Photo & Essay

◎  吊るし飾り 

飯能市のひな飾り。
今日は吊るし飾りです。

これらは、
最近の制作だと思います。


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これは、
幅50cmほどの長い布を下げて、
それに椿の花が咲かせてありました。
下の方にもありました。


◎  ひな飾り 

飯能市のひな飾りの続きです。


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前回にも書きましたが、
赤基調の華やかさに圧倒されました。

店蔵の中で展示の説明をしているのも、
見物に訪れているのも、
ほんとんど女性、
(男性も少しはいましたが・・・)
ということもあったかもしれません。

もう少し落ち着いて、
冷静に撮ればよかったものを、
と今更後悔していますが・・・



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3段で木目込み人形が飾ってありますが、
上の段が、
25日にパノラマ写真で載せたお雛様です。
2段目の3人官女と5人囃子、
3段目の3人の仕丁が、
「木目込み人形 53年前」のセットのようです。
(今写真を見て、そう理解しています)

そして2段目の左側に置いてあるのが、
「木目込み人形 約100年前」で、
3段目の左に置いてあるのが、
「木目込み人形 約150年前」なのですね。

100年前、150年前の雛を個別に撮ればよかった、
と後悔しております。

そういうことになったのは、
私が悪いのではなくて、
みんな「赤」の所為だということにして、
自分を慰めています。



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男雛。
1段目だけは大きく撮りました。



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女雛。



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これもなんとなく撮ってきましたが、
写真を見ると、
2組混合しているような・・・

説明員の方もいたのですから、
聞いてくればよかったのに・・・

左側の宮殿の写真を下に。



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御簾の内側にお内裏様、
すぐその前に3人官女、
階段の上、欄干の内側にいて、
しかも中央の官女は立っています。
所定の場所でないような気もしますが・・・


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「雛壇」の俳句を探したら、
「雛壇のうしろ・・・」という句がいくつかありました。

雛段のうしろのものに用のあり   吉田呉天

同じような思い出があります。
狭い部屋に飾るから、
「用のある」ものが取り出せず、
困りました。

雛段のうしろの闇の寒さかな   海老沢雨梗

光も暖房も届かないという具象的なことなのか、
あるいは抽象的な意味を詠んでいるのか、
自由に鑑賞なさって下さい。

雛壇のうしろに屯(たむろ)する歳月   山元志津香

これは目に見えぬ長い年月・・・
昭和も大正も明治も、
遠くなってしまいました。


◎  飯能の雛祭 

3月3日まで、
飯能の市街だけでなく、
近郊までを含めて、
雛祭りが行われているそうです。

その中で中心的な会場が、
「絹甚」というかつての絹問屋の蔵店です。


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玄関の格子戸の前には吊るし雛が下がっていました。
看板が半分しか写っていませんが、
飯能市 文化財
店蔵 絹甚

と書いてあります。



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今となってみると、
愚かなことに、
店蔵の全景が撮ってありません。(涙)



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屋根は撮ってあります。



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2階と卯建(うだつ)。
りっぱな卯建が上がっています。

ご覧のように間口の狭い蔵です。



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中に入ると、
赤を基調とした華やかさに圧倒されます。
そして段飾りばかりでなく、
天井から下げられた吊るし飾りが目を奪います。

目が回った感じがして、
よく控えてこなかったのですが、
豪華な宮殿は明治時代のものでしょうか。



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正面から下まで撮ると、
宮殿の中の内裏雛、
左大臣、右大臣、
3人官女、
5人囃子、
その下の仕丁3人、
欠けずに揃っています。



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吊るし飾り。




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これらは、
サークルや、
地元商店街の奥さんたちの制作になるものだそうです


◎  そして誰もいなくなった 

『そして誰もいなくなった』は、
アガサ・クリスティの推理小説で、
イギリスのある島に集められた10人が、
次々と殺されてゆき、
最後の1人も自殺してしまい、
And Then There Were None.
ということになるのです。


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誰もいなくなってしまいました。
このままではアガサ・クリスティと同じですから、
華やかに、
登場してもらいます。



