FC2ブログ

Photo & Essay

◎  ムクゲ 


「ムクゲ」は「木槿」と書く
「槿」だけでも「むくげ」と読むそうだが・・・


11IMGP2134.jpg

ムクゲ


フェンス越し隣の木槿咲きにけり   稲畑汀子
隣の木槿は綺麗に見える?

救急車木槿の垣に止まりたり   大野公子
急病?
それは大変!

木槿垣一人で乗りし救急車   玄内栄
付き添いなしで?
それは大変!

2句目と3句目は
別の人が別の時に詠んだ句なのに
繋がっているみたいだ

◎  ノウゼンカズラ 


「ノウゼンカズラ」は「凌霄花」と書く

「凌霄花」は「霄(そら)を凌ぐ花」の意で
高いところに攀じ登ることによる命名

(Wikipediaより)

「凌霄」は「りょうしょう」と読み
「 空をしのぐこと」
「志の高いことのたとえ」

歳時記によれば
「凌霄花」と書いて「のうぜん」と読むそうだが
下に載せた俳句では「のうぜんか」と読まないと字足らずになる


10IMGP2123.jpg

ノウゼンカズラ

黒髪にかざしてみたき凌霄花   宮倉浅子
なるほどね

会釈して行き交ふ人や凌霄花   関口房江
この花の下でも先刻すれ違った

ピアノ弾く乙女の窓辺凌霄花   兼子栄子
昔はよく聞こえてきたけれど
最近は聞かない
住宅街高齢化のせいか

◎  ハナトラノオ 


「花虎の尾」はシソ科の花で
「角虎の尾」とも呼ぶが
歳時記にはどちらの名もない
俳句には詠まれない花

「虎尾草」と書いて「とらのお」と読む季語はあるが
これは「オカトラノオ」のことで
サクラソウ科の花である


9P9270045.jpg

ハナトラノオ


◎  コバギボウシ 


コバギボウシは毎年志賀高原の湿原で撮っていたが
今年は行かないでしまったので
近所の散歩道で撮った


7IMGP2045.jpg

コバギボウシ(小葉擬宝珠)

◎  ウズアジサイ 


奈良の矢田寺で名前を知った紫陽花
ウズアジサイだと思う花が
7月末の強い日差しを受けて咲いていた
もちろん盛りを過ぎた咲き残りだが・・・


6IMGP2003.jpg

ウズアジサイ(渦紫陽花)

オタフクアジサイ(お多福紫陽花)とも呼ばれるとのこと

◎  オニユリ 


オニユリが
2株並んでいたが
1株だけ咲いていた。


5IMGP1987.jpg

オニユリ(鬼百合)

鬼百合の反れるだけ反り誇らしげ   東野鈴子

◎  スモークツリー 


これは奈良町で撮った
この木は
家の近くでも見つけたが
撮らないでしまった
旅先で出会えてよかった


4IMGP1799.jpg

スモークツリー

和名は「ケムリノキ(煙の木)」
別名は「ハグマノキ(白熊の木)」
この「白熊」は「シロクマ」でない

は ぐま【白▽熊】
中国・チベットなどに産するヤクの尾の毛
白く、つやがある
黒いのは黒熊(こぐま)
染めたのは赤熊(しやぐま)といい
いずれも払子(ほつす)を作るのに用い
また旗・槍・兜などの飾りとする

とのこと

◎  夜の花 


夜に咲く花
カラスウリがすぐ近くで咲いているのに気づいた


1IMGP1947.jpg

空がこんなになった頃
カメラを持って出かけた


2IMGP1966.jpg

カラスウリの花

この網で虫を捉えるのではない
暗い中で虫に来てもらうために広げているとのこと


3IMGP1937.jpg

左端に明日咲く花の蕾がある

これは一日花・・・いえ一夜花
日が暮れると咲いて
朝にはしぼむ
一夜限りの華麗な装い!

