Photo & Essay

◎  直島銭湯 

3年前の「直島紀行」3回目。

昨日と同じく、
港に近い宮ノ浦地区です。


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賑やかなというか、
派手やかなというか、
タイルで装飾を施した建物がありました。

建物の左角部です。



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左角から右に進みます。



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更に右に進むと入り口です。

「直島銭湯」の金文字が見えます。
青いジーパンの男性はツアーで一緒の人で、
右側の女性はバスガイドです。

この男性は銭湯に強い興味があったらしく、
ガイドさんに説明を求めていました。
私は外観の方に興味があって、
写真撮りに夢中でしたから、
説明は聞いていません。



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上の銭湯入り口の右側、
建物の右端です。



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右端から奥には小径があります。



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入り口の右側。

「アイ・ラブ・湯」と読むようです。


「直島銭湯」について今更ですが調べました。

休館日は月曜日。
営業時間は、
平日 14:00〜21:00
土日祝 10:00〜21:00
料金 ¥500(島民は¥300)

とあります。
写真のデータを見ると、
撮っていたのが、
9:20頃ですから、
早過ぎて開いていなかったようです。
ジーパンの男性には残念なことでした。


アーティスト・大竹伸朗が手がける実際に入浴できる美術施設。
クリエイティブ集団grafの設計協力を得て、外観・内装はもちろん、
浴槽、風呂絵、モザイク画、トイレの陶器にいたるまで
大竹伸朗の世界が反映されています。

(直島銭湯のHPから)

外観だけでなく、
内部も芸術的で一見の価値はあったようですから、
入浴できなかったことは、
私にとっても残念なことでした。


◎  宮ノ浦地区 

3年前の「直島紀行」2回目。

フェリーを降りて、
港に近い地区の散歩です。


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赤い大きな←があって、
その上に
007「赤い刺青の男」記念館
と書いてあります。

007の小説「赤い刺青の男」に直島が実名で登場することを記念し、
映画化実現へのムーブメントとして、
町内有志が造り上げた007の関連資料展示スペースだそうですが、
見学に行きませんでした。



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いくら小さな島だって、
人が住んでいれば、
葬式はありますね〜



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直島には猫が多いとか・・・



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12月始めなのに、
晴れて暖かな日で、
南天の実が冬の陽に輝いていました。



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キリン一番搾りのポスター。
これが2010年の写真だという証拠になるのでは、
と思っているのですが・・・

現在のポスターは、
同じではないでしょう。



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分かれ道。
どっちへ行ったのでしょう?
記憶にありません。


◎  直島へ 

今日から「直島紀行」を始めます。
HDの中で3年近く眠っていた写真を発見しました。
行ったのは2010年12月の始めです。

Rawで撮ったまま、
現像もしないで保存してありました。
何故だか、自分でも分かりません。
ほかに沢山写真があって、
ブログに載せることもなく日が過ぎたのでしょう。

旅から帰ると、
パンフレットやら地図やら沢山あります。
ブログに書くときの資料になるので、
保存しておいて、
書き終わると廃棄します。

直島分は、
ブログに書いていないですが、
あまりに古いので捨ててしまったようです。
だから、
netで調べて分かる範囲で書いていくことにします。
「紀行」というより、
直島で撮った写真を並べることになるかも知れません。


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直島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。
高松からフェリーで行って、
1日をそこで過ごしてから、
玉野市宇野港経由で帰りました。

直島町のHPから抜粋、紹介します。

「直島(なおしま)」という地名は、
保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐へ配流される途中、
この島に立ち寄られたとき、
島民の純真素朴さを賞して命名されたと伝えられています。

平成元年に、
福武書店、現(株)ベネッセコーポレーションが
直島文化村構想の一環として国際キャンプ場をオープン。
その3年後にはベネッセハウスを開設するなど、
文化性の高い島としても発展してきています。


面積は約8平方キロメートルだそうです。



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高松市。

12月2日の朝、
高松港を出発しました。
前日大塚国際美術館を見学して、
高松に宿泊しました。



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よく晴れて波静かな瀬戸内海です。



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直島、宮ノ浦港が見えてきました。



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宮ノ浦港に到着したフェリー。

多分これに乗ってきたのだと思いますが・・・
1人しか姿が見えないのは何故だか分かりません。



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さっきの船が出航しました。



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浜辺に大きなカボチャ。

草間弥生の作品です。
直島は芸術の島なのです。



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宮ノ浦港附近。


◎  自転車のある風景 

街を歩いていて、
自転車があると撮っています。

折角撮ったので、
少し載せてみます。


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◎  水の戯れ 

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街を歩いていたら、
店先の大きなガラス窓の内側に水が流れていました。
窓の中に妖怪がいると思いませんか?


