Photo & Essay

◎  シラン 

今日の花は「シラン」。
「知らん」と茶化されることもある花です。


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シラン(紫蘭) ラン科

名の通り「紫」の「蘭」です。
昨日のゼニアオイも、
その前のクサフジも、
紫色でした。
それで今日は「紫」のことを。



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まずはWikipediaから、
「紫」はもともとムラサキ(紫草)という植物の名前であり、
この植物の根(紫根)を染料にしたことから、
これにより染色された色も「紫」と呼ぶようになった。
この名称自体は、
ムラサキが群生する植物であるため、
『群(むら)』+『咲き』と呼ばれるようになったとされる。
なお、ムラサキの花は白色である。




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ムラサキ(紫草)を歌った歌が万葉集にあります。

あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る

額田王(ヌカダノオオキミ)

あかねさす=紫の枕詞
紫野=ムラサキを栽培している野
標野(シメノ)=一般の立ち入りを禁じた野
野守(ノモリ)=標野の番人
袖振る=愛情の表現

【歌の意味】
(あかねさす)紫野を行き、標野を行って、
野守が見ているではありませんか、あなたが袖をふっているのを。
(人妻に対して、いけないことですよ)


紫のにほへる妹をにくくあらば
人妻ゆゑに我恋めやも

大海人皇子(オオアマノオウジ)

紫の=紫のように
にほへる=色美しい(にほふ=赤色が発散する意)

【歌の意味】
紫草のように、におうあなたを、憎いと思うなら、
人妻だと知っていながら、恋い慕うものでしょうか。


天智天皇が弟の大海人皇子始め群臣を従えて蒲生野で狩りをしました。
その時の宴会で額田王がまず大海人皇子に歌いかけました。
多分、宴会で大海人皇子が袖を振って踊ったのを茶化したのでしょう。

これに応じて大海人皇子が返歌を詠みました。
実は、額田王は最初、大海人皇子の妻だったのに、
その頃は天智天皇のものとなっていたのです。
そんな経緯を考えれば、
現在の夫、天智天皇の前でこんな歌のやり取りをするなんて~
と思われますが、
座興に過ぎなかったといわれます。
何故ならこの時、
額田王はすでにアラフォーだったから、
「紫のにほへる」はだれが聞いてもお世辞でしかなかったと・・・

現代のアラフォーなら十分に匂っている年代ですが、
当時のアラフォーは本当に色気が抜けていたのでしょうか?
額田王は万葉歌人として名高い才女でしたから、
まだまだ美しかったのでは???



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天智天皇が崩御すると、
(上記の「狩り」から3年後です)
息子、大友皇子が後を継いで弘文天皇となりますが、
大海人皇子は兵を起こして(壬申の乱)それを倒し、
天武天皇となります。

天武天皇が崩御してから1ヶ月もしない内に、
息子の大津皇子は讒訴されて死刑となり、
二上山に葬られたことは先日の奈良紀行に書きました。

天智系と天武系の骨肉の争いは、
額田王を廻る3角関係が原因であるとか、ないとか・・・
面白いですね。


◎  ゼニアオイ 

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ゼニアオイ(銭葵) アオイ科

小さな花ですが密集して咲くし、
色も鮮やかだから目立ちます。

ヨーロッパ原産で、
日本には元禄時代に渡来したそうです。



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名前の由来を調べました。
花の大きさが「一文銭」ぐらいだったので「銭」の名がついたとのこと。
「一文銭」は江戸時代のお金で「寛永通宝」があります。

「元禄時代」は1688~1703年。
「寛永通宝」は寛永13年(1636年)に創鋳されましたから、
元禄時代には流通していたはですず。



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「寛永通宝」の大きさは?
「一文銭(寛永通宝)」の直径(24mm)を単位として、
足袋や靴の大きさを表し、
尺貫法の廃止(=メートル法の施行、1959年)まで使われていました。

スクリーンショット(2012-05-30-14.09

1文が24mm、10文が24cmで、
ぴったり合いますが、
他のサイズは少し修正されているようです。

子どもの頃「バカの大足、13文」とかいったような気がしますが、
プロレスのジャイアント馬場の16文は誇張でしょう。



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ゼニアオイの花びらにてんとう虫が来ていました。
天道虫(てんとうむし/てんとむし)は夏の季語です。

てんとむし翔びたちたくはないような   あたぎ和

てんと虫お前もやはり銭が好き   capucino


◎  白い花 

おや、咲き始めたのかと、
撮ってきた白い花2種類です。


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ホウズキ ナス科

撮るのに困る花です。
俯いていて、
顔を見せたがりません。
これでもカメラをずいぶんと下げています。



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さもありなんと、
準備していったレフコンバーターをファインダーに取り付けて、
出来る限り下から覗き込みました。

こういう花を撮っていると、
妙な気持ちになります。
ふと、気が付くと、
手錠をもった警官が後に立っていて・・・
「迷惑防止条例違反により逮捕する」といわれそうな、
そんな気がします。。。



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ドクダミ ドクダミ科

そこへくると、この花は、
あっけらかんと上を向いて咲いています。
何と撮り易いことか。。。



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ドクダミは薬草で、
何にでも効くという意味でしょうか、
十薬とも呼ばれます。
ちょうど午後の日が射していました。

午後の日に十薬花を向けにけり   立子


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ジャガイモの花の記事に、
前日の新聞の記事を引用しましたが、
あまりにも直近過ぎる引用で、
その記事を読んだばかりの方もおられたことと思い、
反省しております。

今日はそうした心配のない記事を引用します。
家の中を整理していたら、
長年しまいっぱなしの物を包んでおいた古新聞が2枚出てきました。
昭和57年9月21日(1982年)、
30年前の朝日新聞です。

茶色く変色したその新聞紙を一見して
感じるのは活字が小さい!
あの頃に比べると現在の新聞は文字が大きくなりました。

広告の多いページなのですが、
NIKON が ”F3” の大きな広告を出しています。

マンションの広告があります。
その1つはわが家から歩いて20分ほどの所に現存しますが、
案内の地図を見ると、
現在ならば最寄り駅は西武新宿線の航空公園駅なのに、
その駅が載っていない!
(まだ存在していなかった!)