◎  京都駅〜帰途 


奈良駅に戻り
そこで昼食
それから京都駅へ


9IMGP1887.jpg

京都タワー

京都駅の地下街でお茶をしたりしてから
外へ出てみたら夕立の後だった


10IMGP1890.jpg

京都駅

京都といえば木造の寺社が思い浮かぶが
この駅は新しいから鉄骨がふんだんに使われている


11IMGP1892.jpg

京都駅屋上を望む


4日間の旅を終えて
東京行きの新幹線に乗車
帰宅の途についた


12IMGP1893.jpg

車窓からの富士山

来る時は
曇っていて見えなかった富士が
帰りには
富士市辺りで夕暮れの姿を見せてくれた


これにて奈良紀行は終わります

◎  安倍文殊院(2) 


文殊菩薩像を拝観した後
別棟でお抹茶を頂き
それから境内を一周した


5IMGP1861.jpg

文殊院西古墳

645年頃に作られた石積みの古墳で
大化改新時の左大臣安倍倉梯麻呂公の墓と推定されている

中は綺麗に仕上げられた石材を積み上げた
広い空間だった
暗いので写真は撮ってない


6IMGP1862.jpg

金閣浮御堂

金閣浮御堂は仲麻呂堂とも称し
当山出生の阿倍仲麻呂公及び安倍晴明公をお祀りしているお堂です
堂内には秘宝の仲麻呂公及び晴明公の御尊像を始め晴明公に因む陰陽道に関する古文書や諸尊像
更には当山の宝物が特別公開されています

(パンフレットより)

入り口で説明書と小さな金色の「納め札」7枚が手渡された
参拝方法が書いてある
1)橋を渡り正面で一礼
2)時計回りに回廊をまわる
3)正面の箱に「納め札」を1枚入れる
4)1周毎に1枚入れ7周で7枚入れる
5)最後の札を入れ終われば正面左側の入り口より堂内に入り参拝する


何しろ晴明公以来の陰陽道の寺である
パンフレットには今年の運勢が書いてある
因みに私の運勢は
運気下降の年なれば
細心に注意し信篤ければ
禍去り福残る

とのことだ


7IMGP1869.jpg

回廊と本堂

回廊を周りながら撮った1枚

7回まわって堂内に入ったが
そこは撮影禁止


8IMGP1880.jpg

合格門

境内の奥まで行ったらこんな門があった
今更合格を祈願することもないから
石段は登らないで回れ右した

文殊菩薩は知恵の仏様だから
受験生には人気のようで
絵馬もたくさん納めてあったし
この門を潜って石段を登れば
合格間違いなしなのだろう

帰りは受付の女性に道を聞いて
道路に出て
路線バスで桜井駅に戻った

◎  安倍文殊院(1) 


奈良の旅最終日は
桜井市にある安倍文殊院に行くことにした

奈良駅からJRの電車で30分
桜井駅に到着
バスがあるとのことだが
よく分からないのでタクシーに乗ったら
境内の中と思われる駐車場で降ろしてくれた

すぐに小さな受付の小屋があった
本堂だけか
本堂と浮御堂と両方か
と聞かれて
よく分からないが
両方ということにして拝観券を購入
どう回ったら良いのか聞いて歩き始めた

普通なら山門をくぐって境内に入り・・・
という手順なしの拝観となった



1IMGP1839.jpg

大きな詩碑
阿倍仲麻呂望郷之詩

天の原
ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出でし月かも


小さな石碑
阿倍仲麻呂公望郷詩碑

平城遷都1300年祭を記念し
奈良時代に当山出生の阿倍仲麻呂公の望郷詩碑を
書家 榊莫山師の揮毫により
仲麻呂堂(金閣浮御堂)前に建立す
因みに阿倍仲麻呂公は奈良時代を代表する文人の一人にして
遣唐留学生として渡唐し
唐朝廷において日本人初となる重職を歴任
今尚両国において日中友好の礎と仰がれる
この望郷詩は仲麻呂公帰郷の折
中国蘇州の港にて詠まれた有名な詩と伝えられる