水の悪戯、
水の戯れです。

ラヴェル作曲「水の戯れ」
辻井伸行の演奏。





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写真が1枚だけでは淋しいので、
追加しましたが、
これは「水の戯れ」でなくて「水と戯れ」です。


◎  秋雨に濡れる花水木 

昨日、
雨の中で撮ってきた花水木です。

葉が紅くなってきましたが、
紅くなる前に散ってしまった木もあります。


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♪今はもう秋・・・

暦の上では晩秋です。
昨日の季語は「秋の雨」でした。
これは、
しとしとと降り続く雨です。

「時雨」というのがあります。
辞書には、
秋の末から冬の初めにかけて、
ぱらぱらと通り雨のように降る雨。

とありますが、
これは冬の季語だそうで、
晩秋の季語は「秋時雨」になります。

秋時雨犬にひかれて一人づれ   芝宮須磨子

昨日は雨の中で写真撮りをしていましたが、
ほとんど人は通りません。
すれ違ったり、
追い越されたりするのは、
愛犬を散歩させる人だけでした。


もう1句。

便り書くカフェのテーブル秋時雨   塩田博久

今の時代は、
カフェでメール打ちでしょうね。

便りを書いているのは、
やっぱり若い女性の方がロマンチックですが、
だれに書いているんでしょう。

外では、
パラパラと秋時雨。
変わり易い女心???
それとも変わるのは男心???


◎  秋の雨 

雨の日が多くなっていますが、
季語に「秋の雨」があります。

歳時記には、
9、10月ごろ、
所々に小低気圧を生じ、
そのため曇りがちで小雨の降るような日が続く。

とありますが、
このところの雨は、
小低気圧ではなくて、
台風の大低気圧によるものですが・・・

こんな句がありました。
秋雨の小江戸にひびく時の鐘   阿部文子

この前の日曜日は、
小江戸・川越のお祭でしたが、
1日中雨でしたから、
行かないでしまいました。
恐らく、
山車は出ないで、
時の鐘だけが鳴り響いていたことでしょう。


今日は、
家の近くで、
「秋の雨」を撮ってきました。


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明日も雨の予報です。
大島では全島避難指示がでたとか・・・
島民の皆さんの無事を祈っています。


◎  高句麗文化展 

高麗神社の境内に、
華やかな衣装が展示されていました。

誰も居ないし、
説明文もないし、
詳しいことは分かりませんが、
高句麗から渡来した頃の衣装を再現したものなのでしょう。


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左端。



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中央部。



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右端。



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左端の人形。



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右端の人形。



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高句麗文化展とは別なのですが、
最近作られたキャラクターのようです。

男の子が「トライくん」で、
女の子が「ミライちゃん」です。
1300年前の「渡来」から「未来」へという意味のようです。


巾着田からもっと近いと思って来てみたら、
ずいぶん遠かったので、
帰り道は写真も撮らず、
重い脚を引きずって歩きました。

高麗神社のことはこれで終わります。


◎  高麗家住宅 

高麗家は高麗王若光の子孫で、
代々高麗神社の神職を勤めてきました。

その住宅が高麗神社の裏手にあって、
国指定の重要文化財に指定されています。

普段は窓や戸を閉じているようですが、
この時期(巾着田の曼珠沙華)は自由に出入りできました。


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高麗家住宅全景。

左上にあるのは枝垂れ桜の大木です。
花の頃、茅葺き屋根を入れて写したいものです。

この住宅の建築年代は、
慶長年間(1596〜1615)と伝えられており、
高麗氏44代〜46代の頃の建築と考えられています。
(現在の当主は若光から数えて60代目)

1971年に重要文化財に指定され、
1976年〜1977年にかけて解体修理が行われ、
建設当初の姿を再現したものだそうです。



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表側格子。

この右側に入り口があります。



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パンフレットの平面図。

「土間」竃が設けられています。
「勝手(かって)」囲炉裏があり、ここで調理しました。
「表座敷(おもてざしき)」21畳の広さがあります。
「奥(おく)」客間で広さは10畳。
「四帖(よじょう)」奥に通される客はここから出入りしました。
「部屋(へや)」窓がなく壁で囲まれた部屋で、出産のときなどに使われました。



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表座敷。



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表座敷の屋根裏。



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勝手の囲炉裏。



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土間。



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裏庭の枯れた紫陽花。


◎  高麗神社 

高麗神社に到着です。


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鳥居。

奥は深い杜、
のように見えますが、
そんなに深くありません。



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鳥居の額。

「高麗神社」と書いてあります。



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手水舎。



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手水舎の額。

「洗心」と書いてあります。
手を洗い、
口を漱ぐことは、
心を洗うことになるのでしょう。



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拝殿。



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拝殿の額。

ここには「高句麗神社」と、
「高」と「麗」の間に、
小さく「句」の文字が書いてあります。



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酒樽。

「高麗王」。
拝殿の向かって右側、
青いシャツの男性の向うに飾ってありました。


高麗神社(高句麗神社)。
高麗王。

説明は、
巾着田に行くために降りた西武池袋線、
高麗駅前にありました。



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駅前の案内板。

案内板の「1」〜「4」の説明文を、
書き写しましたので、
興味のある方はお読み下さい。

「1」
紀元前37年から668年、
朝鮮半島北部から中国東北部は
「高句麗(こうくり)」という巨大な国が所有していました。
しかし、
唐と新羅の連合軍との戦いに敗れ、
多くの高句麗人が海を渡り日本へ難を逃れました。