取り立てて面白い記事もないのですが、
折角見つけた古新聞ですから、
【文化】欄から記事を1つ紹介します。

「米国教科書の中の漱石の俳句」◆佐藤和夫(早稲田大学教授)

社会科教科書の内容が今問題になっているが、
以下はアメリカの小学校の国語(英語)教科書の話-----

主として5年生用の教科書には、
日本の俳句がたくさん英語に翻訳されて出ている。
3行になっており、
各行が英語の5・7・5音節である。
英語の音節のきまりを教えるためとやさしい詩を書かせるために、
1960年代からHAIKUを小学生につくらせることがアメリカで流行し、
それがいまつづいている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
もちろん芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」や
一茶の「やれ打つな蝿が手をする足をする」もある。

私は十種類の小学校読本を調べてみたが、
なかで意外に評判がいいのは漱石の句である。
「無人島の天子ならば凉しかろ」
「木枯らしの今や吹くとも散る葉なし」
が出ている。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・

1句目はわりとよく知られているようですが、
後の句は今ではほとんど忘れられているそうです。
それがこんな風(5・7・5音節)に英訳がされています。
Over the wintry
forests, winds howl in a rage
with no leaves to blow
(冬の森の上を
風が怒ってほえてゆく
吹きとばす葉もないのに)



30年前の話です。
現在のアメリカでは、
そして日本では、
俳句はどんな風に、
教科書に取り入れられているのでしょう?


◎   クサフジ 

植え付ける作物の関係でしょうか、
まだ耕してない1反ほどの広さの畑があり、
一面にクサフジが生えていました。


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クサフジ マメ科

長い蔓を伸ばして広がって咲いています。



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実は別の畑に沢山咲いているのを見つけておいたので、
そこのクサフジを撮りに行ったら、
もう耕されて畝が作られていました。
「遅かった!」と思いましたが、
その近くに未だ耕してない畑がありました。

マメ科の草ですから、
レンゲなどと同じく、
生えさせておいて鋤き込むと、
よい肥料になるのかも知れません。



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花穂は立上がっています。
花言葉は「私を支えて」だそうですが、
か細いながらも他の植物に巻き付いたりすることなく、
自立しています。

フジは棚から下がって咲きます。
春日大社の紋所が「下がり藤」だと聞きましたが、
それでは、
このクサフジは「昇り藤」でしょうか?
いいえ、
「昇り藤」は「ルピナス」のことです。
ということで、
「クサフジ」は「草藤」です。



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これは先日奈良へ行ったとき、
法隆寺駅からの道路脇の空き地(畑地?)に咲いていました。
雨の中で、
とても色がきれいだったので撮りました。


◎  ジャガイモの花 

家を出てチョッと歩くと畑が広がっています。
今はジャガイモの花が盛りです。


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ジャガイモ ナス科

南米アンデス山脈の高地が原産といわれる。
16世紀、スペイン人によりヨーロッパにもたらされた。
日本には、
1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ港より運ばれた。
当時は、観賞用として栽培されたという。

(Wikipediaより)

インドネシアの首都ジャカルタは
当時ジャガタラと呼ばれていましたので、
ジャガタラから渡来したイモはジャガイモと呼ばれました。



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昨日の朝日新聞に『長崎物語』のことが出ていましたので、
要点を紹介します。

♪赤い花なら 曼珠沙華
阿蘭陀屋敷に 雨が降る
濡れて泣いてる じゃがたらお春
未練な出船の
ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る♪


江戸幕府の鎖国令に基づき、
オランダ人ら外国人と日本人との間に生まれた子どもは
国外に追放された。
オランダ商館が築造された年(1639年)、
平戸や長崎にいた子どもと家族32人が、
ジャカルタ向けの船に乗せられ平戸を出航した。

その中に父がイタリア人、
母が日本人の15歳の少女お春がいた。
母や姉らとともに追放された彼女は3年後、
長崎の知人宛に手紙を書いた。
3000字あまりの長い手紙は、
「あら日本恋しや、
ゆかしや、
ゆかしや、
見たや。
じゃがたらお春より」
で終わる。
彼女はここから「じゃがたらお春」と呼ばれた。
その身になって作られた歌が『長崎物語』だ。



ジャガイモが日本にもたらされてから約40年後に、
じゃがたらお春は日本を追放されたわけです。


お春は同じ理由で日本を追放されたシモンセンと結婚して3男4女を産んだ。
シモンセンはオランダ東インド会社に勤めて税関長に出世し、
独立して貿易商人となった。
お春はバタビア中心街に住み、
大勢の奴隷を使って裕福に暮らした。
シモンセンの死後は貿易商を継ぎ、
72歳まで生きた。


とのことですから、
不幸な生涯を送ったわけではなさそうで、
ホッとしました。


◎  スイカズラ 

季節が進んで、
いろんな花が咲いています。
スイカズラもそのひとつです。
先日から「咲いているな。その内撮ろう」と思いながら、
「奈良紀行」に夢中で、
写真を撮ってありませんでした。

今日は、スイカズラなど、
何種類か撮ってきましたので、
掲載して行きます。


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スイカズラ/忍冬(にんどう) スイカズラ科

2個ずつ並んで咲き、
始めは白または淡紅色で、
のちに黄色に変わります。

白と黄と並ぶので金銀花とも呼ばれます。



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忍冬(にんどう/すいかずら)は夏の季語。

蚊の声す忍冬の花散るたびに   蕪村

忍冬の花が咲いて、
散るころは、
蚊の季節なのですね。

都会住まいでもないのに、
蚊の被害にはとんと遭っていません。
網戸が効果を発揮しているのかと思っていましたが、
そうでもないようです。

昨年の夏の終わりから団地の大修繕工事が行われました。
かなり早い時期から「網戸は取り外して下さい」との指示があり、
折からの「節電」もありますから、
クーラーはなるべく控えたいのですが、
網戸なしで窓を開けたら、
蚊が入ってきて大変だろうと心配でした。

