回です。
何回続けるのか、
計画を立ててはいませんが、
もう数回は続けるつもりです。


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大型の山車の入場です。


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横を見せながら観覧席の前を通りました。


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脇腹の辺りをアップで撮ると人の姿が見えます。


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退場していく後姿です。


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今度はダンスのチームです。
中央の赤い衣の人は、
衣装も化粧も、
歌舞伎の雰囲気がありました。


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歌舞伎同様、
早変わりした後です。
(黒子みたいな人が何人か手伝いました)


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また大型山車の登場です。


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横からのアップです。


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上の黄色い化け物の隣の戸口から、
お姫様が現れました。


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退場していく後姿です。
閉じていた背面部の扉が開くと、
恐ろしい顔が出てきました。


◎  カーニバル (2) 

カーニバルの続きです。

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画面にはカメラマンが入ったり、
スタンドの前列の人の頭が入ったり、
邪魔者が入りますが、
仕方ありません。


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ダンスの最中よりも、
整列しているときが撮り易いものですから、
静止画が多くなりました。


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これは人が中に入っているのですが、
大きくて重そうです。


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中の人には、
もしかしたら前がよく見えていないのかも知れません。
回ったりするときは、
介助の人が付き添います。


◎  カーニバル (1) 

いよいよカーニバル見物ですが、
マルタ観光局HPからの引用で、
その概要を紹介しておきます。

カーニバルと聞くと、
派手な格好でダンスしながら練り歩くパレードのイメージを
お持ちの方が多いかもしれませんが、
起源はイエス・キリストが伝道をはじめる前に、
40日間荒野で断食と瞑想を行ったことにならい、
キリスト教徒が節制の日々を送る、
四旬節の直前に行われる宗教行事です。

人口約40万人のうち9割以上が敬虔なカトリック教徒であるマルタでは
1年のうちで一番盛大な宗教的行事であるといえるでしょう。
マルタのカーニバルは6世紀に渡って続いている大変歴史深いイベント
(ヨハネ騎士団がマルタ島の領有権を獲得した数年後の1535年にはじめて開催された)で、
多くの町、村で行われますが、
特に盛大なのがヴァレッタで行われるカーニバルです。

チームごとにテーマを決めて巨大な山車を用意し、
当日に備えてダンスの練習を重ね、本番に挑みます。
当日は、ヴァレッタのメインストリート、
リパブリック通りを派手に装飾された各チームの巨大な山車がゆっくり進み、
所々で止まってはダンスやブラスバンドを披露し見物客を楽しませます。

山車が行きつく先はメイン会場です。
メイン会場では各チームがダンスを発表し、
それを見物人が採点し、
その年1番のチームが決定します。
マルタのカーニバルでは、仮装して見物に来る方も多く見られます。
カーニバル見物の際には皆様も仮装されてはいかがでしょうか。
よりお楽しみいただけること間違いないでしょう。


昨日載せたのは、
上の説明にある「リパブリック通り」での写真です。
今日からは「メイン会場」での写真になります。


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メイン会場は有料の桟敷席(手前に見える頭や帽子の人たち)が用意されていますが、
正面の大勢の人たちがいるのは無料の立見席です。


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男女ペアの司会者が登場しました。
左側に風船を持った子供たちがトップの出演待機です。

開演は午後2時半。
われわれは桟敷席で見ました。
ホテルへ戻るバスを4時と6時に出すので、
お好きな方で帰って下さい、
とのことでしたが、
見ていると面白いので6時のバスになりました。


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風船の子供たちの登場です。


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華やかな衣装、帽子、フェイスペインチング、
そして色とりどりの風船です。


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ムービーで撮ってないのが残念です。
音楽や踊りが伝えられません。


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最後に風船が空に舞い上がりました。
右側に次の山車が待機しています。


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グループによるダンスと大きな山車と、
順番に登場するようです。

山車を牽引する車が四角い箱の中に入っていて、
山車本体はトレーラーに載っています。


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これは”LANDA”という所の救急隊のようです。


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小舟に子供を2人載せて吊り上げました。


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ほんとは、
もうちょっと後で登場したのですが、
カーニバル・クィーンです。
中央が第1位の女王、
向かって右の青いドレスが第2位、
左が第3位ですが、
みんな美しくて、
差のつけようがありません。