「2」
日本へ多くの渡来人がやってきました。
日本では高句麗のことを「高麗(こま)」と記し、
彼らのことを「高麗人(こまびと)」と呼びました。
高麗人は
東国7国(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野)にも住んでいました。

「3」
当時の政権の大和朝廷は、
716年武蔵国に「高麗郡」を置きました。
東国7国に住んでいた高麗人1799人は高麗郡に移住しました。
高句麗の王族であり、
すぐれた人物であった「若光(じゃっこう)」は、
高麗郡の郡司を命ぜられ、
郡を治めました。
当時、
未開地だった高麗郡内を開拓して、
産業を興すなど、
人々の生活を安定させました。
彼らはそこで、
生活の基盤を整え、
役所の建設や道の敷設など、
郡に必要な整備をしていきました。

「4」
高麗神社には高麗郡の郡司であった高麗王若光が祀られています。
現在に至るまで、
高麗王若光の直系によって護られており、
多数の参拝者が訪れています。
聖天院には「高麗王廟」など、
歴史的関わりの深い建造物があり、
多くの方々が訪れます。


「聖天院」は「巾着田」から「高麗神社」へ行く途中にありますが、
今回は立寄りませんでした。


◎  高麗神社へ 

巾着田に曼珠沙華を見に行ったついでに、
高麗神社へ行きましたので、
その時の写真を載せていきます。

今日は神社に着くまで。


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コスモス。



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ハナナス。

生け花などに用いる観賞用です。



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農家の車庫。



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シュロと青空。



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イネ。

わが家の近くは畑だけで、
田んぼがないので、
イネは珍しくて、
ついカメラを向けます。



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巾着田から高麗神社まで2.3km。
殆どは車道の端っこを怖々歩きましたが、
最後の方は、こんな田舎道で、
気持ちよく歩けました。



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この小径を抜けると高麗神社です。

続きは明日。


◎  汐留〜銀座 

10月15日、
汐留ミュージアムで、
「モローとルオー」展を見ました。


1モローとルオー

ギュスターヴ・モロー (1826-1898)は、
パリで、
建築家の父と音楽家の母との間に生まれたフランス象徴主義の画家。
1892年に、
彼自身が学んだ美術学校の教授に就任し、
ルオーやマチスを指導しました。

ジョルジュ・ルオー (1871-1958)は、
パリの下町に生まれ、
14歳でステンドグラス修復職人の徒弟となり、
19歳で国立美術学校に入り、
21歳からモローに師事。
モローの死後モロー美術館の初代館長に就任。
フランス20世紀を代表する画家となり、
死去の際は政府により国葬が行われました。

モローは名教授で、
ルオーはその最愛の弟子。
お互いを「親愛なる我が子」「偉大なる父」と
往復書簡の中で呼び合う仲でした。

こんな二人の作品が並べて展示されていました。

上の写真(パンフレット)の左上がモローの作品「ユピテルとセメレ」
右下がルオーの作品「我らがジャンヌ」



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パナソニック東京汐留ビルの外壁(ガラス窓)。



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汐留ミュージアムはパナソニックビルの4階にあります。
ここの窓から下を見ると〜
隣は「旧新橋停車場鉄道博物館」です。
その屋根に四角い穴が開いていることを発見!
何なのでしょう?

この日は台風26号が近づいているので、
この博物館には寄らないでしまいました。
次の機会に調べたいと思っています。

新橋駅近くでお昼を食べて・・・
雨は降っていますが、
風がないので、
銀座通りを歩いてみることにしました。



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雨の中、
傘もささずに、
靴ひもを直しているのでしょうか?

銀座4丁目和光のショーウィンドウです。
どこまでがショーウィンドウの中で、
どれが外の映り込みか、
自分でも分からなくなっています。

折角銀座通りを歩きましたが、
傘を片手に・・・
なので写真はこれだけです。



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銀座1丁目まで歩いて、
地下鉄有楽町線で帰りました。

「銀座1丁目」
ローマ字で書くと・・・

こう書くのかと、
始めて知りました。

ご存知の方からは、
「そんなことも知らないのか」
といわれそうですが・・・


◎  カキ(柿) 

柿が実っています。
柿の実は好きな食べ物ですが、
柿の葉は写真の題材として好きです。
初夏には初々しい緑の柿若葉、
そして秋の色づいた葉。

今年はその色づいた葉を撮っていません。
その内、
探しに出たいと思っています。


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イタリアでは柿のことを「カキ」と呼ぶ、
そんな記憶があったので、
調べてみました。

