Photo & Essay

◎  門司港レトロ散策 

門司港レトロ。
最初に「旧門司三井倶楽部」それから「旧大阪商船」に立寄り、
海辺を散策して「旧門司税関」に入りました。
その散策コースの写真です。

この日は関門海峡花火大会で、
大変な人出でした。


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「旧大阪商船」

大阪商船の門司支店として、
1917年建設され、
1991年まで使用された。
その後、北九州市が買い取り、
1999年登録有形文化財に登録された。

八角形の塔が特徴である。
現在1階は海峡ロマンホール、
2階は「わたせせいぞうと海のギャラリー」、海事資料館、
地元芸術家の作品を展示販売する門司港アート村のギャラリー「港のマチエール」がある。

(Wikipediaより抜粋)

2階に上がって「アートギャラリー」を見ましたが、
写真は撮りませんでした。



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花火大会だから屋台が並び、
若い人たちが大勢歩いていて賑やかでした。
向うに立っているのは、
先日紹介した黒川紀章さん設計のマンションです。

マンションは真っ直ぐに立っています。
傾いているのは私です。



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花火見物の場所取りの人たち。

私たちは指定席だから大丈夫です。
目の前は関門海峡。



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「国際友好記念図書館」

北九州市と中国・大連市の友好都市締結15周年を記念して整備された。
(竣工1995年)
1階は中華レストラン「大連あかしあ」、
2階は中国・東アジア関連書籍の図書館、3階は旧満州関連の資料展示室になっている。
かつて大連にあった東清鉄道汽船会社事務所の複製建築物である。
(1902年ロシア帝国によって建設された)
なお、現在大連にある建物も複製である。

(Wikipediaより抜粋)



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観光地での人力車には、
年配の人たちが誘われますが、
ここは若い人が多いから、
誘われるのも若い人。



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8月13日(火)、
お盆でお休みなのでしょうか、
ほんとに若い人たちがいっぱい歩いています。


私たちは、
早めの夕食をとって、
花火会場へ向かいました。


◎  旧門司税関 

旧門司三井倶楽部を出た後、
レトロ地区をひと回りしてから、
「旧門司税関」の建物に入りました。


旧門司税関は1912年に建設され、
1927年まで使用された。

その後民間に払い下げられたが、
1945年門司空襲によって屋根がなくなり、
窓をモルタルで塞いで倉庫として使用されていた。

歴史的意義を踏まえ、
過去の写真などを元に、
北九州市が赤煉瓦を特注するなどして、
1991年から4年をかけて復原され、
1995年にオープンした。

1階には吹き抜けの広々としたエントランスホール、休憩室、喫茶店、展示室、
2階にはギャラリーと関門海峡や門司港レトロを一望できる展望室がある。

("Wikipedia"、"MOJIKO RETRO INFORMATION"HPから抜粋)



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外観。

昨日の旧門司三井倶楽部の2階から見たのとは別方向からです。



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入り口を入ってすぐ。

赤煉瓦の壁の右は広々とした、
吹き抜けのエントランスホールです。



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エントランスホールから見上げたくり抜き窓。
煉瓦は当初のものと思われます。
白壁部は、
どうして煉瓦で修復しなかったのかと思いましたが、
上部の煉瓦を昔のまま残すためには仕方なかったのでしょう。



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エントランスホールの柱。

これが特注した新しい煉瓦だと思います。
積み方は、
先日訪れた富岡製糸工場の「フランス積み」とは異なり、
「イギリス積み」になっています。

「イギリス積み」とは、
煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積む方式です。



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2階に登りました。

撮り方のせいもあるし、
荒々しい煉瓦と、
向うに見える柱のせいで、
監獄の内部みたいに見えます。



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煉瓦に白っぽい色が残っていること、
煉瓦の表面が滑らかでないこと、
気になります。

全面をモルタル塗りしてあったのを、
剥がしたとか・・・
それだけではないような・・・



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入ったとき、
仰ぎ見た壁のくり抜き窓を、
吹き抜けのエントランスホール越しに真横から撮りました。

鉄柵のデザインが気に入ったのですが、
始めの写真の方が見易いかもしれません。



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屋根裏見上げ。

空襲で屋根が落ちたそうですから、
新しく作られたのでしょう、
新しい材木です。



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2階の窓から望む関門海峡。

夕方5時近く、
日が斜めになっていました。
遠景は下関側。



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入り口のシャンデリア。

出るときになって撮りました。


◎  旧門司三井倶楽部(2) 

旧門司三井倶楽部2階の続きです。


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階段を登るとすぐにあるのが
「アインシュタインメモリアルルーム」です。
まずあったのが、
ソファの置かれた部屋。
スィートルームの居間にあたるのでしょう。
ごく一部だけ撮っています。
広い部屋です。



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次に寝室ですが、
ベッドは撮ってありません。

部屋の壁に掲げられた板だけ撮りました。
ガイドが説明してくれたのでしょうが、
撮影に夢中だったので何も聞いていません。

"SAKAYEYA"って何だか分かりません。
そして"A.EiNSTCiN."も不思議です。
どうして"A.EINSTEIN"でないのでしょう?
最後から3文字目は、
どう見ても"C" です。
そして"i"だけが小文字!