昔使った素焼きの豚はありますので、
蚊取り線香だけ用意して・・・と、
準備したのですが、
蚊で悩むことはありませんでした。

30何年前、ここへ引っ越してきたとき、
荷物の中には蚊帳があったように思いますが、
使った記憶はありません。
蚊帳は過去の遺物となりました。

蚊の入りし声一筋や蚊帳の中   虚子

子供の頃、
蚊帳を吊って寝るのですが、
出入りに気を付けないと、
蚊帳の中に蚊が1匹入ってしまい、
「ブーン」と声を立てて飛び回るので、
大騒ぎしたものです。

忍冬から蚊の話になってしまいました。


◎  白いアヤメ 

このところ
ずーっと悩んでいました。
この花は、アヤメ? カキツバタ?

netで調べると、
アヤメ、カキツバタ、ハナショウブの見分け方が書いてあります。
でも・・・難しいです。

今日になって「白いアヤメ」を検索したら、
同様の花の写真が沢山出てきたので、
一応の結論として、
「白いアヤメ」という題名に決めました。


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5/8、平等院からの帰り、
宇治駅前で撮りました。

出発前にnetで調べたら、
「法華寺や依水園ではカキツバタが見頃」
とありましたので、
なんとなく「カキツバタ?」という思いがありました。

リュックを担いだおじさんが、
「これは何ですか?」と聞いてきました。
「カキツバタかな、と思っているのですが・・・分かりません」
「いや、あなたのいう通りかもしれない」
とそのおじさんはいいました。

彼は「今、宇治川を見てきました。
川が流れていました。
淀川は淀んでいて、
流れません。
流れている川はいいですね。
私は大阪から来ました。
これから帰ります」

わたしが「これから奈良へ行きます」
というと、
「お二人で、奈良に泊まりですか?
いいですね~」

これで別れました。




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私も駅へ戻る途中で、
宇治橋の袂から宇治川の流れを見てきました。
白波を立てて流れていました。

淀んでいるから「淀川」?
大阪はあまり行かないから淀川の流れ具合は知りません。

Wikipediaによれば、
淀川は、
琵琶湖から流れ出る唯一の河川。
琵琶湖を出たときは瀬田川と呼ばれ、
京都府に入る辺りで宇治川と名を変え、
さらに京都府と大阪府の境界付近で桂川・木津川と合流する。
この合流地点より下流が狭義での淀川となって、
大阪湾に流れ込む。


宇治川と淀川は同じ川。
(千曲川と信濃川みたいな関係)
上流では流れが速く、
下流では淀む。
そういうことのようです。

オートラリア西部のパースという街に行ったことがあります。
スワン川という大きな川がありました。
動物園へ行くには、
この川を水上バスで渡ります。
この川も淀んでいました。
川幅が広いので湖のように見えました。



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宇治川を撮る前に行ってきた平等院の鳳凰堂です。
2羽の鳳凰。



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池に映った屋根と鳳凰。


◎  柿と竹 

奈良で撮って、
載せないでしまった写真です。

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柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

この句は先日載せました。
法隆寺の近辺にも柿農家はあるのでしょうが、
山辺の道を歩いていると柿林に出会います。

こんな風に背を低く仕立てて、
採果し易くしています。



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柿の葉。
もう柿若葉と呼ぶには色濃くなってしまいました。

柿の葉、奈良、と連想ゲームをすれば、
柿の葉寿司です。
今回も食べました。
広げてみると大きな葉っぱを使っています。



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京都から奈良へ電車で行く途中、
竹林を多く見かけますので、
奈良は竹の多い所だと思っています。

「竹の秋」は春の季語で、
3、4月ころ、
筍を育てるために葉が黄ばんでくることをいうそうです。
そんな時期は過ぎてしまいましたが、
まだ黄色い葉がついています。



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この写真の方は、
かなり葉が落ちてしまっています。
「竹落葉」は夏の季語です。

ふりかへるときひとしきり竹落葉  西山誠


◎  山辺の道(2) 

昨日の記事の桧原神社から暫く山道を歩きました。

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これが大神神社かと思ったら、
摂社の「狭井神社」です。



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狭井神社の池です。
赤い橋が幻想的な影を落としていました。



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間もなく、大神神社に到着。
さすがに大きな神社です。
境内の立て札から説明を引用します。

大和国一ノ宮、三輪大明神:大神神社(オオミワジンジャ)
御祭神:大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)

大物主大神は、
世に大国主神(大国様)の御名で知られる国土開拓の神で、
農工商業等あらゆる産業を開発し、
方除・治病・造酒・製茶・交通・縁結び・開運等、
世の中の幸福を増進することを計られた人間生活万般の守護神であります。

後に神様の思召しによりその御魂(幸魂・奇魂)を三輪山に永くお留めになり、
それ以来、
秀麗な三輪山をご神体と崇めて、
本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、
お山を拝するという原初の神祀りを今に伝えている我が国最古の神社であります。

この三輪の地は古く大和の文化発祥の地であり、
当時の主要道路である山の辺の道の陸路、
日本最古の市場である
海石榴市(ツバイチ)を終点とする初瀬川の水路より殷賑を極め、
国家黎明期の政治・経済・文化の中心地でありました。

その後も、
当社に対する朝野の尊崇は殊に篤く、
中古よりは大和一宮となり、
明神大社22社の一つに列せられ、
大神の神光はあまねく国内に広がりました。


かつて宗教学者山折哲雄先生の講話を聞いたことがあります。
日本は古来、
形のよい山、巨樹、巨岩など、
なんでもを神として崇めてきた多神教の国です。
緑の多い豊かな自然がそうさせたのだと先生はいいます。
(私は行ったことがありませんが)
それがユダヤ教発祥の地に行ってみると、
荒涼としていて、
一神教しかあり得ないと思えるそうです。