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先日飯能市を訪れたら、
街をあげて雛祭りをやっていました。

ここの特徴は、
段飾りの他に吊るし飾りがあることです。
写真を整理したら紹介します。

取りあえず1組だけを。
横に長いので2枚を合成しました。


◎  春光 

「春光」は春の季語で、
春の景色、春の様子である。
春の日光でなく風光であるが、
ふつう陽光のかがやかしさの意をこめて用いている。

とのことで、
「陽光輝く春の景色」です。


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メタセコイア(曙杉) スギ科



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タケ(竹) イネ科



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ナンテン(南天)と手水鉢 メギ科 



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ドウダン(灯台) ツツジ科



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ミツマタ(三椏) ジンチョウゲ科


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季語を取り上げましたので、
俳句をと思いましたが、
写真にふさわしい句が見つかりません。
それで、
美しいピンチヒッターの登場です。


6ローランサン

マリー・ローランサン『女と犬』(ブリヂストン美術館蔵)

春光やローランサンの白き肌   岩月優美子


◎  樹木の形 

心がけて、
もっと沢山集めると、
面白いのですが、
取りあえず3枚だけです。


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ねじれ。

どうしてこんなに力強く捩じれて、
立上がっているのでしょうか〜
見ている方にも力が入ってしまいます。



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まがり。

豪雪地帯でもないのに、
どうしてこんなにグニャリと曲がるのでしょうか〜


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スリムな肢体。

ヌードじゃ可哀想ですから、
ジーパンでも穿かせてあげたいと思いますが・・・
お尻がもうちょっと膨らむと格好いいですね。
(写真を180°回転させました)



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パンジー。

妙な写真ばかりでしたから、
花を1枚。


◎  紅梅・白梅 

いつまでも寒くて、
梅の開花も遅れていますが、
あちこちで少しは撮ることができます。
自作でありませんが、
俳句を添えて、
紅白の梅を・・・


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紅梅やこの寺にある血の歴史   宮城白路

もっと真っ赤な花を見て作った句かな、
という気もしますが・・・

昨日飯能市の能仁寺に行き、
本堂脇の立て札を読んで知りました。
戊辰戦争のとき、
上野の山で官軍に敗れた彰義隊の残党が、
この寺に立てこもって、
再び官軍と戦って血を流したことを。



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能仁寺本堂。

能仁寺は、
慶応4年(1868年)5月23日、
飯能戦争(戊辰戦争)の舞台となる。

渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄)を首領とし、
彰義隊脱退者で結成した振武隊は、
青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。

5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。
振武隊も行動を開始し上野に向う。
しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、
彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、
能仁寺に入り陣営を構築する。

5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、
わずか数時間で勝敗は決し、
寺はほとんど焼失。

本堂は昭和11年(1936年)再興されたものである。

(Wikipediaより抜粋)



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紅梅の古木の紅の新しく   稲畑汀子

老いてなお美しく咲く・・・



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紅梅を覚えてますかあのときの   中原幸子

「忘れるものか。
あの頃のきみが若くてきれいだったことも、
よ〜く覚えているよ」



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白梅や初恋の人七十路に   高畠英

「そうか〜
きみも、もう70か〜
でも、あの頃の面影は残っているよ。
今だって、美しいよ」



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白梅や先づもの捨てて老い支度   峯桜子

「そろそろ、
そういうことかな〜
お互いにねぇ」



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白梅の空のあをさに溶けこまず   根岸善行

「自分が自分であり続けたいものだね〜」



血腥い話から恋の話に、
脈絡もなく、
一転してしまいましたこと、
お許し下さい。


◎  ドコモタワー 

正式な名称は、
「NTTドコモ代々木ビル」

ニューヨークの古典的な摩天楼、
エンパイアステートビルを思わせる姿が目を惹きます。
東京都のビルの中ではミッドタウンタワー、
東京都庁第一本庁舎に次いで3番目の高さだそうですから、
特に新宿界隈では目立ちます。