◎  リパブリック通り 

「戦争ごっこ」を見た後は、
いよいよカーニバル観覧です。
地図で確認すると、
聖エルモ砦と祭見物の会場は、
ヴァレッタ市街のメインストリート「リパブリック通り」の端と端にあります。
その間、約1.5kmで、
中間点に「騎士団長の宮殿」があります。
今日は、すべて徒歩で移動です。


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エルモ砦から騎士団長の宮殿まではご覧のように、
お祭りも何もないかの如く平穏です。
歩きながら、
振り返っての撮影ですから、
道の果てる辺りの右側がエルモ砦で、
真っ直ぐ行けば海になります。

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メインストリートの窓辺に洗濯物が干してあるところはイタリア風です。
イギリス連邦に入っているにしてはイギリス的でありません。


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道路沿いの壁に聖母子と他の2人はだれでしょう、
聖像がありました。
この国は国民の90%がカトリック信者だそうです。


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道路はすべて真っ直ぐです。
路地はメインストリートと直交して碁盤目を作っていますが、
ここは城塞都市です。
城下町の道路は迷路にしてあるのが普通なのに・・・

城内(市内)に敵が侵入して来た場合、
こういう碁盤目の道路だと、
敵は隠れようがないのだそうです。
では味方も敵に丸見え?
味方の軍勢は隠れて移動できるように、
地下道が張り巡らされているそうです。
(今は入り口に蓋がされていて入れませんが・・・)


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途中、レストランで昼食をとり、
騎士団長の宮殿前の広場まで戻ってきたら、
すてきな街灯が立っていました。

ここからはカーニバル気分がいっぱいです。
メインストリートの尽きる所迄人混みの中を歩きます。
尽きる所にはバスターミナルがあって、
その脇に会場があります。

この国には鉄道がないから、
公共輸送機関はバスだけです。
だからバスターミナルは普通の街でいえば、
中央駅に当ります。

ついでに説明しておくと、
この国(島)には、
山がない、森がない、夏は雨が降らない、
だから川らしい川がありません。
水は海水を浄化して使っています。
気のせいかちょっとショッパイような気もしますが、
問題ありませんでした。
イタリアなどヨーロッパ諸国の石灰分をたっぷり含んだ水に比べたら、
遥かに飲み易いです。


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カーニバルに参加する人たちがあちこちにいます。
その姿を撮っている人たちがいます。


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この幼い貴婦人はどんな役割を果たすのでしょうか?
単に祭衣装で着飾っているだけなのでしょうか?


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こんなハリボテ人形が人混みの中を進んで行きます。


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会場が近くなりました。
出演の人たちが集まってきます。
知り合いらしい人も観光客も撮っていますので、
笑顔をアップで捉えました。


◎  「アッラールメ」ショウ 

騎士団長の宮殿の次は聖エルモ砦です。
ここで、
「アッラールメ」という題名の劇を見るそうです。


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堅固な石垣で囲まれています。
そして黄色い花がいっぱい!


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石垣の手前には堀があります。


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門を入ります。
鉄砲を肩に担いだ妙な服装の人が立っていますが、
劇の出演者です。


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広い中庭で芝居は行われます。
周囲に椅子が並べてあって、
観光会社毎の指定席になっていました。

赤い帽子を冠った人たちはマルタの騎士団だったと思います。

芝居のあらすじ:
1798年、聖ヨハネ騎士団の統治下にあったマルタ島に、
ナポレオン率いるフランス軍が攻めてきて、
支配権を握り、
それまでとは違った、
過酷な統治をするようになりました。
マルタの人々はこれに反発して反乱を起こします。
銃撃戦が繰り返されましたが、
1800年、マルタはイギリスと手を結んでフランスを屈服させます。
この2年間の争いを演じているのです。


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フランス軍に攻められている所です。
ドンパチと鉄砲を撃つ音、白煙、
その辺はなかなか迫力がありました。


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黒い帽子はフランス軍で、
マルタ占領に成功して、
国歌「ラ・マルセエーズ」を歌いながら行進しています。


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この場面は、
イギリス軍も混じっての戦いだったか、
マルタ人がフランス軍に反抗していたのか、
記憶がはっきりしません。


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フランスがイギリスに破れ、
統治権を譲り渡す調印式です。

他愛のない劇でしたが、
やっている役者さんは一生懸命でした。
この劇を演じるために集まっている素人集団です。


それ以後の164年間、
イギリスの支配下に入りましたが、
イギリスはフランスと違って、
マルタの自由を認め、
緩やかな統治を行ったそうです。
1964年に独立しましたが、
現在もイギリス連邦加盟国となっています。