平成21年1月吉日建立


(石碑には「帰郷の折」と書いてあって
あたかも帰国したかのようであるが
帰国のために乗った船は暴風に流され安南に漂着したので
帰国を諦め再び唐の官職につき彼の地で没した)

石灯籠
献燈 第90代内閣総理大臣 安倍晋三  


4IMGP1840.jpg

金閣浮御堂

1枚目の写真の左端に見えたお堂で
本堂の後で拝観する


2IMGP1844.jpg

文殊院本堂玄関

一般拝観客はこの玄関からは入らない
写真右端の建物の裏手に入口がある

パンフレットより
当山は大化元年(645)安倍一族発祥の地である当地に
大化の改新時に左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)公によって創建されました
我が国で最古に属する寺院です
奈良時代の遣唐留学生・阿倍仲麻呂公や
平安時代の大陰陽師・安倍晴明公が出生された寺院であります


と書いてあるが
石灯籠にその名がある安倍総理が
この安倍一族に属しているのかどうかは書いてない


3IMGP1846.jpg

本堂

この中に渡海文殊菩薩群像が安置されている
撮影禁止なのでパンフレットの写真を載せておく


13img01-2.jpg

渡海文殊菩薩群像(国宝)

中央で象に乗っているのが
快慶作の文殊菩薩像

◎  興福寺中金堂 


興福寺では伽藍の中心的な堂宇である中金堂の再建を行なっていたが
昨年10月に落慶を迎えた
昨秋来た時はまだ工事の覆いで隠されていたので
今回初めてその姿を拝観した

興福寺は710年の平城京遷都と同時に創建され
中金堂はその4年後にできた
平氏の南都焼き打ち(1180)など戦災や火事で7回焼失し
その都度再建されたが
江戸時代の1717年の火災以降は仮堂でしのいできた。

1989年に就任した多川貫首が再建を発願
1998年の発掘調査から20年がかりで完成させた
アフリカケヤキやカナダヒノキを調達し
創建時の基壇に当初の規模と様式で再現した

とのこと


5IMGP1819.jpg

中金堂正面

中金堂は東西37メートル
南北23メートル
高さ21メートルで
同じ奈良市の平城宮跡に復元された宮殿施設
大極殿とほぼ同じ規模

奈良では江戸時代に再建された東大寺大仏殿が
東西57メートル
南北50.5メートル
高さ46メートルあるから
それに次ぐ大きさの木造建築となる


6IMGP1824.jpg

中金堂から五重の塔を望む


7IMGP1821.jpg

中金堂から南円堂を望む


8IMGP1831.jpg

拝観入り口から望む中金堂

新しい中金堂は柵で囲まれ
拝観券を買って入り口から入り
出口から出なければならない


奈良の旅3日目はこれにて完了

◎  興福寺へ 


奈良町散歩を終えて
次は興福寺へ行くことにした

この日はバスの1日券を買ってあるから
乗らなきゃ損ということで
バスで移動した


1IMGP1804.jpg

バスの車窓から

以前から気になっていた建物だ
ちょうど信号待ちで停まったから撮って
調べたら不動産関係の会社だった


2IMGP1805.jpg

バスを降りて歩く

左側は奈良公園


3IMGP1809.jpg

奈良公園石柱

興福寺はこの奥にある


4IMGP1811.jpg

興福寺東金堂と五重の塔

東金堂は神亀3年(726)
聖武天皇が叔母元正太上天皇の病気全快を祈って建立
以来6度の被災再建を繰り返し
応永22年(1415)に再建された(国宝)

五重の塔は天平2年(730)
興福寺の創建者藤原不比等の娘光明皇后が創建
その後5回の被災再建を経て
応永33年(1426)頃に再建された(国宝)