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新宿御苑からもよく見えます。



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御苑の池に映る逆さタワー。



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大温室の中からも見えます。



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上の写真、
温室内の赤い花は、
ハエマトケファラ(ベニゴウカン=紅合歓) マメ科



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新しくなった大温室は、
あまり魅力的でありません。

上のベニゴウカンの他では、
サトイモ科の葉の、
葉脈の白さが目に付いたくらいです。
(名称は控えてきませんでした)



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御苑の広場越し、
ユリノキの枝の間に見えるドコモタワー。



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広場の手前に咲いていたニホンズイセン。



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御苑を出るとすぐのビルの窓にもタワーが・・・
ブライダル関係の店のようで、
打合せ中のお客さんが見えました。


◎  台湾閣 

台湾閣は、
新宿御苑、日本庭園にある台湾風の建築です。
皇太子だった昭和天皇が結婚されたとき、
これを記念して台湾在留邦人から贈られたもので、
「中国南方の閩南(ビンナン)」の建築様式だそうです。


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池越しの台湾閣。
屋根が特徴的です。
(1昨年の写真で、屋根にうっすらと雪が残っています)
向こう側が入り口になります。



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2月始めに行った時は、
改装工事中で中に入れませんでした。
入り口左側に並んでいる窓。



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窓の更に左側。



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更に左よりの見上げです。



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戸口に夕陽が・・・



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新宿御苑に咲いていた白いサザンカ。


◎  倉敷紀行の終わり 

滞在48時間ほど、
2泊3日の旅の紀行を、
延々と綴ってきましたが、
載せ残した写真を並べて終わりとします。


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倉敷駅南口歩道橋鉄柵。



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昼食に入った和食レストラン。
窓の上に棚を作って、
ずらーっと鉄瓶が並べてありました。
ほんの1部分です。



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倉敷の銘菓らしいですが、
写真を撮っただけで、
買わず、食べずでした。



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備前焼窯元店先。



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アイビースクェア内の陶芸教室前。



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ホテルの吹き抜け。
ちなみに泊まったのは最上階の11階でした。



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駅の北側にあるショッピングセンターの
休憩エリアの窓際にぶら下がっていました。
シャンデリアなのだろうと思いますが・・・


◎  倉敷の町並み 

今までは、
美観地区や古い町並みなどを紹介してきましたが、
今日は普通の町並みです。
他の町と変わらない眺めですが・・・


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JR倉敷駅前広場。


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駅前の通り。
上の写真の左隅の道路です。



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駅から美観地区へ向かう歩道。



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駅近くから伸びる、
長いアーケード商店街。



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アーケードの果てる所。



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果てたその先。
普通の店が並び、
普通の生活が繰り広げられています。



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とはいっても、
街角には、
大原美術館の所蔵作品の複製が、
ひょいと置いてあったりします。
(ルオーの『 呪われた王 』)

以前に泊まったホテルの部屋には、
これも大原美術館所蔵の、
マチスの『画家の娘』が飾ってありました。


◎  倉敷の小路 

倉敷らしい小路と町並みです。


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倉敷紀行を書きながら、
自分でも知識を積み上げてきました。

これは普通の格子であって「倉敷格子」ではありません。
2階の白壁をくり抜いた窓は「倉敷窓」のようです。



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「かまぼこ」は倉敷の特産品のひとつのようです。



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上の写真を撮って、
振り返った風景です。
ここにも蒲鉾屋さんが・・・
その向うは倉敷川です。



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小路というよりは大路になりますが、
白壁の建物が連なっています。



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倉敷ならではの小路。
両側の壁は「平目地瓦張なまこ壁」です。



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右側の塀は、
大原家別邸「有隣荘」です。



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旅館の横の小路。
小さいながらも見事な前庭があって、
食事ができるとのことなので、
ここで昼食を食べてみたいと思ったのですが、
「高そう!」と妻に反対されて挫折。



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右側のレンガの建物は、
アイビースクェア内の児島虎次郎記念館です。