撮っているときは気付きませんでした。
アインシュタインの自筆の文字を拡大して書いてあるのだろうと、
勝手に思いこんでいました。

とにかくアインシュタイン博士夫妻がここに泊まったのだそうです。



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その奥に、
馬鹿でかいバスルームがあります。

バスタブは普通の大きさですが・・・
写真の手前に便器があります。
とにかく広い部屋です。

写真左奥のドアが寝室に続いています。


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別の洋室の暖炉です。

ガイドはこの装飾が美しいことを説明して、
「暖炉とか、ストーヴとかいわないのです。
マントルピースと呼びます」



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大理石の彫刻が美しいと思って撮りましたが、
鉄部の彫刻も見事です。
もう少し下まで撮ればよかった---と反省!



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窓から外を眺めていたら、
ガイドが「あの高いビルは・・・」と説明してくれました。

黒川紀章さん設計のマンションだそうです。
こんな美観地区にマンションを?
ということで問題になり、
例えば外から見える所に、
洗濯物や布団は絶対に干さない・・・
などの約束事があったとか。

しかし大人気になって、
発売前に完売してしまい、
「発売」がなかったとか・・・
そんなことってあるのでしょうか?
売り出さないのに売れてしまったなんて・・・
買手は門司市在住の人ばかりでなくて、
日本中から希望者が殺到したとか。



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黒川マンションの根元部です。

手前の赤煉瓦が「旧門司税関」、
その奥、
マンションの右の赤煉瓦が「国際友好記念図書館」です。
これらは後日に掲載します。



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これも窓からの眺め---真下です。

「旧門司三井倶楽部」の建物を
前から見た時は木造洋館でしたが、
背後には純日本風の建物が接続しています。
内部に入れないのでどんな座敷があるのかわかりません。


便宜上「黒川マンション」と書きましたが、
「門司港レトロハイマート」が正規の名前です。
建設に当ってはいろいろ経緯があったようです。
興味のある方は下記をご覧下さい。
「門司港レトロハイマート」


◎  旧門司三井倶楽部 

長府庭園を早めに切り上げて、
門司に戻りましたが、
何の渋滞もなく、
すいすいと走りましたので、
「門司港レトロ」の案内人が間に合わず、
暫く待つことになりました。

「門司港レトロ」とは、
JR門司港駅周辺地域に残る外国貿易で栄えた時代の建造物を中心に、
ホテル・商業施設などを大正レトロ調に整備した観光スポットで
国土交通省の都市景観100選を受賞している。

とのことです。(Wikipediaより)

ようやく案内のおじ(い)さんが現れて、
徒歩での観光が始まりました。


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まず最初が、
「旧門司三井倶楽部」です。
木造の洋館で外観も、
内部もきれいに整備されていました。



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1枚目が玄関。
この2枚目は玄関の右側2階です。

「旧門司三井倶楽部」は、
1921年(大正10年)に三井物産門司支店の社交クラブとして建築。
接客用の洋風の本館と、
それと接続する和風の付属屋・倉庫からなる。

1990年(平成2年)重要文化財指定。
その後、
解体して門司区谷町より門司港レトロ地区に移築された。

本館は木造2階建で、
アインシュタインが1922年(大正11年)に宿泊した2階の部屋が
当時の状態で「アインシュタインメモリアルルーム」として展示されている。

また、門司区小森江が出生地とされる林芙美子にちなみ、
林芙美子資料室(2階)がある。

1階にはレストラン「三井倶楽部」がある。
(Wikipediaより抜粋)



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玄関を入って振り返ると、
扉の上部にステンドグラスがありました。



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1階ホールの照明。
シャンデリアとはいい兼ねますが・・・



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レストラン「三井倶楽部」

扉が開いていましたので、
1枚撮らせて頂きました。



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2階の「林芙美子資料室」に展示してあった写真。

ガイドのおじいさんが、
「不美人だったという話もありますが、
(誰とかと)ヨーロッパへ行った時は、
なかなかもてたそうですよ」

私「この写真を見れば可愛いじゃないですか。
それに才気があって、
魅力的な人だったのでしょうね」

おじいさん「多分そうですね」


林芙美子の出生については、
Wikipediaによれば、
当人は、
生まれは下関と言い、
生年は明治37年、
誕生日は5月5日などとも書いて語っていたが、
没後20年余り経って、
誕生の地は門司市小森江(現、北九州市門司区)との説が発表された。
(ただし出生届は叔父の家の現・鹿児島市に明治36年12月31日誕生として翌1月に出ている)

とのことで、
複雑な事情がありそうです。



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彼女自身のあまりにも有名な言葉-----自筆の色紙。

芙美子は1951年、
満47歳で亡くなっています。
まさに「花のいのちはみじかくて・・・」


◎  長府庭園(書院) 

庭園内の書院です。
どういう由来の建物か、
パンフレットには書いてありませんが、
江戸時代の建物ではなさそうです。


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書院正面。

ここから反時計回りに回ってみました。



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右側角。

ガラス戸で、
しかも開け放ってあるので、
向うが見えていました。



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右側。

左半分は、
開け放ってありましたが、
右半分は、
カーテンが引かれていました。



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裏側。




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裏側の一部。

昔のガラスなので、
真っ平らでなく、
少し波を打っていました。
それを撮りたかったのですが・・・



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左側2階。

戸袋の雨板の古びに惹かれました。



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長府庭園の外壁と堀。

駆け足で庭園回遊を済ませて、
外へ出ました。

時間があればお茶室も見たかったのですが・・・
これからまた九州側の門司へ戻ります。


◎  長府庭園 

8月13日〜15日、
北九州方面に行ってきました。

メインイベントは、
13日夜が「関門海峡花火大会」
14日夜が「姫島盆踊り大会」でしたが、
そのメインはうまく撮れていません。

サブで見学した場所の写真が主になりますが、
少しずつ連載していきます。

旧盆で、
最も交通機関の混雑する時期のせいでしょう、
旅行社が使ったのは、
東京駅から小倉まで新幹線。
片道5時間の旅でした。
(「のぞみ」のグリーン車-----満席でした)