◎  御霊神社 


歩いて行くと神社があった


29IMGP1778.jpg

紫陽花と御霊神社

「ごりょうじんじゃ」と読み
奈良町では「ごりょうさん」として親しまれているとのこと


30IMGP1781.jpg

御霊神社拝殿

この神社は約1200年前
桓武天皇の命により創建されたと伝えられる
井上皇后と他戸(おさべ)親王をはじめとする8名の高貴な方々をお祀りしている
その中の一人
橘逸勢(たちばなはやなり)は書道の神様として知られるので
書の上達のためにお参りされる方も多いとか
また縁結びの神としても知られ
神前結婚式も行われる


31IMGP1779.jpg

祓戸社

神社にお参りする際にまず身を清める場所だそうだが
それは今調べて知ったことで
行った時は写真を撮っただけだからご利益が少なかったかも・・・


32IMGP1783.jpg

狛犬

足が紐でぐるぐる巻きにされていて
説明が書いてあった


狛犬の足止め祈願  縁結び 商売繁盛

江戸時代から伝えられる願掛けの方法で
家出人や悪所通いの足が止まりますようにとの願いや
奈良町では子供が神隠しにあわないようにと
狛犬の足に紐を結んでいました
近頃では
「恋人とこれからも一緒にいられますように」
などの願いが込められるようにもなりました

◎  奈良町(2) 


昼食にありつけたし
腹も満ちたし
奈良町をぶらぶら歩いてバス停に向かう


25IMGP1764.jpg

薬屋さん

ショーウインドウ左の看板が次の写真


26IMGP1765.jpg

陀羅尼助丸

この薬は吉野山へ行くと看板が出ているので
吉野の薬かと思っていたが
ここの看板を見ると大峰山のようだ

吉野山から大峰山に至る大峯奥駈道は
修験者修行の道である


27IMGP1766.jpg

細い道


28IMGP1770.jpg

古い家


◎  奈良町(1) 


奈良町に入ってきた

奈良町は
奈良の旧市街地
特に元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代に始まり
近世以降は奈良を代表する商業地になりました
戦後は駅周辺の開発とともに
閑静な住宅地に変わっていきましたが
1980年代に町並み保存の機運が高まり
現在に至ります

(奈良町情報館パンフより)

また元興寺とは
日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が
平城遷都にともなって
蘇我氏寺から官大寺に性格を変え
飛鳥から平城京に
新築移転されたのが元興寺

という由緒あるお寺


21IMGP1756.jpg

観光客の姿が見える
人力車も・・・


22IMGP1759.jpg

ノウゼンカズラ

この界隈は食事処も沢山ある
遅めの昼食になるが
どこかで・・・


23IMGP1760.jpg

食べたのは此処

料亭風だが
そんな高級な店ではない

天ぷら定食:1600円也


24IMGP1762.jpg

庭の隅には蚊取り豚が・・・


◎  福智院町 


福智院の界隈は福智院町になっている


17IMGP1747.jpg

なまこ壁風のシャッター

奥には古そうな家と土蔵と並んでいるが
手前は新しい・・・
しかし全体として古そうに見える
お見事!!!


18IMGP1748.jpg

造り酒屋

さっき1軒あったのに
また1軒
奈良には造り酒屋が多いようだ


19IMGP1749.jpg

今西家書院

今西家書院は室町時代における初期の書院造りの遺構
昭和12年に国宝保存法により
京都の二条陣屋、大阪の吉村邸と共に民間所有の建造物として初めて国宝の指定を受けました
その後文化財保護法の施行に伴い
昭和25年に重要文化財となりました


とのことで一見の価値ありそうだが
今回は前を通った(撮った)だけ


20IMGP1753.jpg

露地


◎  福智院 


ぶらぶら歩いているうちに
目的の「福智院」に到着である


14IMGP1728.jpg

福智院北側土塀

看板に書いてあるように
地蔵大仏が御本尊


9IMGP1745.jpg

山門と本堂

本堂は建長6年(1254)の建立で
国の重要文化財


11IMGP1731.jpg

本堂前面

右側の小窓が受付
ここで堂内拝観をお願いして
建物の右に回って入った

福智院の寺院明細帳には
天平8年聖武天皇御建立 開祖玄昉
地蔵菩薩ヲ本尊ト成シ
国家鎮静ヲ祈リ清凉院ト号ス
後ニ福智院ト改称ス云々

と書いてある
(お寺のパンフレット)