◎  春を探して 

今日は、
晴れてはいるものの、
北風が強く、
とても寒い1日でした。

その寒さにもめげず、
久々にカメラを持って、
春を探しに出かけました。


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春は名のみの 風の寒さや

「早春賦」の通りの風の寒さですが、
落葉に注ぐ陽射しは、
春らしくなってきています。



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アメリカスズカケノキの枯れ葉。



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カレススキ、
またの名は枯れ尾花。



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枯れ葉に覆われた草原に、
イヌフグリが咲いていました。
この瑠璃色の花を見つけると、
早春を見つけたような気がします。



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陽当たりがよくて、
回りを樹木が取り囲んでいて、
風が通り抜けない、
そして枯れ葉も風を防いでくれる、
そんな場所に咲いていました。



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ヤブツバキのツボミはまだこんなに小さくて、
いつになったら咲くのでしょう?



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サザンカは、
もう何度も載せているのですが、
いい色で咲いていました。


◎  黄と紅と白と 

倉敷紀行はまだ続きますが、
ちょっと休憩して春の花です。


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シナマンサク(支那満作) 

戦前、戦中は、中国のことを「支那」と呼んでいましたが、
戦後、この言葉を使ってはいけないことになりました。
例えば昭和12年に始まった「支那事変」(当時そう呼んでいました)は、
現在「日中戦争」と呼び変えられていますし、
「シナソバ」は「中華そば」に、
そして「ラーメン」に変わりました。

この花も、
「中国満作」と呼び変えなくてよいのかという気もしますが・・・

Wikipedia によれば、
Microsoft Windowsに使用されているMS-IMEや、
ATOKなど一部の日本語入力システムでは、
出荷時に「支那」という単語が辞書登録されておらず、
登録をしないと「しな」を「支那」に漢字変換出来ない。

とあります。

念のため Windows でやってみたら、
その通りでした。

Mac でやってみたら、
「しな」→「支那」と一発で変換してくれました。

Mac に「支那」が入っているのは、
「語彙豊富」なのでなくて、
「配慮不十分」なのかも知れません。



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シナマンサクは、
この大きな枯れ葉が特徴です。



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コウバイ(紅梅) 

風通しのよい梅園では全く開花していませんでしたが、
風が通らない、
陽当たりのよい場所ではポツポツと開いていました。



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ハクバイ(白梅) 

咲けば白くなるのに、
ツボミは紅い。
幼き日の「紅」はどこへ行ってしまうのでしょうか〜



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白梅や天没地没虚空没    永田耕衣

阪神大震災の時の句だそうですが、
その後も次々と大震災が・・・

3月11日の東日本大震災の数日前に、
水戸偕楽園に梅見に行ったことを思い出します。


◎  倉敷の街灯(3) 

街灯の最終編です。
門灯はなしで、
街灯だけ。

当たり前のことですが、
街の中にある街灯は、
特別な場所とかでない限りみな同じです。

今日は同形の街灯だけで、
必ずしも街灯が主役でない場合もあります。


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街灯は申し訳程度です。
倉敷川と今橋。
橋を渡った左側が大原美術館です。

中央の白壁の建物は国重要文化財の大原邸。
街灯を挟んで右側の建物は、
大原家の別邸「有隣荘」です。



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倉敷川沿いの道。



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倉敷川と山茶花と街灯。
上の写真の対岸。



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瓦貼りの白壁と屋根瓦を背景に・・・



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火の見櫓と並んだ街灯。



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風見鶏と街灯。



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街灯はありませんが、
風見鶏をもう1枚オマケです。


◎  倉敷の街灯・門灯(2) 

今日は点灯している街灯・門灯です。


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最後は、
ホテルのロビーの窓際に置いてあったスタンドです。

街灯でも門灯でもなく、
その上、
昼間の明かり。

こんなのを「昼行灯」と呼ぶのかも知れませんが、
「無用の用」というのか、
点灯されていることで、
ムードを醸し出していると思いました。


◎  倉敷の街灯・門灯(1) 