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平等寺。
元は大神神社の神宮寺だそうです。



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オステオ・スペルマム キク科

三輪山を過ぎて、
人里に入ってきました。
ある家の前にあった鉢植えの花です。



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大和川です。
説明の立て札がありました。

海石榴市(ツバイチ)

7世紀、この周辺は「海石榴市」と呼ばれ、
大規模な「市(イチ)」があったといわれています。
ここでは山辺の道を始めとするいくつかの古道が交わり、
大和川水運の港もありました。
そのため、
さまざまな物産が集まり、
物々交換が盛んに行われていたようです。




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堤防の上にあった石碑です。
説明板もありました。
下に要約します。

仏教伝来の地

このあたりには、磯城瑞籬宮や海石榴市などの史跡があり、
古代大和朝廷の中心地でした。

この附近は、難波津から大和川を遡行してきた舟運の終着地で、
大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する都の外港として
重要な役割を果たしてきました。

欽明天皇の御代に、
百済の聖明王が釈迦仏金銅像1躯などを贈ってきたときも、
この港に上陸しましたから、
仏教が初めて日本に伝来した記念すべき地であります。




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桜井の街に入ると歩道にこんな標識がはめ込んでありました。



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ゴールの桜井駅です。



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駅を背にして立つとこの看板が見えます。
逆方向から来ましたが、
ここからスタートするのが本来のようです。

桜井駅から奈良駅へ戻り、
ひと休みしてから京都へ。
そして新幹線で東京へ。
乗り物はみんな空いていました。

東京からの電車は通勤の人たちで大混雑!
(出発の朝もそうでした)
遊びに出る老人は、
もっとゆっくりと出発して、
早めに帰宅するのがよいようです。


◎  山辺の道(1) 

奈良3日目の5月10日は晴れの予報となりました。
地図を用意して行った「山辺の道」を歩くことにしました。

Wikipedia によれば、
「山辺の道」は、
奈良盆地の東南にある三輪山のふもとから
東北部の若草山に並んでいる春日山のふもとまで、
盆地の東端を山々の裾を縫うように通っているのが、
山辺の道(やまのべのみち)である。
山辺の道の道程は、
その時々の交通事情により少しずつ変化してきている。
山辺の道の名称は、
『古事記』では、
崇神天皇の条「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にあり」
同じく景行紀には「御陵は山辺の道上にあり」とあり、
これらに由来すると思われる。


長い道ですが、
この内の、
崇神天皇陵、景行天皇稜から三輪山の麓を経て桜井までを歩きました。


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スタートは柳本駅です。
ここから東に歩くと山辺の道に出ます。



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山辺の道に出る前に、
黒塚古墳がありました。
4世紀初頭~前半のものだそうです。
三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面が
出土して有名になったそうです。



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山辺の道に入ってまず見えるのが崇神天皇陵です。
崇神天皇は第10代の天皇で、
在位は紀元前97年から紀元前29年迄だそうです。
(神話の世界ですね)



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崇神天皇稜から1kmほどの所に、
景行天皇稜があります。
第12代天皇で、
在位は西暦71年から130年だそうです。
これまた神話の世界と思われますが、
景行天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父ということになっています。

榊莫山の「莫山歳時記」から引用します。
大和は 国のまほろば たたなづく青垣
山ごもれる 大和し 美し


と、うたったのはヤマトタケルであった。
死をまえにしたタケルの、故郷賛歌である。

大和王権の萌芽は、タケルの父・景行のころから目にみえて、ふくらんだ。
景行は、気の小さい、そして疑いぶかい男であった。
その景行は恋人を、息子のオオウス(大碓)に盗まれた。
カッと頭にきた景行は、
三男のヤマトタケルを呼びつけて「兄のオオウスをこらしめよ」。

とある朝、
タケルは厠で兄をつかまえて、手足をひき裂いて、
菰にくるんで、深い谷底へなげ捨てた。

景行は、タケルの腕っぷしに、恐怖を抱いて、
タケルを遠征の旅に追いだした。
長征といってよい。

タケルは、王権拡大の戦略に、その身を使いはたした。
出雲、尾張、相模、足柄、甲斐、信濃、近江・・・など
野の賊を討ち山のボスを平らげたが、
帰途伊勢の能煩野(のぼの)でへたりこんだ。

「足は、三重にまがり、甚(いと)疲れたり」
と、いって死んでいった。


タケルは死んで白鳥となって西へ飛んだといわれています。



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道の辺に咲いていたヤグルマギク。



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以前に歩いた時よりも、
道路標識が整備されたと思います。
それなのに、
この辺りで道を間違いました。

山の辺でなくて街の辺の道を歩いてしまいました。
出会った老人(といっても私より若そうでしたが)に、
「これは山辺の道ですか?」と聞いたら、
「違います」といわれ、
親切に、詳しく教えてくれましたので、
山辺の道に戻ることができました。



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三輪山に入って行きます。
これは北山杉の育て方です。



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三輪山をご神体とする大神(おおみおわ)神社が、
大和一の宮ですが、
その摂社である桧原神社です。
遠足の小学生たちがお昼を食べていました。



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桧原神社です。
鳥居が三つ並んでいます。
ご神体は三輪山ですから本殿はありません。



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神社を背にして眺めると、
フタコブラクダみたいな二上山が見えます。

この山に大津皇子の墓があるそうです。
大津皇子は天武天皇の子で、
父天皇が崩御して1ヶ月も経たないうちに、
「謀反の意あり」と密告されて、
死を賜ったのだそうです。
西暦686年のことで、
これはもう神話でありません。


◎  浄瑠璃寺 

法隆寺の門前で昼食をとって、
JR で奈良駅に戻りました。
さて、これからどこへ行こうか?