12IMGP1741.jpg

本堂前面見上げ

パンフレットには
地蔵菩薩についての説明が書いてある

お地蔵さまは
老若男女から子供にいたるまで
最も親しまれ愛されている仏様です
この地蔵菩薩信仰の源は
釈尊以前のインド神話の中の地神に求められ
大地を神格化したもので
梵語ではキシチ=ギャルバと言います
キシチは大地
ギャルバは胎 
すなわち包蔵するの意味で
地蔵とは大地の如く万有の母体であり
全てのものを育成し
成就させる働きがあるという意味です
*****中略******
・・・等の十種の利益と恵みを与えてくださいます

「十種の利益と恵み」?
「地蔵十福」というのがあるから紹介する
「女人泰産(にょにんたいさん)」 健康で聡明な子供の安産が叶います
「身根具足(しんこんぐそく)」 健全な心と身体を授けてくださいます
「衆病悉除(しゅうびょうしつじょ)」 さまざまな病を取り除いてくださいます
「寿命長遠(じゅみょうちょうおん)」 元気で長生きできるようにしてくださいます
「聡明智慧(そうめいちえ)」 素晴らしい知恵を授けてくださいます
「財寶盈溢(ざいほうえいいつ)」 金銭に困らない生活を与えてくだいます
「衆人愛敬(しゅうじんあいぎょう)」 誰からも慕われる人にしてくださいます
「穀米成熟(こくまいじょうじゅく)」 食べ物に不自由しない環境に恵まれます
「神明加護(しんみょうかご)」 災難に遭わないように護ってくださいます
「證大菩提(しょうだいぼだい)」 極楽に行くことを約束してくださいます


これだけの福を授けて下さるなら
地蔵菩薩にすがり信心するしかない


13IMGP1739.jpg

境内の紫陽花

◎  紀寺町 


同じ道を歩いて行ったが
この辺は「紀寺町」というらしい

この町に璉珹寺という寺がある
昨年はこの寺を訪れて
本尊の木造阿弥陀如来立像を拝観したが
璉珹寺は別名を紀寺といい
前身は飛鳥にあったのが
平城遷都後現在地に移されたと伝えられている


5IMGP1705.jpg

身代り申

奈良町の家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている
これは「庚申(こうしん)さん」のお使いの申(さる)をかたどったお守りで
魔除けを意味し
家の中に災難が入ってこないように吊るしている
災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている


奈良町は紀寺町からもう少し歩いた所だが
その奈良町の風習がここにあっても可笑しくない近さである


6IMGP1716.jpg

古い家


7IMGP1724_20190809135601fa6.jpg

細い道

ここを歩いた


8IMGP1726.jpg

旅籠(はたご)

最近は人を泊めてくれるところはみんな「ホテル」になって
「旅館」の名は滅多に見ない
それが「旅籠」というから
タイムスリップした気分になったが
もう少し古めかしくできなかったものか!
見た目が近代的すぎる!

◎  高畑町 


東大寺の次は
福智院という小さなお寺を訪ねる予定だ

朝降りたバス停から再びバスに乗って
破石町というバス停で降りた
(破石は「わりいし」と読む)


1IMGP1691.jpg

住宅街の細い道を西に進む

バス停は「破石町」だが
この辺りの町名は「高畑町」というらしい


2IMGP1695.jpg

左側に大きな建物が見えた
古びた看板がある


3IMGP1697.jpg

看板

酒屋さんだ
「謹賣 處」と書いてあるから「謹んで売る処」ということだろうが
「吟味 處」は
美味しい酒の味見をする處かと思ったが
調べてみると・・・

まず「吟」とは
1 うめく。なげく。
2 詩歌を詠む。
3 詩歌。
4 内容を探り確かめる。

そして4の用例として「吟醸」「吟味」があげてある
酒屋に関係深いのは「吟醸」だが
これは
酒・醬油・味噌などを、吟味した原料を使って丁寧に醸造すること。

そして看板にある「吟味」は
1 物事を念入りに調べること。また、念入りに調べて選ぶこと。
2 罪状を調べただすこと。詮議(せんぎ)。
3 詩歌を吟じてその趣を味わうこと。


作った酒を「念入りに調べて」
良い酒だけを「謹んで売る處」という意味か?


