Photo & Essay

◎  中野ビル 


6番目の「お寺」と言いたいところですが
「中野ビル」という大きくもないビルです。
その前に布袋様が安置されているのです。


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日曜日の昼下がり


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中野ビルはもうすぐ


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中野ビルの向かい側

中野ビルも布袋様も撮ってありません。
いつも向かい側は撮りますが・・・

◎  法明寺 


観静院のそばに
いかにも格式ありそうなお寺があるので
いつも立ち寄って参拝します。

寺の名は
威光山法明寺。
創建は弘仁2年(811)
「吾妻鏡」にも記された雑司が谷随一の古刹で
雑司が谷鬼子母神は同寺の諸堂の一つである。

とのことです。


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山門

奥に本堂。


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山門脇の塀の瓦


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境内にあった石碑

恥ずかしいことですが
上の文字を「18181にアンダーバー」だと思い首を傾げました。

写真をよくよく見たら
「幽顕」でした。

さてその「幽顕」とは?
調べてみました。

神道では
この世界は
私たちが生きているこの世界と
目には見えない神の世界との
二つより成り立っていると考えていました。
目に見える現実世界
人間の世界のことを「顕世(うつしよ)」または「顕界」といいます。
人間の目に見えない幽冥の世界で
神の世界のことを「幽世(かくりよ)」または「幽界」といいます。
顕と幽を並べると顕幽となりますが
幽顕(ゆうけん)ともいいます。

(出雲大社紫野教会HPより)
とのことでした。

続いて書いてあったことも紹介しておきます。

日本書紀の国譲りの話の一つに
この顕世幽世の話が出てきます。
大国主大神はこの日本の国作りをされましたが
高天原から降りてこられた皇孫にお譲りすることになりました。
この時に高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)がこう語られました。
「夫(そ)れ汝(いまし)が治(しら)す顕露(あらは)の事は
是(これ)吾孫(すめみま)治すべし。
汝は以(もっ)て神事(かみのこと)を治すべし。」
あなたが治めていた地上の世界のことは
皇孫(天皇)が治めます。
あなたは神の世界のことを治めて下さい
という意味です。


さてここまで分かりましたが
日蓮宗のお寺に建てられている石碑ですから
神道だの出雲大社だのというのはどうも・・・

ということで調べてみると
顕幽=あらわれたり、見えなくなったりすること。
(net 大辞林 第三版)

ならば「幽顕」は
見えなくなったり、あらわれたりすること。

こうあっさりでは
子供の隠れんぼのことかと・・・

広辞苑を
(私が持っているのは古くて第四版ですが)
引いて見たら
「幽顕」も「顕幽」も載っていません。


◎  観静院 


観静院に到着です。
ここには弁財天が祀られています。


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冬桜

東京音大の前を通り
観静院が近づくと毎年そこに桜が咲いています。


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観静院

小さなお寺です。


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本堂屋根の風鐸

風鐸を見ると撮りたくなります。

◎  観静院へ 


5番目のお寺
観静院に向かいます。
首都高池袋線の下の道を通り
雑司が谷霊園の北側を迂回します。

前にこのコースに参加した時は
霊園の中を通りました。

ここには有名人の墓が数多くあります。
金田一京助
小泉八雲
ジョン万次郎
竹久夢二
夏目漱石
などなどあるのですが
今回は墓めぐりなしのコース設定でした。


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道路の向こうに首都高が見えます。


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都電雑司が谷駅

雑司が谷霊園を過ぎると
都電の線路を渡り
雑司が谷鬼子母神のすぐ近くを通ります。


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パンジー

高いところに植えてありましたので
しゃがまないで撮れました。

◎  清土鬼子母神 


清土鬼子母神に到着です。
小さな社で
ここには吉祥天が祀られています。


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枯れ蔦のある家

清土鬼子母神はもうすぐです。


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清土鬼子母神本堂の屋根

ここは不忍通りのすぐそばで
護国寺の近くです。
雑司が谷鬼子母神は有名ですが
「清土」って・・・?