辞書を見ると、
"Kachi"です。
英語読みしたら「カチ」ですが、
イタリア語読みでは「カキ」です。

柿は日本から、
1789年にヨーロッパへ、
1870年に北アメリカへ、
伝わったそうで,
柿の学名に"Kaki"が使われています。

カキノキ科:Ebenaceae
カキノキ属:Diospyros
カキノキ:Diospyros Kaki


「花の手帖」(小学館)に、
柿は、
日本では有史以前から栽培されていたとみられ、
中国にもある。

とあります。

netで調べると、
古い時代に中国から渡来したという説もあります。


◎  直線と曲線 

今日も建築物の写真です。


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西新宿、
「ハイアットリージェンシー東京」裏側の階段。

レンガだから、
すべて直線です。



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西新宿、
「新宿パークタワー」
1Fアトリュウムから見た2F。

柱は丸いのですが、
断面が出ていないから、
見えるものはすべて直線。



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西武新宿駅。

レールも、
そしてホームも、
カーブしています。



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東京駅丸の内駅舎。

屋根を支えるブラケット。
美しい曲線ですが、
建築当初からのデザインでしょうか?


◎  円と直線 

所沢市の音楽ホール、
「アークホール」のロビー周辺。

円窓と柱や桟の直線との組み合わせが面白くて、
撮ってきました。


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◎  雑木林散歩 

昨日は、
今では無住となった家の思い出に浸りましたが、
林の中の散歩は続きます。


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昨日の家から少し行くと、
林の中に軽トラックがありましたが、
よく見えません。



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もう少し進んでからみると、
タイヤが外してあります。

こういう雑木林に、
テレビだの、
マットレスだの、
粗大ゴミを捨てて行く人がいて、
問題になったことがあります。

最近は見かけなったのに、
これはどうしたのでしょう?

置いたのは、
この林の持ち主でないかと、
推測しているのですが・・・



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軽トラックの反対側の林に、
赤い衣に黒い実のゴンズイが、
陽を受けて輝いていました。



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また少し行くと、
雑木林を塀で囲ってあって、
そこに壁画(?)が・・・



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林の外れに民家があって、
玄関の脇に、
シュウメイギクが咲いていました。


◎  思い出 

「家の近くを散歩」の続きです。


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少し歩けば田園に出ます。

「田園」と書きましたが、
田んぼはありません。
畑と雑木林です。



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雑木林もずいぶん減ってきていますが・・・

武蔵野の雑木林は人工林です。
防砂林として、
炭や薪の原料として、
落葉は畑の肥料として、
大切でした。



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林の中に人家があります。

その中の1軒。
住む人がいなくなって、
かなり長いです。

草や木が茂ってしまって、
母屋は屋根しか見えませんが、
かつて、
この荷車の車輪を用いた扉の内側には、
いろんな花が植えられていました。

カメラを持って通りかかったら、
花が美しいので、
フェンスの外から撮らせて貰っていました。

中から奥様が出てこられました。
当時の私よりもかなり年上と見受けられました。
「きれいなので撮らせて貰っています」
「どうぞ、どうぞ」
それから少し雑談を交わしていると、
近所のご主人がやってきて、
親しげに話をしたり・・・

そこへタクシーが来て、
この扉の前で停まりました。
身なりのよいインドの婦人が降りてきました。
奥様は、
この方を待ち受けるために、
出てこられたのでしょう。

きれいな英語で、
「お待ちしていました。
主人は外出中ですが、間もなく戻りますから、
どうぞお入りになって・・・」
というような挨拶をして、
先きに家の中に入られました。

インドの婦人は、
私が花の写真を撮っているのを見て、
「きれいな花ですね」
と声を掛けてくれましたので、
「あなたと同じ位美しいです」
と答えると、
にっこりして家に入って行きました。

あれから、
25年か30年経っているでしょう。
頻繁に通るわけでないので、
いつ頃から無人になったのか、
判然としませんが・・・



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家の横。



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家の裏。



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林を抜けると、
コスモスが咲いていました。


◎  ハナミズキ 

今日も晴れて暖かい陽射しがありましたので、
家の近くを散歩しました。


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ハナミズキの並木です。

実が真っ赤で、
葉がまだ落ちていない木。



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殆どの葉が落ちてしまった木。

赤い実だけが残っています。
葉の有無は、
陽当たりや風の通り具合などによるのでしょうか?



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実がまばらな木もあります。



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色づき始めた葉もあります。



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そんなに紅葉しているわけでありませんが、
光が当たれば美しいです。
光は魔術師。


◎  川越散歩 

9月に、
用があって川越市に行きました。
用が済んだ後、
少し歩いて、
撮った写真です。


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どんな店だったか、
よく覚えていませんが、
窓際に、
袋に入った瓶が並んでいたので、
撮りました。