昨日掲載した騎士団長の宮殿には、
若かりし日のエリザベス女王の肖像が掲げてありました。


◎  騎士団長の宮殿 

「アッパーバラッカガーデン」の次は、
「騎士団長の宮殿」の見学です。

大きな建物で、
一部が見学できます。
見学できない部分には大統領府と議会が置かれているそうです。

人口40万の国ですが大統領がいます。
かつての騎士団長は現在でいえば大統領だったのでしょう。


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ネプチューンの中庭です。
海神ネプチューンの銅像の向う側が入れない方です。
ネプチューンを背にして階段を昇りました。


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廊下には沢山の甲冑が並べてあります。


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廊下の床の所々には紋章が描かれていて、
ロープが張ってあって、
踏まれないようになっていました。


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廊下の天井にはぎっしりと絵が描いてあります。


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いくつかの部屋に入りましたが、
これは「大使の間(赤の間)」です。


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これは「給仕の間(黄色の間)」です。


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廊下の甲冑を撮りました。


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別の甲冑の上部です。


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外に出て、
もう一つの入り口、
大統領府の入り口に行ってみると、
左右に1人ずつ衛兵が立っています。
これは左側です。


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右側の衛兵をアップで捉えました。
この人、目があちこちと動きます。
ほんとは真っ直ぐ前を見ていなければいけないのでは・・・


1113年、エルサレムで創設された「聖ヨハネ騎士団」が、
マルタ島を本拠とすることになったのが1530年だったと、
前の記事で書きました。

それから35年後の1565年、
マルタ島はトルコ軍(オスマン帝国)の大攻撃を受けました。
「大包囲戦」と呼ぶそうですが、
多勢に無勢にも関わらず、
マルタの騎士団は攻撃に耐え抜き、
4ヶ月で撃退しました。

勝利のあと、
騎士団長ジャン・ド・ヴァレットが要塞都市を築いたのが、
ヴァレッタの街です。


◎  アッパーバラッカガーデン 

観光2日目の朝を迎えました。
今日も快晴です。
しかし天気予報によれば、
だんだん曇ってきて、
夜には雨になりそうです。

昨日はホテルの部屋のドアのトラブルのことを書きましたが、
このホテルは☆☆☆☆☆なのです。
部屋も広く、
大きなダブルベッドが2つ。
地中海の見えるベランダ付きで、
大型液晶テレビがあって、
NHKの海外向け番組も見れるし、
地元の天気予報専門のチャンネルもあります。

今日は再度ヴァレッタの街へ行きます。
そして午後はカーニバル見物です。


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ヴァレッタに着いて、
まずアッパーバラッカガーデンへいきました。
昨日遊覧船から見上げたようです。
そういえば、そんなことを放送していた、と
昨日の船からの写真です。
この写真の最上層がガーデンです。


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1枚目で見上げた最上階の建物の内部です。


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建物の海側で、
展望台になっています。


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展望台から1段下を見ると大砲が並んでいます。


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前方に見える細い岬の向うは外海、
地中海で、
岬からこちらがグランドハーバーです。


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ガーデンから出ると、
こんな観光馬車が客待ちしていました。


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ヴァレッタの街は碁盤目に道路が走り、
細い路地が沢山あります。
路地が細いのは、
道路を日陰にして、
夏の強い日を避けるためだそうです。


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街角においてあるハリボテの人形です。
カーニバルにはもっと大掛かりなハリボテが登場します。


◎  ハーバークルーズ 

昼食後はハーバークルーズです。
快晴に恵まれましたが、
海上は風が寒いからコートを着ていくようにアドバイスを受けました。
乗ってみるとその通りでした。


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乗ったのはこの船で、
下船するときに撮影しました。
2階のデッキで観光しました。


2グランドハーバー

スリエマという町から乗って、
赤い線のように遊覧して出発地に戻りました。
こういうコースだということが、
始めから分かっていたわけではありません。
分かっていれば船の右側の席を選んだのですが、
何の気もなしに左側に乗ってしまいました。
左側の岸は乗客に邪魔されることなく撮れましたが、
遠景になります。


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ヴァレッタの街です。
これが左側の風景です。


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右側の陸に沿って航行しながら、
説明してくれますが、
その右側を撮ると、
こんな風に乗客が入ってしまいます。