倉敷の街を歩きながら、
街灯、門灯などを撮ってきました。

昼間の撮影ですから、
ほとんど点灯していません。


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最後の1枚のように、
灯が点っていると、
やっぱり風情があります。

次回は、
点灯している写真をお見せします。


◎  阿智神社 

観龍寺から約200m離れて、
同じ鶴形山の上に阿智神社があります。


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こちらは、
観龍寺よりも数多い石段を登ります。
米寿坂(88段)と還暦坂(61段)を登ってきて、
最後の厄よけ坂(33段)を見上げています。

石段の上は随神門。



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随神門から拝殿を望みます。



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拝殿は、
太い注連縄が印象的でした。



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屋根の瓦がきれいです。
備前焼なのでしょうか〜



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石段の途中から見下ろした倉敷の町家の屋根。



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坂の麓にある鳥居は、
全体像を撮らないでしまいましたが、
かなり背が高いのに、
どうやって小石を積んだのでしょうか、
びっしりと乗っかっています。


◎  観龍寺 

倉敷美観地区のすぐそばに鶴形山という丘があります。
そこに観龍寺はあります。
真言宗御室派の寺院だそうです。


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石段を登る途中で振り返ると、
和風の家並の向うに、
ギリシャ風建築の大原美術館が見えます。



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山門。

慶応2年(1866年)、江戸幕府崩壊前、
天領だった倉敷には、
長州藩の配下にあった第二奇兵隊の脱走兵約100人が攻め入り、
現在の倉敷アイビースクエアにあった倉敷代官所を襲撃したあと観龍寺に陣を張った。
脱走兵は兵糧と軍資金を調達し翌朝には出て行ったが、
左手鴨居門には槍の傷跡が現在も残っている。

(Wikipedia)
という歴史があるそうです。

上の山門には両側にくぐり門がついていますが、
その左側の鴨居に傷跡があるらしいです。
ブログを書きながら知ったことで、
寺を訪れたときには知らぬことでしたから、
傷跡の確認はしておりません。



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庫裏(だと思いますが・・・)



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本堂。



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本堂の向い側。
瓦屋根付きの低い白壁塀の向うには、
倉敷の街が見下ろせます。

小さな祠の紫の幔幕には「善通寺」(弘法大師誕生の寺)
と書いてありました。
5本の石柱が建っていますが、
内3本は弘法大師の供養塔です。
(1050回忌、1100回忌、1150回忌)



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上の小さな祠の裏手。
南天の葉が真っ赤でした。



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赤い実も残っていました。



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本堂の右隣にある太子堂と松の枝です。


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一昨日の「影絵」の写真が、
迫真の出来映えで、
勘違いされた向きもあるようなので、
種明かしの写真を載せておきます。


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ブロブに載せたのは裏2階の「影絵ショウ」です。
上は表の長屋門での「影絵ショウ」の種明かしです。
切り抜いたボール紙が障子戸の桟に画鋲で止めてあります。
室内(手前)から光を当てると、
外からは、そこに人や猫がいるように見えるわけです。

裏2階では人物像が横に動いてましたから、
横にスライドさせる仕掛けがあったものと思います。

長屋門の方は夜間に通っていませんので、
「影絵ショウ」は見ていませんが、
この仕掛けから判断して、
静止画像なのでしょう。
裏2階の「ショウ」は紙芝居的でした。


◎  山茶花 

倉敷紀行はまだ続きますが、
ひと休みします。

山茶花やいくさに敗れたる国の    日野 草城


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日野 草城(1901年7月18日〜 1956年1月29日)は,
東京生まれで、
京都帝大法学部卒の俳人。

1945年8月15日、
大日本帝国は連合国に降伏。
その年の冬に詠んだ句だろうと思います。



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この句を読んで、
日本が「いくさに敗れたる国」だったことを、
久しぶりに、
しみじみと思ってみました。



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2月7日は北方領土の日だったそうですが、
これは「いくさに敗れたる」が故に起きている問題のわけです。