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長府庭園入り口。

折角、九州まで来たのに、
バスで本州側に戻りました。

ゆっくりと長府見物をする予定になっていたのですが、
この日の夜は花火大会なので、
ひどい交通渋滞になるという予想から、
長府庭園30分だけに切り詰められました。

「長府庭園」は毛利藩の家老格、西 運長の屋敷跡で、
約3万1千平米あるそうですが、
陽射しが強烈だし、
時間はないしで、
その1/3くらいしか回れませんでした。



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タカサゴユリ(高砂百合) ユリ科



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ハス(蓮) ハス科

「孫文蓮」と名づけられているそうです。
中国の政治家、孫文が、
彼の支援者で長府に在住した田中隆氏に贈った中国古蓮の実を、
ハス博士の大賀一郎氏が育成して発芽したものだそうです。

咲いていた花は、
最後のひとつかと思われましたので、
あえて、
実と一緒に撮りました。



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秋の気配。



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一の蔵。

園内には、
一の蔵、二の蔵、三の蔵、
それに茶室、あずまや、書院があります。



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一の蔵、二の蔵。


次回は書院の写真です。


◎  東館山高山植物園(2) 

昨日の続きです。


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タカネナデシコ(高嶺撫子) ナデシコ科

花びらがぐったりと垂れた、
終わりかけの花が多かったので、
そうでない花を探しました。



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ヨツバヒヨドリ(四葉鵯) キク科

フジバカマの仲間です。
焼額山に登るとゲレンデにいっぱい咲いているのですが、
今年は登らなかったので、
植物園で撮りました。



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ワレモコウ(吾亦紅) バラ科

まだ時期が早かったのか、
あまり見かけませんでした。
この植物園に数個だけありました。

ここまで開かない、
もっと短い花穂が群生しているといいのですが、
仕方ありません。



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ハクサンシャジン(白山沙参) キキョウ科



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ヤナギラン(柳蘭) アカバナ科

もう何度も登場していますが、
この時期には最も目立つ花です。
これは自生の花です。

植物園を見終えて、
リフト乗り場に降りる途中です。



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リフト乗り場近くからの風景。

この木は昨年も撮ったと思います。



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高速道路SAの夕焼け。

8月9日午後、
帰途につきました。
まだお盆のラッシュには遭遇しないつもりだったのに、
事故渋滞が何ヶ所もあって・・・


これをもって、
「2013志賀高原」は終了とします。


◎  東館山高山植物園(1) 

志賀高原の3日目は、
東館山の高山植物園に行きました。


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「高天原」という神話を思い出させるような所から、
リフトで登ることができます。

標識の根元の花はギボウシです。



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昨年より数日早く行ったせいなのか、
ご覧の通りリフトはガラガラです。
昨年は満席ではないにしても、
行きも戻りも大勢の姿が見えたはずです。



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ヤナギランとゴンドラ。

高天原からのコースは、
リフトを降りた後、
かなりの高さを歩いて登ります。

発哺温泉からだとゴンドラで頂上まで登ることができます。
だから、
発哺温泉からゴンドラで登って、
高山植物を見ながら下ってきて、
リフトで高天原に降りるのがもっとも楽なコースですが、
多少は山歩きをしたいし、
高天原の方がホテルから近いし、
往復リフトにしました。



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シモツケ(下野) バラ科

高山植物園は名の通り、
人が植えた高山植物を見ることになります。



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エゾアジサイ(蝦夷紫陽花) ユキノシタ科



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クガイソウ(九蓋草) ゴマノハグサ科

この花には、
蝶が寄ってきて、
蜜を吸っていました。


◎  〜白根火山〜ホテル 

芳ヶ平から白根火山へ、
往路と同じ道を辿って戻りました。


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スタートの時に見ていた風景の所まで戻ってきました。
ここまで来れば、
熊は出て来ないだろうと思います。



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今来た道を振り返ってみました。



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ヤナギラン(柳蘭) アカバナ科

スタート地点のそばに咲いていました。

白根火山からバスで帰ります。
途中、蓮池という停留所で乗換えです。



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白樺の幹。

蓮池でバスを待つ間、
停留所近くのプチホテルの前庭を眺めたりしていましたが、
そこに人面みたい白樺がありました。



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同じ庭にアジサイが咲いていました。
この時期ですが、
咲き残りではない、
瑞々しい花でした。



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ヨツバヒヨドリ(四葉鵯) キク科

ホテル前に咲いていました。


これで第2日目は終わりです。


◎  芳ヶ平 

ヒュッテの前を通り過ぎて進むと、
目的地の芳ヶ平になります。

さっき追い越して行った90人の人たちが、
三々五々散らばって、
昼食をとって、
大方終えた所でした。


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芳ヶ平は湿原です。
こんな小さなものからもっと大きなものまで、
数多くの池塘が点在しています。


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上より少し大きい池。



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細長く、向うまで伸びている池。



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この辺では一番大きな池です。
波がなく、
樹木や草がきれいな影を落としていました。