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われわれのグループのガイドさん(日本人女性)がやってくれたのですが、
船内放送に日本語が追加されました。
元来は英語とドイツ語の2ヶ国語だそうですが、
この船だけ3ヶ国語での解説となりました。

説明は聞いていましたが、
カメラが忙しいからメモっている暇もありませんし、
どの建物が何だなんて、
とても覚えていられません。
ですから、
撮った順に並べて、
お見せしているだけです。


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上に載せた地図で分かるように、
船は湾の中から出発して、
一旦外海に出て、
それから入り江の沢山ある湾(グランドハーバー)に入ります。
「これから外海に出ます。
波が高く、揺れますから注意して下さい」
と放送がありました。
その通り、
天気晴朗なれども波高し、
かなり揺れました。

湾内に入ると不思議なほど静かです。
水上バイクでしょうか、
まだ寒いのに、
湾内で水上スポーツを楽しんでいる人たちがいました。


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傾きかけた日がスポットライトのようです。


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向うの岬(左端)に見張塔が見えます。


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近づくと、
彫刻があります。
見えている中央に「目」、
左側に「耳」があります。
視覚、聴覚などを使って見張っているということでしょう。


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逆光で撮ってみました。


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ご用とお急ぎのない方は、ここから先もお読み下さい。

観光船の発着所からホテルまで近いので、
5時前に帰着しました。
6時半にロビーに集合してバスで夕食のレストランへ行くことになりました。

エレベータを降りて部屋の前へ。
カードキーを入れるとグリーンのランプがチラッと点灯します。
そしてドアのハンドルを回すと・・・
ハンドルが回りません。
ドアが開きません。
今朝食堂から帰ったときは開いたのに。

よくあることだと、
軽く考えてフロントへ行きました。
(国内でも、海外でも、連泊のときによく遭遇するトラブルです)
運良く添乗員がまだロビーにいましたので、
フロントの人に伝えてもらいました。

フロントマンはカードのデータを入れ直して渡してくれました。
添乗員は別の階なので、
「じゃあ6時半に」といって別れて
部屋に戻りました。
カードを入れてみましたが、
さっきと同じです。
ハンドルはびくともしません。

もう一度フロントへ行って「開かない」といいますと、
改めて再入力してから一緒に来てくれました。
彼がやっても開きません。
ケイタイを使って連絡を取っていましたが、
「ちょっと時間が掛かるので下でドリンクを飲んで待っていてくれ」
とのことです。
エレベータ脇の椅子で妻が待っていることを知ると、
「ここへ持ってくるから~」
といって降りていきました。
暫くするとお盆に細長いコップを2つ載せてきました。
チョッと癖のある味のジュースでした。

部屋はエレベータのすぐそばなので、
様子をときどき見に行きました。
体格のよい男が来て四苦八苦しているようでした。
また少ししてから行ってみるともう1人来ていて、
相談しながら・・・
また行ってみると、
ドアはようやく開いていましたが、
閉じないようにレバーを挟んでおいて、
なにやら相談しています。
そして
「錠前を交換しないといけない。
別の技術者がくるまでちょっと時間が掛かるので、
ロビーでドリンクを用意するから・・・」
「ドリンクは、もう飲んだから、要らない」と答えて、
取りあえず部屋に入りました。

次にメイドさんがやってきて、
ベッドメイキング、タオル交換が済んでいるか確認していきました。
それはちゃんとやってありました。
朝食のあとも開いたし、
メイドさんが入るときも大丈夫だったのです。
そのあとで・・・・・

今度はスーツを着た責任者らしい女性が部屋にやってきました。
ペラペラ説明するけれどさっぱり分かりません。
添乗員の部屋に電話をかけて聞いてもらいました。
「これから錠前を交換します。
貴重品は金庫に入れてあれば、
外出してもらって結構です。
留守中に治しておきます」
とのことでした。

やがてフロントの人から数えれば6人目の男がやって来て、
錠前の交換を始めました。
どうやら完了して、
今度はハンドルが回るようです。
ケイタイで7人目を呼びました。
先端がカードキーになっている機器を差し込んで、
ごそごそやっています。
6人目が「プログラム・・・」とささやいてくれました。
ここ迄くれば、
自分で部屋をロックして外出できるかと思ったのですが、
何度繰り返してもうまくいかないようです。
機械仕掛けなら修理完了なのに、
コンピュータ仕掛けはややこしいです。
6時20分になりましたので、
彼らに任せてロビーへ降りました。