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敗色濃厚だったのですから、
もう少し早く、
ソ連の参戦前に降伏していれば、
北方領土問題は起こらなかったのでは・・・
シベリア抑留の悲劇は起らなかったのでは・・・



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山茶花や曲がりくねった田舎道   capucino

自然発生的な道は真っ直ぐでありません。
人生も歴史も曲がりくねって進みます。


◎  大橋家住宅(3) 

暗くなってホテルへ戻るとき、
大橋家の裏手を通ります。

2階の窓に何やら写っています。
影絵です。
登場人物が動いて紙芝居みたいです。

場面のところどころを撮ってきたものを、
こんなストーリーだったのかな?
とつなぎ合わせてみました。


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炬燵みたいですが、
最初は誰もいません。



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左側から男が出てきます。
右側から女が出てきます。

二人は近づき、
抱き合います。



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口づけを交わし、
そのまま右手に隠れます。



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暫くすると、
子どもを連れて登場し、
家族団らんの場面となります。

男女の出会い→結婚→子どもの誕生→家族の形成・団らん、
ということかと思うのですが・・・



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左端に、
雪だるまがある場面と、
ない場面があるのですが、
今となっては、
どいうことだったのか分かりません。



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中庭。(前回までに載せ残した写真です)

部屋数が多いので、
採光のためと思いますが、
狭い中庭がたくさんあります。

昔はあって、今はないのか、
昔からないのか、分かりませんが、
池があって、橋があって、築山があって、
というような大きな庭はありませんでした。



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シンガーミシン。

パンフレットにも写真が載っていますから、
よほどのお宝なのでしょう。


◎  大橋家住宅(2) 

大橋家住宅の続きです。


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母屋に入ると広い土間があって、
そこの壁際にオブジェみたいなものが飾ってありました。



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土間の反対側は座敷で、
帳場だと思われますが、
火鉢だけ撮りました。



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和洋混交の居間。



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奥座敷。
「こんな所で読書でもしたい」・・・とは思いません。
こういう所では落ち着かないのです。
もっと乱雑でないとダメなのです-----私は。。。



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上と同じ部屋。
振り向いて撮りました。
つまりお茶室なんですね。



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別の座敷。
昔の家ですから、
襖を外せば、
広い部屋になるのでしょう。
座敷が田の字に並んでいました。



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座敷の外に畳敷きの廊下があって、
ロッキングチェア(揺り椅子)が・・・
これは、ぜひ欲しいです。
これに腰掛けてウツラウツラしていれば、
窓からポカポカと冬の陽が射し込んでいるし、
極楽気分になれるでしょう。



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ここからはパンフレットから引用して、
倉敷の建築の解説です。

〔平目地瓦張〕
土蔵などに耐火と耐久性を持たせるため、
壁の表面を平らな瓦でタイル張りのようにしたもの。

〔なまこ壁〕
平目地瓦張に更に水の浸入を防ぐため、
目地に漆喰を盛り上げたもので、
その盛り上がり方が海鼠(なまこ)に似ているところから
このように呼ばれる。



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〔倉敷格子〕
上下に通る親竪子(おやたてご)の間に、
細く短い3本の桟が入っている。
上部は採光と換気に優れ、
下部は外からは見え難く、
中からは見え易い。



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(大橋家でなく、井上家という旧家ですが)

〔倉敷窓〕
採光と換気用の窓で、
格子窓の内側に引き戸がある。


◎  大橋家住宅(1) 

大橋家(国指定重要文化財)を見学しました。
大橋家は倉敷の大地主で、
苗字帯刀を許された家だそうです。


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家の裏側です。
写真が裏から始まるのはちょっと変ですが、
ホテルを出ると、
すぐ見えますので・・・



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1枚目の右側になります。
土蔵の右は大通りで、
それを歩いて、
左に折れて、
暫く行くと家の前に着きます。



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かつての長屋門です。
大橋家の入り口は提灯のところです。

現在としては細い道ですが、
この通りが、
倉敷のメインストリートだったのだそうです。



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ここから入ります。
入場料500円。(但し高齢者は300円)