4IMGP1699.jpg

正面入り口

杉玉が下がり
薦被りの酒樽が置いてあり
古風な造り酒屋の風格あるが
「吟味」はせずに通り過ぎた

◎  東大寺大仏殿に戻る 


鐘楼のそばに二つのお堂があった
(この一帯を「鐘楼ヶ丘」と呼ぶそうである)
それらを拝んでから坂道を下った


33IMGP1666.jpg

行基堂

行基は
奈良時代の僧で
大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として
聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された
この功績により東大寺「四聖」の一人に数えられている


34IMGP1670.jpg

俊乗堂

俊乗房重源上人は
治承4年(1180)平重衡の南都焼討による
東大寺炎上後の復興事業にあたり
齢61歳にして
諸国を普く勧進し
その復興をなし遂げた人である
文治元年(1185)に大仏開眼供養
建久6年(1195)大仏殿再建
建仁3年(1203)の総供養を行った

堂内には重源上人の像(国宝)が安置されており
年に2回だけ開扉される


35IMGP1675.jpg

7重塔相輪(レプリカ)

坂を下って大仏殿に近づいた所に
金色の相輪が立っていた。

東大寺には8世紀半ば
100メートル級の巨大な東塔と西塔が建てられた
ところが平安中期に西塔を焼失
1180年には平重衡による南都焼討で東塔も焼失した
その後鎌倉時代に重源らが東塔再建に動き
13世紀に完成するが14世紀に再び落雷で焼失してしまい現存しない

上の相輪は1970年日本万国博覧会に出展されたレプリカで
万博終了後に出展各社により東大寺に寄進され
1971年この地に移設完了した

この相輪の高さだけで23m30cm


36IMGP1676.jpg

再び大仏殿へ

元来た道を辿り
バス停に向かった

◎  東大寺鐘楼 


法華堂の拝観を終えて
バスに乗るため再度大仏殿に戻ることにして
来た時とは別の坂を下った


29IMGP1652.jpg

土産物屋

修学旅行(遠足?)の子供達で賑わっている
ここから下って行ったら鐘楼があった


30IMGP1655.jpg

鐘楼(国宝)


31IMGP1658.jpg

大鐘

大仏開眼供養が行われた天平勝宝4年(752年)
すなわち東大寺創建時期に製作されたもので
中世以前に造られた鐘としては日本最大
この大鐘は平安時代の地震で落下したりするなどして
幾度かの修理を経つつも
現在も引き続き使用されており
「奈良太郎」とも言われている


32IMGP1656.jpg

鐘楼土台部

建物は栄西が鎌倉時代に再建したものとされる

◎  東大寺法華堂(三月堂) 


お水取りで有名な二月堂の隣に法華堂がある
またの名を三月堂と呼び
お堂も
堂内に立ち並ぶ10体の仏像も
全てが国宝である

毎年旧暦三月に法華会が開かれたことから
法華堂と呼ばれ
三月堂とも呼ばれる


25IMGP1618.jpg

二月堂前から法華堂を望む
(見えているのは西側面と北背面)

左側の石段は二月堂へ登る階段
4基の石灯籠には二月堂の名が彫ってある
その向こうが法華堂


26IMGP1633.jpg

法華堂礼堂

南を向いて立っているから
二月堂はこの背後になる

堂内は
奥に正堂(しょうどう)
手前に礼堂(らいどう)があり
正堂には須弥壇が組まれそこに仏像が並び
礼堂からそれを拝観する

堂内はもちろん撮影不可・スケッチ不可であるが
中央に本尊の不空羂索観音 
左右に梵天と帝釈天
前には阿と吽の金剛力士
その左右に持国天と増長天
後列左右に多聞天と広目天
が並び
背後中央の執金剛神は秘仏で
毎年12月16日だけ開扉されて拝観できる