袋の文字(Pampero Aniversario)を検索してみたら
「パンペロ アニヴェルサリオ ラム 700ml 40度 」
ベネズエラ産のラム酒でした。

最初に書いたように、
どんな店だったか覚えていないのですが、
ラム酒の瓶が並んでいるのだから、
酒屋〜洋酒屋であるはずですが・・・
今度行ったら、
確認します。



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和菓子屋の店内に飾ってありました。



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その和菓子屋さんの店先の駐車場に停めてあった車です。



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これも同じです。



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川越はサツマイモが有名です。


川越は古い町並みが残っているので、
その内に「ついで」でなくて、
撮影を目的にして、
行きたいと思っているのですが・・・


◎  上野公園散策 

一昨日(10/9)、
上野公園に行ってきました。

昨日の「考える人」と「旧東京音楽学校奏楽堂」も、
その時の写真です。


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主な目的は国立西洋美術館の「ミケランジェロ展」です。

美術館入り口の看板にふたつの作品の写真があります。
左がミケランジェロ15歳の作「階段の聖母」(大理石浮き彫り)、
右が死の前年、88歳の作「キリストの磔刑」(木彫)です。

「階段の聖母」は見事な作品です。
天才であって、
しかも長生きしたミケランジェロは多くの作品を残しました。

バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画、祭壇画は彼の偉業です。
天井画は1508年〜1512年まで4年の歳月を掛けて完成。
そのときミケランジェロは37歳。
同じシスティーナ礼拝堂の祭壇画(最後の審判)は、
1535年(60歳)に着手し、
完成したのが1541年(66歳)。

ミケランジェロが描いた12枚の部分習作(デッサン)と
ジョルジョ・ギージが1540年代に、
部分毎に描いた祭壇画の版画が展示されていました。

TBSテレビが今年8月、
天井画、祭壇画を4Kカメラで収録しました。
4Kとは、
表示パネルの画素数が、
フルハイビジョンの4倍ある高画質画像です。

会場では僅か10分間の上映でしたが、
250インチの大画面で見せてくれました。

全部撮ってあるのでしょうから、
それを見せてもらえば、
システィーナ礼拝堂を訪れて、
大混雑の中で、
首を痛くして上を見ているよりも、
遥かに楽に、
鮮明な画像を見ることができます。
実物を見るよりも、
ずっといいのじゃないか・・・

実物と映像の関係。
妙な気分になりました。



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国立西洋美術館本館。

この建物はフランスの建築家、ル・コルビュジェの設計で、
1957年に完成しました。

そして今、
世界遺産登録を目指しているそうです。
20世紀半ばの建築物が?
と疑問に思っていましたので、
調べてみました。

フランス政府とル・コルビュジエ財団が中心となり、
建築家ル・コルビュジエが設計した代表的な建築作品を一括して
世界遺産リストに登録することが計画されました。
フランス政府は、国立西洋美術館を構成資産の一つとして推薦するため、
日本政府に対して協力要請を行いました。
2007年、日本政府は、
国立西洋美術館を世界文化遺産の候補として、
ユネスコの世界遺産暫定リストに記載し、
同年、国の重要文化財(建造物)に指定しました。

(台東区役所HPより抜粋)

全部で22点の建築物を対象にした、
フランスの申請活動に乗っているということでした。



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東京都美術館の外壁。



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公園内のオブジェ。

今年春に見つけて、
撮って、
ブログに載せました。
どこかに題名や作者名があるのでは、
と探してみましたが、
何も見つかりませんでした。



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木々の間から見る国立博物館内
表慶館のドーム。

手前は同じく館内の
旧因幡鳥取藩池田家の表門。



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東京国立博物館正面。



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国立西洋美術館、
別館2階のバルコニー。

ミケランジェロ展を見て、
外へ出て昼食、
それから上野公園内を散策して、
その後、
再度西洋美術館に入って、
平常展を見ました。



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東京文化会館のガラスに映る風景。

上野駅に戻る途中です。


◎  小さな秋 

秋きぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行(古今和歌集)

立秋に詠まれた歌だそうですから、
この歌の作者の耳はずいぶん鋭敏だったと感心します。

ここ数日は夏が戻ってきているし、
風が吹けば、
それは台風で、
風情も何もないし、
だから私の耳には秋の音が聞こえてこない・・・

それで、
音の方は諦めて、
目で秋を感じたいと、
「小さな秋」を探してみました。


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「考える人」(ロダン作)
(国立西洋美術館前庭)

頬杖に深き秋思のロダン像   capucino

1句作りましたが、
実は元句があります。

頬杖に深き秋思の観世音   淡路女



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旧東京音楽学校奏楽堂。




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西新宿。



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川越喜多院。

これは9月下旬の撮影です。
今ではもっと紅葉が進んでいることでしょう。



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新宿中央公園。

公園に遊ぶ児もなく秋の滝   capucino



遅い残暑も今週で終わるようですが、
今年の紅葉は遅れるのでしょうか〜


◎  東京駅北口ドーム 

東京ステーションギャラリーは入り口が1階で、
展示室は3階と2階にあります。
3階から見始めて、
2階で見終わるようになっています。


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休憩室の窓。

2階の展示室を出ると休憩室があります。
この窓の外は丸の内側駅前。



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北口ドームの真下。

休憩室からドームの内側の回廊に出ます。
復原されたドームを何度も見上げた広場が目の下にあります。

広場には升目が!?
撮っている時は気付かなかったのですが、
写真を見ると歩きにくそうです。

実際は平らな床です。
上から見ると立体感がでますね。
まるで騙し絵です。



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大きな柱の頭部も目の前です。



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いつもは見上げていた風景が、
今は目の前に。



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ドームはやっぱり見上げなければなりませんが、
でも近いです。