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入り口を入ると、
1部屋あって(現在は受付)、
その先に暖簾が掛かっていて、
中庭があって、
母屋になります。

ここでおばさんがテープを回して、
建物の概略を説明してくれました。



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母屋のすぐ脇の米蔵。
この中に、
展示物が並べてあります。



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展示物の内のお雛様です。


次回に続きます。



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倉敷とは関係ありませんが、
おまけ写真で、
福寿草。


◎  美観地区夜景 

ホテルは美観地区のすぐそばです。
ホテルへ戻る前に、
夜の美観地区をひと回りしてみました。


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土産物屋。

すでに店は閉じていましたが、
格子窓の内側に灯を点したり、
ライトアップしたり、
夜の観光のために、
サービスが行き届いています。



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大原美術館。

ライトアップされると、
一段とギリシャ風に見えてきます。



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倉敷川沿いの建物。

川面に影を落としていました。



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中橋と倉敷考古館。

ここは最高のビューポイントです。



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白壁の前の松。



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街灯。

ここの柳には、
葉が残っていました。



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白壁と倉敷格子。

料理屋さんの壁です。


◎  元チボリ公園 

JR倉敷駅の北側には、
かつて「倉敷チボリ公園」がありました。

元祖の「チボリ公園」は、
デンマーク・コペンハーゲンにある世界最古のテーマパークで、
童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセンが頻繁に訪れたそうです。

倉敷チボリ公園は、
「元祖」をモデルに平成9年に開園しましたが、
経営難のため平成21年1月1日午前1時をもって閉園。
その跡地にはアウトレットパークなどが開業しています。


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JR駅北口2階からの眺め。
この塔と周囲の歩道橋はチボリ公園の頃のままです。
その向うには観覧車やヨーロッパ風の建物があったのですが、
すっかり変わっていました。

チボリ公園はこの位置から見ただけで、
入ったことはありませんでしたが・・・



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塔の根元には人魚姫が座っています。
噴水で膝から下が隠されているので、
単なる裸婦像に見えるかも知れませんが・・・



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本場コペンハーゲンの人魚姫です。

人魚姫は普通、
腰から下が魚になっていますが、
この像は足首から先だけがヒレになっています。
置いてあるのはチボリ公園でなくて、
コペンハーゲン港です。



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街灯。

これも以前のままのようで、
メルヘンチックです。



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これは何の物語なのでしょうか?
夕方近い逆光の中です。



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店を見て回っているうちに、
夕焼けになりました。



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帰るころには日が暮れて、
電飾が灯っていました。



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塔も街灯も闇の中です。
正面はJR倉敷駅。

これからホテルへ戻ります。


◎  倉敷街歩き 

大原美術館を紹介してきましたが、
それが一段落したので、
気ままな街歩きです。


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大通りから、
美観地区に入ると土産物店が並んでいます。



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その中の1軒。

妻はネコが嫌いです。
先日の夜、
ちょうどネコのブログを見ている所へやってきて、
「何見てんの?」
そしてパソコンの画面を見ると、
「ワーッ、ネコばっかり。。。気持ち悪い!」
逃げていきました。

翌朝、
昨夜は悪夢にうなされたとこぼします。
「夢にネコがゾロゾロと出てきて・・・」

その人が、
(さすがに中には入りませんが)
この店を何枚も撮っていました。
どういうこと???



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大原美術館の新渓園の門を出た道路。



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本通り。
美観地区とはちょっと離れた通りです。
壁は白いだけで、
ナマコ壁でありませんが、
戸や窓の格子と併せて風情満点です。
「倉敷格子」と呼ぶそうです。



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上の道路の反対側には、
こんな実生活の匂いもしています。



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こんな路地が沢山あります。



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上と同じ路地の写真かと、
自分でも見比べてしまいました。



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普通の街と同じような路地もあります。


◎  児島虎次郎記念館とアイビースクェア 

「児島虎次郎記念館」は「アイビースクェア」の一画にあります。


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アイビースクェア入り口のアーチ。
1/3くらいしか写っていませんが。
全体では”KRASHIKI IVY SQUARE” と書いてあります。