木道を少し広げて、
この池を見ながら休憩できるよう、
ベンチが設置されていますので、
毎年ここで、
ホテルで用意してもらったお握り弁当を食べます。



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着いた時は全く波がなかったのに、
食事をしているうちに、
風が吹いてきて、
池面が波立ちました。



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食事を終えて歩き始めました。
隣の池にはカモの親子が泳いでいました。



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小さいですが美しい池です。



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草原のように見えても全体が湿原です。
こんな木道があって、
湿原をひと回りできるようになっています。



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木道を出ると土の道があって、
左に行けば渋峠、
右に行けば白根火山に戻ります。

戻り始めた所で、
若いカップルとすれ違いました。
「今日は〜」と挨拶して、
渋峠の方向に進んでいきました。



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ススキ(薄) イネ科

まだ初々しい姿。
帰り道での写真です。

戻り始めて、
少し歩くと例の荒涼写真撮りの男性が立ち止まっていました。
老夫婦を気遣って待っていてくれたのか、
そこから一緒に歩きました。

山での写真撮りの話をしながら歩きましたが、
緑の風景が岩石の風景に変わったころ、
何となく離れて先きに行ってしまいました。

白根火山は雨の多い所です。
毎年途中で雨に遭いましたが、
今年は全く遭わないでしまいました。
そして熊とも遭わないで、
無事に帰着しました。


◎  芳ヶ平ヒュッテへ 

「荒涼」の写真を続けましたが、
同じコースに花も咲いています。


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ウツボグサ(靫草) シソ科

スタート間もない所に咲いていました。



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イワオトギリ(岩弟切) オトギリソウ科

砕けた溶岩がゴロゴロしている所の僅かな土に咲いています。
ここに来る少し前に、
熊に遭って戻ってきた人たちと出会いました。



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ヤマハハコ(山母子) キク科

周囲の景観は、
荒涼とした所から、
次第に草木の生えている所に変わってきます。

後で聞いたのですが、
荒涼写真撮影家は、
この辺で、
遠くの斜面を歩く熊を見かけたそうです。



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坂道を下ってくると、
下に赤い屋根が見えてきます。
これが芳ヶ平ヒュッテで、
その先きに湿原、
芳ヶ平湿原が広がります。



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アカモノ(赤物)の実 ツツジ科



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ナナカマドが部分紅葉していました。
「小さな秋」です。



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ツガザクラ(栂桜) ツツジ科

小さな可愛い花です。



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芳ヶ平ヒュッテに到着。
といっても、
立寄りませんでしたが・・・

天皇陛下がハイキングされた時は、
ここでカレーライスを召し上がられたそうです。
私はコーヒー飲んだことがありましたが、
今回は時間がないので通り過ぎました。


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スタートして間もなく「熊が出た」と聞きました。
そこからは、
鈴をリュックにつけて、
チリンチリン鳴らしながら歩きました。

見渡せる範囲では、
コースには3人しかいませんでしたので、
鈴の音だけが熊避けの策でした。

暫くすると、
後の方が騒がしくなり、
大勢のハイカーの姿が見えてきました。
われわれは写真を撮りながらのスローペースですから、
たちまち追いつかれ、
追い抜かれました。

聞けば90人の団体だとか・・・
これなら熊は出て来ないだろうと安心しました。

しかし彼らが通り過ぎて静かになった後、
写真家の男性が、
上に書いたように、
熊を見かけたそうです。
私たちの背後でのことです。
彼が鈴を下げていなかったからでしょうか?

とにかく、
私は熊を見ないでしまいました。


◎  白根火山〜枯死した樹木 

ハイキングコースを歩いて行くと、
その両側に、
硫化水素によって枯死して倒れた樹木が多く見られます。


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川下りなどでは、
両側の岩の形を動物などになぞらえて、
例えば「獅子岩」だとか、
命名してありますが、
それと同じことで、
何かに見えるものもありそうですから、
考えてみるのも面白いと思います。


◎  白根火山 

志賀高原の地図に付属している小冊子によれば、

白根火山は月を思わせる火口湖を持つ。
----------中略------------
明治15年から昭和17年まで数回爆発し、
昭和20年湯釜が、
51年に水釜が噴火した。
----------後略------------


とあります。

昨日は、
お花畑が広がるかのような写真を並べましたが、
今日は一転して、
(火口湖ではありませんが)
荒涼とした「月面」のような写真です。


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稜線の向うが噴火口、
湯釜です。



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斜面の一部。



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転がっている溶岩。



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溶岩の河。

昨日のイタドリを撮っていたとき、
つまり歩き始めてすぐのころ、
大きなリュックを背負い、
1眼レフと三脚を持った男性に出会いました。

ちょっと挨拶を交わしただけでしたが、
彼は、
月面のような、
荒涼とした風景が撮りたくて来ているのだ、
といいました。



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河の一部。



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枯れた立ち木も多数あります。


この辺まで来たとき、
逆方向から3〜4人が歩いてきました。

1kmくらい先きで熊に出会ったので、
引き返してきたとのことです。

思案のしどころでしたが、
荒涼風景を撮りにきた人も行くとのことでしたので、
進むことにしました。
彼は一度熊に出会ったことがあるそうです。

熊のこと以後、
彼とは、
先きになり、後になり、
ときどきは言葉を交わして、
進みました。


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荒涼とした風景を見ながら下って行くと、
やがて緑の地域になりますので、
それらを織り交ぜて、
掲載していくことにします。


◎  白根火山〜イタドリ 

志賀高原2日目は、
白根火山から芳ヶ平までハイキングすることにしました。
このコースも毎年歩いているのですが、
ホテル裏手の焼額山も毎年登っているので、
どちらにしようか思案の末に決めました。