回廊からミュージアムショップに入って、
階段かエレベータで1階に降りて、
外へ出ます。


東京駅の写真はもう撮らなくていいと、
考えて来たのに、
結局は、
全景を撮ったり、
KITTEEから俯瞰したり、
ドームの中を撮ったり、
いつもと同じになってしまいました。



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地下道の天井。

北口を出て地下に入って、
丸ノ内線の駅に向かいました。
疲れ切って、
帰宅です。


今回のシリーズは、
9月23日の金毘羅宮から始めて、
間に「巾着田」を挟みましたが、
延べ10回ほどの連載となりました。

実際に歩いたのは、
9月21日(土)1日でした。

僅か1日のことを、
延々連載したものだと、
われながら感心しています。


◎  東京ステーションギャラリー 

1東京駅パノラマ

東京駅全景。

駅舎の全長は330mあるそうですが、
全景を撮ってみました。
2枚に分けて撮り、
Photoshopでつないでパノラマ写真にしました。

KITTEを出て、
写真右端の南口前を通って、
中央口を過ぎて、
左端の北口に入ると東京ステーションギャラリーがあります。

東京ステーションギャラリーは1988年に誕生しましたが、
東京駅の復原工事に伴って休館し、
2012年秋に再開されました。

再開から1年経って、
ようやく再訪を果たしました。



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入り口横の展示。

「植田正治展」は10月12日からです。



2大野麦風展

見たのは「大野麦風展」で、
最終日の前日(9月22日)でした。

大野麦風(1888〜1976)は、
洋画から日本画に転向し、
さらに、木版画を手がけた画家です。

1937年に出版された「大日本魚類画集」(西宮書院)は、
彼が原画を担当しましたが、
その原画を中心とした展覧会です。

書籍の名前からは、
図鑑みたいな感じを受けますが、
対象の魚だけでなく、
生態や環境なども描きこんでいるので、
絵画として優れたものでした。



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階段室の照明。

展示室内は撮影禁止。
階段などは撮ってもよいと、
確認して入場しました。



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上の照明の上部。



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踊り場。



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東京駅建設当初のレンガ。


◎  KITTE 

明治生命館を撮った後、
東京駅に向かいました。

東京駅は、
昨秋の改築以来、
何度も撮っているので、
駅舎撮影の予定はありません。

改築後初めて、
ステーションギャラリーに行くつもりです。


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東京駅南口前に到着して、
ふと見ると、
新しいビルの屋上に大勢の人が・・・

このビルは、
旧東京中央郵便局局舎を再生、建設した「JPタワー」内の低層ビルで,
切手に因んで"KITTE"と名づけられた商業施設です。

またまた道草することにして、
エスカレータで6階に登り、
屋上庭園に出てみました。



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撮るつもりのなかった東京駅撮影になりました。
すぐ目の前に南口ドームがあります。



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右に進んで行くと、
駅舎は南の外れになり、
新幹線が見えてきました。



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見えていた列車が発車しました。
どこ行きでしょう。
西に向かって発車です。



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逆方向から在来線の電車が入ってきました。
写真を拡大してみたら、
「踊り子号」です。



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左の方へ戻りました。



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中央口前には駅舎見物と思われる人たちが見えますが、
改築直後のような混み具合でありません。



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下へ降りる途中、
4階に寄って、
「旧局長室」に行ってみました。

昔のままの椅子やテーブルがあるのでは、
と期待して行きましたが、
ほぼ空っぽの部屋でした。


◎  明治生命館外観 

神谷町から地下鉄で日比谷へ。


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レストランの壁。

お昼はイタリアンにしました。

食後、
お濠端を東京駅までウォーキング。

途中で明治生命館の外観を撮るつもりです。


今年7月に、
明治生命館の写真を載せました。
そのときの冒頭の部分を引用しておきます。


重要文化財「明治生命館」

明治安田生命のHPから:
明治生命館(東京・丸の内)は、
古典主義様式の最高傑作として高く評価され、
1997年5月に昭和期の建造物としては初めて国の重要文化財に指定されました。


このときは外観を全く撮らないでしまったので、
いつか機会があったら・・・
と思っていました。


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この柱を撮りたかったのです。

8階建てのビルの、
2階から6階までを貫く巨大な柱は、
ギリシャ建築のコリント式と呼ばれるものです。



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斜め見上げ。



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柱頭。



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礎盤。



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入り口上部の装飾。



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窓の装飾。



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1階部分見通し。


◎  ホテルオークラ東京本館ロビー 

大倉集古館の屋外展示品を見た後、
向い側のホテルに入りました。

高級ホテルの入り口には、
ドアマンというのか、
制服の人たちが何人もいて、
丁寧に挨拶されるから、
宿泊するわけでも、
食事をするわけでもないのにと思うと、
ちょっと気後れしますが、
まあ何とか胸を張って入りました。


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広いロビーは一段低くなっていて、
とても落ち着ける感じです。

障子戸風の窓、
下がガラスになっていて、
外の緑が美しい!