27IMGP1649.jpg

法華堂西側面

左側の寄棟造りが正堂で
右側の入母屋造りが礼堂

正堂は奈良時代(8世紀半ば)の建築
礼堂は鎌倉時代の建築で
両者を巧みに繋ぎ合わせてある


28IMGP1651.jpg

繋ぎ合わせ部

1枚上の「法華堂西側面」で右から4本目の柱
この写真で1本目の柱の上には組物がなく
代わりに実用上は必要のない雨樋が入っている
これは正堂と礼堂が本来別棟で
ここに雨樋があった名残である。

(Wikipediaより)

◎  東大寺二月堂 


二月堂に到着

東大寺二月堂は
奈良時代(8世紀)創建の仏堂であるが
現存する建物は1669年の再建(国宝)
奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる
「お水取り」は正式には修二会といい
8世紀から連綿と継続されている宗教行事である

(Wikipediaより)


21IMGP1628.jpg

二月堂

二階に欄干が見えるが
お水取りでは
火のついた長い松明を持って
欄干内側の廊下を左から右へ駆ける

右側に石段があってお堂に登ることができる
お堂の前に茶店があって
そこの葛切りが美味しかったという記憶がある
今日は暑い日だからさぞ美味しかろうと思うのだが
前日から石段恐怖症になっていて
登る気がしないので
葛切りは断念・・・残念!


23IMGP1623.jpg

二月堂向かい側の建物

門の内に黒いものが見えた


24IMGP1626.jpg

松明

寄ってみると松明の残骸である
お水取りで使ったものが置いてあるようだ


37IMGP6502.jpg

お水取り

一度だけお水取りを見に行ったことがある
調べてみたら2006年3月3日

1枚目の写真の立木の影になっている左端に松明が現れたところで
これから右端まで走る
松明は10本ほど
春宵のショーだった

◎  東大寺二月堂裏参道 


大仏殿の裏手から東に歩いている道は
二月堂裏参道という

この道から眺める二月堂はスケッチの定番になっているから
そこは1枚撮りたいと思っている


17IMGP1589.jpg

中性院

宝珠院の隣にある
東大寺の塔頭

もう少し歩くと
正面に二月堂が見えてくる
そこがスケッチの定番位置だが
ここだってなかなかの景色だ


18IMGP1592.jpg

お坊さんが・・・

中性院の前まで来ると
向こう(多分二月堂)からお坊さんが一人歩いてきた
傘を差して
強い日差しを避けている

二月堂裏参道で
当今流行りの日傘男子に出会うとは!!!