実はホテルがバス券をサービスしてくれました。
決められた範囲内ならば1日乗り放題です。
残念ながら法隆寺は圏外でしたから、
未使用です。

チケットは、
自分で買ったわけでありませんが、
¥700と値段が書いてあります。
乗車範囲で一番遠いのは浄瑠璃寺です。
ここなら元が取れそうです。
バスの本数は少ないようですが、
念のため、駅前のバス停に行って時刻を調べました。

なんと、5分後に発車するバスがあります。
その1時間後もあります。
多分往復しているのでしょうから、
向うに1時間滞在すれば、
次のバスで戻ってこれます。

ということで浄瑠璃寺へ行くことにしました。


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遠い寺でした。
バス料金は片道¥570。
バス停から少し歩くと山門がありました。



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山門を入って左(東)に三重塔(国宝)があります。
ここには薬師如来が祀ってあり、
薬師如来は東方浄土(浄瑠璃浄土)の教主です。
この寺の創建時の本尊が薬師如来だったことから、
寺名が浄瑠璃寺となったそうです。



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朱塗りの塔とモミジの新緑が似合います。



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池を挟んで西側に本堂(国宝)があります。
本堂には9体の阿弥陀如来像(国宝)が安置されています。
阿弥陀如来は西方浄土(極楽浄土)の教主です。

この写真を撮っているのは三重塔前ですが、
こちらが此岸で、
煩悩や迷いに満ちた現世です。
池の向うは彼岸で、
悟りの境地です。

宇治の平等院も池の西側に鳳凰堂があります。
もっといえば、
宇治川の東岸から、
川を挟んだ彼岸になっているのです。

平等院の阿弥陀如来像は仏師・定朝の作ですが、
この寺の仏像も定朝様式で、
よく似ています。



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池にカキツバタが咲いていました。



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本堂だけが有料で、¥300です。
(お金のことばかり書いて恐縮です)

靴を脱いで、
本堂の裏手の濡れ縁を歩いて、
この先を左に折れて、
南側から本堂に入ります。

内部は撮影禁止です。
9体の阿弥陀如来の他に、
秘仏・吉祥天女像(重文)があり、
この時期は開帳されていて、
拝むことができました。



7IMGP9749.jpg

時間がありますから、
ゆっくり拝観してバス停に戻りました。
バス停近くにはお土産屋さんが並んでいます。
吉祥天女像がありました。
(本物とあまり似ていないと思います)



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バス停近くのツツジが見事でした。

奈良駅に無事戻って2日目は終わりです。


◎  中宮寺 

お金の話で恐縮ですが、
法隆寺の拝観料は¥1000です。
これで西院伽藍と東院伽藍が拝観できます。
(西院の中の大宝蔵殿の「法隆寺秘宝展」は別に¥500)

東院伽藍の隣に中宮寺がありますが、
これは別寺で¥500です。



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夢殿を出ると、
通路の北側に門があって、
塀越しの緑とお堂が見事でした。
太子堂です。

この塀に沿って右へ行くと中宮寺があります。
中宮寺の本堂は鉄筋コンクリートで、
立派でも、見事でもありません。



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中宮寺側から見た東院伽藍の緑です。

聖徳太子の宮居、斑鳩宮、
つまり現在の東院伽藍を中心として、
西に僧寺である法隆寺、
東に尼寺である中宮寺が建てられたそうですが、
こちらは、その後衰退して、
小さな寺になっています。



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境内に咲いていた白い花。



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白い花の隣に咲いていた松の花。



5菩薩半跏像

この寺を有名にしている仏像、
本尊の菩薩半跏像(国宝)です。
(堂内は撮影禁止ですからパンフレットの写真です)



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上の仏像を詠んだ会津八一の歌があります。
境内の歌碑は最近になって建てられたようです。

みほとけ の あご と ひぢ と に あまでら の
あさ の ひかり の ともしき ろ かも

(み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも)

歌の意味は、
(「ともしきろかも」の意味が分かりにくいですが)

み仏の顎と肘のあたりに射し込んでいる尼寺の朝の光はかそけく
心惹かれてしまいます。


という意味だそうです。

拝観したのが昼頃でしたから、
尼寺の真昼の光が、
み仏の額と胸に当っていました。
上の写真と同じです。
朝の光はもっと下から射していたのだと思います。



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拝観を終えて、
塀の外を歩きました。
民家の庭に咲いていたテッセンです。


◎  夢殿 

昨日の記事で拝観したのは法隆寺の中で、
西院伽藍と呼ばれる中心区域です。
有名な夢殿は東院伽藍にあります。


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(東院伽藍に行く前ですが)
西院の中に鏡池という小さな池があります。



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鏡池のほとりに石碑が立っていました。

法隆寺の茶店に憩ひて

と前書きがあって、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

有名な句が書いてありました。

今から20年近くも前、
桜のころ、
ここ法隆寺を訪れたことがあります。
今回は行かなかった西圓堂の方に行って、
たしか小高くなっていたと思いますが、
そこから西院伽藍を眺めながら、
おにぎりを食べました。

桜がはらはらと散る中、
おにぎりを食べていると、
鐘が鳴りました。
そこで1句・・・・・
できませんでした。。。



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いよいよ夢殿に向かいます。
長い塀が続きます。



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塀際のモミジの若葉がきれいです。



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モミジには実もついています。



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東院伽藍の西側の四脚門です。
修学旅行の子供たちが出て来ました。



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中に入ると女子高生が長い列を作って、
救世観音像拝観の順番待ちをしています。
寺の職員が、
「今混んでいますから、写真でも撮って、待って下さい」
というので夢殿の象徴(と思うのですが)である屋根の宝珠を撮りました。



7夢殿

狭い境内に人が溢れていて、
夢殿全体を撮る気がしませんでしたので、
パンフレットの写真を載せておきます。

聖徳太子を等身で表したといわれる救世観音(くせかんのん)は、
秘仏となっていて、
普段拝むことはできませんが、
この時期だけ小窓から拝観できます。

夢殿(奈良時代)も救世観音像(飛鳥時代)も、
もちろん国宝です。


【夢殿(ゆめどの)】こんなすてきな名前がどうして付いたのか、
調べてみました。

法隆寺東院の中心にある堂。
東院伽藍は聖徳太子の斑鳩宮(いかるがのみや)のあった所で,
太子一族滅亡の後荒廃していたのを,
738年(天平10)ころ行信が造営した。
夢殿の名は,
斑鳩宮に同名の建物があり,
聖徳太子が時々その中にこもり政事や仏教に思いをめぐらせたが,
そのとき金人(仏像)が現れて妙義を告げたという伝説にもとづく。
太子等身と伝える救世(ぐぜ)観音を祀る。
夢殿は八角円堂で,
この形式は現存遺構は少ないが鎮魂の堂の役割をもつ例が多い。・・・