今になってホテルのHPを見ると、
この椅子とテーブルをもっと上から見ると、
梅の花に見えるのだそうです。

その梅の花が、
ゆったりとした間隔で、
数多く配置されています。

チェックアウトもチェックインもない時間帯ですから、
人の姿は少ないです。
梅の花のテーブル席には1組だけ。
他にテーブルなしのソファもあって、
そこに数人。
みんな宿泊客には見えません。

梅の花のひとつに席をとって休憩しました。
考えてみれば、
地下鉄を降りてから、
金毘羅宮に立ち寄り、
ニッショーホールでポンプ車を見学して、
大倉集古館の内外をゆっくり観て、
立ちっぱなしだったから、
かなり疲れていました。



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テーブルは赤い漆塗り。
天井の照明が映っています。



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どうせ空いているから、
別のテーブルに移ると、
テーブル上の映像も変わります。



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見上げると・・・

HPによると、
「オークラ・ランターン」と呼ばれているそうです。



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カメラの向きを変えると・・・

ホテル内の荘重な雰囲気に気圧されて、
なるべく、さりげなく、手早く、
撮りましたが、
特に確認してないから、
館内撮影自由なのか、
原則禁止なのか分かりません。



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ホテルの外壁。

ひと休みした後、
ホテルを出て、
地下鉄神谷町駅に向いました。

お昼はどこかで食べることに。
(ホテルのサタデー・ランチ・ブッフェ 1人¥6300はチョッと・・・)


◎  大倉集古館屋外展示品 

展示館の回りにも東洋の美術品が展示されています。
時計回りに回ってみました。


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薬師如来像(向う)と普賢菩薩騎象像(手前)。
(中国・明時代)

展示館の左隅からの撮影。



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展示館の石壁(左側面)。



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文人石。
(朝鮮・李朝)

展示館の裏側に出ました。



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八角五重塔。
(朝鮮・高麗)

中央の石碑は、
大倉喜七郎の功績を顕彰する碑。



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三彩宝塔(八角五重塔)。
(中国・清時代)



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竜頭(鐘の釣り手だったもの)。
(中国・明時代)



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地蔵菩薩像(手前)と釈迦如来座像(向う)。

地蔵菩薩像は江戸時代。
釈迦如来座像は中国・清時代。

展示館の前面右端に出てきました。



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灯籠に巻き付いている竜。
(江戸時代)

この灯籠にも三葉葵の紋があり、
上野寛永寺にあったものを拝領。


◎  大倉集古館ベランダ 

大倉集古館の展示室は、
1階と2階とにあります。
館内は撮影禁止。

2階の展示を見た後、
ベランダに出てみました。


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列柱と手すり。

手すりの角柱に載っている短い丸柱、
中国風擬宝珠なのでしょうか、
渦巻き紋様が見られます。

この建物の全景を撮らないでしまったのですが、
建物自体は中国風で、
屋根の四隅が反り返っています。



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柱基。



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ベランダ左端の扉。



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扉の取っ手。

右側のがちょっと傾いていました。
触ってはいけないかな?
と思いつつ、
指で触れてみましたが、
しっかり傾いていました。



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上の扉と反対方向に旗が3本。

日の丸は風で開きましたが、
星条旗はちょっとだけ。
中央の国連旗はほとんど垂れ下がったまま。

右側はホテルオークラ本館。



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階段の照明。

ベランダから中に戻り、
1階に降ります。

照明が写っているガラスは出口のドア。
その向うに見えるのは仁王像。



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内部から見えていた仁王像の阿形。

見えにくいですが、
口は開いています。



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左側の吽形。

しっかり口を閉じています。

この2体は南北朝時代の作で、
筑波山神社内の春日神社から移設されてものだそうです。


このあと、
展示館の外を、
ひと回りしました。


◎  大倉集古館 

ニッショーホールを出て、
突き当たりの道を右に曲がると汐見坂。
それを登って、
左に折れると霊南坂。
右側がアメリカ大使館〜大使公邸、
左がホテルオークラ東京本館。
両方の塀の間の道を歩きました。

アメリカ大使館の塀の外には警備員が何人もいて、
こっちをじろじろ見ている。
疑われているような、
嫌な気がするので、
塀の途中の小さな入り口から、
オークラの方に入ってしまいました。


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塀の内側は細長い庭園になっていました。
大倉集古館には何度もきていますが、
この庭園は初めてです。



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この庭園は、
高低差があって、
石段が何ヶ所かありました。



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大倉集古館の門に到着です。



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門の両側に青銅の灯籠があって、
三葉葵の紋がついています。