ワインを飲んで夕食を食べて、
ホテルへ戻りました。
フロントのさっきの男がカードを持って、
部屋まで付いてきてくれました。
そして恐る恐るカードを差し込むと、
ドアが開きました。
万歳!です。
フロントマンもニコニコして戻っていきました。

このトラブルが朝食直後に起きていたら、
と思うと、ゾッとします。
観光に出かけなければならないのに、
上着もコートもバッグもカメラも部屋の中なのに、
ドアが開かない・・・
恐ろしいことです。

長い長い1日でした。


◎  マルサシュロック 

何日にも分けて掲載してきましたから、
もう数日分を書いたみたいでが、
これから、
ようやく観光第1日目の昼食なのです。
1時過ぎだったと思います。


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マルサシュロックという漁港(漁村)へやってきました。
建物が全部石造りですから、
日本の感覚では「村」らしくありませんが、
この国ではすべての建物が石造りなのだから仕方ありません。
ここはマルタ島最大の魚村だそうです。

マルタ語で「マルサ」は「港」の意味だそうです。
北アフリカから吹く「シロッコ」と組み合わさって、
「マルサシュロック」となったのだそうです。


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これはちょっと「村」らしい雰囲気です。
薄汚れした建物の前、
テントの下で、
お茶を飲んでいるのか、
ビールでも飲んでいるのか、
くつろいでいる様子の人たち。
2階の窓辺には洗濯物。
そして人通りもなさそうです。


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土産物屋さんです。
レースのパラソル、扇子、テーブルクロスなど。


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これもお土産です。
冷蔵庫などにくっつけるマグネット付きの目玉で、
魔除けです。


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岸辺に上げてあった船の舳先にも目玉がありました。


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「村の娘」ではピッタリしないようなので、
「マルタの娘」にしておきましょう。


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村の教会です。


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2本の塔の間にあるのは、
船に乗ったマリア様でした。
漁船を守ってくれるのでしょう。

前に立っているのはイエスでしょうか?
聖母子像はたいていマリアがイエスを抱いているのですが、
独り立ちしています。

わざわざ漁村迄食べに来たのですから、
昼食は魚料理だったと思いますが、
何を食べたかと、
今更聞かれても無理というものです。
今朝何を食べたのか、
夕方には忘れてしまっている昨今ですから・・・


◎  タルシーン神殿 

マルタ島に人が住むようになったのは、
紀元前5200年、今から7200年前のことです。

これから見学するタルシーン神殿は紀元前3600-2500年頃に建設されました。
年代に幅があるのは、
第1神殿から第3神殿まで、
時代の異なる3つの神殿があるからです。
見学は新しい神殿(第3)から始まります。


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タルシーン神殿の門ですが、
見学者はこの右にある入り口から入ります。


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神殿の区画を示す石の列かと思いますが、
青々と草が茂っているので、

夏草や兵どもが夢のあと   芭蕉

の句を思い出しました。
しかし平泉の藤原氏や源義経などの時代よりもずーっと古いのです。

青草や古代の祈り籠る石   capucino

と詠んでみました。
神殿は墓場ではなく祈りの場であったそうです。


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詳しく説明してもらったのですが、
もう覚えていません。
多分ここは第3神殿(一番新しい)の祈りの場だったでしょう。


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上の写真の彫刻部分をズームして撮りました。
動物は生け贄を表しているそうです。

ここにあるのはレプリカで、
本物は国立考古学博物館に展示してあるとのことでした。
後日フリータイムでその博物館へ行きましたので、
本物の写真はその内にお見せします。


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豊饒の女神像といわれています。


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シチリア島で古代ギリシャの遺跡を訪れたとき(5月)は、
草むらに赤いポピー(アマポーラ)が咲いていました。
遺跡には赤いポピーが似合うと思うのですが、
今回は2月なので、
季節が違うせいかも知れませんが、
咲いていたのは黄色いキク科の花でした。


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これは第2神殿の拝殿だったと思います。


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直径1.1mの、
石をくりぬいた火鉢です。


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遺跡にアーモンドの花が咲いていました。


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近寄って、
青空をバックに仰ぎみました。
もう少し開花が進んでいるとよかったのですが・・・