参拝すれば、
よい夢が見られそうな
気がします。


◎  法隆寺 

奈良の2日目(5/9)はどこへ行くか?
心づもりとしては「山辺の道」をぶらぶら歩く、
というのがありました。

前夜からテレビの天気予報とにらめっこです。
地デジになって便利なのが「dデータ」。
奈良地方の天気予報がいつでも見れるから、
とても便利ですが、
予報をどこまで信用するか?
関東地方を襲った竜巻の記憶が生々しくて、
予報もそれに引きずられて大げさになっているような気がします。

朝食後、窓の外には日が射してきました。
意外とよい天気になるのかも・・・
という気もしますが、
「奈良地方に雷注意報が出ています」
というコメントも気掛かりです。

結論として、
外歩きはやめて、
大きな寺に行こうと決め、
救世観音がご開帳だという法隆寺にしました。


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電車に乗ると雨になりました。
やっぱりお寺に決めてよかったようです。

金魚の産地、郡山を通過しました。
大きな養殖池に雨が波紋を描いていました。

法隆寺駅からは、小雨の中を歩きました。
古寺への道ですが、
こんなすてきなケーキ屋さんがありました。



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法隆寺参道の杉並木です。
松が沢山生えているのは海岸、
という幼児体験がありましたので、
法隆寺へ初めて来たときは、
海辺に来たのかと錯覚しました。



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松並木を抜けると南大門(国宝)です。
室町時代(1438年)に再建されたそうです。



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南大門を入って、
中門迄の間にあった西園院の前庭のツツジです。



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中門(国宝)です。
この門と左右に連なる廻廊、
そして下の写真の金剛力士像は飛鳥時代のものです。



6金剛力士像

中門の左右を守る金剛力士像(国宝)。
塑像で、
右が「阿」像、
左が「吽」像です。
地方の寺のお手本になっているようで、
これとよく似た仁王像を見ることがあります。



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境内に入って、
背後から撮影した金堂と五重塔です。
どちらも飛鳥時代の建築で国宝。
五重塔の技術が東京スカイツリーの建設に生かされているそうですから、
古代の技術はすごいと思います。



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金堂、五重塔の奥にある大講堂です。
これは平安時代の再建で国宝。

この日は、
一般の観光客もいましたが、
さほど多くはなくて、
修学旅行の(学生ではなくて)児童が目立ちました。

法隆寺には国宝が山のようにあります。
金堂、五重塔、大講堂、大宝蔵院、百済観音堂内の仏像など、
さらに大宝蔵殿の「秘宝展」を拝観しました。

これらを見終えた頃には雨が上がり、
日が射してきました。


◎  東大寺~猿沢の池 

春日大社からぶらぶら歩いて
東大寺に着いたのは5時過ぎでした。


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この時間では拝観終了ですが、
南大門の辺りには修学旅行の学生が沢山いました。



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ちょとだけ角が生え始めた鹿を入れて、
笑顔で「V サイン」です。
カメラマンは先生のようでした。



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東大寺は中門の扉が閉じられていて、
大仏殿を外から見ることもできません。
左に曲がって、
戒壇堂の方に向かいました。

戒壇堂を背にして街の方へ歩きます。
この辺りのお屋敷は塀が巡っていて中が見えません。
蔦と新緑が美しいので・・・



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振り返って見た戒壇堂です。
ここの四天王像(国宝)は大好きですが、
今日は遅いので、
入れません。



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国の名勝に指定されている依水園も門が閉じられていましたが、
隙間からちょっと撮らせて頂きました。



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興福寺は素通りして、
猿沢の池に来ました。

写真で見るとどうということもない風景ですが、
この池越しに興福寺の五重塔を眺めると、
「奈良へ来た」という気がします。
何故かと問われても、
自分の深層心理は自身でも分かっていません。



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街へ戻ります。
池のすぐ近くのお土産屋さんです。
多分、
つい先刻迄修学旅行の学生で込み合っていたのでしょうが、
もうひっそりとしています。
店の人たち同士で雑談したり、
店じまいしてシャッターをおろしたり~
「戦い済んで日が暮れて・・・」の印象でした。


◎  春日大社 

万葉植物園を出て春日大社に向かいます。
参道の坂道がゆるいけれども長く感じました。
好天で気温も上がったので、
汗をかきながら昇りました。


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本殿脇の藤も、
net で調べた通り見頃でした。
ここで咲いているのに、
何故平等院では咲かないのか?
再度疑問が頭をよぎります。

春日大社は藤原氏の氏寺であり、
社紋は「下り藤」だそうで、
この神社にとって藤は大切な花です。



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ここに咲いているのは「砂ずりの藤」と呼ばれています。
「砂ずり」とは花房が長く垂れることをいうのだと思いますが、
とても地面には届きそうもありません。
咲くには咲いたものの、
例年より房が短いようです。



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モミジの新緑は美しいです。



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灯籠が連なっています。



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社殿を降りて東大寺に向かいました。
子鹿です。
ニュースで、
今がお産の時期だといっていましたから、
これは昨年生まれの子鹿です。



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毛が抜けていて、
角もとれていて、
あまり美しくありませんが、
食欲は旺盛で、
休みなく草を食べていました。


◎  万葉植物園 

宇治でお昼を食べて、
「快速」に乗って奈良へ向かいました。

宇治平等院の藤が空振りだったので、
なんとか藤を見ようと、
春日大社に隣接する万葉植物園に行きました。


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ここでは、
ちゃんと咲いていました。
宇治からたいして離れているわけでもないのに、
何故なのでしょう?



