Photo & Essay

◎  飯能市 能仁寺 

10月14日、
飯能市へ行きました。
ハイキングです。

天覧山に登るのですが、
その麓に立派なお寺があります。


1DSC00492.jpg

能仁寺の山門。



2DSC00496.jpg

山号を「武陽山」といいます。



3DSC00502.jpg

本堂を廻る塀(?)、垣(?)、
何というのでしょう?

写真の右奥から登ってきて、
左横に登ると本堂ですが、
本堂を撮らないでしまいました。

以前に撮った写真がないかと、
探してみましたが、
見つかりません。



4DSC00504.jpg

曇りの予報だったのが、
晴れてきました。

樹の上の方だけ、
少し色づいていました。



5DSC00508.jpg

本堂前の芝生の左右に、
(これは右側)
3本指みたいな彫刻が置いてあります。
これを見るのは初めてです。

説明板には、
「紅炎魂・コロナ」と題名が書かれ、
「作:絹谷幸太 2009年4月」
と書いてありますから、
手の指ではなくて、
炎なのですね。



6DSC00509.jpg

こちらは左側の彫刻です。
捩じれずに立ち登る炎なのでしょう。

絹谷幸太、
聞いたことがあるような名前だと思いましたら、
絹谷幸二氏(洋画家、東京芸術大学名誉教授)の長男で彫刻家だそうです。


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能仁寺は、
慶応4年(1868年)5月23日、飯能戦争(戊辰戦争)の舞台となる。

天野八郎と合わず上野の彰義隊を離れた渋沢成一郎(渋沢栄一の従兄)を首領とし、
彰義隊脱退者で結成した振武隊は、
青梅街道の田無(現西東京市)の総持寺を本営とする。
ここで成一郎は尾高惇忠らと隊士を集める。

5月15日、彰義隊と新政府軍の間で上野戦争が起こる。
振武隊も行動を開始し上野に向う。
しかし、彰義隊敗戦の報を受け、田無に戻り、
彰義隊の生き残りを吸収して1,500名に膨れ上がった振武隊は5月18日、
能仁寺に入り陣営を構築する。

5月23日、3,500名の官軍は早朝から攻撃を開始、
わずか数時間で勝敗は決し、
寺はほとんど焼失。

成一郎は被弾して負傷するも伊香保(現群馬県渋川市)に逃れ、
徹底抗戦の主旨を貫き、
密かに江戸に戻り榎本武揚の艦隊に合流し、
最後は箱館まで転戦する。

本堂は昭和11年(1936年)再興されたものである。


(Wikipediaより抜粋)


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武陽山
ふ~む 榎本武揚とは関係ないようですね
立派に再興されてされたわけですから、やはり由緒ある寺院なのですね
何宗なのかなぁ....

午前中には、なぜかコメントが受け付けてもらえませんでした

2012/10/20(土) 17/08|URL|こんの [edit]

こんのさん、
コメントありがとうございました。

能仁寺は曹洞宗の寺だそうです。
江戸時代には7堂伽藍の揃った大寺だったようです。
振武隊1500人が立てこもったというのですから、
広かったのでしょう。

10/20午前中、"fc2ブログ"は、メンテかなんかで、
開きませんでした。

2012/10/20(土) 20/51|URL|capucino [edit]

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