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遺跡の門前の通りです。


◎  聖ヨハネ大聖堂 

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聖ヨハネ大聖堂に入るとすぐ目の前、
上の方に「マルタ十字」がありました。

マルタ島の歴史は古く、
エジプトのピラミッドよりも古い神殿跡が残っているほどですが、
中世以降では聖ヨハネ騎士団の本拠地となりました。
その歴史を辿ってみます。

中世に、
聖地エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を保護し、
異教徒(イスラム)と戦うために十字軍が派遣されました。
聖ヨハネ騎士団は1113年にエルサレムに設立され、
十字軍の負傷者と病人の看護、
貧者の救済に貢献しました。

1291年イスラムに敗れると、
聖地を離れ、
ギリシャのキプロス、ロードス島に移って活躍しましたが、
ここも追われ、
各地を転々としたあと、
1530年マルタ島に本拠地が置かれることになりました。
以来マルタ島は聖ヨハネ騎士団の島となったのです。

マルタ十字は聖ヨハネ騎士団の象徴とされます。
8つの角は騎士道における美徳を表しているそうです。
*忠誠心 *敬虔 *率直 *勇敢 *名誉
*死を恐れない *弱者の庇護 *教会への敬意

ということから、
このマルタ十字はマルタの象徴となり、
島中のあちこちで見かけますし、
2ユーロ銀貨の裏にもこの十字が使われています。


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正面が主祭壇です。
祭壇画は「キリストの洗礼」です。
ヨルダン河でキリストに洗礼を与えたのは聖ヨハネです。


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大聖堂の中には8つの礼拝堂があります。(写真はその一つ)
これは聖ヨハネ騎士団を形成する騎士たちの言語が8種類あったことによります。
それらは、
プロヴァンス、オーベルニュ、フランス、イタリア、
アラゴン、イングランド、ドイツ、ポルトガルとカスティーリャ
の8言語だそうです。


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前回の最後の写真でこの大聖堂の外観をチラとお見せしましたが、
シンプルというか質素というか、
豪華さはありませんでした。
それが、
中に入ると金ぴかで、
豪華・壮麗です。
騎士は裕福だったのです。


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騎士たちが何故裕福だったのか?
何者だったのか?

騎士団員はヨーロッパの貴族たちの次男坊以下の息子たちだったのです。
長男は領地を相続しますが、
次男以下の子弟が騎士団に参加しました。
金のかかる騎士の装備、
また幼少からの騎士としての鍛錬は、
経済的に恵まれていなければ不可能なことでした。

騎士団の規律は厳しく、
結婚は認められませんでした。
またイスラム教徒に対しては武器をとって徹底抗戦することが義務づけられ、
指令があるまで戦い続けることが掟とされていました。
騎士団に8個のグループがあったことは上で説明しました。


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床には沢山の区画があって、
美しく飾られています。
騎士たちの墓です。
参拝者が踏んでしまいますが、
それは構わないのだそうです。


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壁面を埋めている文様です。
マルタ十字以外の紋にも由緒があるのでしょう。


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見学が終わったら集合するようにいわれた中庭に、
こんな塔がありました。
髑髏が彫られていて・・・
どういう意味を持つのか分かりません。


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これからバスに乗ってタルシーン神殿へ向かいます。
前景も背景も石垣で、
妙な感じですがアーモンドの花です。
バスで移動していると、
あちこちで見かけ、
サクラが咲いているみたいに見えたのですが、
始めて撮った1枚です。


◎  ヴァレッタの街 

「青の洞門」からヴァレッタの街に向かいました。
ヴァレッタはマルタ共和国の首都です。


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ヴァレッタへ向かうバスの中からの写真です。
飛行機の窓から見下ろしたマルタの第一印象を説明したいので、
この写真を掲載します。
飛行機からとバスの座席からとでは、
高さの差が歴然ですから、
分かりにくでしょうが、
ご容赦願います。

背の低い石垣が見えます。
畑なのでしょうが、
ある面積の土地が石垣で区切られていて、
その中が単なる土色だったり、
緑の草が生えていたり、
さらに黄色い花が咲いていたりして、
上空から見ると、
畝で区切られた田んぼのようで、
日本の風景に似ているように思いました。
整然と区画整理された田んぼではなくて、
千枚田のような不定形な区画ですが、
日本の農村の春の情景に似ているようでした。