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八重黒竜。
豪華な八重の藤です。



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気のせいか房の長さがちょっと短いような気もしますが、
十分に鑑賞できます。
よい香りが漂っていました。



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藤棚の下に流れがあって、
錦鯉が悠然と泳いでいました。



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万葉植物園には、
万葉集に出てくる花々が植えてあります。
これは大根。



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先日「ハナダイコン」の写真を載せて、
「食べるダイコンとは別の花です」
と説明しましたが、
これが「食べる」方の「ダイコンの花」です。


◎  宇治平等院(2) 

平等院に藤の花はありませんでしたが、
折角入ったのですから、
ひと回りしました。

鳳凰堂を池越しに見た後は、
鳳翔館(宝物館)に入りました。
修学旅行の中学生と一緒になりました。
男子生徒 A と B の会話です。

A「これ、何の鳥や?」
B「これが鳳凰や。鳳凰堂の屋根に乗っとたやろ」
A「ほな、何でここにおるんや?」
B「?」

実は鳳翔館のガラスケースに入れられているのが本物(国宝)で、
屋根の上に載っているのは複製だそうです。


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鳳翔館を出て、
鳳凰堂の裏手から撮りました。



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藤は咲いていませんが、
モミジの若葉がきれいでした。
赤い実が上向きに付いていましたから目立ちます。



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養林庵書院の中にある大木です。
赤い実がついています。
かなり以前にツアーで来たときもこの赤い実がついていて、
添乗員に木の名前を教えてもらったと思うのですが、
思い出せません。



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赤い実です。



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浄土院の外の塀です。



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最勝院で撮りました。
本物の花は見れないので、
透かし彫りの藤です。

養林庵書院、浄土院、最勝院は平等院の塔頭です。


◎  宇治平等院(1) 

5月8日~10日、
奈良へ行ってきました。
いつものように、
きちんとした計画のない旅です。

新幹線で京都に着いたのはお昼ちょっと前で、
奈良行きのホームに行ったら、
発車1分前の電車が待っていましたので、
飛び乗りました。

京都から奈良へは JR と近鉄と
2種類の路線があり、
到着する JR 奈良駅と近鉄奈良駅は離れていますので、
泊まるホテルの位置によって、
どちらにするか決めています。
今回は JR にしました。

近鉄の場合は「特急」、
JR の場合は「快速」に乗るのですが、
慌てて乗ったら「各停」でした。

「宇治で快速に乗り換えできます」
と車内放送がありましたので、
宇治で一旦降りることにしました。

出かける前にnetで調べたら、
奈良の春日大社の藤が見頃とのことでした。
それなら宇治の平等院の藤も同じことだろうから、
それを見てから奈良へ行くことにしようと、
「快速」に乗り換えず、
途中下車してしまいました。


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平等院に向かって歩いて行くと、
老舗のお茶屋さんがあります。
新茶の時期です。



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参道入り口の店先きに藤が咲いていました。
平等院も見頃かな?
と思わせてくれました。



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参道にも宇治茶を売る店が並んでいます。
あんまり人通りはありません。



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平等院に到着です。
拝観料600円を払って入りましたが、
藤は何にも咲いていません。

「終わったのですか?」
と聞いてみたら、
「終わったというより、咲かなかったのです」
との答えでした。
がっかりして藤の蔓を撮りました。



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鳳凰堂です。
こうして見ると静かなようですが、
カメラを持って立っている、
その左右と後には修学旅行の学生が沢山いました。
ちょうどシーズンです。



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鳳凰堂のまん中に阿弥陀如来のお顔が見えました。
望遠で撮って、
トリミングして拡大しました。

続きは次回に。


◎  若葉 

雨の多かったGW、
締めくくりは突風・竜巻でした。

5日、こどもの日が立夏でした。
例年は6日なのですが、
今年は閏年のため1日ずれました。

花の写真を載せて、
「春の花」にしようか、
「夏の花」だろうか、
これまでは迷いもありましたが、
ためらわず「夏」にします。

今日の題は、
赤い葉の写真があるので、
「青葉」でなくて「若葉」にしました。


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赤も緑もカエデ(いわゆるモミジ)です。



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濃い緑と薄い緑のカエデ。



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上の写真の薄い緑だけを撮りました。



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いつの間にか花が咲いて、
赤い実がなっています。



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柿の若葉です。
これも薄緑できれい!


2ヶ月ばかりの間、
ほとんど休まずに投稿してきましたが、
3~4日休みます。
再開の節は、
よろしくお願いします。


◎  多聞院の牡丹 

4月28日、
牡丹の咲き具合を見に多聞院に行きましたが、
まだ咲き始めでした。
もう2~3日してから行けば見頃だと思っていたのに、
用があったり、
天気が悪かったりで、
5月4日になってようやく行くことができました。


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もう終わりです。
ほとんどが、
こんな姿でした。
散りざまを撮ってきました。

牡丹散ってうちかさなりぬ二三片   蕪村

蕪村が見ている情景は、
落ちた花びらがもっと少ないように思います。

検索で探したら、
ぴったりの句が見つかりました。

くれなゐの牡丹崩るる寺真昼   柿沼盟子



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花が崩れているのは、
盛期を過ぎたこともありますが、
前日の激しい雨の所為もあるようです。
ふたつ並んで、
泣きべそをかいているように見えました。



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こんな風にきれいに咲いている花もあるにはありました。
黒い木の向うを赤っぽく染めているのは、
崩れ落ちた緋牡丹の花びらです。



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この花は、
雨に打たれたからでしょうか、
横からならば、
きれいに見えました。



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この黄色は、
雨風の影響を受けなかったようです。



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竹林の脇に1株だけ咲いていました。
竹の子が1本見えます。


◎  小平薬用植物園の花々 

春たけなわですから、
いろいろと咲いていました。


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アネモネ・オーロラ キンポウゲ科

アネモネはギリシャ語のアネモス(風)が語源で、
「風の花」を意味する。
ギリシャ神話では女神アフロディテと美青年アドニスの恋物語にあらわれ、
アドニスが狩りでイノシシに突き殺されたとき、
その血からアネモネが生じたという。