アイビースクェアには、
ホテル、レストラン、多目的ホール、倉紡記念館、児島虎次郎記念館などがあります。



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児島虎次郎記念館。

児島虎次郎(1881〜1929)は画家で、
倉敷紡績の経営者、大原孫三郎の支援により、
ヨーロッパに留学しましたが、
西洋の美術作品を購入して、
若い日本人画家に見せて参考にさせたいと考え、
孫三郎の許可を得て多くの作品を選定・購入しました。

彼の死の翌年昭和5年(1930)に、
虎次郎の業績を記念するために大原美術館が創立されました。
現在、虎次郎自身の作品はこの記念館に収蔵されています。
彼の絵の他に、
彼が収集したエジプトやオリエント、中国などの古美術品も展示されています。



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オルゴール館の窓と山茶花。



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倉紡記念館。



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この建物は倉敷紡績の発祥工場で明治22年(1889)に建設された。
設計は、日本最初の紡績工場(鹿児島紡績所)を建設した石河正龍らによるもので、
今日わが国に残存する最も古い紡績工場の代表的な一つとなっている。
純英国風といわれる鋸型の屋根、赤いレンガの外壁、半円形の窓など
当時の面影をそのままとどめている。
この工場は昭和20年(1945)終戦とともに長年に亘る操業(綿紡績)に終止符を打ち、
休止工場として保存されていたものを昭和49年(1974)に改装した。

(説明板による)



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壁面を覆う蔦はすっかり枯れています。
アイビースクェアの名はこの蔦からきているのに・・・

つた(ぶどう科)
別名(なつづた・あまづら)
平安時代には早春に、
この幹から液をとり煮詰めて甘味料を採った。
砂糖のなかった時代の甘味料として珍鳥されたことが、
古今著門集・源氏物語・古事談・尺素往来等の書物にのせられている。
ただし、葉は食用にならない。

落葉性のこの”なつづた”に対して
常緑の”ふゆづた”があるがこれは「うこぎ科」に属する。
この壁面の”つた”は昭和の初期に
西日のために室温の上昇するのを防ぐため
植えられたものである。

(説明板による)



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倉敷アイビースクェアの広場。
周囲はホテルになっているようですが、
泊まったことがありません。


これで、
4つに分かれている大原美術館の紹介を終わります。


◎  分館と工芸・東洋館 

大原美術館の「分館」は、
建物としては面白くないので、
撮ってありません。

ここには、
日本の近代洋画から現在活躍する作家たちの作品が、
展示されていますが、
地下室に、
最近の作品が集めてありました。

2012年までの、
ほんとに最近の作品が展示されていて、
これが面白いのです。
現代絵画というと、
何だかわけの分からない抽象画のイメージがありますが、
そうではない・・・
写真が撮れないので説明できないのですが、
面白い、興味深い、楽しい作品が並んでいました。


次は「工芸・東洋館」です。
こちらは白砂の中庭を囲んでコの字型に並んだ蔵造りの建物群で、
内部が撮れなくても、
外観だけでも撮る価値があります。


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入り口。



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濱田庄司室。
(陶芸家:1894〜1978)


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1階:バーナード・リーチ室。
(イギリス人陶芸家:1887〜1979)

2階:富本憲吉室。
(陶芸家:1886〜1963)



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前に街灯が立っている建物が、
河合寛次郎室。
(陶芸家:1890〜1966)



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左側の白い建物が、
棟方志功室。
(版画家:1903〜1975)

赤い建物が、
芹沢銈介室。
(染色工芸家:1895〜1984)

右端の白い建物が、
東洋館で、
石仏などが展示されています。



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「工芸・東洋館」入り口脇の花です。
手水鉢の上に、
菜の花と蝋梅。


陶器や版画などの作品は無理としても、
屋内の梁や階段などに興味を惹かれましたが、
「館内撮影禁止」でした。



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