白根火山までバス。
志賀高原内のバスの終点です。
そこには広い駐車場、トイレ、土産物屋、レストランなどがあって賑やかです。
たいていの人は、
ここでゆっくりしていたり、
少し登って噴火口を見物したりしています。
芳ヶ平の方へ歩く人は稀です。


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歩き始めるとすぐ小さな池があります。
多分名前はありません。


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この池の周辺の原っぱには、
イタドリが色とりどりの花を咲かせています。
池にはカモが泳いでいました。



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イタドリ(虎杖) タデ科

「タデ食う虫も好き好き」とかいいますが、
食べたら変な味がするのでしょうが、
花はきれいです。



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薄いピンク色です。



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濃いピンク。



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赤です。


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焼額山は標高2000m、
頂上に稚児池という小さいですが美しい池があります。
ホテルの標高が1600mなので、
高低差400mです。

白根火山(標高2010m)〜芳ヶ平(標高1832m)のコースは、
高低差が200m若ですから、
焼額山の半分です。
今年は楽な方を選びました。

今年は、
「天皇陛下のコース」を歩くことにしました。
(わが家だけで使っているコース名です)

どういうことか、
芳ヶ平のハイキングコースについて説明しますと、
志賀高原から白根火山に来る途中に渋峠(標高2172m)があります。
ここから草津まで下る道があって、
その途中に芳ヶ平があります。

ハイキングコースとしては、
渋峠〜芳ヶ平〜白根火山のコースが標準ですが、
渋峠は標高が高いので高低差が160mほど大きくなり、
その上、急な坂道です。

数年前に天皇陛下がお忍びで芳ヶ平にハイキングされたそうですが、
その時のコースが、
白根火山〜芳ヶ平〜白根火山
という往復コースだったそうで、
その日案内役をされた方のブログを見て知りました。

これが一番楽なので、
今年は「天皇陛下のコース」に決めました。


◎  「せせらぎコース」の花(3) 

「せせらぎコース」の最終回です。


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ヤマハハコ(山母子) キク科

モコモコした毛に包まれている姿を見ると、
スイスの国花、
エーデルワイスの近縁でないだろうかと思います。



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アキノキリンソウ(秋の麒麟草) キク科

秋らしい名前でホッとします。



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モウセンゴケ(毛氈苔)モウセンゴケ科

湿地に生える食虫植物の一種で、
葉にある粘毛から粘液を分泌して、
虫を捕獲するそうです。



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ノリウツギ(糊空木) アジサイ科

志賀高原に来る途中の山腹に沢山咲いていましたから、
今が盛りのようです。

この樹液を、
和紙を漉く際の糊に利用したので、
この名がついたそうです。



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帰りはバスの便もありますが、
歩くことにしました。
行きに木道から見たスイス風のホテルが並んでいます。

右側の広場は駐車場です。
スキーシーズンにはびっしりと車が並ぶことでしょう。



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窓辺に赤いゼラニュウムなどを飾っているのもスイス風です。



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小さなホテルの前です。
ゆるいとはいえ、
どちらへ向かっても坂道なのに、
この自転車で頑張るのでしょうか〜

因に、
体育会系と思われる若者たちが、
ローラースケートで、
坂道を登って行ったり、
下って行ったりしていましたが・・・



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夕方6時頃、
爽やかな雲が浮かんでいました。

ホテル入り口の温度計は18℃を指していました。
調べてみると、
同日同時刻の埼玉県熊谷市の気温は33℃。


◎  「せせらぎコース」の花(2) 

間が開いてしまいましたが、
「せせらぎコース」の続きです。


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ノアザミ(キク科)

木道の脇に咲いていると、
何度でも撮りたくなる花です。

細い花弁を無造作にまとめて、
萼の中に詰め込んだような姿に野性味を感じます。



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群生している場所が少なくて、
今回はこれが最多でした。

ホテル裏手の焼額山に登ると、
冬はスキー場になるゲレンデに群生しているのですが、
今年は、
残念ながら登らないでしまいました。



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ヤマオダマキ(キンポウゲ科)

このコースは毎年歩いていますが、
例年になく沢山見かけました。



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上に同じです。



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トリカブト(キンポウゲ科)

まだツボミです。
開くとシベが出てくるのですが・・・



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コバギボウシ(ユリ科)

沢山咲いているのですが、
強い陽射しでぐったりしている花が多くて・・・
これはきれいに咲いていました。



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ナナカマド(バラ科)

木全体はまだ緑なのですが、
この枝だけ紅葉していました。
右側はシダです。

強い陽射しを受けながらも、
高原には秋が近づいていました。


◎  カラスウリ 

夜咲いて、
夜が明けるとしぼむ花です。

以前は、
昼のうちにツボミの在処を見定めておいて、
暗くなると撮りに出かけましたが、
最近は、
夜の外出が億劫になって、
撮りに出ませんので、
在庫から出してきました。


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カラスウリ(烏瓜---ウリ科)
夏の夜に花が咲いて、
秋には朱色の実をつけます。


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カラスウリの花に留守番をさせて、
出かけてきます。

志賀高原のシリーズを始めたばかりですが、
3日ほど休ませて頂きます。

再開しましたら、
またお出で下さるよう、
お願い致します。


◎  「せせらぎコース」の花(1) 