アフロディテはヴィーナスのことです。
アドニスは数奇な運命を背負って生まれました。
『変身物語』から「ヴィーナスとアドニス」の冒頭部を紹介します。

時の移ろいは人目につかず、
飛ぶようなその速さは、ひとの意表を越える。
歳月より速いものは、ほかにないのだ。
みずからの姉と、
みずからの祖父との間にできたあのアドニスは、
ごく最近まで木の中に隠されていて、
ほんのこの間生まれたばかりだ。
世にも美しい幼子だったのがつい昨日のようだが、
もう若者になったかと思うと、
早くも一人前の大人となって、
幼い頃よりも美しくなっている。
ヴィーナス女神の愛を受けているが、
こうして、
母親の悲恋の仇を討っているわけだ。
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・

(岩波文庫・中村善也訳)

みずからの姉と、
みずからの祖父との間にできた

とは、こういうことです。

アドニスの母はミュラ。
父はキニュラス。
ミュラはキニュラスの娘です。
娘は父に恋をしてしまいました。
そう仕向けたのは、
愛の女神ヴィーナスです。

ごく最近まで木の中に隠されていて、
ほんのこの間生まれたばかりだ。

とは、

不倫の子を宿したミュラは、
森に逃げ込み、
臨月近くなって木に変身します。
そして、
その木からアドニスが生まれました。

ヴィーナスは誤って、
息子キューピッドの矢の先で胸を刺されたことで、
アドニスに恋をしてしまいます。
今度はヴィーナスが、
苦しい想いをすることになりました。
これが、
母親の悲恋の仇を討っているわけ
になります。

瀕死のアドニスの声を聞きつけて、
ヴィーナスは駆け寄ります。
そして若者の血に香り高い神酒を注ぎました。
血は神酒に触れると泡のように膨らんでいって、
やがて血の中から同じ色の花が現れました。
それがアネモネです。



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モクレン(木蓮) モクレン科



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カミツレ(加密列)/カモミール キク科



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イチハツ(一初/一八/鳶尾) アヤメ科 



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イカリソウ(碇草) メギ科



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トキワイカリソウ(常磐碇草) メギ科


◎  鉄の檻 

小平薬用植物園の中には鉄の檻があります。
檻の外側には更に金網が巡らされています。
動物園でないから猛獣はいません。
中に入れられているのは「ケシ」です。
「ヒナゲシ(ポピー)」と明確に区別する場合は「阿片ケシ」と呼ばれる、
麻薬を取るための植物です。

未だほとんど咲いていなくて、
1種だけが咲いていました。


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ハカマオニゲシ(袴鬼芥子または袴鬼罌粟)ケシ科ケシ属の多年生植物。
植物体中に高濃度の麻薬性アルカロイド、テバインを含むため、
日本では麻薬及び向精神薬取締法により原則栽培が禁止されています。

この植物園は、
栽培を許可されているわけですが、
勝手に持ち去られては困るので檻に入れてあります。

縦菱形の網の目の中心部にカメラのレンズを当てて、
内側の鉄柵の間に花がくるようにして撮りました。

花の最盛期になると、
絵を描きにくる人が沢山います。
絵は鉄の網や柵を描かなければよいのですが、
写真は困ります。



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モンツキヒナゲシ ケシ科

檻の外にはいわゆる「ポピー」が植えてあります。



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上と同じ。



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アイスランドポピー ケシ科



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上と同じ。


◎  牡丹 

玉川上水の緑道を経て、
小平薬用植物園に到着です。
ボタンが満開でした。

ここでは花を鑑賞するためでなく、
薬用として育てています。
牡丹の根の皮が「牡丹皮(ボタンピ)」という生薬で、
抗アレルギー、止血、鎮痙、抗炎症、中枢抑制などの作用があり、
漢方処方や婦人薬として使われるそうです。

とはいっても、
牡丹は牡丹。
美しい花を付けていました。


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全体として終わりに近く、
こんなになった花も多くありました。

受粉して子房がふくらみ始めれば、
オシベも花弁の不要となります。

ぼうたんのいのちのきはとみゆるなり   草城


◎  玉川上水の花 

昨日からの続きで、
玉川上水沿いのウォーキングロードの花です。


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ボタン ボタン科

ロードは雑木林の中を通っているのですが、
右側の林の外には人家が並んでいます。
一軒の家の前庭に牡丹が咲いていました。
真っ盛りでした。



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シロヤマブキ バラ科

木全体も撮りましたが、
花がまばらで・・・



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チューリップ ユリ科

上水側のロードの外に一株だけ。
くねった茎が、寂しげで、ケナゲで・・・



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ミヤコワスレ キク科

都忘れふるさと捨ててより久し  芳次郎

私がふるさとを捨てたのは16歳のとき。
都ではなく、
田舎町でしたが・・・



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カツラ カツラ科

花でありませんが、
若葉が美しいので。。。


◎  美しい五月に 

昨日、
玉川上水、野火止用水を歩き、
小平薬用植物園に寄ってきました。
何回かに分けて掲載します。


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曇り勝ちでしたが、
まあまあの天気で、
新緑を楽しむことができました。



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写真の左側の低い所を用水が流れています。
雑木林の中を歩く感じになりますが、
見上げるとずいぶん背が高くなっています。

昔はこんなに高くなる前に切って、
薪にしたり炭を焼いたりしたのでしょうが、
今はそういう用途がありませんから、
どこの雑木林も伸びるに任せているようです。



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ツツジ(白)



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ツツジ(赤)


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シロバナシモツケ バラ科



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オオバライチゴ バラ科

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5月になりました。
昨年、
「美しい五月に」というハイネの詩を載せた、
と思って調べたら1昨年のことでした。
「光陰矢の如し」です。

寒かった春から初夏へと移っていきます。
「美しい五月」であって欲しいと念じています。



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