この灯籠は、
芝増上寺にあった桂昌院(徳川綱吉生母)の廟所にあったものだそうです。



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門を抜けて集古館に入ります。
中央に額が掲げてあります。
門もこの額も、
文字が右から書いてありますから、
戦前のものです。

大倉集古館は、
大正6年(1917)に、
わが国最初の私立美術館として誕生。
大正12年の関東大震災により
建物と展示中の所蔵品は失われましたが、
倉庫とその中の所蔵品は無事で、
昭和3年に耐震・耐火の陳列館として再建〜開館。
第二次世界大戦では、
幸いにして戦災を免れました。



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大倉喜八郎喜寿の銅像。

大倉喜八郎(1837年〜1928年)は大倉財閥の創立者で、
新潟県新発田市の生まれ。
明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した実業家。
渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。
東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者。
大倉集古館は喜八郎によって創設されました。

大倉財閥の2代目が大倉喜七郎(1882年〜 1963年)。
(喜八郎の長男)
慶応大学で学んだ後、
イギリス、ケンブリッジ大学に留学した貴公子。
父喜八郎の事業を引き継いで財閥の発展につとめ、
戦後は公職追放、財閥解体などの難局に直面しながらも、
ホテルオークラ、川奈ホテル、赤倉観光ホテルをはじめとする、
日本のホテル業に大きな足跡を残しました。


今回見に行った展覧会は、
1930年(昭和5年)に、
喜七郎の全面的な支援で行われた、
イタリア政府主催の「ローマ日本美術展」の出品作品が主体でした。

この展覧会の具体的な準備は横山大観が担ったそうです。
大観の出品作「夜桜」は展示替えされていて、
見ることができず残念でしたが、
大観の描いた「ローマ展」のポスターが展示されていました。
日本を象徴する
富士山と赤い太陽、
それにイタリア語の文字群、
大観のグラフィックデザイナーとしての才能を見ることができました。


◎  ニッショーホール 

虎ノ門駅で地下鉄を降りて、
道草を喰いながら、
大倉集古館に向かいました。

9月23日、
まず金毘羅宮の写真を載せて、
次に進む予定でした。

それが、
急に巾着田に行ったもので、
予定を変更して、
曼珠沙華の写真を掲載してきましたが、
区切りがつきましたので、
元に戻って、
「道草」です。


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金毘羅宮の次に立寄ったのが、
ニッショーホールです。

「ニッショー」って何だろう?
と思いましたが、
「日本消防協会」のことで、
「ニッショーホール」を漢字で書くと、
「日本消防会館」でした。

1階にショールームがあって、
写真の赤い車が展示してありました。
説明板によると、

【ペルー蒸気消防車】
製造年 1860年
製造国 イギリス
製造社 メリーウェザー社
寸法 全長3,4m 巾 1.8m 高さ 2.1m


この蒸気ポンプ車は、
当時ペルーで使用されていたものが、
1993年、
日本に贈られて、
展示されているのだそうです。

製造年の1860年を日本の年号でいうと、
3月までが安政7年、
3月以後は万延元年、
幕末です。



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蒸気消防車の背後に展示されていました。

この置物(?)が気に入りました。



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腕用ポンプ。

「ペルー蒸気消防車」の反対側に展示されていました。
説明板によると、

腕用ポンプ(明治21年製)1888年
明治中期の頃より、活躍した国産ポンプの1機種である。
外国からの輸入品が高価であることから、
国産化を図り、
江戸時代からの龍吐水にとってかわった。


当時としては新鋭機だったようです。
実はこの展示品を見たとき、
これが「竜吐水」かと思いましたが、
それに代わる新しい機械だといいます。
では、
「竜吐水」とはどんなものだったのでしょう。
名前しか知らなかったので、
調べてみました。

竜吐水は、
享保年間(1716~36)に、
オランダから渡来したといわれているそうですが、
水鉄砲に水槽を結合したようなもので、
水運び人足が必要だったそうですから、
連続放水できない装置です。

江戸時代中ごろから明治十年代にかけて使用されましたが、
明治17年(1884)末に、
国産の「腕用ポンプ」が量産されるようになって、
廃止されました。

大森貝塚の発掘で有名な
アメリカの動物学者エドワード・モリスが、
明治10年(1877年)東京で火事があった時の、
竜吐水による消火活動の様子を見て、
日記に書いているそうです。

日本の文化を高く評価していたモースも、
竜吐水については「最もバカげた稚拙な道具」で、
「放水の太さは鉛筆程度で、
少しずつこま切れにシュシュと出るだけ」と、
辛口な記述を残しているそうですから、
消火に役立つ代物ではなかったようです。

有効な放水手段を持たなかった江戸〜明治初期の火消しは、
火を消すというより、
火事場周辺の建物を破壊して、
延焼を食い止めるのが主だったようです。

腕用ポンプは、
水鉄砲でなくてポンプですから、
新鋭機だったわけです。

日本で竜吐水を使っていた頃に、
イギリスでは蒸気消防車を製造し、
ペルーに輸出していたのですから、
その差の大きさに驚きます。



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