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「鬼子母尊神出現所」石標

上で「?」と書いた答えみたいな・・・
石標の由来を調べてみました。

「雑司谷鬼子母神略縁起」に下記のよう記載されているそうです。

人皇百七代正親町院の永禄四年辛酉五月十六日土人山本氏なる者ありて・・・
(以下現代語で要点を書けば)
この石標のあるところで
田を耕していた所
何かの塊が鍬に掛かったのでよく見たら
木像だった。
持ち帰って東陽坊というお寺の坊さんに見せた所
仏像らしいとのことで仏壇のそばに安置しておいた。
それから10年あまりが経って
安房の国から来た僧が
これは霊仏だと知って
密かに盗み出して安房に持ち帰った。
(ここから原文)
然るに此の僧何となく物ぐるわしき病発せりて
口走りけるは
我は元武蔵国雑司谷の鬼子母神也
往昔名家に崇敬せられし事の縁ありて
久しく泥土に埋もれ隠れしかども
今彼地の機縁已に熟し
済度の期を得るを以って再び出現せしを
此僧故なく誘い来たりこそ安からね
速やかに彼地に送り還すべし
・・・・・・・・


とのことで船を仕立てて送り返し
現在の雑司が谷の地に祀ったのだそうです。

◎  清土鬼子母神へ 


4番目のお寺
清土鬼子母神に向かう途中の街写真です。


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自転車が並ぶ路地


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狸が並ぶ家


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曲がっている路地

◎  道の辺の花 


4番目のお寺・清土鬼子母神までは
ちょっと道のりがあります。
途中で撮った花写真です。


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侘助


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多肉植物


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蝋梅

◎  清立院 


3番目のお寺は清立院です。
日蓮宗のお寺で
ここに祀られている七福神は
毘沙門天です。


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都電の線路

大鳥神社から青立院に行く時
この線路を渡ります。


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清立院

雨乞いと皮膚病の祈願寺として
尊崇されているそうです。

  
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境内の石仏

観音様かと思います。
われわれのことを憂いていてくださるのでしょうか
お顔が悲しそうに見えます。

◎  大鳥神社 


七福神の2番目
大鳥神社に到着です。

本殿脇の小さな祠に
恵比寿神が祀られています。


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提灯

右側には都電の線路があり
左が大鳥神社です。
提灯の向こう端に
石の鳥居が見えています。


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鳥居と茅の輪と本殿

茅の輪とは茅で作った大きな輪で
これをくぐることで
穢れを祓い
これからの無病息災を祈る神事です。
それを大祓と称し
年に2回
6月と12月に行います。

写真は1月7日ですが
まだ大祓できるようでした。


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手水舎の水盤


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水盤への水が
口先から垂れています。

カメラ任せで撮ったら
垂れる水が
点、点、点・・・と写りました。


◎  雑司が谷鬼子母神 


雑司が谷鬼子母神に到着です。
ここの本殿にはもちろん鬼子母神が祀られています。

鬼子母神(きしもじん)は
安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが
もともとの来歴には深いいわれがあります。

その昔
鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ
王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で
嫁して多くの子供を産みました。
しかしその性質は暴虐この上なく
近隣の幼児をとって食べるので
人々から恐れ憎まれました。

お釈迦様は
その過ちから帝母を救うことを考えられ
その末の子を隠してしまいました。
その時の帝母の嘆き悲しむ様は限りなく
お釈迦様は
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。
いわんや人の一子を食らうとき
その父母の嘆きやいかん」と戒めました。

そこで帝母ははじめて今までの過ちを悟り
お釈迦様に帰依し
その後安産・子育の神となることを誓い
人々に尊崇されるようになったとされています。


(KISHIMOJIN OFFICIAL SITE より)


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本堂屋根の隅


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本堂前

七福神としては
本堂脇の小さな祠に大黒様が祀られています。


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境内にある武芳稲荷大明神



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