地上で見ると田の畝よりもずっと高い石垣です。
ガイドブックには「アラブ様式の囲い込み農場」と書いてありました。
この石垣も城壁も建物も、
みんなこの島を形成している石灰岩で造られています。
薄いベージュ色をしていて、
ハニー・ストン(蜂蜜色の石)と呼ばれているそうです。
この石は、
掘り出したときは軟らかくて加工し易く、
日に当たっているうちに固くなるという便利な性質があるそうです。


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さて、ヴァレッタに到着です。
トリトンの噴水があって、
ここからメインストリート、リパブリック通りが始まります。


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ヴァレッタの街はお祭り(カーニバル)の真っ最中で、
すごい人出です。
今回のツアーの主目的はこのカーニバル見物なのですが、
それは翌日の予定になっていて、
今日は市内の聖ヨハネ大聖堂の見学です。
人混みをかき分けて進みます。


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子供たちは工夫をこらした衣装を着せてもらって、
お出かけです。


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男の子も立派な姿をしています。


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あまり広くない通りですが、
ぎっしりと人で埋まっています。

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進んでいくと、
ようやく人がまばらになってきました。
両親は普段着で、
子供たちだけ変装(?)しています。


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3人のお嬢さんを見つけたのでパチリ。
最近は他人を撮ることにためらいを感じて、
カメラを向けませんでしたが、
久しぶりに撮りまくりました。


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坊やも今日は立派なひげをつけて威風堂々です。


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ようやく聖ヨハネ大聖堂に到着です。
「ここです」といわれて見ると、
目の前で、
全景が撮れませんでした。


◎  青の洞門(2) 

真っ青な海の色をもっと見せたくて、
写真を追加しておきます。

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9時にホテルを出発して、
9時半頃から10時頃迄小さな遊覧船に乗ったのですが、
ガイドブックを見ると、
「エメラルド色からブルーへと輝く海の色は、
午前中の光がより美しい」
と書いてあります。
それで、ガイドさんがこの日の観光順序を変更して、
「アサイチ」で連れて行ってくれたのだと思います。
感謝です。


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「マルタ島も結構寒い所」だと前回書きましたが、
さすがにこの日は温かくて、
コートを脱ぎ、上着を脱ぎ、
身軽になりました。
でも、コートも上着も不要ではありません。
いつ寒い風が吹いてきて必要になるか分からないからです。


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遊覧を終えて陸に上がり、
陸地側を見るとこんな荒涼とした風景です。
とにかく石灰岩で出来た島なのです。
上の方に少し木が見えていて、
白いものがチョコッと見えますが、
観光バスです。


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土に覆われている土地もあります。
そこには緑の草が生え、黄色い花が咲いています。
この島には夏と冬しかないそうですが、
そうはいっても、やっぱり今は春なのでしょう。
黄色は春の花の色です。

今は雨季なのだそうです。
だからこんな晴天に恵まれるのは幸運なのでしょう。
雨期~水分~草と連鎖しています。
10月から3月までが雨季(冬)で、
4月から9月までが乾季(夏)だそうです。
夏になると雨が降らず、
草は枯れて一面が茶色になるそうです。


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緑の中の黄色い花も種類がいろいろあるようです。
ここに載せた他にはナノハナもありました。


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これも黄色の花ですが、
群生というほどには咲いていませんでした。
ここに見えるのは葉の厚い多肉植物ばかりですが、
夏の乾燥に耐えられる砂漠性の植物が多くなるのでしょう。


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ウチワサボテンも乾燥に強いから、
島内に繁茂しているのでしょう。


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バスが待っている駐車場へ戻る途中にみやげ物屋が何軒かありました。
銀細工製品の店やレース編み製品の店などもありました。


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ここに見える記号と文字の説明をします。
赤い十字のような記号は「マルタ十字」といいますが、
その由来については後日説明します。

その下の、
”Maltese Rabbit Stew”
ですが、
”Maltese”は「マルタの」とか「マルタ人」とかで、
”Japan”に対する”Japanese”と同じことです。
”Rabbit”はご存知の通り「ウサギ」です。
”Stew”は「シチュー」つまり「煮込み料理」です。

マルタではウサギは食肉なのです。
だからスーパーにも生肉が売っていました。、
上の絵を見ると、
ウサギの前に野菜があって、
隣には鍋と赤ワインがあります。

妻が気味悪がって拒否するので、
レストランで注文することなく、
したがって食べることなく帰国しました。
食べた人のお話では「軟らかくて美味しかった」とのことです。



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