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◎  宇治川 


帰り道では
宇治橋まで行き
宇治川を眺めたりしました。


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宇治橋

下を流れるのはもちろん宇治川。
この川は
大津市で琵琶湖から流れ出て瀬田川と呼ばれ
京都府に入るあたりで宇治川と名を変え
さらに京都府と大阪府の境界付近で桂川・木津川と合流して
淀川になるそうです。


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宇治橋欄干の擬宝珠と柳


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宇治橋からの眺め(下流)

赤い橋(朝霧橋)と手前右の小さな橋との間に
宇治川先陣の碑があるそうです。

寿永3年(1184)木曽義仲と源義経が宇治川で戦いましたが
雨で水嵩の増した宇治川の急流を
義経軍の梶原景季と佐々木高綱が
それぞれ名馬にまたがって先陣を争い
高綱が先陣の名乗りを上げたそうです。


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紫式部像

無骨な先陣争いの後は優雅な「源氏物語」です。
宇治橋のたもとに紫式部の像があります。

像の手前に「夢浮橋之古蹟」と書かれた石碑があります。
これについての説明板がありましたので下記します。

『源氏物語と宇治』
「源氏物語」は十一世紀初めころ作られた長編小説です。
作者は藤原彰子に仕えた女房紫式部であると伝えられています。
物語は全部で五十四帖(巻)からなります。
このうち最後の十帖は
光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋の物語で
特に「宇治十帖」と呼びます。
「橋姫」で始まり
「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」には
朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。
「源氏物語」は実話でありませんが
いつの頃からか
物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって
宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。
今古跡を訪ねることで
遠く王朝文学の世界をしのぶことができます。



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