歩いたコースは全長1.3km、
標準時間は55分となっていますが、
写真を撮りながらのノロノロ歩きで、
150分ほど掛かりました。


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樹木のない湿原を通ったり、
ちょっと林に入ったり、
コースのほとんどは木道です。

写真の木道はきれいですが、
かなり傷んでいて、
修復が必要な箇所もありました。
修復には費用もかかるし、
大変だろうと思います。



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今の時期、
最も目立つのが、
ヤナギラン(柳蘭---アカバナ科)です。
色が華やかで、
群生しているから、
遠くからでも、
よく目立ちます。



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孤独なヤナギラン。



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湿原には黄色い花も群生しています。



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キンミズヒキ(金水引---バラ科)です。
この名前は、
昨年漸く突き止めました。
「水引」にしてはちょっと太めですが・・・



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ウツボグサ(靫草---シソ科)
美しい紫色です。
左下の白っぽいのは木道。



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ウメバチソウ(梅鉢草---ユキノシタ科)。
木道脇の湿地に咲きます。
1輪か2輪で咲いているので、
群生の写真は撮れません。


◎  シラカンバ 

「白樺」は高原の木です。
「シラカバ」と読むのが普通ですが、
同じカバノキ科、カバノキ属に「岳樺」という木があって、
これは「ダケカンバ」といいます。
それで「白樺」も「シラカンバ」としました。

シラカンバが生育するのは標高1000m〜1600mで、
ダケカンバは1500m〜2000mだそうです。

志賀高原の初日に散歩したのは標高1600mくらいの所ですから、
タケカンバも共生していて不思議はないのですが、
このコースには見当たりませんでした。


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散歩した「せせらぎコース」には大木が見当たりませんでした。
この木は太い方です。



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手前にシラカンバ、
そして、
草原の向うに見えるのは「一の瀬スキー場」のホテル街です。
スイス風のホテルが並んでいます。
私が泊まったホテルは、
こんなにカッコイイ建物でありません。



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これも同じです。
「せせらぎコース」は車道と平行していて、
車道沿いにホテルが並んでいますから、
こんな風景を見ながら歩きます。

こんなスイスのシャレー風ホテルに泊まっているのは、
学習塾の合宿が多いそうです。
あるいは大学、高校の部活合宿なども。



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シラカンバの幹。
目玉のように見えませんか?



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これも。
ちょっと恨めしそう・・・



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これも。
瞳が光っている・・・



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北斎描く富士山みたい?


◎  志賀高原〜赤トンボ 

8月7日から3日間、
信州、志賀高原へ行ってきました。
つかの間の避暑でした。

7日の立秋から、
関東地方は猛暑となりましたが、
高原は爽やかで、
昼間の気温は22℃〜24℃、
夕方(18時頃)、
ホテルの入り口前の温度計は18℃を指していました。

昨夜帰ってきたら暑いこと!!!
そして今日の昼間の暑いこと!!!!!
帰りたくなかった!

写真の整理はこれからですが、
取りあえず、
着いた日の午後の散歩で撮った赤トンボです。


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ヨツバヒヨドリの花で羽を休める赤トンボ。
羽が5色に輝いていたのですが、
うまく写っていませんでした。



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草の葉に。



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ノアザミの花に。

飛行機には垂直尾翼がありますが、
このトンボには垂直主翼?
うまくとべるのでしょうか?



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アブラガヤに。



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タカネスイバに。



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枝の先に。
色がちょっと違ってしまいましたが・・・



つかの間の避暑は毎年8月に行っています。
トンボを撮ったのは、
「せせらぎコース」といい、
細い流れに沿って広がる湿原の中の木道を歩くコースです。
やや登りですが、
ほとんど平坦。
初日はここを歩いてみました。

今年は右足の調子が悪くて、
山道のハイキングができるのか、
心配しながら出かけましたが、
何とか歩けてホッとしました。

このコースは毎年歩いていますが、
あまり赤トンボを見ることはなかったのに、
今年は沢山見かけました。

オダマキの花も見かけなかったのに、
今年は沢山咲いていました。
おいおい載せていきます。


◎  百日紅 

今日、8月7日は立秋です。
暦の上では秋となりますが、
暑さはこれからが本番でしょう。
皆様、暑さに負けず、お元気にて、お過ごし下さい。


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2〜3日更新を休みますので、
よろしくお願いします。


◎  栗の実 

向日葵を撮ったのと同じ日に、
栗の実も撮りました。


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まだちょっと小さいですが、
すっかり栗の実らしい姿になっていました。



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遠目には1人前の姿に見えますが、
近寄って見ると、
まだまだ幼い実です。

イガは初々しくて、
まだ棘とはいえない柔らかさです。

美味しく実る頃には、
棘も硬く鋭くなるでしょう。

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今週と来週は夏休みモードに入ります。
ときどき更新を休みますので、
ご了承下さい。


◎  ヒマワリ 

7月末、
久しぶりに花の写真を撮りました。


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向日葵の真つ正面の笑顔かな     岩田育左右



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向日葵のうしろ姿を見つづけむ     田村みどり



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ひまわりの意地を通してしおれけり     廣嶋美恵子




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向日葵の見かけによらぬ意気地なし     檜紀代


わたしも意気地がなくて、
強い陽射しの下では、
外へ出る元気が湧いてきません。

ちょうど暇があって、
薄曇りで、
湿度も高くなかったので、
出かけてみました。

家を出て少し行くと畑が広がっています。
昨年見つけたヒマワリ畑に行ってみましたが、
ヒマワリも何も植えてありませんでした。

畑の隅っこに、
あっちに5本、
こっちに10本と植えてあるヒマワリを撮ってきました。


◎  「風立ちぬ」〜堀越二郎〜零式艦上戦闘機 

航空発祥記念館に展示されている零戦です。

第2次世界大戦中、
アメリカ軍によって、
サイパン島で無傷で捕獲され、
現在は、
米国プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に、
当時のままに保存され、
航空ショーなどで実際に飛行しているそうで、
現存している零戦の中で、
唯一飛翔可能な機体とのことです。