19IMGP1600.jpg

二月堂が見えた

修学旅行生らしい一団が降りてくるから
やり過ごすため
しばらく立ち止まった


20IMGP1604.jpg

裏参道から二月堂を望む

まだ一人二人見えるが
仕方がない

もう数歩下がった方が良かったかも・・・

◎  大仏殿〜大湯屋〜宝珠殿 


今日の予定は
大仏殿には寄らず
法華堂の仏たちにお会いするつもりだ


13IMGP1579.jpg

大仏殿回廊東側


14IMGP1582.jpg

大仏殿裏

左側の黒い柵の中が大仏殿
右側は講堂跡

この道をまっすぐ(西に)進んで右に折れれば正倉院
今日は反対の東に進む


15IMGP1585.jpg

大湯屋

かつての東大寺の僧侶たちが
ここで仏道に励むために「身を清める」ための沐浴を行っていたところ

大湯屋は公開されていないが
建物の中には「鉄湯船」と呼ばれる鉄で造られた湯船が現存しており
重要文化財にも指定されている

大湯屋の北隣には
「二月堂供田」と呼ばれる田んぼがあり
お水取りの行事で使用されるお供えの餅などをつくるために餅米を栽培している

その二月堂供田は田植えが終わったばかりである


16IMGP1586.jpg

宝珠院

東大寺塔頭のひとつで
二月堂供田の隣に建っている

◎   奈良の鹿 


奈良と言えば鹿
東大寺参道の土産物屋が並ぶ辺りでは
観光客が
餌の煎餅をあげたり
一緒に写真を撮ったり
戯れている

一方興福寺周辺の草地では
鹿たちが悠然と草を食んでいる


9IMGP1547.jpg

ポートレート


10IMGP1577.jpg

記念撮影


11IMGP1688.jpg

恍惚(?)


12IMGP1808.jpg

食事中

これだけが奈良公園で
塀の向こうは興福寺
(上の3枚は東大寺)

◎  東大寺大仏殿 


南大門を通り抜けて
大仏殿に向かう


5IMGP1562.jpg

並木の奥に大仏殿

鹿も参拝客と一緒に参拝するつもりのようだ


6IMGP1569.jpg

鏡池

池の向こうに見えているのは
中門に連なる東回廊

池の名前を調べたら「鏡池」という
もっと遠くからなら
大仏殿が水鏡に映るらしい
今度行ったら見てみよう


7IMGP1571.jpg

中門

左右(東西)に回廊が連なっている

大仏殿に入る人は左に行くと受付がある
出てくるのは右側

中に入らないつもりだから
まっすぐ中門に進んだ


8IMGP1572a.jpg

大仏殿

中門の隙間からの撮影

中世以降
2度の兵火で焼失
現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で
創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている

(Wikipediaより)

そう聞くと
間口がやや狭く感じられる
元のままだったら
雄大だろうに!

◎  東大寺へ 


奈良の三日目は奈良市内を歩くことにして
まず東大寺入り口までバスで行った


1IMGP1543_20190727211658852.jpg

バスを降りたら
ちょうど
修学旅行の中学生の一行が・・・


2IMGP1553.jpg

南大門

人がうようよと・・・

この少し手前には
土産物屋が並び
その前で
女子高生や中国人旅行者などが鹿と戯れていたが
写真に撮るのは難しい


3IMGP1555.jpg

「大華厳寺」扁額

新しそうに見えるので調べたら
2006年に掲げられたそうだから新しいわけだ

東大寺は治承4年(1180)平重衡による南都焼討で荒廃したが
復興に尽力した俊乗房重源(1121〜1206)の
没後800年を記念した法要に合わせて作られた額で
横幅:4.5m 高さ:1.65m 重量:500kg の木曽産の檜材
文字は聖武天皇の写経から集字したとのこと

普通「東大寺」と呼んでいるこの寺の正式名称は「金光明四天王護国乃寺」
では「大華厳寺」なる寺名は?
東大寺が華厳宗大本山の寺院であることを指しているようだ


4IMGP1557.jpg

南大門下

ここにも鹿と戯れる人たちが・・・

◎  さよなら 矢田寺 


矢田寺は初めての拝観だったが
本堂参拝〜仏像拝観〜北僧坊での昼食〜境内散歩〜あじさい庭園〜あじさい見本園
とゆっくり見てまわり
帰りのバスの時刻も気にかかるし
帰ることにした


33IMGP1504.jpg

高台なので
大和郡山市街の俯瞰が素晴らしいとのことだったが
いい写真は撮れそうもないので
青空を撮って下り始めた


34IMGP1505.jpg

降りてくると石灯籠がある
登って来るときは
この辺で息を切らしたな〜
と下りの楽さに感謝!


35IMGP1513.jpg

バス乗り場が近づくと
田植えの済んだ田んぼがある


36IMGP1514.jpg

近鉄郡山駅

バスで無事戻ってきた
帰りは近鉄で奈良まで戻る
この駅は階段がないから楽だ
向こう側のホームへは構内の踏切を渡る

もちろん電車が近づけば
カンカンと鐘が鳴って遮断機が降りる


back to TOP