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機体先端部。



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主翼に取り付けられた20mm砲。



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主脚。

主翼の下側に凹み(主脚収納部)があります。
当時は主脚を出したまま飛ぶ戦闘機が多かったそうですが、
零戦は飛翔後に主脚を引き込むようにしました。
堀越二郎は、
主脚を収納した状態で飛ぶ姿を美しいと見ました。



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沈頭鋲。

余計な風圧を受けないように鋲の頭を沈めて、
平らにしました。
螺子も同様です。
この「沈頭鋲」のエピソードは映画に出てきます。



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大型映像館で見た映像で、
尾翼側からの姿が美しかったので、
トライしてみましたが・・・
背景がゴチャゴチャしているし、
場所が狭いし、
(言い訳です)
美しくは撮れませんでした。



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3階からの撮影。



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操縦室。

上から撮ってみましたが、
内部はハッキリ映りませんでした。



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尾翼前部。

型  式:零式艦上戦闘機
製造番号:中島第5357号

と書いてあります。
零戦は堀越二郎が設計、
つまり三菱重工で設計されましたが、
製造は中島飛行機(富士重工業の前身)でも行われました。
機数では、
中島製が2/3を占めたそうです。
エンジンはすべて中島製です。


零戦はその名の通り、
戦闘機、つまり戦争のための道具でした。
そこだけに注目すれば、
零戦を賛美することには問題が出てきますが、
純粋に飛行機として、
機械として考えた場合には、
ライト兄弟が空を飛んで以来の航空史の中で、
意味をもつ機種だと思います。
そうであればこそ、
アメリカのプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館が、
大切に保存しているのでしょう。

戦後日本が開発した飛行機 YS-11 には、
堀越二郎も関わっています。
零戦開発の経験が生かされていたことと思います。


◎  「風立ちぬ」〜堀越二郎 

先日、
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を見てきました。

映画鑑賞の数日前、
所沢市にある航空記念公園内の「航空発祥記念館」に行って、
堀越二郎について予習しましたので、
そのことを・・・


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航空発祥記念館です。

現在、
企画展「堀越二郎の生涯」をやっています。

また8月末まで、
アメリカから一時帰国した
「唯一現存する飛行可能な『伝説の名機』零戦」
が展示されています。

更に、
大型映像館では、
オリジナル映像作品「傑作機 零戦と人間・堀越二郎」を上映していました。

大型映像館は撮影、録音禁止ですから、
お見せするものはありませんが、
記憶に残ったことの一つは、
堀越二郎の遺品の中に一高時代の寮生名簿があって、
そこには堀越自身の名はもちろんですが、
今回の映画で結びつけられた堀辰雄の名前もあったことです。

「堀越二郎の生涯」展は撮影可でした。
資料をいくつか撮ってきました。



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日本の航空史を代表する5人の署名だそうです。



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堀越が使っていた計算尺。
映画には何度も出てきました。

計算尺は昔使っていましたが、
要らなくなって、
廃棄しました。
展示を見て、
「惜しかった!」という気もしましたが、
遺品として飾られる筈もないので、
廃棄処分は適切だったと思いなおしました。



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堀越による零戦のスケッチ。

彼は「美しい戦闘機」を作ることを目指していました。
そして、
出来上がって飛び立った零戦を見て、
「美しい!」とと喉咽の底で叫んだそうです。



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時の内閣総理大臣、近衛文麿からの招待状。

ここでいう「紀元」は「皇紀」といわれる、
神武天皇が橿原宮で即位した年を元年とする紀年法で、
西暦+660年となります。
昭和15年は紀元2600年に当るので盛大な式典が行われました。

零戦の「零」は年号2600の末尾の「0」を示しています。
正式には「零式艦上戦闘機」と呼び、
「ゼロシキ・・・」でなく「レイシキ・・・」と読むのが本来ですが、
現在では「ゼロ」と読まれています。



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堀越二郎直筆の「終戦日記」。

2ページ目もありますが写真は省略しました。
内容を下記します。

終戦日記

八月十五日

正午ラジオが天皇が重大な放送をされると告げた時、
私は咄嗟に終戦の詔勅に違いない、と悟った。
録音を再生しての放送は、
お声がかすれて所々しか聞きとれなかったが、
天皇の悲しい御言葉の一つ一つを聞き分ける必要はなかった。
しかし、
徐々に開戦も已むを得ないような雰囲気が作り上げられた四年前、
さて現実に戦かいが起こってみると、
敗戦まで行かぬうちに何とか政府は手を打つのだろうと、
漠然と考えてきた国民大衆はこれを聞いて何と感じたであろうか。

戦は終わった。
日本がすっかり消耗し尽した後の、
初めて経験する現実の敗戦。
明日からわれわれは何をしたらよいのだろう。
飛行機を造ることが終わったという以外現実には何も分からない。
分からないが考えなければならぬ。
社会的訓練の未熟、
過剰な人口と狭い国土。
自力では解決できぬ致命的な経済上の問題を抱えているこの国に、
数年前のような文明国らしい生活が帰って来るだろうか。

われわれに国際間の自由な交易を世界が許してくれなければ、
疲弊から立ち直ることはできない。
そもそも先進欧米諸国のブロック経済主義がこの戦争の根本原因ではなかったか。
日本が、
否日本の軍部とそれと結ぶ政治家が、
外交で平和的に打開することをせず、
武力に訴える所まで短気を起こしたことが戦争の近因ではなかったか。
戦勝国民にも日本国民にもこの反省がなければ、
日本の前途には長期にわたる経済および道徳の混乱がつづくだろう。
それは日本人にはもとより、
世界人類にとっても得策ではないはずである。

日本に壊滅をもたらした政策を指導してきた者が全部去らなければ、
腐敗の種は残る。
「誠実にして叡智ある、愛国の政治家出でよ。」
これが願いである。


1903年、今から110年前、
ライト兄弟が初飛行しました。
同じその年、
群馬県藤岡市で堀越二郎が誕生しました。

彼は少年時代に航空の道を志し、
一高を経て、
東京帝大航空学科に学び、
三菱重工業に入社して、
七試・九六艦戦、零戦、烈風等の設計を担当しました。

堀越は入社5年目、28歳の若さで、
七試艦上戦闘機の設計主任を命じられましたが、
この年に結婚しています。

映画では、
この結婚をないものにして、
菜穂子との美しくも哀しい恋を描いてみせました。


◎  富岡製糸場(2) 

場内では、
ガイドさんが案内してくれました.


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繰糸場。
これも長い建物で、
長さ:140.4m、
幅:12m、
高さ:14.8mです。



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屋根に惹かれました。



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工場の中に入ると、
繰糸機がずらっと並んでいましたが、
全部ビニールシートがかぶせてありましたので、
機械は撮らずないで、
天井を撮りました。
天井も中央部が美しいので、
そこばかり・・・



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天井の骨組みは「トラス構造」です。
それまで日本にはなかった構造だそうです。



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繰糸場の入り口横に廊下がありました。
この奥は寄宿舎です。
中に入れませんが、
きれいになっているようです。

寄宿舎→女工→女工哀史・・・
そんな連想が働きますが、
ここでは「女工」といわず「工女」と呼んだそうで、
優秀な女性たちを集めて技術を習得させ、
彼女たちは、
地元に帰って指導者として活躍したそうです。



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ブリュナ館。
ほんの1部だけの写真です。
総建坪:320坪という大きな邸宅。

ここに、
指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナ1家が暮らしました。
子供を含めて4人家族だったそうです。

建物は木骨煉瓦造りで、
高床で回廊風のヴェランダをもつ風通しのよい造りになっています。
床下には煉瓦造りの地下室があって、
今も残っているそうです。

ブリュナがいなくなってからは、
工女に読み書きや和裁などを教える夜学校として利用されました。
これは、
企業内教育の先駆けといえます。



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記憶が不確かなのですが、
敷地奥にあった寄宿舎だったと思います。
屋根瓦の並びがゆがんでいるのが気になって撮りました。



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検査人館。
生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設されました。
外観しか見れませんが、
瓦屋根の部分は玄関で、
その向うの煉瓦造りの建物が母屋になります。

写真を撮ってありませんが、
隣に女工館という建物もあります。
これは、
日本人工女に器械による糸取りの技術を教えるために
雇われたフランス人女性教師の住居だそうです。

上のブリュナ館も含めて、
フランス人の指導者を優遇したことを示す建物群です。


平成26年の世界遺産登録を目指しているそうでうすが、
審査も厳しくなっているようですから、
無事登録されるのだろうか・・・
ちょっと心配な気もしています。



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敷地の外れに行ったとき、
植え込みの枝にクモの巣が掛かっていて、
そこに大小の雨滴が載っていました。
この日は小雨の中の見学でした。


◎  富岡製糸場(1) 

7月21日、
群馬県富岡市にある
富岡製糸場へ行ってきました。

これは日本初の機械で絹糸を作る工場で、
明治5年に操業を開始しました。

当初は官営の工場でしたが、
明治26年三井家に払い下げられ、
更に明治35年には原合名会社(社長は横浜の「三溪園」で有名な原富太郎)に渡り、
昭和14年に片倉製糸紡績会社の所有となり、
昭和62年まで約115年間操業を続けました。

平成17年富岡市に寄贈され、
平成18年国の重要文化財に指定されました。

現在は関連施設とともに、
世界文化遺産に登録する取り組みが進められています。
(敷地は1万6千余坪)



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門柱。



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門を入ると正面にあるのが東繭倉庫。
建物の長さ:104.4m、
幅:12.3m、
高さ:14.8m



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上の写真で、
入り口周囲に足場が組まれていますが
その下にアーチがあり、
アーチの要石(Key stone)に「明治五年」と、
完成年が刻まれています。



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東繭倉庫の右半分。
現在は、
この中が展示場になっています。



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東繭倉庫の左半分。

建物の構造は「木骨煉瓦造り」という珍しいものです。
木造の骨組みに煉瓦壁を積み並べた構造で、
西洋から入ってきた建築技術でした。

屋根の荷重は、
柱、梁などの木骨にかかり、
壁には殆どかからない特徴があります。
そのため、
煉瓦だけで建てられた建造物よりも壊れにくくなります。



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使われている煉瓦の積み方の見本で、
「フランス積み」と呼ばれています。

次回に続きます。



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